私たちは湖畔から移動し、森の中を歩いていた。陽光が木々の隙間から差し込み、黄金の雨のように降り注いでいる。
その光の中を、私たちはゆっくりと進んでいた。
『お父様方も心配しているでしょうし、戻ってゆっくりしませんか?』
よく考えたら、もうこそこそと隠れる必要なんてない。むしろ、素直にお城へ戻って、ゆっくりと話をした方が良いだろう。
木漏れ日の中、私は出来るだけ優雅に歩みを進める……つもりだった。が、正直なところ、これだけ歩くと足が痛くなってきている。
エルフの姫という立場上、それを表に出すわけにもいかず。
対するカイナブル王子はやはり鍛えているのか、まるで遠足に来た子供のように軽やかに歩を進める。その姿は、ずんぐりむっくりしたドワーフのイメージからは程遠い。
「地底じゃ、もっと険しい道を歩くからな。岩場を登ったり、洞窟を掘削したり……」
「まぁ、さすがドワーフの王子様ね」
私は感心したように相づちを打つ。実際、かなり感心している。
王子様だというのに、そんなワイルドな事をしてるだなんて……。いや待て、岩場を登ったり、洞窟を掘削したり?
この人(ドワーフ)王子様なんだよな?王族がそんなことをするのだろうか?
私の価値観からするとそんな過酷な労働をする王族なんて想像つかないが、もしかしたらドワーフの価値観では最前線で働く王様こそが最も尊ばれるのかもしれない……。
「……羨ましいわ」
「あん?」
知らず、声が漏れていた。
「だって今履いている靴だって、歩きにくい宮廷の靴だし。お城の外なんて、ほとんど出たことがないのに」
「……そういや」
カイナブルが私の足元を見る。
「そんな華奢な靴で歩いてたのか。大丈夫か?」
その言葉には、純粋な心配が込められていた。
それだけで彼は心優しい青年だと理解出来てしまう。
「これでも歩きやすい方なの。普段はもっと、見た目重視の靴だし」
「へぇ、それは……俺には想像もつかねぇな。地底じゃ、そんな靴じゃ一歩も歩けないからな」
そうして私たちは、靴の話で盛り上がりながら森の中を進んでいく。
エルフの靴の繊細さと、ドワーフの靴の頑丈さ。まるで私たちの文化の違いを象徴するかのような話題。
「王族だろうが何だろうが、自分の足で立たねぇとな」
「そうね、その通りだわ」
私はカイナブルの言葉に強く同意する。
王族だからっておんぶに抱っこじゃ、いざというとき何も出来ない。
「私なんて、お茶を飲むのと見栄えの悪いお花を庭から追放するのが特技の、お飾りの姫様ですもの」
私は自嘲気味に笑う。別に卑下しているわけではない。むしろ、こんな風に本音で話せることが、少し心地よかった。
「フォークの持ち方は完璧ですけど、自分の足で立つってことができない。エルフの姫様として、私って結構致命的かもしれないわ」
カイナブルは私の自虐的な言葉に、意外そうな表情を浮かべる。
「そうか?オレが見た限り、アンタは凄いぞ。他のエルフなら、ドワーフの話なんか聞こうともしないだろ?」
「それは……単に好奇心が強いだけかも」
「それがいいんじゃねぇか」
彼は明るく笑う。その笑顔は、宮廷にいる上品なエルフでは見られないものだ。
「オレだって、エルフの姫様が地底の話に興味示すなんて、考えもしなかったよ」
その言葉に、私は少し元気づけられる。確かに、私は周りの期待する「エルフの姫様」とは少し違うかもしれない。
でも、それは必ずしも悪いことではないのかも。
「ねぇ、ドワーフの王族って、みんな現場で働くんですか?」
「ああ。俺の親父なんて、今でも鉱山に入るぞ。『王様が一番危険な場所を知ってなきゃ、民を守れねぇ』ってな」
「素敵ね!」
思わず感嘆の声が漏れる。
私の父は確かに王様ではあるが、現場で働くなんてことは見た事がない。それに今の父は……娘の結婚に夢中なのだ。
「羨ましいわ。私なんてお城の外に出ることすら珍しいのに。……あぁ、今日はお見合いから逃げ出しちゃったけど」
「まぁ俺も逃げ出したけどな」
私たちは顔を見合わせ、思わず吹き出してしまう。なんて似た者同士なのだろう。
「でもアンタみたいなエルフの姫様がいるって分かっただけでも、今日は良かった」
私は少し頬が熱くなるのを感じる。そんな素直な言葉を向けられるのは、慣れていない。
「わ、私も……カイナブル様みたいなドワーフの王子様がいるって知れて、良かったです」
そうして私たちは森の中を歩き続ける。
──その最中、不意にカイナブル王子が言った。
「俺一人だったら一生この森から出られないところだった、アンタがいてくれて助かった」
(え、ちょっと待って)
私の中で警報が鳴り響く。頭の中で、今までの出来事が走馬灯のように駆け巡った。
(よく考えたら私もこの森の出口が何処にあるか知らないじゃん!だって、カフォンの魔法で飛んできたんだから……!)
