広間には重苦しい静寂が漂っていた。四人は向かい合って座っているものの、その空気は最悪だ。
私は『父』に視線を向ける。いや、正確には『私のドレスを着た怪しい者』に。まるで下水道から這い出してきた害虫を見るような目で。
隣では、カイナブル王子も同じような目つきでドロテア王を見据えている。
「あ、あのねエルちゃん」
セーロスが薄紫のドレス姿で取り繕うように微笑む。付けまつ毛が痛々しく揺れる。
「これには色々と事情があってだね……」
「そうですか」
私は最高の笑顔を浮かべながら、氷柱のような声で言う。
「では、ぜひ伺わせていただきたいですわ。一体どのような崇高な理由があって、一国の王であるお父様が、実の娘のドレスを……そして下着まで……着用なさっているのか」
父の顔が見る見る青ざめ、体が跳ねる。
「特に気になりますのは下着の部分ですわ。やはり『変態』なのでしょうか?」
「うぎっ!」
「もしかして昔から私の下着を盗んでこういうことを?変態……いえ、変態に失礼ですね」
「げふっ!」
「だって『変態』は、まだ想像可能な範囲。お父様の行動は理外の行為なので……もはや新しい生物種では?エルフでもドワーフでもない、第三の超越種……『娘の服を着て興奮する生き物』とでも」
「ぐげぇっ!」
父の体が跳ねる度に付けまつ毛が一枚ずつ剥がれ落ちていく。
『変態』という二文字が、まるで魔法の矢のように心臓を何度も貫いているかのように、父はビクンビクンと痙攣を繰り返す。
父は遂にテーブルに顔を突っ伏し、ピクリとも動かなくなった。ウィッグが斜めに傾き、最後の付けまつ毛が悲しげに床に落ちる。
変態……いや、『娘の服を着て興奮する生き物』に相応しい末路である。
一方、横では──
「おい。親父……」
カイナブル王子が、氷のような冷たさを含んだ声でドロテア王に向かって言う。
「いつもテメェが言ってる『男らしくあれ』ってのは、こういう事だったのか?あぁ?」
「カ、カイナブル……!誤解するでない!」
「何が誤解なんだ?いつもテメェは『男らしくあれ』『ドワーフの誇りを忘れるな』『上品なエルフ如きに負けるな』って説教してただろうが……」
一呼吸おいて、更に追い打ちをかける。
「まさか『男らしさ』の見本ってのが、女装したハイエルフのオッサンとイチャつくことだとは思わなかったぜ。流石親父だ。良い『お手本』を見せてくれやがってよ」
「ぐ、ぐぅぅ……!」
ドロテア王の唸り声に反応して、伏せていた顔を上げる父セーロス。
付けまつ毛は剥がれ、化粧は滲み、ウィッグは歪んでいるものの、その目には危険な光が宿っていた。
「ふ……ふふ……」
父セーロスが低い声で言う。
「床を転げ回るのが好きなマザコンクソジジィには似合わない立派な息子だねぇ」
「テメェこそ」
ドロテア王の髭が逆立つ。
「娘の下着を着こなす『変態親父』に似合わない聡明な姫君じゃねぇか」
私は呆れ果てたような目で二人を見る。私達よりも遥かに年上の『成熟した』超越種たちが、まるで子供の喧嘩のように罵り合っている。
不意に横を向くと、カイナブル王子と目が合った。彼も「参ったな」とでも言うように、困惑気味に肩を竦める。
「ねぇ、カイナブル王子」
私は上品に微笑む。
「この『お子様たち』のお相手も疲れましたし、私たちだけでお茶を頂きませんこと?」
「……そうだな。こんなおっさん共は放っておくか」
横では「そのウィッグ、似合いすぎて気持ち悪いんだよ!」「うるせぇハゲ!よく考えたらてめぇ上半身裸じゃねぇか!?」という実に品格のある会話が続いている。
しかしそれらの台詞は私の鼓膜に届く前にシャットアウトした。
私は壁際で震えている従者たちに、優雅に手を振る。
「あの、皆さん?」
にっこりと微笑みながら言う。
「素敵なお茶を用意していただける?あ、そうそう。横で発情期の熊のように転げ回っている『変態さん』たちは気にしなくて結構ですので」
従者たちはおずおずと近づいてきて、細心の注意を払いながらテーブルセッティングを始める。
横からは相変わらず品の欠けた罵声……いや、素敵すぎる相互理解の言葉が飛び交うが、私たちはそれを視界の外に追いやる。
程なくして私たちの前には優雅なティーセットが並べられた。
「へぇ……すげぇな。エルフの茶会ってのは」
カイナブル王子が、素直な感嘆の声を上げる。
「こんなに繊細で優雅なもんなのか」
私は微笑む。
「そう?でも私『上品ぶってる』のってあんまり好きじゃないわ。横で転げ回ってるお二人みたいな『お下品さ』も好きじゃないけど」
「はは、そりゃそうだ」
「ねぇ、ドワーフのお茶会はどんな風なの?きっと素敵なモノなんでしょう?」
「うっ……」
王子が言葉を濁す。
「その……こんな優雅な茶会見せられた後だと、言いづらいんだが……」
「聞かせて。きっと私の知らない素敵な世界があるはずだわ」
「そうか?じゃあ……」
