私の言葉に、広間は見事なまでの静寂に包まれた。
まるで時が止まったかのように、エルフもドワーフも口を半開きにしたまま固まっている。
まさに「正気ですか?」という表情。さっきまでの期待に満ちた顔が、まるでガラスが砕けるように崩れていく。
従者たちは互いの顔を見合わせ、頭上に浮かぶ疑問符が見えそうなほど困惑している。
エルフの従者もドワーフの兵士も、珍しく同じ表情を浮かべているのが面白い。種族の壁を越えた「えぇ……?」という表情。
これなら両国の友好も進むかもしれない。混乱と困惑の共有から始まる外交関係。
その発端は、私か……。
「エ、エルちゃん?どうして?」
ああ、来た。予想通りの反応。
父の声には、色々な意味が詰まっているのが分かる。『どうして』の二文字に、父なりの複雑な思いが込められている。
──だって、あんなに仲良く話してたじゃない?
──さっきまであんなに素敵な台詞を言ってたのに?
──突然、何を言い出すんだ!?
父の目が訴えかけてくる。珍しく真面目な表情だ。まぁ、娘の下着を着るような趣味の持ち主にしては、随分と正気な反応である。
私は小さく息を吐く。みんなの期待は分かる。
でも──
「──私は、カイナブル王子を好ましく思っています」
その言葉に広間の空気が更に混迷を深める。だったら何故……?という彼らの言葉が聞こえてきそうだ。
私の発言の真意を理解できず、エルフもドワーフも首を傾げている。
私は一歩前に出て、はっきりと言い切った。
「しかし、それはあくまでお友達として、一人の人……じゃなくて、一人のドワーフとして尊敬、そして尊重する気持ちです。まだ会ったばかりの方を、どうして結婚相手として正当に評価できるというのでしょう?」
そう──これが本当の理由だ。周囲の期待など知ったことではない。
「例えば」
私は広間に集まった人々の中から、一人のメイドを颯爽と指差した。完璧な切り札を切るかのような余裕すら感じながら。
「そこの貴女。もし、貴方がいきなり、今日会ったばかりのカイナブル王子と結婚しろと言われたらどう思いますか?」
しかし──。
「え……?まぁ、イケメンだし別にしてもいいし……ていうかドワーフだとしても王子様なら玉の輿だしぃ……」
私の完璧なまでの論破は、メイドの予想外の返答によってあっけなく崩れ去ろうとしていた。
しまったぁ、人選を間違えたかっ……!つーかあの子よく見たらエスカテリーナじゃないか?私の御付きのメイドさん……。
「──ちょっと待って!今の無しです!」
私は慌てて彼女の言葉を遮った。こんな展開は想定外だ。心の中で小さく呟く。
お願いだから、もう少し慎重に考えて答えてほしかった……。
私の御付きなら、私の考えていることくらい、分かってくれぇ……!
私は慌てて別の人物を指差した。今度こそ間違いのない人選を、と思って選んだのが、ドワーフの兵士だ。
どことなく頼りなさそうな風貌に、平凡を絵に描いたような容姿。完璧な人選、いや、完璧な犠牲者と言っていい。
「そこのドワーフの貴方!」
「え?え?俺、でごぜぇますか?」
兵士はおどおどと周囲を見渡している。素晴らしい。この自信の欠片もない態度。
兵士としては致命的な欠陥かもしれないが、今の私には打ってつけだ。ていうか君大丈夫?戦場とかで生き残れる?
い、いや……今は彼の心配をしている場合ではない……。
私は先程の致命的な失態など、まるでなかったかのように最上級の笑顔を浮かべる。
贅沢な絹織物のように滑らかな、まさに王女に相応しい微笑みを添えて。
「もし、貴方が突然見知らぬ人物と結婚しろと言われたら……困惑するし、拒否するでしょう?」
兵士は「た、確かに……」と呟いた。
ついに来た。これこそ私の求めていた理想的な反応。今度こそ、私の完璧な論理が広間に轟く瞬間……!
──そう思った、その時であった。
突如、その兵士の背中からピンク色の小さな光が漏れ、妖精がにょきっと顔を出した。
「いやいや、結婚してくれる女性がいるなんて、そんな奇跡みたいなチャンスを逃すなんてありえなくない?アンタみたいな男に、そんな素敵な機会が来るなんて、それっきりかもしれないのに!」
……え?妖精?なぜドワーフの兵士の背中から妖精が?
