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第18話

巨大な王城を前にドワーフの王──ドロテアは目を細めて言った。


「ここがアズルウッド城か……」


宿敵エルフの本拠地にして、悍ましき怪物の住まう居城。

世界樹の魔力がエルフたちを守護するように、濃密な魔力を城と森林全体を覆うように漂わせていた。


「なんとも禍々しい城でございますな。陽光が煌めき、木々が茂り、爽やかな風が吹く場所に建つ城とは……まるで怪物の臓物の中にいるようですぞ」


ドロテアの隣でドワーフの兵士が城を見上げながら言う。

歴戦の兵である彼は仇敵エルフの城を前に、武者震いをしていた。

大戦の時はこの城目指して進軍したものだ。当時のエルフの老王は、悪魔でさえ「お邪魔しました」と言って逃げ出すほどの存在。

そして、その配下のエルフたちときたら、「残忍」という言葉すら彼らを褒め言葉に聞こえるほどだった。

その恐怖は今もなお、ドワーフの心に深く刻まれている。

しかし、今はあの時とは違う。ドロテアは拳を強く握りしめた。


「さぁ、ドロテア王。貴方様が『突撃』と叫べば、我々は即刻城に殺到しますぞ。エルフどもの髪の毛を根こそぎ抜いて、奴らの頭をツルツルの卵のようにしてやりましょう」

「うむ。実に……なんというか……独創的な提案だな」


ドロテアは上半身の筋肉を震わせ、兵士たちの言葉に満足気に頷く。

なんと勇敢で頼もしい兵士たちだ。

グランツ地国の技術の粋である魔導鎧と、ドワーフの勇猛さが合わされば、どのような敵であろうとも打ち破れるに違いない。


だが……。


「ところでお前達。我々が何故、ここにいるのか答えられるか?」


ドロテアは整列する兵士達に向かってそう言った。

兵士達は彼の言葉に顔を見合わせ、きょとんとする。


「えっと……エルフどもをハゲにするためではないのですか?」

「いや、世界樹の枝でバーベキューをするためだろう」

「違う違う。エルフの木の実で醸造したビールを味わうためじゃなかったか?」


兵士たちの答えは、的外れな方向へとどんどん暴走していく。それを聞き、ドロテアは空を仰ぎ見た。

──こいつら、何の為に来たのか忘れてやがる。脳みそにキノコでも生えているのか?

ドロテアは、腹の底から湧き上がる怒りを抑えきれず、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。

そして彼の手にした斧の柄が地面に叩きつけられる音が、静寂を切り裂いた。その音は、兵士たちの妄想の泡を一気に弾けさせるのに十分な衝撃だった。


「馬鹿者どもが!!」


ドロテアの声が轟き、周囲の空気が震えた。


「貴様らは脳みそを枕の下に置き忘れてきたのか!?それとも道中の酒場で質入れでもしたか!?」


ドロテアの大喝が響き渡る。兵士たちは思わず肩を強張らせ、息を呑んだ。

ドワーフの兵士たちは困惑の表情を浮かべ、互いの顔を見合わせた。

その目は「お前が答えろよ」と言い合っているようだ。やがて一人が勇気を振り絞り、まるで爆弾の導火線に火をつけるかのような緊張感で、震える声でドロテアに尋ねた。


「あのぅ……我々は何をしに来たので?」

「……縁談だ。もしかして縁談という言葉の意味を知らんのか?見合い、つまり結婚させるための男女が会うことだ。髭と髭を絡ませる儀式ではないぞ。そんなことをすれば、お互いの顔が永遠に離れなくなる」


