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第35話

ドワーフたちが帰って数日後。私は部屋で優雅にハーブティーを楽しんでいた。

……まぁ、「優雅」というのは建前で、実際は「疲れた~」とソファにだらしない座り方で、お茶を飲んでいるだけなのだけど。

窓の外には青い空と、まるで綿あめのような雲が浮かんでいる。


「平和ねぇ……」


私は溜め息まじりに呟く。そう、父の変態っぷりが表沙汰にならなかっただけでも平和と言えるかもしれない。

……いや、なったっけ?まぁどうでもいいか。


「姫様、お手紙が届いておりますぞ」


そんな時、老執事のセルシルが一通の手紙を持ってきた。この人……いや、エルフは本当に、絶妙なタイミングで現れるものだ。


「誰から?」

「差出人は『地底の友より』と書かれておりますが……はっ!まさか地底に潜む魔物からの挑戦状では!?姫様、このセルシルが命に代えて……!」


ああ、と私は微笑む。相変わらず大げさな反応を示すセルシル。

けれど、地底の友となると、あの人からに違いない。

私は伸びをしながら……いや、優雅に体勢を整えながら手紙を受け取った。これでも一応、ハイエルフの姫様なのだから。


しかし、手紙を「優雅に」受け取ったその瞬間──。


「ぐえっ!?」


私は情けない声を上げ、封に入った手紙と共に自分の手を床に落としてしまった。

手紙とは思えない重量級の一撃に、この華奢な腕は一瞬で敗北。ハイエルフの姫としての威厳も一緒に床に転がり落ちる。


「姫様、封の中に何やら石のようなものが入っておりますので、少々重いかと」


……先に言え。

私は思わず怒鳴りそうになるも、自分が気高きお姫様であることを思い出し、額に青筋を浮かべながら上品に微笑んだ。


「セルシル?そういうの、お先に言ってくださるかしら?この私、繊細で可憐で、そしてか弱い姫なので」


にっこりと微笑みながら、心の中では「重いって分かってて黙ってたでしょ!?」と叫んでいる。

セルシルが「申し訳ございません!」と平身低頭するのを横目に、私は恐る恐る封を開ける。

中に何が入っているんだろう。まさかキノコ地雷への報復として岩石爆弾でも送ってきたんじゃ……。


……いや、カイナブル王子がそんなことをする訳がないか。

なんたって、彼は私がこの世界で会った中で、極めて『常識』的な人物なのだから。

ちなみに『非常識』的な人物の代表は我が家の面々である。

具体的に言えば、娘の下着を着て悦に入る父や、妹に求婚しようとしているキモい兄様、そしてそこはかとなく一番ヤバい奴臭がするカフォンくん。

こう考えると、カイナブル王子の常識的な態度が、むしろ異常に思えてくる。この狂った世界で、彼だけが正気を保っているような……。(勿論私も)


いや、それはそれとして。


恐る恐る封を開けると、そこには文字の書かれた便箋と、一つの小さな鉱石が。

翠の輝きを放つその鉱石のあまりの美しさに、私の目は完全に釘付けになってしまった。

この国ではまずお目にかかれない、いや、見たことすらない鉱石だ。

まるで精霊がその生命力を閉じ込めたかのような、深い緑色の輝き。


「なんて素敵なお石……」

「ほぅ、これはなんとも……」


セルシルと私は、その美しさに完全に魅了されていた。

まるで魔法で作られたかのような、神秘的な輝きを放つ鉱石。

これぞドワーフの国が誇る宝物なのだろう。


以前、兄が私にくれた呪いの石ころとは大違いだ。

……そういえばあの石ころ、どこに行ったんだろう?たまに私のベッドに潜り込んでいるのを見かけるけど……(その度に即座に放り捨ててるが)

石ころが動いて喋るというホラー染みた現象に慣れてる辺り、私も狂ってるのかもしれない。


しかしこの鉱石、なんだか見ていると心が落ち着く……。


「姫様、この……ミミズの這った跡のような、地底の虫が暴れ回った痕跡のような文字は、一体なんでしょうな?もしや魔界の言語でございましょうか?」


セルシルが、明らかに言いたい放題な様子で便箋を覗き込んでいる。

この世界では共通言語が使われているから、各種族の言語なんてあまり見かけない筈だ。というか、私宛の手紙にそんな言語で書いてくるわけがない。

よく見ると、その字は確かに共通言語の名残が見えるような……?うん、ただの滅茶苦茶汚い字だ、これ。

まるで鍛冶場で使う炭で書いたような、荒々しい文字の並び。

ま、まぁ……?誰にでも欠点の一つや二つはあるものだし?