「やっと出れるな!はは!」
カイナブルが意気揚々と言う。彼の明るい表情が、私の心をより一層重くしていった。
「そ、そうね……出れるわね。きっと。多分。恐らく。メイビー」
私は頬をひくつかせながら呟く。
エルフの姫としての優雅な立ち振る舞いを保つのが、段々と難しくなってきた。
(ていうか、いつの間にか妖精もいなくなってる!)
(カフォンくんまで消えてるし……)
(誰か、誰か助けて!この森、出口どこ!?)
私は心の中で絶叫する。表面上は優雅な微笑みを保ちながら、内心ではパニックの嵐が吹き荒れていた。
さて、どうしようか。大声で叫べば誰か助けに来てくれるかな……?
と、私がそう思っていた時だった。突如森の開けた場所に出た。
「!?」
──思わず、言葉を失う。
目の前には、奇妙な、いや、異様な光景が広がっていた。
「ほげぇ」
「王子ぃ……どこれすかぁ……」
ドワーフの兵士たちが、まるで人形のようにぐったりと倒れている。
その鎧は泥に塗れ、髭は妙な紫色に染まっていた。まるで、何かに襲われたかのように。
そしてその周辺には……。
「うぐぅ……」
「うぎぎ……」
妖精たち。普段は愛らしい彼女たちが、身体を痙攣させながらあちらこちらに散らばっている。
私とカイナブル王子は一瞬呆気に取られるが、すぐに我に返って倒れ伏す彼らに駆け寄る。カイナブル王子は兵士に、私は妖精に。
「おい!しっかりしろ!何があった!?」
「報告……します……」
兵士が上官に報告するような口調で呟く。その表情は真剣そのもので──。
「虹色のユニコーンを……討伐……しましたぁ!」
「……はぁ?」
カイナブルの表情が固まる。まるで時が止まったかのように。
「いやその前に!」
別の兵士が起き上がる。目の焦点が合っていない彼は、フラフラとしながら言った。
「蝶の剣士軍団と戦って、見事勝利を……!」
「栄光ある戦いでした!」
三人目が立ち上がろうとして転ぶ。
「特に空飛ぶキノコとの一騎打ちは壮絶な……」
「何言ってんだお前ら?何か変なもんでも食べたのか?」
カイナブルは頭を抱える。
一方、私は妖精たちの様子を見に行く。
「妖精さん大丈夫?怪我は……!?」
「ま、魔王が……」
妖精が震える声で答える。
「魔王が怒ったぁ……天使の仮面を被った魔王がぁ……」
「……はい?」
私は首を傾げる。天使の仮面?何を言っているんだ彼女達は。
もしかして変なきのこでも食べて頭がおかしくなってしまったのだろうか。いや、元々頭がおかしいけど……おっと失礼。
「姫さま……助けてぇ……あの悪魔が……カ、カフォ……」
一番小さな妖精が震える声で言う。
──その瞬間だった。
「おや、姉さま。お見合いは終わりましたか?」
聞き覚えのある声。振り返ると、そこにはカフォンが立っていた。にこにこと愛らしい笑みを浮かべて。
と同時に、驚くべき光景が広がる。
先ほどまでぐったりとしていた妖精たちが、まるでバネが跳ねたかのように一斉に飛び起きると、私の背中に隠れてしまった。
妖精たちが小刻みに震えているのを感じる。その震えは、明らかな恐怖から来るもの。
「カフォン?どこ行ってたの?」
「御二人の邪魔をしてはいけないと思いまして。やはり年頃の男女の逢瀬には第三者は余計ですからね」
いや逢瀬て。全くそんなんじゃないんだけど……。
ていうかそんな言葉何処で知ったんだカフォンは。
「……えっーと。ここで何があったか知ってる?」
「この森はですね」
カフォンは天使のような笑顔で言う。
「ドワーフが嫌いみたいで。特に、お高くとまった軍人さんたちは大の苦手らしいですね」
「そ、そう……」
私は困惑気味に返事をする。というのも、この状況がますます不可解になっているから。
倒れているドワーフたち、怯える妖精たち、そしてカフォンの不自然なまでの愛らしい笑顔。
これらの状況が示唆することは……まさか……。
い、いや。いけない。
この子は私の弟なんだ。
誰が何と言おうと可愛い可愛い弟なんだ!魔王なんかじゃない……。
よな?
