エルフの王城には、カフォンの魔法で転送されてきたドワーフの兵士たちが溢れていた。
「おぉ……これがエルフの城か」
「お、お洒落すぎるぞ……」
彼らは物珍しそうに壁の彫刻や天井のシャンデリアを見上げる。だが、その重装備の姿は明らかに場違い。
豪華な絨毯の上を鉄靴で踏みつけ、柱に鎧をぶつけ、繊細な調度品に髪を引っかける。
「うわっ!この花瓶、高そうだな」
「触るな!壊したら首が飛ぶぞ!」
中には紫色の髭を生やした者も。森で吸い込んだ胞子の効果が抜けきっていないらしい。
「あれ……?天井がキラキラしてきた……」
「お前まだ幻覚見てんのかよ!いや、本当にキラキラしてるのか……?」
エルフの従者たちは青ざめた顔で、この場違いな客人たちを見守っている。
特に、一人のドワーフが妖精と恋愛相談を始めようとした時は、さすがに制止に入った。
しばらくすると、エルフの従者たちとドワーフの兵士達の間に、ぎこちないながらも会話が生まれ始めた。
「その……お茶を召し上がりますか?」
エルフの給仕が、恐る恐る若いドワーフに声をかける。
「あ、ああ……俺たち、いつもは岩塩入りの濃いお茶なんだが」
「まぁ、それは……少々難しいかもしれませんが、蜂蜜をお入れしましょうか?」
別の場所では、エルフの騎士がドワーフの兵士に鎧の手入れ方法を伝授している。
「この部分はな、こうやって磨くと……」
「おぉ……!鎧が新品同様に……!?」
至る場所で、エルフとドワーフの不思議な交流が始まっていた。
「エルフって、話してみると意外と気さくなんだな」
ドワーフの若い兵士が、エルフの給仕と談笑しながら呟く。
「ドワーフって、見た目より繊細で綺麗好きなんだな」
エルフの騎士が、丁寧に磨き上げられた鎧を眺めながら感心する。
また、ある場所ではドワーフの兵士とエルフのメイドが話していた。
「エルフの女性は本当に優雅で綺麗だな……地底にはこんな上品な女性はいないぜ」
彼は恥ずかしそうに髭を撫でながら言う。
「ドワーフの女性はどのような方々なのです?」
エルフのメイドが興味深そうに尋ねる。
「はは……あいつらはなぁ。酒場で喧嘩して男を投げ飛ばすのが日課で、握力は俺らの三倍……もう『女性』って概念が違うんだ」
「まぁ……」
「それに、ちんちくりんで、まるで子供みたいな体格なのに、その破壊力だけは男以上でさ。一発殴られりゃ、男でも気絶する。可愛い仕草なんて皆無の……」
その時、背後から低く冷たい声が響く。
「へぇ……ドワーフの女は『ちんちくりん』で『可愛い仕草が皆無』だって?」
兵士の顔から血の気が引く。
振り向くと、そこには……一人のドワーフの女性兵士が立っていた。
「あ、いや、その……ちがっ……!」
次の瞬間。
「どりゃぁああっ!!」
豪快な一撃が男兵士を襲う。エルフの城の壁に、ドワーフの兵士型の窪みが新たに追加された瞬間である。
エルフのメイドは固まったまま、その光景を見つめている。彼女の脳裏では「女性の概念が違う」という言葉が、響き渡っていた。
「ちっ」
女性兵士は、まるで虫を潰したかのように手を払う。
「男のクセに生意気言いやがって……あら?」
彼女は困惑するエルフのメイドに気付き、にっこりと笑顔を向ける。その表情は、さっきまでの鬼気迫る様子が嘘のように可愛らしい。
「あらあら、ごめんなさいね。お城を汚してしまって」
……これが噂のドワーフの乙女か。
エルフのメイドは震える手で壁の窪みを見つめながら、そう思った。
そんなこんなで。
エルミア姫とカイナブル王子のお見合いの影響かは定かではないが、着実に、図らずも両種族は数千年に及ぶ確執を溶かしつつあった。
そんな友好的な雰囲気の中、隊長格のドワーフが突如として咆哮を上げる。
「諸君!我らがドロテア王とセーロス王、そして王子と姫様が大広間でお話があるそうだ!いつまでもそんな緩んだ面をしてないで、さっさと行くぞ!」
……が。兵士たちは奇妙なことに気付く。
あの隊長が……あの豪傑が、いつもの禍々しい魔導鎧を着ていない。おかしい。
「エルフの軟弱者どもに、この鎧を見せつけてやる!」と息巻いていたはずの男が何故……?
