カイナブル王子の目がゆっくりとピントを合わせていく。その瞳に映るのは、私の顔。王子はしばらくぼんやりと私を見つめていた。まるで、夢から覚めたばかりのように。
彼の顔は、確かに精悍だ。野性味あふれる強さと、どこか気品を感じさせる雰囲気が同居している。普通の女の子なら、きっと一目惚れしてしまうだろう。心臓が高鳴り、頬が赤くなり、言葉も出てこなくなる……そんな反応をする女の子が多いはず。
だけど、私は違う。
兄と弟が超絶イケメンである私には、すでに強力なイケメン耐性が備わっている。
……つーかエルフ全体が美形が多すぎるから感覚が麻痺しててもう外見じゃ驚かないんだよね。
エルフの世界では、美しさはもはや当たり前。朝起きて鏡を見れば、そこには絵画から抜け出してきたような美貌が映る。
街を歩けば、まるでファッションショーの舞台のようで……うん、つまらん世界だな?
「……」
彼はただ無言で私の顔を見つめている。まるで、何か大切なものでも見つけ出したかのように。
いや、爆発の衝撃で、まだ現実と夢の区別が付いていないのかもしれないけど。
「あのぅ」
沈黙が耐えられなくなってきたので、私はポツリと呟いた。
そうだ、黙っているだけじゃ会話にならない。なんとか彼に弁明……いや、『キノコ爆弾事件』を上手く説明しなければ。でも、どう説明すればいいのだろうか?
『ごめんなさい、私たちの森には爆発するキノコが生えているんです』
性質の悪いジョークかよ。
『実は、これは歓迎の儀式なんです』
嘘もここまで来ると犯罪かなぁ。
私は意を決して口を開く。周囲に浮かぶ妖精さんたちも心なしか緊張しているような気がする。
「あの……!」
私は再び口を開く。
「覚えていますか? あなたが……その……『妖精さんが設置した』キノコ型地雷を『自分で』踏んでしまった時のことを」
……言ってしまった!
私の言葉の端々に、「私は悪くない」という主張が滲み出ている。まるで、責任逃れをしているかのようだが、マジで私は悪くないのでしょうがない。
──その時、私の中の天使と悪魔が激しく言い争い始めた。
『エルミア、あなた外交官向いてないわ!』天使の私が叫ぶ。
『え? でも私、一生懸命説明したじゃない!』悪魔の私が反論。
『それが説明? 責任転嫁の見本みたいなものよ!』天使の私が至極真っ当な事を言う。
『だって、本当に私は悪くないもん!』……これは本当の私かな。
頭の中でこの論争が続く中、現実世界では時間が止まったかのように静かだった。カイナブル王子はまだ黙ったまま私を見つめている。
……も、もしかして怒っていらっしゃる?私は冷や汗を流しながら彼の反応を待つ。
そしてどれほどの時間が経っただろうか。飽きて昼寝をし始める妖精さんが出てきた頃、カイナブル王子はゆっくりと口を開いた。
「──綺麗だ」
その瞬間、周囲が凍り付いた。カフォンも、妖精さんも……そして私も。
時が止まったかのように風の音も、鳥のさえずりも、全てが消え去った気がした。
ついでに私の頭の中のしょうもない論争も突如として静まり返る。
「──え?」
私の口から小さな声が漏れる。今、彼は何て?
キレイダ?キレイダって何?ドワーフの方言かなんか?もしかして「キレイダ」って言葉は「爆発しろ」とか「お前を訴える」という意味だったりするのか?
