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第29話

異空間の触手にグリグリと足首を掴まれ、私たちは半ば強制的に外へと放り出された。

脱出とは程遠い、まるで不良品を処分するかのような扱いだ。


「ぐえっ」


私の口から漏れた声は、高貴なハイエルフの姫が出すはずもない、路地裏の酔っぱらいレベルの品の無さだった。


「あいたた……こ、ここ……どこ?」


冷たさが頬に染みる。

目が覚めたくもないのに半開きになった瞼の隙間から見ると……。


「うぐぅ……」


私の横には同じように吐き出されてきたカイナブル王子の姿が。

彼も私と同じように王族の威厳も今は置き去り、髪は鳥の巣状態、服はヨレヨレだ。

……いや、それはキノコ爆弾のせいか?まぁいいか。あれは『無かったこと』になっているんだから。


「酷い目にあった……」


視界が定まると、そこは絢爛な装飾が施された広間だった。

天井まで届きそうな豪奢なカーテン、壁一面に並ぶ歴代の王族画、中央には高級茶葉の香りが漂うティーセットまで完備されている。

私は目の前の完璧すぎる空間に思わず声を上げた。この部屋の雰囲気、この配置、このしつらえ……。


「はっ」


突然の悟りに、私は思わず吹き出してしまう。これぞまさしく、当初の予定通りお見合いをする予定だった場所。

なんか家具が壊れてたり、ところどころ荒れているけど、気にしない。この世界で細かい事を気にしていたら身体がもたないからね。

しかしカフォンくんは流石だ。私の為に気の利いた着地点を用意してくれているとは。

ただ、もう少し転移方法を優しくしてくれるとお姉ちゃん嬉しかったかな。


「あれ……」


私たちの背後で小さな悲鳴が上がった。振り返ると、部屋の隅々まで従者たちが立ち尽くしている。

皆一様に目を見開き、手で口を押さえている者まで。


「あぁ、まぁ……いきなり俺達が降ってきたら驚くだろうな」


あぁ、確かに天井から二人の若い王族が突如降ってきたら驚くよね……と苦笑する私とカイナブル王子。

しかし従者たちの視線は、どうも私たちではなく前方にも向いているようで……。


「……んん?」


そこで、私は「それ」を目撃した。

床の上で二人の人物が絡み合っている。薄紫の高級シルクのドレスに身を包んだ長身の「女性」と、がっしりとした体格のドワーフの老人……。

薄紫のドレスのシルエットが、どこか既視感を覚える……。


「ちょっと待って」


私の目が点になる。あのドレスは確か先月に仕立てた、私お気に入りの一着。

裾のレース使いも、胸元の刺繍も、間違いなくそう。


──あれ、私のドレスじゃん?


しかもよく見れば、首元には私の宝物の真珠のネックレスまでしっかりと。目が現実を受け入れ始めた瞬間、その「女性」の正体が判明した。

長年に渡ってエルフの国を統治してきた父、セーロス王その人。今や艶めかしいウィッグに完璧なメイク、そして私の大切なドレスに身を包んで、ドワーフ王とごろんごろんと。


「……な、なに?なにやってるの?」


私の声は上ずり、震えていた。横を見ると、カイナブル王子は顔を引きつらせ、目を何度も瞬かせている。

まるで目の前の光景を消そうとしているかのように。


「親父……?なに、してんだ……?」


オヤジ。親父……。

ゆっくりと私の頭の中で点と点が繋がり、嫌な計算が始まる。


筋骨隆々の老ドワーフ……王子の父……ドロテア王……。

つまり今、二つの国の最高権力者が床の上で絡み合って……。


(あぁ素晴らしいわ。両国の王様が親密な関係を築いているなんて。外交の観点からも……)


ってそうじゃない!!


──いやいやいや待って!なんでお二人して抱き合ってるの!?

──っていうか父上!?それ私の一番お気に入りのドレスですけど!?なんで娘のドレス来て女装してるんですか!?

──ドワーフとエルフの友好を深めるのはいいけど、その方法間違ってません!?

──つーかそもそも男性同士でしょ!?


