「ねぇ、私が今日で何回目の春を迎えたか、わかる?」
忙しなく行き交う雑踏、春を告げるウグイス、急かす信号機。複雑に絡み合った喧騒の中、彼女の声だけが俺の耳を通り、思考に至らせた。
季節というものは誰にでも平等に訪れる。そして、その訪れと別れを止めるなんてことはもちろん、誰にもできるわけがない。
歳の数に1を足せばそれより多いことも少ないこともないのだから、何回目かなんて問いの解は明白だろう。
考えることでもないけれどすぐに答えることもしなかったのは、どうしてそんなことを聞いてきたか、それがわからないから。車道の青看板、ビルの広告、街の大型ディスプレイ。沈黙するそれらに聞いてみたのはどうやら、間違いみたいだったようだ。
「19回目、じゃないのか」
「えぇ、そうね」
「……それだけ?」
「何? 続けてほしい?」
そう言われると首を縦に振りたくないと思ってしまうのは、人間の性というものなのかもしれない。
彼女はただ単に、俺で遊んでいるだけなのかもしれない。表面上はそういうことにしておこう。あぁ、そうしておこう。
口を閉じ、ナビ代わりの携帯にしたがってまた、歩き出す。隣の彼女は、いたずらに俺を笑っていた。
上野公園を抜けまた、通りに出る。
ほのかに冬の寒さを孕んだ春の風は、咲き誇る花びらを攫い優しく頬を撫で、落とす。ひとひら、またひとひらとソレが撫でる度、またあの季節が来たのだと、心からも身体からも感じさせられたような気がする。少しはこの春という季節も好きになれたのかもしれない。理由はわかっているけれど、それは心の奥底に鍵をかけて、大事にしまっておくことにした。
「あなたは何回目の春が一番好き?」
結局続くのか。それとも――なんて言うとややこしくなりそうだから辞めた。また難解な質問に思わず、足を止める。
走りっぱなしの思考には申し訳ないが、もう少し付き合ってもらう必要がありそうだ。どこを見ても何を見てもこの街は、何も教えてくれないのだから。
19回の春。それはどれも同じように見えてもその実、19通りの感じ方をしてきたような気がする。
それに優劣をつけようだなんて思考にはそもそも至らない。特別良いと思ったこともないし、特別悪いと思ったこともないのだから。
そんなことを考えながら再び足を進めると、『東京藝術大学入学式場』。そう書かれた立看板の向こうで咲く桜が俺たちを出迎えてくれた。
どうやら、到着するまでに答えを出すことは出来なかったようだ。
雑踏の中、ふたりだけが足を止める。桜色に染まる頬、滅多に見せない笑顔の花を咲かせて彼女の口が開く。
「私はね、19回目。あなたが諦めずに描き続けてくれた先の春が、あなたが隣に居てくれるこの春が、一番好き」
そういう性格であることは知っている。知ってはいるけれど、こうも直接言われる俺の身にもなってほしい。
1秒、2秒、3秒、息をすることすら忘れていた、気がする。受け止めるだけで精いっぱいの自分には、一抹の恥じらいを見せることしかできない。その笑顔にはもう、いたずらは居ない。
「おーい!」
そんな俺を傍目に見知った顔はふたりを見つけると、手を振りながら楽しそうに駆けてくる。
出会いの春、別れの春、人の数だけ呼び名があるだろう。けれどこの春には、彼女が隣に居る春に名前を付けるのなら、どんな名前が似合うだろう。
わからない。わからないけれど少なくとも――
「俺もこの春が、一番好きかもしれないな」
自信をもってそう言える。そんな春であることだけは、わかっていた。