彼は少し勇気を出したように前のめりになる。
「俺たちの茶会はな、まず茶器が全部鉄製なんだ。で、茶は岩窟で採れた特製ハーブをぶち込んで……グツグツ煮込むんだよ。香りが部屋中に広がって……」
私は目を輝かせながら、彼の話に聞き入る。想像すれば、それはきっと素敵な光景なはず。
「てめぇの髭からゴキブリが出てきたぞ!最後に風呂に入ったのは何百年前だクソジジィ!?」
「うるせぇ!お前のドレスから蛾が飛び出してんぞ!下着の中で成長した芋虫か!?もしかして、戦争の時から履きっぱなしかテメェ!?」
そんなやり取りをしている私達のすぐ真横で、あまりにもお上品なやり取りが真横で繰り広げられている。
「ドワーフってのは貴族になると途端に上品ぶるんだけどよ……元々が粗暴だからどう取り繕っても笑えるんだよな。エルフとは大違いだ」
「あら?エルフだって似たようなものよ」
私は愛らしく微笑みながら言う。
「ほら、横を見て。高貴なエルフの王様が、ドレスを着て床を転げ回っているじゃない。上品ぶっても、『変態』の血が騒ぐみたいね」
私の皮肉に、カイナブルが思わず噴き出す。
「はっ!確かに。俺のオヤジも、髭を生やした上品なドワーフぶってるけどな。結局は女装したエルフと床で転がり合うような『ハイカラ野郎』だ。まぁ、相思相愛っぽいから、お似合いなのかもな」
私たちはカップを傾けながら、お互いの文化について語り合う。
そんな私たちを見て、エルフの従者たちが顔を見合わせ、小声で囁き始めた。
「あれが噂のドワーフの王子様……?」
「野性的な雰囲気の中に、不思議な優しさがおありですわ」
「特に姫様と言葉を交わされる姿。まるで昔から友人だったかのようで素敵……」
ドワーフのお爺ちゃん……執事っぽい人物も、目を輝かせながら私たちを見つめている。
「おぉ……!エルフとドワーフが、かくも和やかに語り合う光景……!」
お爺ちゃんは感動で声を震わせる。
「これぞまさしく、真の平和というものか……!」
その「真の平和」とやらを体現する私たちのすぐ横では、二つの国の最高権力者による「友好的な文化交流」が展開されているのだが……お爺ちゃんの視界にはそれが映っていないらしい。
まぁ私も見ないようにしてるから、おあいこか。
そうして、私たちは穏やかに話を続ける。彼はドワーフの伝統的な鍛冶の技について、私はエルフの古い伝統について。
互いの文化の違いを、まるで宝物を見つけたかのように目を輝かせて語り合う。
「ドワーフの鍛冶場って、溶岩の上にあるって本当?」
「ああ。エルフの茶園もいつか見てみてぇな」
戦争を知らない私たち。互いの種族が血で血を洗った確執も、古い世代の憎しみも知らない。興味すらない。
横では父と、髭面のドワーフの王が「髭の生え方が気に入らねぇ」「その眉毛の描き方、オークにでも習ったのか」と、いかにも過去の因縁がありそうな罵り合いを続けているが……。
(──ああ、でも)
これは悪いことじゃないのだろう。古い世代の確執を知らないということは。
だって、私たちは新しい時代の物語を紡いでいけるのだから。
……とは言え、目の前で転げ回っている二人の王様の姿は、やっぱり見なかったことにしよう。
いや、そもそも存在しない。あんな変態と、そしてソレと抱き合うお爺さんが二国の代表なんて、きっと悪夢に違いない。
私が必死に『幻聴』を追い出そうと精神統一している、そんな時だった。
不意に、カイナブル王子の言葉が響く。
「まぁなんだ……色々あったけど」
彼は横で取っ組み合いを続ける父親たちに一瞥を送り、
「……ていうか現在進行形で色々やってるが」
その後、彼は一瞬目を逸らし、少し頬を赤らめる。
何かを決意したように、真っ直ぐに私の目を見つめ返して。
「今日ここに来て、アンタと会えて、話せて、よかった」
その率直な物言い。野性的な雰囲気の中にある不器用な優しさ。私は思わず見惚れてしまう。
そして、私も彼の瞳を見つめ返して──
「──私も……エルフだとかドワーフだとか、そんなこと気にならないくらい、貴方との会話が楽しかった」
その言葉に、周囲の従者たちから「おぉ……!」という感激の声が漏れる。
ハイエルフとグランドワーフという超越種同士が、かくも自然に語り合う姿に、皆が目を輝かせていた。
ドワーフのお爺ちゃんに至っては、「新しい時代の始まりですかな……」と、袖で目頭を押さえている。
そう、これは新しい時代の始まりなのだ──
「テメェなんか匂うんだよ!汗臭いから服着ろや!それとも蛮族には『着衣』って概念がないのか!?」
「お前の言う『着衣』ってのは、娘の衣服を着ることか!?そんなもんあるわけねぇだろうが!」
……というわけで、私の素敵な異種族交流は、横で二匹の珍獣が奇声を上げる中、つつがなく進行していった。
なお、この珍獣展の存在は公式記録から完全に抹消することを、エルフの国とドワーフの国の官僚たちが全会一致で決定したとか。