次から次へと湧き出る心の中のツッコミの嵐に、私の口が追いつかない。

隣のカイナブル王子は既に魂が抜けた表情で、虚空を見つめている。

私にしか聞こえない脳内のツッコミの嵐が止まった時、やっと床の二人が動いた。


「えっ……エルちゃん!?それに、そっちは……カイナブル王子……?」


父上の声が裏返る。ドレスの裾を持ち上げようとして、逆にドロテア王の髭を踏んづけ……。

二人して慌てて起き上がろうとするものの、ドレスが絡まり、髭が引っかかり、腕が絡まり、さらに悲惨な有様に。

父上の付けていたウィッグが斜めに傾き、ドロテア王の立派な髭は逆立っている。


「これはその……」

「違う!これには訳が!」


声を揃えて言い訳を始めた二人の王様。父の真珠のネックレスがチャラチャラと音を立て、ドロテア王の髭が微かに震えている。


「待て、カイナブルよ!」

「エルちゃん話を聞いて!」


でも遅い。私とカイナブル王子は既に後ずさりを始めていた。

父の乱れた付け睫毛が片方だけパタパタしているのを見た瞬間、私の脚は勝手に動き出していた。

横目で見ると王子も同じ速度で後退中。素晴らしいコンビネーションである。

二人して私達に迫ってくる光景に、より一層怪しい絵面が広がっていく。

従者たちは壁に張り付いたまま、ピクリとも動かない。そりゃそうだ、この状況で誰が口を挟めるというのだろう。


二人の王が、私とカイナブル王子に向かって猛ダッシュ。父の付けたウィッグが風になびき、ドロテア王の白髭が翻る。


「──へ、変態……」


私の呟きが、不思議なほど良く通る声で広間中に響き渡った。

シーン──と。時が止まったかのような静寂。父の口紅が滲んだ唇が震え、ドロテア王の髭が微かに痙攣する。

従者たちの息を潜める音さえ聞こえる。


そして。


「「誤解だぁぁぁっ!」」


エルフの国とドワーフの国、両国の最高権力者による壮大な弁明の叫びが、広間の天井を揺るがしたのだった。




♢   ♢   ♢




──エルミアたちが『転移』してくる、少し前の出来事である。



「そしてこちらの柱に施された螺旋状の彫刻でございますが、八百年前の貴族が愛用していた象牙の櫛をモチーフとしております。このような装飾は他に類を見ない芸術性を誇り、特に柱の上部にございます、この蔦のような曲線美をご覧いただきますと……」

「素晴らしい。素晴らしすぎて、瞼が重くなってきますな」


講義は延々と続く。ドロテア王の耳には、もはやハエの羽音のような単調な響きしか届いていない。

三時間に及ぶ城内見学ツアーで、王の脳は限界を迎えていた。

隣では、老執事ゼグロフが立ったまま微かに前後に揺れている。完全に意識が朦朧としているのか、それとも崇高な瞑想の境地に至ったのか。


「そして、このカーテンの縫い目の一針一針には、星々の軌道が表現されており……」

「それは素晴らしい」

「廊下の絨毯に散りばめられた金糸は、古代エルフの詩人が詠んだ韻文を暗号化したもので……」

「なんと素晴らしい」

「窓枠の装飾に使われた葉脈は、我が国伝統の三千年前の園芸術の技法で……」

「実に素晴らしい」


とりあえず相槌を打つドロテア王。立派な白髭の下で欠伸を必死に堪えながら、息子カイナブルの行方を案じている。

城内の見学が始まってから既に三時間。櫛をモチーフにした建造物を見せられること実に七回目だ。


「では、いよいよ最後の場所へとご案内させていただきます」


案内役のエルフが優雅に、あまりにも優雅に、そしてこれ以上ないほどに優雅に扉に手をかける。

その一挙一動が芸術的すぎて、今や王の目には針のように痛く映る。

この三時間、彼らはあらゆる場所で「芸術的な」立ち止まりを披露してきた。柱の前で立ち止まり、壁画の前で立ち止まり、窓の前で立ち止まり……。

ゼグロフの膝から聞こえる軋み音が、王の心の叫びを代弁している。


「ここが、高貴なるエルミア姫と、野性味溢れる……おっと失礼。気品溢れるカイナブル王子の、運命の出会いの場となる広間でございます。天井のシャンデリアは、古代エルフの水晶職人ギルベルトが、満月の夜に……」


運命の出会いの場となる広間……?それはつまり、お見合いの会場……。


──しまった!


ドロテア王の心臓が喉元まで跳ね上がる。案内人の声が、突如として耳に刺さるように鮮明に響いた。

カイナブルはまだ見つかっていない。まだ迷走中……いや、瞑想中という苦しい言い訳の最中なのだ!