私が混乱していると、今度は青い光を放つ妖精が現れ、容赦のない言葉を浴びせる。
「そうそう!アンタみたいな、見るからに平凡で、特徴と言えば特徴がないことが特徴な男に、二度とそんなチャンスが来るわけないでしょ?飛びつくでしょふつー!」
妖精たちの言葉は、蜂蜜で包んだ毒針のようで、甘い言葉の奥に残酷な真実を忍ばせている。
途端に兵士は顔を覆い、その場に崩れ落ちた。
「そうだ……そうだった……俺みたいな男に、そんなチャンスが二度もくるわけないよな……」
「自覚あんじゃん。健気だね~」
「でも、その健気さすら魅力に変換できないあたり、本当に救いようがないけどさぁ」
きゃははは!と笑う妖精の横で、ドワーフの兵士は完全に心が折れてしまったようだ。
「うおおお~ん!!そうだよ!俺なんて、顔も地味!体格も地味!戦闘も地味!生まれた時から地味なんだよぉ!」
「あら、自分でもよく分かってるじゃない。自己認識だけは一流ね!」
広間にいる全員が、この異様な光景に凍りついていた。妖精に心をズタズタにされていく兵士を、誰もが哀れみの目で見つめている。
さすがに止めに入る者もいない。これは……もはや地獄絵図とすら言えるかもしれない。
「あの馬鹿……何言ってやがるんだ……はぁ」
カイナブル王子が額に手を当てて溜め息をつくのも当然だ。彼の部下が、こうして公の場で自分の価値をゼロ以下にまで貶めているのだから。
……作戦は完全なる失敗に終わった。
私の完璧な論理武装は、一人の平凡な兵士と二匹の容赦ない妖精によって、見事に粉々に打ち砕かれてしまった。
まさか妖精さんにまで邪魔をされるとは……ぐぎぎ……!なんか最近彼女達の知能上がってきてないか?気のせい?
その内知能が上がりまくって世界征服でも企みかねない勢いだ。……まぁ、そんな力はないだろうけど。
「こほん」
私は広間の空気を一閃するかのように、優雅に言葉を紡いだ。
「そもそも、お相手のことを知らないまま結婚を決めるなんて、常識的に考えておかしいことですわ。どれだけ素敵な方でも、まずはお互いをよく知り合うことが大切なのではないでしょうか?」
なんて完璧な論理なのだろう。先ほどまでの失態など、まるでなかったかのように──。
「姫様、さっきのなかったことにする気満々ですよね?」
「なんと洗練された現実逃避……いや、スルー能力なのだろう。我々ドワーフも見習わねば」
広間のあちこちから皮肉めいた囁きが聞こえてくる。
でも大丈夫。私ことハイエルフの姫には、都合の悪いことは耳に入らなくなるという素晴らしい種族特性がある。長い耳の意味なんて、そんなものだ。
まぁ、アイガイオン兄様の狂ったような俊敏な動きとか、カフォンくんの魔法とかに比べたら、ゴミクズみたいな能力だけど。
それにしても、最初から自分の言葉で語ればよかった。他人を巻き込もうとするから、あんな妖精にまで邪魔をされる羽目になったんだ。
しかし広間のざわめきは一向に収まらない。
おかしいな……これだけ素晴らしい、感動的な……いや、ここまで自画自賛するのもアレだけど、それなりに良いスピーチをしたはずなのに。
エルミアちゃんの華麗なる演説は、みんなの心に全く響かなかったようだ。
「エルちゃん、政略結婚っていうのそもそも知らない者同士が結婚するのが基本だしさ……?むしろ、知らない方が上手くいくこともあるし……」
ついに父までもが説教じみたことを。娘の下着を着る趣味を持つ父親に、結婚についての人生訓を語られる筋合いはない。
くそぅ……メイドさんの言葉とあのドワーフの兵士くんの証言さえちゃんとしてれば。今頃は「さすが姫様!」「なんて賢明な判断なんだ!」と称賛の声が飛び交っていたはずなのに。
どうしてこんなことに……。
(そろそろカフォンくんでも呼んで、この広間を全部フッ飛ばしてやろうかな……)
そう考えてハッと正気に戻る。
……ちょっと待て。今すごく邪悪なことを考えてないか?
お兄様とカフォンくんの狂気が私にまで伝染したのか?特にカフォンくんの「何か起こったら魔法で消しちゃえ」精神に毒されている!?
いや、違う。私はまだ正気だ。
……そうであってくれ!