そして疑問は直ぐに氷解する。彼の後ろで、エルフの美しいメイドたちがこんな会話をしていたからだ。
「鎧を脱いだ姿の方が男らしくてステキね~♡」
「そうそう、あんな怖いもの着けてちゃ、お茶もご一緒できませんものね♡」
ああ、なるほど。
部下たちは察した。かの誇り高き隊長は、エルフの美貌という甘い罠に完全に落ちたのだ。
おそらくは王宮で魔導鎧という殺戮兵器を纏っている者を歩かせなくなかったため、エルフたちが仕掛けたのだろう……。
エルフ女子部隊の「鎧は怖いですわ~」作戦の餌食となり、百戦錬磨の魔導鎧を脱ぐという屈辱的な選択を……いや、むしろ喜んで脱いだに違いない。
隊長の耳まで赤くなった横顔を見て、部下たちは深いため息をつくのだった。
そうして色仕掛けに屈した『誇り高き』古参兵の背中を、部下たちは呆れた目で見ながら付いて行く。
大広間に着くと──。
そこには両国の王がいた。エルフの王セーロスとドワーフの王ドロテア。
そして……。
「……!」
エルミア姫の気品溢れる姿に、ドワーフの兵士達は息を呑む。
御伽の国から飛び出してきたかのような美しさに、一同が言葉を失う。兵士たちは思わず目を擦り、幻覚かと疑うほどだ。
「あれが、エルミア姫……?」
「なんて美しい姫だ……」
一方、エルフのメイド達はカイナブル王子の凛々しい佇まいに見惚れていた。野性的でありながら優しさを秘めた瞳に、誰もが心を奪われる。
「まぁ、ドワーフの王子様ってあんなに素敵な方なのね……」
「エルフみたいに……というかそこら辺のエルフの男より素敵だわ……!」
絢爛な広間にざわめきが満ちる中──。
二人の王が前に進み出る。胸を張り、かつての敵同士とは思えない威厳を持って、集まった者たちに告げた。
「本日、アズルウッドとグランツの両国は、新たな時代の幕開けを迎えた!」
セーロス王の声が広間に響き渡る。
金糸で縁取られた深緑のローブ、肩には星屑を織り込んだようなマントを翻し、頭には千年の樹から採れた銀葉の冠を戴いた姿は、まさにハイエルフの王に相応しい威厳に満ちていた。
「我々は長きに渡り、剣と魔法で語り合うことしかできなかった。だが今日、初めて真の対話を交わしたのだ」
「そうだ」
ドロテア王が一歩前に出る。
上着を脱ぎ捨て、刀傷の跡が刻まれた上半身を露わにしたその姿は、戦場の英雄そのもの。
古の大戦で鍛え上げられた筋肉は今も健在で、その体躯からは今なお闘争を忘れぬ王の威厳が漂っていた。
立派な白髭が輝く胸板の上で揺れ、まさにグランドワーフの王に相応しい豪壮な佇まい。
「エルミア姫は、まさに噂通りの慈悲深き姫。我らドワーフに対しても分け隔てなく接してくださった。彼女こそが、新しい時代を象徴する存在だ」
そこで彼は小さく付け加えた。声量を落として。
「……まぁ、娘の服を着て興奮する変態親父と違って、素晴らしい姫君よ」
広場の人々が最期に何か聞こえたような……?と、首を傾げる中、セーロス王が優雅に一歩前へ。
その表情は穏やかだが、頬が微かに痙攣している。
「カイナブル王子はまさに希望の象徴。過去の因縁に囚われることなく、未来へと目を向ける聡明な若者だ」
そして、か細い声で付け加える。
「髭面で脳みそ腐ってるマザコンジジィと違って、ね」
再び広場が静まり返る。
「え?今なんか……」
「いや、気のせいでは……」
しかし、そんなはずはない。崇高なる超越種である二人の王が、子供の喧嘩のような言葉を交わすわけがないのだから。兵士と従者たちは首を振り、耳を澄ませる。
なお、聴衆からは見えない位置で、二人の王は互いの背中を爪で引っ掻き合っていた。
「ふふふ……」
「ははは……」
にこやかに、しかし額に青筋を浮かべながら笑い合う二人の王。その背後で爪が衣服を引き裂く音が微かに響く。
そんな二人を見つめながら、皆は輝かしい未来に思いを馳せていた。エルフとドワーフの新たな時代の幕開けを、誰も疑わなかった。
そして、そんな二人を後ろから見つめる二人……エルミアとカイナブルである。
エルミアは深いため息をつく。
背中で互いを引っ掻き合いながら、上辺だけの笑顔を浮かべる二人の王。両国の友好を演出するはずが、まるで子供の喧嘩のような有様だ。
「エルフとドワーフの輝かしい未来のために」
「そうだな、素晴らしい『友好』関係を……」
「友好」を象徴するはずの二人が、聴衆に見えない位置で服を引き裂き合っている。
カイナブルと目が合う。彼も呆れたような表情で父親たちを見つめていた。