地底の王子様なんだから、字が汚いのは……ある意味長所、とか?

流石にそこまで思い込むのは無理があるな?


「まぁ、なんて……野性的な字なのかしら。うふふ……さすがドワーフの王子様ね」


私は上品に微笑みながら、心の中で「これ、本当に王族の文字か!?」と叫んでいた。

なんとか解読してみると、こう書かれていた。


『我が友、エルミアへ。

こうして手紙を送れることを嬉しく思う。こっちは相変わらず、地底の暗がりで楽しくやっているよ。久しぶりに見た地上の光が、なんだか懐かしいような、恐ろしいような……正直、複雑な気持ちだ』


私は思わず吹き出しそうになる。

なんて率直な感想なんだろう。まるで初めて陽の光を見た子供のような。


『それと、この鉱石は俺が採掘したもの……じゃなくて、王家に代々伝わる石でな。なんでも邪悪な存在を察知したら、持ち主に知らせてくれるらしい』


邪悪な存在を察知して、知らせてくれる……?

私は美しい鉱石を見つめ直す。


……さ、最高ではないか!

この狂った世界において、こんな必須級のアイテムはない。しかも王家の秘宝だなんて……。

兄様の接近を察知してくれる石とか、本当にありがたい。さすがドワーフ……実用的な贈り物をしてくれる。

正直、花やらアクセサリーやらをもらうより何百倍も嬉しい。

……これって、私が異常なのだろうか?あまりにも女性らしくないこの思考が……。

いや、この狂った世界で生き抜くためには、これくらいが正常値なはずだ。……そう信じたい。


「ドワーフの秘宝でございますか……貴重なものを惜しげもなくエルミア姫に贈答するとは、しっかりと絆を育めたようですな」


セルシルが感慨深げにそう言った。その表情は孫の成長を喜ぶお爺ちゃんのものだ。


「……」


育めた……のだろうか。

正直、あの日はただ状況に流されていただけで、私にはその実感がない。政略結婚から逃げ出して、たまたま出会って、たまたま話して……。

でも、彼がこうして手紙と、こんな貴重な鉱石を送ってきてくれたということは、きっとそういうことなのだろう。


……それにしても、この鉱石。『危険』とやらをどうやって知らせてくれるんだろう?

もしかして綺麗に光ったり?それともプルプル震えたり?

できれば喋らないでくれると有難いが。兄様の贈り物みたいに、突然「コロス!」とか叫ばないで欲しい。

そう思っていた私だったが、それを知る機会はすぐに訪れた。


ゴゴゴゴゴ……。


「え?」


突如、鉱石が不気味な振動を始める。まるで地震のような激しい揺れと共に、翠の輝きが血のような赤色に変わっていく。


「ちょ、ちょっと!?なにこの派手な反応!?」


なんか予想より怖くね?綺麗に光るとか、可愛らしく鈴の音を鳴らすとか、もっとこう……上品な知らせ方があるんじゃない?

そう私が困惑した、次の瞬間──。ガチャリ、と部屋の扉が開かれた。

そこにいたのは、美しい金髪の長髪を靡かせた美青年……。


「エルミア」


兄、アイガイオンであった。

何故か彼はにこにこと微笑みながら、私の部屋にすかさず入ってくる。

え、何でノックもせずに、何で了承もなく入ってくるの?