「みんな、聞いてくれ」
私が自分の精神状態について、いささか深刻な自己診断をしていた時、不意にカイナブル王子が人々の前に進み出た。
カイナブル王子は堂々と前に進み出た。野性的な雰囲気を纏いながらも、その瞳には真摯な光が宿っている。
「お見合い……俺はそれを否定するつもりはない。むしろ、人生における大切な出会いの一つだと思っている。だからこそ父上たちの考えも分かる」
一呼吸置いて、彼は続ける。
「だが、俺達には『意思』がある。今日、俺と姫がお見合いから逃げ出したのも、その『意思』のせいだ」
その言葉に広間が騒然となる。
「え?逃げたって……?」
「お、王子……言っちゃっていいんですか?」
「ちょっと待って、エルミア姫様も逃げてたの……?」
ざわめく聴衆たちを見て、二人の王は頭を抱えている。そりゃそうだ。
せっかく私たちが華麗に逃亡した……いや、『一時的に席を外した』という事実を隠しておきたかったのに。
私も思わず目を瞑る。確かに逃げ出したのは事実だけど……こんな大勢の前で言っちゃっていいものだろうか。
周りの反応を見ていると、この『事実』を公表するのは、流石にまずかったのでは……?
私が戸惑っていると、カイナブル王子はふっと自嘲するような笑みを浮かべた。
「──俺は、エルフが憎かった。出会う前から、骨の髄まで嫌っていた」
その言葉が響いた瞬間、広間が凍りついた。
私の体も、まるで氷の彫刻のように固まる。
──え?エルフが……憎い?しかも骨の髄まで?
何故?どうして?
私と会話を交わしていた時は、そんな素振りは微塵も見せなかったのに。
広間が死んだような静寂に包まれる中、カイナブル王子は何処か遠くを見つめながら言葉を紡ぐ。
「俺は戦争を知らない。エルフに会ったこともなかった。けど、大人たちの戦争の話を、エルフへの憎しみの言葉を、子供の頃から耳に突き刺すように聞かされ続けてきた」
カイナブルは私の方へ視線を向けた。その瞳には、何かを悔いるような、そして懺悔するような色が宿っていて……。
「如何にエルフが残虐で、高慢で、血も涙もない種族か。そんな話を聞かされ続けてきた」
一呼吸おいて、彼は自身の過去を語る。
「俺はその言葉を全て鵜呑みにしていた。この目で一度も見たことがないエルフを、地底の底から恨み、憎み、恐れていた」
その告白を聞きながら、私は思わず胸が締め付けられる。彼の言葉には嘘がない。
それどころか、あまりにも正直すぎて、聞いているこちらが痛みを覚えるほどだ。
「お見合いと称してエルフに会いに行けと言われた時……正直、吐き気がした。エルフなんかとお見合いだなんて、冗談じゃない。そう思っていた」
彼は一瞬、父であるドロテア王の方を見る。そして、また私へと視線を戻した。
「だから俺は逃げ出した。エルフの姫なんて会いたくもなかった。……そのはずだった」
その時の私のことを思い返すように、彼は少し表情を和らげる。
「でも、実際に会ってみたら……エルミア姫は、俺の思い込みを全て打ち砕いた。上品ぶってるわけじゃない。高慢でも血も涙もないわけでもない」
思わず私は息を呑む。彼の言葉には、偽りのかけらもない。
「むしろ逆だった。──俺の偏見の方こそ、血も涙もない醜いものだったんだ」
その告白に、広間は水を打ったように静まり返った。エルフもドワーフも、誰一人として言葉を発することができない。
──そして私は、カイナブル王子のその姿に目を奪われていた。
たくましい体躯だから?違う。
端正な顔だから?いや、違う。
自分の偏見と真摯に向き合い、それを認め、そして乗り越えようとするその在り方に、だ。
「お見合いから逃げ出した時、偶然にも姫と出会った。そして色々と話をした」
カイナブルは続ける。彼の言葉には不思議な重みがあった。
「エルフの暮らし、文化、考え方……何もかもが新鮮だった。何より、姫は俺のドワーフとしての生き方にも興味を持ってくれた。偏見なく、心から」
そう。私たちは逃げ出した先で、偶然出会い、そして……ただ純粋に話を重ねた。
エルフとドワーフという垣根を超えて、ただのエルミアとただのカイナブルという存在として。
「だからこそ」
カイナブルは力強く言う。
「今は『友達』でいいと思う。お互いをもっと知り合って、理解し合って……それから先のことは、その時に考えればいい」
そう言って、カイナブル王子ははにかむように笑った。
まるで「こんな素直な告白、普段はしないんだけどな」とでも言いたげな、照れくさそうな笑み。
だけど……その笑顔に、私の意識は完全に奪われていた。
(──あぁ、そうか)
これが、本当の「出会い」なのかもしれない。
政略結婚でも、種族間の和解でもない。ただ純粋に、向き合う。
偏見を捨て、先入観を捨て、本当の姿を見つめ合う。
カイナブル王子は、今までの私の主張を、もっと力強く、もっと説得力のある言葉で語ってくれた。
一方的な思い込みや、他人の期待だけで、人生を決めたくはないという。
……でも、この感覚は一体なんなのだろう。
カイナブルの笑顔に意識を奪われ、胸が高鳴り、頬が熱くなる。
これは、もしかして──
(───って、ちょっと待て)
今の私、明らかにラブコメの駄作みたいな心情に浸りかけていなかったか?