それを聞いて兵士達の間に驚きの波が走った。

突然全員の脳細胞が同時に目覚めたかのように彼らは目を見開いた。


「そうだった!カイナブル王子の花嫁探しだ!記憶が戻ってきた!」

「これは完全に失態でしたな。さすがは我が王。地底の迷宮より複雑な思考回路に舌を巻くばかりです」


兵士たちの笑い声が辺りに響き渡る中、ドロテアの表情が変化した。怒りから呆れへ、そして深い溜め息へと移り変わる。

彼女は目の前の若い兵士たちを見渡した。その顔ぶれは大戦後に生まれた世代ばかり。カイナブルと同じ年頃の者たちが大半を占め、戦火の記憩を持つ者は殆どいない。

頭の中で息子カイナブルの言葉が蘇る。


『連れていく兵は老いぼれじゃなくて、若い奴らにしてくれ』


ドロテアは眉をひそめた。息子の真意は測りかねるが、若い兵士たちとカイナブルの関係性を考えるとある程度の推測はつく。

顔見知りの仲間に囲まれることで、安心感を得たいのかもしれない。

……あるいは、単に年寄りの説教を聞きたくなかっただけかもしれない。その場合、カイナブルの耳には老人の言葉が全て「昔はよかった」と聞こえているのだろう。


「まぁ、いい。いや、良くないが。とにかく、今回の縁談は我が国の命運を左右する重要なものだ。絶対に失敗は許されん……」


どうにも最近の若い兵士は緊張感がない。戦争を体験していないというのは平和の証ではあるが、それが慢心に繫がり、命取りとなることもある。

ドロテアは今回の縁談を、兵士達の気を引き締める良い切欠になればと考えていた。彼の頭の中では、縁談と兵士教育という二つの歯車がギシギシと噛み合い始めている。


そんな中、老練な兵士が口を開いた。その声は、鎧がきしむような渋さを含んでいる。


「──王よ。最近の若い奴らはだらしのない者ばかりですな」


そんな中、重厚な鎧に身を包んだ兵士がドロテアの側でそんなことを言ってきた。

魔導鎧を着こんだ精鋭の兵士だ。その鎧は、千年の歴史を刻んだ岩盤のように堅固に見える。


「うむ。貴様ら古参兵だけが頼りよ。若い奴らが腑抜けぬようにしっかり見張っておけ。あと筋肉だけでなく、頭の中身も鍛えさせろ」


魔導鎧の兵士は胸を張った。


「御意。もしエルフ共が襲撃を仕掛けてきたら……」


彼は声を潜め、腕を交差させながら言った。


「新兵を盾にして、奴らを灰にしてやりましょう。平和の灰が吹き荒れますぞ」


その兵士は胸を張り、自信に満ちた声で答えた。

「平和の灰」という新しい外交用語が生まれたことにドロテアの頭痛は酷くなるばかりである。

こいつもここに何をしにきたか理解していないアホか……とドロテアが心中で嘆いていると、エルフの兵士たちが敬礼をしつつドロテアに近づいて来た。

その立ち振る舞いは、踊りを踊っているかのように優雅で、そして美しい……。


「よくぞお出でくださいました、ドロテア陛下。我々の森を踏み荒らし……いえ、訪れてくださり光栄です」


エルフの兵士たちはドロテアに恭しく挨拶する。その美しさは目が眩むほどだ。

高価そうな白銀の鎧を身にまとい、ドワーフたちは思わず目を細める。「こいつら、光り過ぎじゃねぇか?目が痛ぇ」と小声で呟く者もいる。

エルフにこうして恭しい態度を取られるのは経験がない。大戦の時は殺し合う間柄であった故に。「刃を交える」以外の交流がなかったのだ。

奇妙な違和感覚えながらもドロテアは頷いた。「礼儀正しいエルフとは……世も末だな」と心の中で呟きつつ。


「うむ。出迎えご苦労である」

「我々森林国の一同はドロテア陛下のご訪問を心よりお待ちしておりました。エルミア姫もカイナブル王子を心待ちにしております」


エルフの姫エルミア。

世界樹を守護するエルフたちの中でも最も美しいとされる姫だ。

その美しさは人間やドワーフ、獣人たちにまで知れ渡り、『美の女神』とさえ呼ばれているという。

そして何より、信じ難いことに、傲慢なエルフらしさが一切なく、慈愛に溢れた心優しき姫だと……。

ドロテアの脳裏に、過去の記憶が蘇る。血に飢えたエルフたちの姿。他種族を蔑む彼らの冷酷な眼差し。

それらと、エルミア姫の噂は、あまりにもかけ離れていた。


「うむ、うむ……。我が息子、カイナブルもエルミア姫との邂逅を心待ちにしておった。姫ならば、きっとあの短気な息子を上手く御して頂けることだろう。もしかしたら、岩盤をも溶かすような愛が芽生えるかもしれん」


実際のところカイナブルはエルフの姫との出会いを全く心待ちにしていないどころか、むしろ嫌がっているのだがそれはさておき……。

もし、姫の前で不躾な態度を取ればドロテアは即座に息子を張り倒し、泣き叫ぶまで殴り続けるつもりである。「愛の鉄拳」とでも呼ぼうか。

なお、そんなことをすればエルミアはドン引きするのだがドロテアは気付いていない。彼の頭の中では、これが立派な父親の務めなのだ。


「おい!カイナブル!いつまでも馬車に引きこもってないで姿を現さんか!エルフの国は地底よりも明るいぞ!目が慣れるまで少し時間がかかるかもしれんが!」


ドロテアは馬車の中にいるであろうカイナブルを怒鳴りつけた。

奴はエルフの国に来てからというものの、ずっと馬車の中に引きこもっているのだ。

今回の縁談の主役はカイナブルだというのに全く姿を見せない始末である。

なんというだらしのない息子だろうか。ドロテアは怒りでこめかみに血管を浮かべた。

ズシン、ズシンと、地面を揺るがすような足音を立てながら、ドロテアは馬車に近づいた。

エルフたちは息を呑み、この展開を見守っている。


「おい!いい加減に馬車から出て……!」


ドロテアの目が見開かれ、顔から血の気が引いた。彼の口から、信じられないような声が漏れた。


「……なんだと?」

「んー!!んー!!」


猿轡を嵌められ、縄で縛られ、悶えているドワーフの老執事……ゼグロフ。

その対面にいる筈のカイナブルがいない。まるで煙のように消え失せている。


「ゼ、ゼグロフ様!」


馬車の中で縛られていたゼグロフを見つめながら、ドロテアの頭の中は混乱していた。

兵士たちが慌ててゼグロフの拘束を解く中、彼は震える足で立ち上がり息を整えながらドロテアに向き直る。


「陛下!カ、カイナブル王子が……お逃げになりました!」


ズシンと、ドロテアの斧が地面に落ちる。

その衝撃は、大地を揺るがすほどのものであった。


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