この人ヤバい?あぁ、ヤバいのか。知ってたよ。


「お、お兄様……?今日はどのような狂気……じゃなくて、ご用件でいらっしゃったのですか?」


私は顔をひくつかせながら、兄の来訪を『歓迎』する。この鉱石の振動から察するに、相当やばい事態が迫っているみたいなのだが。

私の言葉に、彼はフッと笑みを浮かべると、了承を得ずに私の真横に座る。

本能的に立ち上がって逃げ出したい衝動と戦いながら、私は座り続けた。


「聞いたよ、ドワーフとの見合いを断ったそうだな」


兄はにこやかに言う。その笑顔が、部屋の気温を急激に下げていく。


「え、えぇ……」


私は兄妹間の物理的な距離が近すぎることにドン引きしながら呟く。もう少し離れてくれないかな。兄妹愛の押し売りはやめて欲しい。

というか何故、兄はこんなにも上機嫌なのだろう……。考えるまでもなく、ろくでもない理由に違いない。


「見合いを断ってまで、この兄と結婚したいとはな……エルミア、お前の想いが嬉しいよ」


あ、そういう流れなのね。薄々分かってたよ。ちくしょう。

どうしてこの人は、全ての事象を自分への愛に結びつけようとするんだろう。

その間にも、鉱石は危機を知らせようと狂ったように震え続けている。まるで「逃げろ!」と叫んでいるかのように。


まぁ逃げれないんですけどね。


私はセルシルに目で助けを求めるが、彼が兄アイガイオンを相手にできるわけもない。

彫像のように、そして冷や汗をダラダラと垂れ流すセルシルを見て私は諦めた。これが精一杯の抵抗なのだろう。

むしろ、まだ気絶していないだけマシかもしれない。


「お兄様?その、私はカイナブル王子との結婚を断っただけで、そのような意図はございませんわ」


私が反論すると、兄は更に笑顔を深める。まるで狂気を結晶化したような笑みだ。

その横で鉱石は既に限界を超えたかのように振動している。振動というより、もはや爆発寸前である……。


「私はただ、政略結婚という形に……」

「照れることはない。お前が兄を想い続けてくれていたことは、この俺には分かっている……」


いや、絶対に分かってない。むしろ理解力のなさに戦慄すら覚える。

この人の脳内では、全ての出来事が「エルミアは兄が大好き」という一点に収束するようにできているんじゃないだろうか。


不意に、兄は何かに気付いた。

ブルブルと震え続ける鉱石だ。振動が激しすぎて、もはや無視できないレベルで……。


「ん……?その石は……」


ヤバい!気付かれてしまった!

いや、別に気付かれてもいいんだけど、ドワーフの王子からの贈り物だと言ったら……。想像しただけで背筋が凍る。

きっと「エルミアの純潔を穢す不浄の石!」とか言い出すに違いない。


「こ、この石は……そう!最近、大人気の健康器具らしいですわ!いや、むしろ空気清浄機……?」

「何故、震えているんだ?」

「え!?そ、そうですね!?きっと父上が新作ドレスを着て廊下を走り回っているからでしょうか!?変態感知石の機能も備わってるみたいなの!」


私の言い訳、明らかにおかしいよね。支離滅裂だし。

でも兄様なら、父の変態趣味の方が気になって話を逸らせるはず……!


「そうか」


しかし、兄は目を細め、その鉱石をジッと見たまま無言になってしまった。

その沈黙には、今までにない重みがある。

……なんだ?この反応。なんか、思ってたのと違う。

いつもなら意味不明な理由をつけて更にキモイことを言ってくるはずなのに。

彼の視線は鉱石に注がれ、まるで何かを思案……いや、思い出しているような……。

その表情には、狂気の仮面の下に隠された、何か別の感情が垣間見える。


──その時であった。


不意に、部屋の扉が、再び勢いよく開かれる。


「エル姉さま!」


扉から入ってきたのは、天使のような可愛らしい顔と、美しい金色の髪を揺らす我が愛しの弟。

カフォンくんであった。


「まぁ、カフォン!どうしたの?」


私は内心で狂喜乱舞していた。何故なら、カフォンくんがいれば兄が暴挙に出ても、阻止してくれるだろうから。

ただし、その代償として私の部屋は木っ端みじんに吹き飛ぶだろうし、もしかしたら私の身体も粉々になるかもしれない。

でも、それでもいい。兄に付き纏われる今の状況より、部屋と一緒に吹っ飛ばされる方がマシだ。

セルシルも私も、兄の狂気から解放される。win-winというやつである。

……勝者不在の勝利だけど。


カフォンは愛くるしい笑みを浮かべながら、私に抱き着いてきた。

猫のように目を細め、甘えてくるカフォン。その姿は天使そのもの……なのだが。


「お見合いを断ったんですね!流石エル姉さま!これでずっと、永遠に僕の姉として君臨できるんですね」


……ただし、言っていることは少々おかしい。いや、かなりおかしい。

私は「永遠に姉として君臨」という言葉の意味を脳内で反芻しているが、まるで訳が分からない。

兄は「妹が兄を想い続けてくれていた」と意味不明な妄想を垂れ流し、弟は「永遠の姉」とかいう新ジャンルを作り出そうとしている。


「そうね。私は永遠のお姉ちゃん。みんなのお姉ちゃん。世界のお姉ちゃんよ」


私の口からも、意味不明な台詞が漏れ出す。

この家族と一緒にいるだけで、確実に狂気が感染している。もしかして空気感染?

私が自分の正気を疑っていた、その時である。


「!?」


カイナブル王子から貰った鉱石が、カフォンが近づいた瞬間に絶大な振動を始めた。

まるで小規模な地震かのような揺れと共に、色が翠から血のような赤へ、そして紫へ、青へと七色に変化していく。

これは……ヤベェ。まさか本気で危険を知らせているのだろうか?

兄の時は赤色だけだったのに、七色って……危険度MAXってこと?