「姫様!こいつ本当は──」
その瞬間、カフォンの身体から魔力が溢れ出した。そしてゆっくりと、人形のように優雅に妖精へと視線を向ける。
妖精さんの身体がビクリと震える。ついでに私の身体もビクリと震える。
「本当は?」
カフォンの声は蜜のように甘く。
「なんです?最後まで言ってみてください」
その言葉には、凍てつくような冷たさが込められていた。笑顔は相変わらず天使のようで美しくも可愛らしい。
でも、その瞳からは凄まじい魔力と眼力が放たれ、妖精たちを射抜く。
「ひっ……」
妖精は私の後ろで小刻みに震える。その翅が、まるで枯れ葉のようにしおれていく。
「さぁ」
カフォンが一歩、前に出る。その一歩で、空気が凍りつくのを感じた。
「ほ、本当は……ほんとは……」
妖精は絞り出すような声で言う。
「天使でぇーす!♡」
明らかに作った笑顔で叫ぶ妖精。その表情は、命乞いをする罪人そのものだ。
「そうそう!カフォン様は優しい天使様!お昼までの命を、今日まで延ばしてくださった恩人ですわ〜!」
「だよねぇ~。私たちを正しい道に導いてくださる光の使者!迷える妖精に天罰を与えてくださる方!」
「美しく、慈悲深くて……容赦なく罰してくださって……」
「この森で一番の天使様ぁ〜!私たちに死よりも恐ろしい教訓を授けてくださる方〜!」
妖精たちは次々と、命懸けの芝居を演じるように追従する。
一匹が言葉を間違えると、隣の妖精が慌てて肘で突っつく。間違えたら何が起こるか分かっているかのように。
カフォンは満足げに微笑む。その笑顔の下には、「よろしい」という無言の承認が隠されているようだった。
(なんか変だなぁ。この子たち、こんなに喋れたっけ?)
私はそんな妖精さんたちを見て首を傾げる。
普段は「きゃっきゃ」とか「えへへ〜」としか言えない妖精たちが、急に饒舌になっている。それも、皮肉を込めた高度な言い回しで。
今、私の視界で震えている妖精さんたちは普通の妖精とは違うというか、なんか言葉の節々や瞳に知性を感じるような……。
まるで、人形の中に大人が潜んでいるかのような違和感。
そういえば、さっきから彼女たちの目は、ただの恐怖だけじゃない。そこには明確な判断力と、計算された演技が見え隠れしている。
「う~ん?」
私が違和感を覚えていると、カイナブル王子が私の元にやってきた。
「な、なぁ。一体なにが……ってゲェッ!?」
その声には明らかな驚愕と恐怖が混ざっていた。私の背後に隠れる妖精の一人を見て、彼の顔から血の気が引く。死神に出会ったかのような表情だ。
はて、一体なにが……?
「お、お、おま、おまえ……!!」
カイナブル王子が指差す先には可愛らしい妖精さんの姿。彼女は首を傾げ、無邪気な笑顔を浮かべる。
「あら〜、私のことですかぁ?なにか御用?それとも誰かと勘違いしてるのかしらぁ?森の妖精は皆似ているから、きっと見間違いですよぉ〜」
その言葉とは裏腹に、彼女の額には明らかな冷や汗が流れている。私とカフォンは、その不自然な様子を見逃さなかった。
「この妖精は俺を──」
「おぉっと!!」
リヴィアスピーナは突如として大声を上げる。その大きすぎる声は、まるで私たちの疑念をかき消すように響き渡る。
「私、私たち妖精はね!ドワーフの王子様のことを心から尊敬してますの!だってほら、地底の秘密を教えてくださるなんて、素敵じゃないですかぁ〜!」
彼女の目が泳ぐ。その言葉一つ一つが、何かを隠しているようだった。
他の妖精達は首を傾げて胡散臭げな表情を浮かべている。
「何慌ててんのリヴィア」
「アンタ、ドワーフのこと大嫌いだったじゃん」
「そう言えば王子が来たら真っ先に始末してやるとか言ってなかったっけ?」
妖精……リヴィアスピーナの顔が蒼白に染まった。
彼女は翅を震わせながらブンブンと顔を振る。
「て、てめぇら……殺……あ、いや、うふふ、貴女たち、私みたいな上品みたいな妖精がそんな事いう訳ないじゃない~」
汗を滝のように流しながら、リヴィアスピーナは引きつった笑みを浮かべる。
その言葉を受け、一番小さな妖精が花びらの上で踊りながら呟いた。
「上品って……『この世界からドワーフを一掃してやる〜!』って叫んでた時の事言ってんの?」
別の妖精が手を叩く。
「つーかアンタ昨日ニヤニヤ笑いながら、キノコを育ててたじゃない?あれなんだったの?」