このまま放っておけば、いずれ「変態!」「マザコン!」と叫び合い、第二次エルフ・ドワーフ大戦が勃発しかねない。
本来なら、エルミアとカイナブルの良好な関係を見せることで、両国の絆を深めるはずだった。それが今や……。
エルミアは小さく息を吐くと、一歩前に踏み出す。この滑稽な茶番劇は、そろそろ終わりにしないと。
「父上、ドロテア王」
その声に、二人の『戦争』が一瞬止まる。
「私たちからも、一言よろしいでしょうか?」
エルミアが一歩前に進み、優雅に微笑む。カイナブルも隣に並び、凛々しく顔を上げる。
「私たちは長い間、互いを理解しようともせず、ただ先入観だけで相手を判断してきました」
エルミアの声が、静かに広間に響く。
「ドワーフは野蛮で」
「エルフは傲慢で」
カイナブルが続ける。
「そう決めつけて、真の対話を避けてきた」
「でも、今日こうして出会い、お話しすることで分かりました」
エルミアは広間の人々を見渡す。
「ドワーフの方々の繊細さと、その美しい職人魂を」
「エルフたちの温かさと、優しさを」
カイナブルも、エルフの従者たちに向かって頷く。
二人の言葉に、広間は静まり返る。先ほどまでの二人の王の子供じみた小競り合いが嘘のように、厳かな空気が満ちていく。
背後では、二人の王が互いの爪を引っ込め、複雑な表情で子供たちを見つめていた。
「あんなにドワーフを怖がっていたエルちゃんが……」
セーロスは娘の凛とした後ろ姿を見つめる。その目には、驚きと共に誇らしさが浮かんでいた。
「あんなにエルフを憎んでいたカイナブルが……」
ドロテアも息子の姿に目を細める。子供の頃から「エルフなんか大嫌いだ」と言い続けていた彼が、今やエルミア姫と肩を並べて立っている。
二人の王は思案に暮れる。
自分達が喧嘩している間、そして子供が失踪していた時……何があったかは知らない。
いつの間にか一緒に帰ってきて、いつも間にか仲良く会話していたのだから。
まるで、旧来の友人と話すかのように会話する二人を見て、セーロスとドロテアはきょとんとしたものだ。
そして、長年の確執を……血で血を洗った戦争の記憶を……消えない傷跡を……。そんな重苦しい過去を、子供たちは軽々と乗り越えようとしている。
無論、若い二人は戦争を体験していない。エルミアもカイナブルも、互いの種族が剣を交えた日々を知らない。
それでも──。
いや、だからこそ。戦争を知らない世代が、新しい絆を紡ぎ出そうとしている。
その姿は、かつての敵同士である二人の王の心に、何かを突き付けていた。
「……」
「……」
セーロスとドロテアは目を合わせる。そして、二人同時に苦笑した。
子供たちに和解と友好を説いておきながら、自分たちは髭を引っ張り合い、互いを引き裂こうとしている。なんとも情けない親の姿だ。
何が超越種の王か。何が歴史ある両国の支配者か。
二人は再び目を合わせ、今度は本当の意味で苦笑いを浮かべた。その表情には、もう先ほどまでの険しさは残っていなかった。
エルミアは、穏やかな微笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。
「異なる文化、異なる種族……互いに歩み寄るのは簡単ではありません」
一呼吸置いて、彼女はカイナブルに視線を向ける。
「しかし、カイナブル王子と話して、私は確信したのです。エルフとドワーフは互いに手を取り合えると……」
その言葉に、広間に集まった者たちが息を呑む。
「これは……?」
「もしかして……」
「お見合い、成功か……?」
エルミアの演説を聞きながら、広間の人々が期待に胸を膨らませる。
二人の距離感、視線の交わし方……まるで恋人同士のような雰囲気に、皆が内心で「これはイケる!」と確信していた。
カイナブルはただ微笑むだけ。その表情に、さらに期待が高まる。
「さて」
エルミアが一歩前に進み出る。
「私とカイナブル王子との婚姻の件について、皆様にご報告させていただきます」
「きた……!」
「ついに……!」
エルフとドワーフたちが、息を潜めて見守る。
エルミアは一呼吸置いて──
そして、言った。
「まぁ、とりあえずお友達からスタートということで!これからも仲良くしてくださいね♪」
シーン、と。
広間が凍り付く。ドワーフの兵士の髭が垂れ下がり、エルフの従者たちはにこやかな笑顔のまま固まった。
セーロスとドロテアは魚のように口をパクパクさせ、唖然と娘を見つめている。
「……ははっ」
そんな中、カイナブルだけが苦笑を浮かべていた。