安っぽい恋愛ドラマのヒロインみたいな感情に流されそうになってなかった?
……いやいや、正気に戻れエルミア。
だって、たった今まで「結婚なんてとんでもない」って高らかに主張してたのに、たった一つの演説(まぁ、それなりに格好良かったけど)で心変わりしたみたいな展開は、作り物の物語ですらドン引きレベルでは。
ま、まぁいい!
私は、照れているのを隠すように、カイナブル王子の『崇高』な演説に相乗りすることにした。
「そ、そうです!カイナブル王子の仰る通りです!エルフとドワーフは、互いの理解を深めることから始めるべきなのです。偏見を捨て、真摯に向き合うことこそが、私たちの未来への第一歩となるはずです!」
……もし誰かが私の心を読める能力を持っていたなら、今の台詞がどれだけ滑稽に聞こえることか。
でも大丈夫。生憎と私には、心と口を完全に切り離せる特殊能力がある。
これぞ複数能力者……とまでは言えないか。むしろ「ご都合主義な言い訳能力」とでも呼ぶべきかもしれない。
その時、二人の王が前に進み出た。
先程まで子供のように喧嘩をしていた二人が、どこか誇らしげに私たちを見つめている。
「カイナブル……お前は本当に立派になった。いつまでも子供扱いしていた儂が間違っていたのかもしれん……」
ドロテア王が、感極まったような声で言う。その横では、父も涙ぐんでいた。
「エルちゃん……まだまだ子供だと思っていた僕が恥ずかしいよ。父親として、本当に誇りに思う……」
でも、不思議と私は彼らの気持ちが分かる気がした。
長年の確執を抱えていた大人たちには言えなかった言葉を、私たち(主にカイナブル王子が……)は素直に口にした。エルフとドワーフの未来を、偏見なく語った。
それは、きっと彼らにとって大きな希望だったのかもしれない。
だから、こんなにも感動してくれているのだろう。
そして、セーロス王とドロテア王は、私たちの言葉に感銘を受けたように前に進み出た。
「……我が国も、グランツ地国も、長きに渡り対立を続けてきた」
父が、珍しく真摯な表情で語り始める。
「戦争という名の憎しみの連鎖。我々は、その愚かな歴史を断ち切れずにいた」
ドロテア王も、深いため息と共に言葉を続ける。
「そして、その連鎖を断ち切るために、子供たちの結婚という方法しか思いつかなかった」
父が頷く。
「だが今、私は気付かされた。結婚など、形だけの結びつきに頼る必要などないのだと」
「そうだ。大切なのは、互いを理解しようとする心」
「エルミアとカイナブルが、まさにそれを示してくれたのだ」
二人の王は、私たちの方を見る。
「焦る必要などない。我々には、たくさんの時間がある」
「互いを知り、理解し合う時間が──」
広間は静まり返っていた。
従者たちの中には涙を流す者もいる。エルフとドワーフが、肩を寄せ合って感動を分かち合う姿さえあった。
それは確かに、心を打つ言葉の数々。
──なんて、感動的な言葉なんだ。
父とドロテア王が私たちの想いを理解してくれたのが嬉しかったし、彼らの言葉からは真の平和への願いが感じられた。
だけど──。
「(き、消えてちょうだい私の記憶!!)」
私の脳裏に、どうしても消せない画像が浮かび上がる。
この感動的な演説をしている父の姿と、私のドレスに身を包み、付けまつ毛を揺らしながらポーズを決めていた父の姿が、脳内で完璧にオーバーラップしてしまう。
「そして我々は、新たな時代を──」
(あ、このポーズ……さっき私のドレス着ながらやってたやつだ)
「エルフとドワーフの未来のために──」
(それにこの仕草、なんか女っぽいな?もしかして練習してた?)