「えっ……」


思わず絶句する私とセルシル。

そして、鉱石は遂に限界を迎えたのか──。


盛大に、爆発した。


色とりどりの鉱石の破片が部屋に散らばり、まるで宝石の雨のように降り注ぐ。

その幻想的な光景に、私は思わずほぅ、と息を漏らす。


──なんて綺麗なんだろう……。


って、いや違う!今そんな場合じゃねぇ!

カフォンくんに何が起きているの!?なんで兄様の狂気レベルを超えて、危険度MAXなの!?

天使のような笑顔で私に抱きついている弟。その背後には、まるで地獄の業火のような七色の光が渦巻いている。

カイナブル、素晴らしい贈り物をありがとう。そして、ごめんなさい。速攻でぶっ壊れちゃった。


「おや?何やら派手に壊れてしまいましたが……もしかして、危険な物だったのでは?」

「これはね。部屋の清浄度が高くなりすぎると反応する鉱石なの。きっとカフォンの純真無垢なオーラで部屋が浄化されちゃったのね。天使様が来たみたいに」


私の心にも無い言葉……いや、むしろ真逆の真実を包み隠した台詞に、カフォンは嬉しそうに目を細める。

その笑顔の裏に潜む何かを、鉱石は感知して自爆したのだろう。

そして、心の中で「清浄度じゃなくて邪悪度かな……」と突っ込みを入れながら、私は満面の笑みを浮かべる。

セルシルの表情が「姫様の演技力の高さに震える」という感じになっているが、これも生存の知恵というものだ。


不意に。

私に抱き着いているカフォンを見て、兄アイガイオンが低い声を漏らした。


「おいカフォン……テメェ、なにエルミアに抱き着いてやがるんだぁ……?」


その凶暴な表情と迫力に、私の身体は硬直する。

しかしカフォンは涼し気な顔のまま、私の胸に顔を埋めながら言った。


「弟が姉に抱き着くのなんて、当たり前のことですよ?あぁ、でも兄が妹に抱き着くのは完全にアウトですね。変態の領域ですし、そんなことしたらドン引きしますよ」

「テメェ、正気か?姉弟間でそんなベタベタするとか、頭おかしいんじゃねぇのか?そんな関係、異常だろうが」


兄の言葉に私の思考は「?」マークで埋め尽くされる。

な、なにを言っているんだ、この兄は?

いや、彼の言っていることは正しい、というか正論すぎるのは分かっているのだが、他ならぬ兄の口からその言葉が出てきてしまうことが私には恐ろしかった。

これは悪夢か?それとも兄の発作的な正気の時間?だとしたら早く記録を取らないと……。


そうして、兄弟間で雰囲気が険悪になってきつつある時……。


ガチャリ、と。再び勢いよく扉が開かれた。


今度は何事だ?もう魔王やら邪神やらが訪ねてきても驚かない。むしろ魔王の方が、この家族より常識的かもしれない。つーかノックしろよ。なんで誰もしないんだよ。

私が扉の方向を見ると、そこには満面の笑みを浮かべた父セーロスの姿があった。


「エルちゃん!今、暇かなぁ?実はいい話があるんだけど~♪って、げぇっ!?アイガイオンとカフォン……!?何故ここに……」


だが、父は私の横に寄り添う兄と、抱き着いている弟の姿を見てピタリと身体を硬直させた。

そして、冷や汗をダラダラと流しながらそのまま後ずさり、帰ろうとする。


「おい、なに帰ろうとしてやがる。あぁん……?」

「『いい話』?なんですか、それは?父上の『いい話』って、大体ロクな話じゃないですよね?」


アイガイオンとカフォンが、目にも止まらぬ速度で父を包囲した。

この二人、普段は殺し合いばかりしているのに、父の怪しい行動を阻止する時だけは息がピッタリ合う。さすが血の繋がった兄弟、無駄な所で団結する。

父は可哀想なくらい汗を流しながら、誤魔化そうとするも、兄と弟の圧に耐えられなかったのか慌てて話し始めた。


「じ、実は……そのぉ……」


そして、私の目を見て……舌をペロッと出して、言った。

なんなのその仕草。年齢的にも、性別的にも、王としての品格的にも、全てにおいて似合っていない。


「次はヴァンパイアの王子様とのお見合いだからサァ!エルちゃん、準備しといてね♪」


















「は?」


その瞬間、部屋が静寂に包まれた。兄と弟の殺気が、まるで実体化したかのように膨れ上がる。

そんな中で、私は頬を引き攣らせていた。

え……?は……?ヴァンパイアの王子とのお見合い?


いや、待って。だって父様、ドワーフたちの前で言ったじゃない?