「お、王よ……!もう少し時間を引き延ばすことは……!?」


横のゼグロフが現実世界に帰還したのか、小声で提案してきた。その目は真剣だが、既に魂が半分抜けている。


「ゼグロフよ」


ドロテア王は深いため息をつく。その髭が悲しげに揺れる。


「この後さらに、『この靴べらは我が国の吟遊詩人が愛用したもので……』などと聞かされては、ワシの精神が崩壊する。エルフ特製の芸術語り、これ以上は無理だ……」


声のトーンを落として囁くものの、その言葉には三時間分の怨念が込められていた。

王の眉間には深いしわが刻まれ、先ほどまで力強く保たれていた姿勢も、今や崩れかけている。


「──ところでカイナブル王子の瞑想は、そろそろお済みでしょうか?」


案内役のエルフが、あまりにも唐突に、しかし相変わらず上品に首を傾げた。ドロテア王とゼグロフの背筋が凍る。


「あ、いや、それが」

「実は王子は今、深い、非常に深い……!」


二人して慌てふためき、言葉を重ねる。ゼグロフの声は裏返り、ドロテア王の髭は小刻みに震えている。

最早これまで──。


と、そう思った時だった。


対面の大扉が静かに開かれ、一人の女性が姿を現した。その優美な佇まいに、広間にいた全員が息を呑む。


「──っ!?」


銀糸を織り込んだ薄紫のドレスに身を包み、長い金髪を優雅に流した姿に、ドロテア王とゼグロフは目を見張る。

しかし、案内役のエルフだけは、その「女性」の正体に気付いたのか、顔面蒼白になって膝が震え始めた。


──そして、彼女は口を開き……。


「ようこそおいでなさいました、カイナブル王子……ってげぇっ!?ドロテア!?」


途中で荒々しい男声が混ざり、「彼女」は慌てて口を押さえた。

数百年前、戦場で刃を交えた宿敵の顔を見て、つい素が出てしまったのだ。緊張で額に浮かんだ汗が、丹念に施したファンデーションを僅かに滲ませている。


「今、男の声が……?」

「なんだか低い声に聞こえましたが……」


ドロテア王とゼグロフが首を傾げる。「彼女」の喉元がぎくりと動く。


「そ、そんな訳ありませんわ!私は完璧な女性ですの!」


その声は裏返りながら三回ほど音程が変化し、最後には悲鳴のような高音に落ち着いた。

扇子をバタバタと煽いで誤魔化そうとする「彼女」。付け睫毛が汗で剥がれかけている。


「うふふ……これでも疑うというのなら、ご覧になってくださいまし?この優雅な物腰!この気品溢れる仕草!この……この……」


必死に女らしさを演出しようとする姿は、もはや怪しさしか醸し出していない。

扇子で隠しきれない微妙に筋肉が付いた手首、ドレスの裾から覗く立派な足首。

その「彼女」の背後では、エルフの従者たちが一斉に床の模様に深い関心を示し始めた。誰一人として主の姿を直視できていない。


「えぇっと、その」


ドロテア王の声が震える。目の前の「美女」の正体について、何か恐ろしい真実が見えかけている。


「其方は、もしやエルミア姫、なのか?」


その問いに「彼女」の付けまつ毛が小刻みに震えた。従者たちの肩も一斉にビクッと跳ねる。床の模様の観察がより一層熱心になった。


「え、えぇ勿論!私が、私がエルミアですわ!」


「彼女」の声が裏返る中、ドロテア王とゼグロフは後ろを向いて密談を始めた。


「どう思う?」

「……失礼ながら、女性にしては肩幅が戦士のような……」

「うむ。ドワーフの女ならまだしも、エルフの姫にしては筋肉が発達しすぎている……」

「それに先ほどの声……」

「ああ、確かに。昔、戦争の時に聞いた、誰かの声に似ている気が……」


二人の囁き声は、エルフに聞こえないつもりでいるのに丸聞こえだった。

「彼女」は扇子を握りしめ、爪を立てて引っ掻きそうなほどの力を込めている。


「くたばり損ないのクソジジィが……いや、ですわ♪ 俺をあまり怒らせない方が……いえ、怒らせない方がいいですわよ!」


「彼女」の声が次第に低く、荒々しくなっていく。数百年前、戦場で血を流した日々の記憶が蘇るかのように。


「このエルミアの美しさが分からないとは、ドワーフの審美眼も落ちたものだね。昔は拳の一振りで……じゃなくて!うふふ、お茶でも一緒にいかがかしら?」



慌てて取り繕おうとするものの、既に手遅れだった。ドロテア王の眉間に深いしわが刻まれる。

その声の調子、その言葉の選び方……どこかで。


「──ところで貴方の息子のカイナブル王子は何処にいらっしゃるのですか?もしかして地底に引きこもってらっしゃるの?」


その問いかけの声が、ドロテア王の脳裏で、数百年前の悪夢と重なった。


『──ところで貴様の母バルドリーナは何処に隠れているんだい?もしかして地底で震えているのかな?』


──そう、あの日。大要塞に籠城していた時のことだ。

青白い月光の下、一人のハイエルフの将軍が立っていた。その拳から放たれる青い闘気が夜闇を焼き焦がし、その声は恐怖が具現化したかのようなもので……。

次の瞬間、鉄壁と呼ばれた要塞は、まるで紙くずのように吹き飛び──


「き……き……貴様……」


ドロテアの髭が震え始める。今、目の前にいる「姫君」の瞳に宿る冷徹な光。あの時と同じ。その仕草、その威圧感、その全てが。

同じ記憶が蘇ったのか、ゼグロフの顔から血の気が引いていく。


「ま、まさか……セ、セ、セーロ……」


震える指で「彼女」を指差すドロテア王。その手は、まるであの夜の恐怖が蘇ったかのように激しく揺れていた。

その時だった。美女……ではなく、女装したセーロスがギロリとドロテア王を射抜く。


「おっと……それ以上は言わない方がいいよ。お互いの為にね──」


その声はまさしく男の……セーロス王の、声色であった。


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