私が戦々恐々として首を傾げていると、カイナブル王子はハッと我に返ったのか首をぶんぶんと振ると私に向き直って言った。
「あ、いや、違う!今のは違うんだ!今のは……そう、ドワーフの言葉で……挨拶を意味する言葉だ!」
あぁ、なんだ。そうだったのか。挨拶、挨拶ね……。
うん、どうやらいきなり首を絞めて殺されるとかはなさそうだ。
私はホッと胸を撫で下ろす。
「まぁ、挨拶だったのね、私はてっきり『お前を殺す』とかそういう類の言葉かと……」
「え?」
「あ、いやなんでもないですわ」
私は胸を撫で下ろす。
それを横で見ていたカフォンは、まるで喜劇を見ているかのような……それでいて、眉を顰めて何を考えているかよく分からない表情を浮かべていた。
妖精たちも、キョトンとした顔で私たちを見つめている。
「ねぇ」
一人の妖精が小声で隣の妖精に尋ねる。
「ドワーフって、爆発した後に『綺麗だ』って言うのが挨拶なの?」
「さぁ?でも、エルミア姫様を見て『綺麗だ』って言うのは正直すぎるよね」
「そうだねー。でも、爆発で頭を打ったのかもね。元からかもしれないけど」
妖精たちの会話が聞こえてくるが、私はそれを無視することにした。今は、この奇妙な状況をどう打開するかが問題だ。
カイナブル王子は顔を真っ赤にしてもごもごと口を動かしていたが、不意に私に膝枕されていることに気付いたのか更に顔を真っ赤にしてガバリと上半身を起き上がらせた。
「あ……す、すまん!」
王子は私に謝罪すると、そのまま立ち上がった。はて、何に謝っているのだろうか。
「ねぇ、ドワーフって、膝枕されると爆発するの?」
「さぁ?でも、今のは精神的な爆発だったんじゃない?」
私は妖精さんたちの声を無視しつつ、立ち上がったカイナブル王子を見上げた。
「あの……大丈夫ですか?」
私は慎重に尋ねる。
「何か……思い出しました?例えば……キノコとか、爆発とか」
「キノコ、爆発?」
彼は顔を真っ赤にしたまま、しきりに頭をひねっていた。
──まさか、覚えていない?
私の中で、小さな希望の火が灯る。きっとそうだ。爆発の衝撃で全てを忘れたに違いない!
突然、私の肩の上に小さな悪魔のエルミアが現れた気がした。赤いタイツに尻尾、頭には小さな角。その悪魔が私の耳元で囁く……。
『このまま有耶無耶にしちゃいなよ』
悪魔のエルミアの目が妖しく光る。
『忘れてるなら都合がいいじゃない。キノコ?爆発?そんなの知らないわ〜って感じで流しちゃえば……』
反対側の肩には、天使のエルミアが現れた。白い羽と輝く後光がまぶしい。
『素晴らしいわ。その通りよ、記憶喪失は神様からの贈り物。これを利用しない手はないわ』
コイツ本当に天使か?悪魔の囁きと天使(あくま)のささやきが同時に聞こえてくる。
しかし私は首を振って、この奇妙な幻覚を振り払う。今は妄想している場合じゃない。
「いいえ、何でもありませんわ」
私はにっこりと笑い、丁寧に頭を下げた。お茶会の練習をしている貴族の娘のように、優雅に立ち上がると一礼してみせる。
「ご機嫌よう異国の人。こんな森で会うのも面白い縁ですが……どうしてこのような場所に?」
相手が忘れていると分かった瞬間、私の口は流暢に動いていた。なんとも都合のいいお口である。
彼は私の動きに見惚れていたのか、ハッとした顔になると慌てて口を開いた。
「あ、いや、その……俺は……」
面白いように慌てふためく。そして私の顔をチラリと見ると、呟くように言った。
「その……アンタは、エルミア姫なのか?」
「あら、名乗っていませんでしたか。これは失礼」
私は優雅に会釈をする。
その仕草は長年の訓練を積んだバレリーナのように華麗……になるはずが、慣れない人相手の為か、緊張のあまり少しバランスを崩してしまう。
「私はエルミア。エルフの国の姫です」
カイナブル王子の目が丸くなる。それと同時に彼は言葉を探すようにして口をパクパクとさせた。