結婚みたいな形だけの友好に頼る必要なんてないとか、そういう崇高な理想を語ってたじゃない?

あれって「結婚なんてしなくてもいい」っていう結論だったんじゃないの?それとも私の解釈が間違ってたのか?


父の理解不能な言葉に戦慄していると、兄の拳が父の腹部に盛大にめり込んだ。


「ひぎぃ!?」


悶絶する父に、兄は怒りを携えた表情で言った。その目は、まるで地獄の業火のように燃えている。


「あのよぉ……何勝手に決めてんだァ……?」


腹部を抑えて逃げようとする父だが、上から魔法の重力的なもの(私にはそう見える……)が降り注ぎ、床へと押し潰された。

私のお気に入りの絨毯ごと床にめり込んでいく。


「んごぉ!?」


苦しむ父に、カフォンは天使のような笑顔……いや、悪魔のような笑顔で言った。


「お見合いの件は事前に相談しろって言いましたよね?それとも、僕の記憶違いでしょうか?あぁ、そういえばこの台詞も何回目か分からないなぁ。いやぁ、さすが父上。学習能力の低さは超越種の中でも特筆ものですよ」


私はただただ呆然と、この修羅場を眺めている。

父様の悲鳴と、床に刻まれていく父様の輪郭。そして粉々になっていく高価な絨毯。

エルフとドワーフの和解とか、種族間の理解とか、そんな崇高な理想は父様の脳内では「とりあえず娘を片っ端から結婚させよう」という結論に至ったらしい。


「エ、エルちゃ……助け……」


二人に猛攻を受けた父は、私に向かって弱々しく腕を伸ばしてくる。

私はゴミを見るような……いや、ゴミなら少しは同情するかもしれない。変態を見るような冷めた視線で射抜き、セルシルに向かって言った。


「セルシル、ハーブティーが飲みたくなってきたわ。淹れてくださる?」

「かしこまりました」


私に完全に無視されて、父は絶望的な表情を浮かべる。

そうだ、自業自得である。勝手に政略結婚を決めておいて、誰が助けるというのだ。

そして、兄と弟の「馬鹿国王セーロスをどう処分するか」という恐ろしい会議が開催され始めた。


「おい、今度こそぶっ殺すか?このとんでもない馬鹿をよ」

「う~ん……。やっぱり今殺すのは面倒くさいことになるから、別の方法を提案させていただきましょうか。女装させてドワーフの国に送り付けるとか。ドロテア王への『愛の贈り物』として。どうせ父上、ドレス着るの大好きですし」


父の悲鳴が部屋に響き渡る。

私はその恐ろしい光景を見ないように、優雅に立ち上がる。

そして、窓辺まで歩き、外ののどかな光景を見つめた。


「平和ねぇ」

「はい、実に平和でございますね」


後ろから「やめろぉおお!」という父の悲鳴が響き渡るが、それを気にせず私の鍛え上げられた精神は平和を享受することができる。

私も随分と成長したものだ。この程度の修羅場なら、完全スルーできるようになった。


「ほら、セルシル見て。あの曇、面白い形をしているわ」

「おお……セーロス陛下の悲鳴にも似た形をしておりますな」


後ろでは「ドロテア王への愛の告白状も書かせましょうか!」という弟の提案に、父が「それだけは勘弁してぇええ!」と絶叫している。


……まぁ、これが日常というわけだ。


平和な風景を眺めながら、私は父の悲鳴を完璧にシャットアウトする。これぞハイエルフの姫としての嗜み。


「……ふぅ」


結局、ドワーフとのお見合いは色々とあったけれど。


私は青空を見上げながら、そっと微笑む。


大切な友人ができた。種族も育ちも違うけれど、純粋に心が通じ合えるドワーフ。


妖精たちが窓辺を舞い、キラキラと光を放ちながら踊っている。


その美しい光景の反対側から、父の「ひぎゃぁああ!エルちゃん助けてぇ!」という悲鳴が響いてくる。


無視。


「……結構、悪くない展開だったのかもしれないわ」

「姫様?今何か?」

「いいえ、なんでも」


私たちなりの、新しい絆の形が、ここにはある。


優雅な妖精の舞踏と父の断末魔が混ざり合う中、私は確かな希望を感じていた。


これが私の日常。狂気に満ちた、でも……どこか愛おしい日々。


そう、これからも色々なことが起こるだろう。


でも──。


それもまた、素敵な物語になるのかもしれない。


「しょうがないなぁ」


私は誰にも聞こえぬように呟いた。そして、微笑んで……言った。


「もう暫く……お見合いを、楽しみましょうか──」


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