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水彩仕立ての花が咲く --そしてまた、春が来る
テルミ
現実世界青春学園
2024年07月15日
公開日
49,965文字
連載中
毎週金曜日20時に更新です!

高校三年生。受験期に差し掛かった朝風悠(あさかぜ ゆう)は、
『画家』になるという夢を志半ばに閉ざされ、文字通り灰色の学生生活を送ろうとしていた。
『普通』の道を行け。夢から覚めろ。無慈悲な現実が可能性の芽を摘もうとした時、
『特別な絵』を前にして、ある少女と出会う。
天野未花(あまの みか)。鋭く赤い瞳を持つ彼女が言葉を告げる。
「――また、絵を描いてみない?」
何回も過ごしたあの季節がまたやって来る。
けれど不思議と、その季節の名前を俺はまだ、知らないような気がしていた。

序章

「ねぇ、私が今日で何回目の春を迎えたか、わかる?」


 忙しなく行き交う雑踏、春を告げるウグイス、急かす信号機。複雑に絡み合った喧騒の中、彼女の声だけが俺の耳を通り、思考に至らせた。

 季節というものは誰にでも平等に訪れる。そして、その訪れと別れを止めるなんてことはもちろん、誰にもできるわけがない。

 歳の数に1を足せばそれより多いことも少ないこともないのだから、何回目かなんて問いの解は明白だろう。

 考えることでもないけれどすぐに答えることもしなかったのは、どうしてそんなことを聞いてきたか、それがわからないから。車道の青看板、ビルの広告、街の大型ディスプレイ。沈黙するそれらに聞いてみたのはどうやら、間違いみたいだったようだ。


「19回目、じゃないのか」

「えぇ、そうね」

「……それだけ?」

「何? 続けてほしい?」


 そう言われると首を縦に振りたくないと思ってしまうのは、人間の性というものなのかもしれない。

 彼女はただ単に、俺で遊んでいるだけなのかもしれない。表面上はそういうことにしておこう。あぁ、そうしておこう。

 口を閉じ、ナビ代わりの携帯にしたがってまた、歩き出す。隣の彼女は、いたずらに俺を笑っていた。

 上野公園を抜けまた、通りに出る。

 ほのかに冬の寒さを孕んだ春の風は、咲き誇る花びらを攫い優しく頬を撫で、落とす。ひとひら、またひとひらとソレが撫でる度、またあの季節が来たのだと、心からも身体からも感じさせられたような気がする。少しはこの春という季節も好きになれたのかもしれない。理由はわかっているけれど、それは心の奥底に鍵をかけて、大事にしまっておくことにした。


「あなたは何回目の春が一番好き?」


 結局続くのか。それとも――なんて言うとややこしくなりそうだから辞めた。また難解な質問に思わず、足を止める。

 走りっぱなしの思考には申し訳ないが、もう少し付き合ってもらう必要がありそうだ。どこを見ても何を見てもこの街は、何も教えてくれないのだから。

 19回の春。それはどれも同じように見えてもその実、19通りの感じ方をしてきたような気がする。

 それに優劣をつけようだなんて思考にはそもそも至らない。特別良いと思ったこともないし、特別悪いと思ったこともないのだから。

 そんなことを考えながら再び足を進めると、『東京藝術大学入学式場』。そう書かれた立看板の向こうで咲く桜が俺たちを出迎えてくれた。

 どうやら、到着するまでに答えを出すことは出来なかったようだ。

 雑踏の中、ふたりだけが足を止める。桜色に染まる頬、滅多に見せない笑顔の花を咲かせて彼女の口が開く。


「私はね、19回目。あなたが諦めずに描き続けてくれた先の春が、あなたが隣に居てくれるこの春が、一番好き」


 そういう性格であることは知っている。知ってはいるけれど、こうも直接言われる俺の身にもなってほしい。

 1秒、2秒、3秒、息をすることすら忘れていた、気がする。受け止めるだけで精いっぱいの自分には、一抹の恥じらいを見せることしかできない。その笑顔にはもう、いたずらは居ない。


「おーい!」


 そんな俺を傍目に見知った顔はふたりを見つけると、手を振りながら楽しそうに駆けてくる。

 出会いの春、別れの春、人の数だけ呼び名があるだろう。けれどこの春には、彼女が隣に居る春に名前を付けるのなら、どんな名前が似合うだろう。

 わからない。わからないけれど少なくとも――


「俺もこの春が、一番好きかもしれないな」


 自信をもってそう言える。そんな春であることだけは、わかっていた。

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