「俺は……」
「ええ、ご存じです」
私は笑顔で言う。
「貴方はドワーフの国の王子、カイナブル様ですよね」
カイナブル王子は驚いたような、複雑な表情を浮かべた。
「……知っていたのか、俺を」
「えぇ、もちろん」
だってカフォンくんに教えて貰ったからね。カフォンくんがいなかったら、私も彼と同じようにあたふたと慌てふためいていたことだろう。
私は余裕の笑みを浮かべてみせる。……しかし内心はバクバクだ。この心臓の音がカイナブル王子に聞こえてしまうのではないかと心配になるほどに。
だってそうだろう?お見合いする筈の私と彼が、何の因果かこんな森の奥深くで二人っきりでいるのだから。
「そう、か……」
彼は小さく呟いた。
「じゃあ、俺たちは……」
「お見合いの相手同士です」
私は彼の言葉を引き取る。
突然、周囲が静かになる。妖精たちも息を潜めている。
そんな緊張感漂う空気の中、カフォンくんの大きなあくびの音が響き渡った。
「ふあ〜〜〜あ」
全員の視線が一斉にカフォンに向けられる。彼は、まるで何もなかったかのように、優雅に口元を押さえている。
「おっと失礼。あまりにも平和な雰囲気で眠くなってしまいましてね」
カフォンは悪びれた様子もなくそう言うと、カイナブル王子と私に向かってこう言った。
「お二人とも、お見合いから逃げて来たのにここでこうして出会うだなんて運命というのは面白いですね。まるで逃げれば逃げるほど近づくという、愛の喜劇を見ているようです」
カフォンの言葉に私たちは顔を見合わせた。
お見合いから逃げた……。その言葉が私と彼の心を抉り取る。
そうだ、私も彼もお見合いから逃げた。だからこの森の奥で二人っきりでいるのだ。……まあ、妖精たちとカフォンもいるけど、細かいことは気にしない。
……うん、改めて言葉にすると私たちってとんでもないことをしたんじゃなかろうか?国家間の平和を踏みにじるダンスを踊っているような……そんなとんでもないことを。
カイナブル王子と私は目で合図を送る。ここで「お前も逃げて来たんだろう?」と確認し合うのは愚の骨頂である。
私は優雅に髪をかき上げながら、まるで高級レストランでワインを選ぶかのような上品さで言った。
「逃げただなんて人聞きの悪い。私はただ森林浴をしてお見合いの前に心を落ち着かせようとしただけですのよ」
そう、森林浴。爆発するキノコを踏んで吹っ飛ぶのも、きっと森林浴の一種に違いない。
「ねぇ、カイナブル王子もそうでしょう?」
私の視線を受け、カイナブル王子はまるで操り人形のように激しく反応した。
「え……?あ、あぁ!そう!」
彼は激しく頷く。その様子は、首が取れそうなほどだ。
「俺もお見合いの前にちょっとばかし運動をしようと思ってな!」
カイナブル王子は激しく何度も頷く。そんな私たちの様子を、カフォンは呆れたように見つめていた。
そう、運動。地雷を踏んで宙を舞うのも、きっと素晴らしい全身運動に違いない。
カフォンは、まるで世紀の珍獣を観察するかのように、呆れた目で私たちを見つめていた。
「なるほど、森林浴に運動ですか。うん、お見合いへの意気込み、本当に素晴らしいですね」
その「素晴らしい」という言葉は、まるで「お前たちは本当にバカだな」と言っているかのようだった。
私とカイナブル王子は、まるで共犯者のように目を合わせる。
その視線には「なんとか切り抜けられた?」という希望と「全然バレバレだよね」という絶望が混ざっている。
彼はそう呟くと、ふむ……と考え込み始めた。何か意図があるのだろうか?
私とカイナブル王子が固唾を呑んで見守っている中、やがてカフォンは何かに納得したのか頷くとこう言った。
「お二人ともここでこうして会ったのだから」
彼は意味深な笑みを浮かべる。
「お見合いしていったらどうです?堅苦しい宮廷の中でお見合いをするよりも、この大自然の中でお見合いをした方が気持ちも楽でしょうからね」