「あぁ、あのキノコね〜」
また別の妖精が無邪気に笑う。
「爆発するやつでしょ?下位妖精たちに手伝わせてたよね」
リヴィアスピーナの顔が見る見る蒼白になっていく。
特に、カフォンの冷ややかな視線を感じる度に、その体の震えが大きくなっていった。
「──ふぅん」
不意に、カフォンの呟きが響き渡った。彼の表情から笑顔が消え、まるで氷の彫像のような冷たい面持ちになる。
「妖精さんって本当に愛らしいですよね。特に、正直で純真なところが……素晴らしい」
「そ、そうなんですぅ!私、嘘なんてついたことないからぁ~」
「うんうん。もし嘘をつく妖精さんがいたら珍しさのあまり……」
カフォンはゴミを見るような目で、言った。
「潰しちゃうかも」
「ひっ」
周囲の妖精たちが、思わず息を呑み、翅が枯れ葉のようにしなだれる。
私とカイナブルは、この異様な空気の意味が分からず、ただ呆然と見ているしかなかった。でも一つだけ確かなことは……。
カフォンの笑顔の裏に潜むものが、決して「愛らしい」ものではないということカナ……。
「あの、カイナブル王子。この妖精さんとなにかあったのですか?」
私はカイナブル王子に言った。この異様な空気の正体が知りたくて。
「いや、まぁ……うん、なんでもねぇさ……」
彼は疲れたように溜め息を吐いた。その表情には、何か言いたいけれど言えない、という複雑な感情が浮かんでいる。
不意にパンッという音。カフォンが手を叩く音に、妖精たちが一斉にビクリと震える。
「さて、じゃあそろそろお城に戻りましょうか。この森で遊ぶのも、そろそろお終いにしないと」
その言葉に、私とカイナブル王子は顔を見合わせる。そうだった!カフォンがいれば、この森から……!
「カフォン!本当に帰れるの!?うれし……」
しかし、その喜びもつかの間。
カフォンの全身から、まるで地獄の業火のような魔力が迸る。
その圧力に、私とカイナブルは思わず身体を硬直させた。妖精たちは、まるで枯れ葉のように地面に倒れ込む。
そして、カフォンは天使のような笑顔で言う。
「はい、簡単ですよ。ちょっと魔力をコネコネして……はい、完成」
彼が手を翳すと、目の前に禍々しい門が現れた。
その姿は、まるで地獄の入り口のよう。というか、間違いなく地獄の入り口。
私とカイナブルは再び顔を見合わせる。今度は、明らかな恐怖を共有して。
「あ、あのさぁ。普通の道を歩いて帰るってのは……どうだ?」
カイナブルが震える声で言う。その言葉に私も首をブンブンと縦に振り、必死に同意した。
「そうそう!この素敵な森の景色を堪能しながらの方が楽しい……んじゃないかなぁ!?」
その時、グルンっとカフォンの首が此方に向いた。私たちは二人揃って「ひっ」と声を上げる。
「あぁ、もしかして見た目が少し怖いから入りたくないんですかね。大丈夫ですよ、死ぬことはありませんから。多分」
──多分?多分だと?つーか死ぬことあるの?
私がガクガクと震えていると、カフォンは悪戯が成功した子供のように、クスクスと笑い出す。
「冗談ですよ、冗談。僕がエル姉さまを危険に晒す訳がないじゃないですか」
カフォンは天使のような笑顔を浮かべる。その笑顔の下に潜む何かを、私はまだ理解できないでいた。
「そ、そうよね!カフォンは優しい子だから!あは、あはは……」
私は取り繕うように笑う。その笑い声が引きつっているのは、自分でも分かっていた。
「そう、僕は『貴女だけ』には優しいのです」
貴女だけ、という言葉の裏にどのような意味が込められているのか。私は考える間もなく──。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
カフォンの声が、まるで死刑執行人の合図のように響く。
その瞬間、ポータルからおぞましい触手のようなものが伸びてきた。それは、まるで深海から這い出してきた怪物のような触手で……。
「ひぃっ!」
「うわぁっ!」
私とカイナブルは同時に悲鳴を上げる。が、既に遅かった。
触手は私たちの足首を掴み、まるで釣り上げられた魚のように引きずっていく。
「では、良い転移を。他のドワーフたちも放り込んでおきますからご心配なく」
カフォンの声が遠のいていく。
私はこれがお見合いから逃げた罰か……と、ぼんやりと思いながら意識を失った。