「我々の子供たちは、新しい道を示してくれた──」
(示してくれたのは私の下着の新しい使い道だけどね)
父の言葉を素直に受け止められない自分が悲しい。
でも、これって私が悪いんだろうか?いや、悪くない。悪いのは女装していた父である。
「今日こそが、我らの先祖が積み重ねてきた憎しみの連鎖を断ち切る、歴史的な一日となるのだ!」
父が何を言っても、私の脳裏には「でもこいつ変態なんだよな……」という事実が重く圧し掛かる。
どれだけ感動的な言葉も、どれだけ崇高な理想も、全てが「変態の戯言」として虚しく消え去っていく。
──くそ、くそ!お願いだから、誰か私の記憶を抹消してくれ!魔法で、今日見た父のドレス姿を消し去ってくれぇ!
私が精神を削られそうな記憶と戦っていると、不意に横からカイナブル王子の声が聞こえた。
「エルミア姫」
救世主だ。変態の記憶と格闘していた私の前に現れた王子は、まさに救いの神だ。
彼の真摯な瞳を見ていると、私まで真面目な気持ちになってしまう。
「確かに、これは普通のお見合いじゃなかった。むしろ最悪の出会い方だったかもしれない」
カイナブルは少し照れたように髪をかき上げ、続ける。
「でも、エルミア姫に会えて本当に良かった。政略結婚の相手としてじゃなく、一人の……友として」
カイナブルの言葉にきょとんとした私は、差し出された手を握り返した。
王子の手は暖かく、まるで大地のように力強い。その手から、ドワーフの命の鼓動が伝わってくるようで……。
私は思わず、彼の笑顔に再び見惚れてしまう。
「カイナブル王子……私も、あなたと出会えて良かった」
「王子はいらないさ。カイナブルでいい。友達なんだから」
「では、私も姫という肩書は必要ありません。エルミアと呼んでください」
そんな私たちのやり取りを見て、広間の人々から感動の声が上がる。
まるでお似合いのカップルを見るかのような……って、違う!
私たちはあくまで友達同士。そう、友達……。
……でも、なんだろう。
この胸の高鳴りは。いや、これは単に父の記憶を必死に消そうとする反動に違いない。
きっとそう。そうに決まってる。
広間には不思議な空気が流れていた。
感動で涙する者、にやにやと笑う者、そして私とカイナブルの立ち位置に困惑する者。様々な表情が入り混じっている。
父は相変わらず崇高な演説を続けているが、私の耳には「でも変態なんだよなぁ」というフィルターを通してしか聞こえてこない。
これは重症かもしれない。
だけど──。
カイナブルと交わした約束は、確かに心に残っている。
エルフとドワーフ。種族も、生まれも、育ちも違う。
それでも、ただ純粋に、一人の友として向き合える。そんな関係を築けた。
「じゃあ、これからもよろしくおねがいします、カイナブル」
「ああ、エルミア」
私たちは再び手を握り合う。
広間からは歓声が上がり、父とドロテア王は誇らしげに微笑む。
これが私たち、エルフとドワーフの新しい物語の始まりなんだろう。
政略結婚でも、種族間の和解でもない。
ただ、互いを理解し合おうとする、小さな、しかし確かな一歩──。
「それにしても」
カイナブルが、不意に呟いた。
「なんだか色々と騒がしい一日だったな」
彼の言葉に、私も小さく笑う。
確かに。お見合いを抜け出し、森で出会い、そして──。
「私たちの出会いって、本当に変わっていましたね」
「ああ。普通の王族なら、こんな出会い方はしないだろうな」
二人で顔を見合わせ、思わず吹き出してしまう。
「でも」
カイナブルは真摯な瞳で私を見つめ、静かに言った。
「だからこそ、本当の気持ちで向き合えたんだろう。俺たちは……」
その言葉に、私は深く頷いた。
政略結婚という形だけの約束より、ずっと大切な何かを、私たちは掴んでいる。
それは決して、派手な始まりではないかもしれない。
けれど、この小さな一歩が、いつか大きな道となって──。
♢ ♢ ♢
「な、なんてこと……!?」
──差し出された新聞を見て、思わず手を震わせる。
『王の偉大なる愛!エルフの王がドレスに身を包む真実の愛とは!』
『髭面の王と美しきエルフの禁断の恋!』
『まさかの種族間ボーイズラブ!?二人の王の熱き想い』
エルフとドワーフの両国で出回った新聞の見出しは……どういうわけか、私とカイナブルのことなど一切触れられていなかった。
若い世代の交流も、政略結婚の話も、新しい時代の幕開けも。
そんな些細なことは、完全にスルーされていた。
代わりに、父とドロテア王の「友情」(重要なカギカッコ)を美化した、完全に方向性の違う記事で紙面が埋め尽くされていたのだ。
「こ、こんなのってない……」
私の呟きは、部屋の静寂に吸い込まれるように消えていった。