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第14話

ハーブティーをゆっくりと口に含む。

その香りは森全体が一つのカップに閉じ込められたかのように豊潤だ。

そしてほぅと息を吐くとようやく落ち着いた心地になることができた。


「う~ん。このハーブティーは絶品ね。自然の精髄を飲んでいるみたい」


エルフというのはハーブティーが好きらしい。特にこの国、アズルウッドで採れるハーブはどれも一級品ばかりだ。

私が飲んでいるハーブも、エルフの特産品の一つである。私はその香りを楽しむようにゆっくりと啜った。


「はぁ……平和だなぁ」


窓から外を見れば、妖精さんが楽しそうに飛んでいるのが見えた。

彼女らは私の姿を見つけると、笑顔で手を振りながら飛び去って行った。私もにっこりと笑って手を振る。


「平和だ」


エルフの国は今日も今日とて平和な一日だった。きっと明日も明後日も、この平和が続くのだろう。

いやもしかしたらずっと続くかもしれないな……なんて考えに耽っていると、不意に扉がコンコンとノックされた。


「姫様、失礼いたします」


入ってきたのは少年であった。カフォン……ではない。

エルフではあるが、白銀の髪をした美少年であった。

その髪は月光を集めて作られたかのように輝いている。

どうしてここはこうも美男美女が揃っているのか。美の展示会場も見飽きればつまらない。

私は少し呆れながらも、彼が誰なのかを思い出していた。

そう……彼は確か、セルシルの孫の……。


カルタ……?


そう、カルタだったか。

セルシルが休日の時、代わりに私の世話をしてくれる小さな執事さんだ。

燕尾服を身に纏い、手にはティーポットを持っている。小さな身体が可愛らしく、ぬいぐるみのようだ。

でも、その立ち振る舞いは完璧な執事そのもの。


──しかし、彼は癒し要因ではない。


何故なら……。


「今日も壮大な無駄遣いの時間がやってまいりました。姫様、今日はどのような無意味な活動でお時間を潰されますか?暇潰しの新記録でも作りますか?」

「……」


彼はにこやかに微笑んで言う。天使のような笑顔だが、その口からは甘い蜜を含んだ毒針のような毒舌が吐き出されるのだ。

その言葉は、優雅な包装紙に包まれた刃物のように鋭く、周囲を刺しまくる……。


「カルタ。今日はお茶を持ってきてくれたの?」

「はい、姫様。世界一高価で、飲んでも何の効果もないお茶です。王族の皆様にとっては血税の使い道として最適かと。庶民の涙の結晶とでも呼びましょうか」


カルタはそう言うと、静かにティーポットからカップに注ぐ。その姿は優雅そのものだが、言葉は毒そのものだ。


「どうぞ。姫様の舌を刺激し、良心を痛めるのに最適な一杯です」


私はそれを受け取ると一口飲む。

うん、相変わらず味は最高だ。舌の上で踊る風味は、まさに天国の味。

……このカルタという少年はエルフにあるまじき口の悪さと、とてもハイエルフに接するものとは思えない態度で私に接してくる。

もし私でなかったらすぐさま処刑されているのではないかと思うくらいの暴言ぶりである。

その言葉は優雅な毒蛇のように美しく、そして危険だ。


「カルタ、相変わらず美味しいわ。これを飲むと王族としての罪悪感が増すけど」

「光栄です姫様。罪悪感を感じられるだけ、まだ姫様には希望があります。他の王族様方は、罪悪感すら感じない境地に達しておられますからね。彼らにとって国民の涙はただの調味料ですから」

「えぇと……それは褒め言葉?それとも皮肉?」

「どちらでもお取りください。姫様の解釈の自由です。ちょうど貴族が国民の税金を自由に解釈し、操作するように。あるいは、私の言葉を庭園の装飾のように、見て楽しむだけでも構いません」


私は苦笑いを浮かべた。カルタの毒舌は相変わらずだ。

しかし、不思議とこの刺激的な会話が心地よい。癒しではないが、これはこれで良いものだ。

甘美な毒を少しずつ摂取しているかのような、危険で魅惑的な時間である……。


「ねえ、カルタ。ドワーフからの縁談の話、知ってる?」

「ああ、あの笑えるほど愚かな外交政策ですか?姫様が髭の長さで夫を選ぶとでも思っているのでしょうか」


カルタは優雅にお茶を注ぎながら、容赦ない言葉を紡ぐ。

その表情は無邪気な少年そのものだが、言葉は老獪な政治家のようだ。

王の決定した政策をここまで悪く言えるのはハイエルフ以外では彼くらいだろう。


「最近縁談のことで悩んじゃうのよ」

「姫様、悩むだけ無駄ですよ。どうせ最後は政治の駒として動かされるのですから。せめて髭の手入れ方法だけは学んでおいた方がいいかもしれません。エルフの繊細な指で髭を編む練習など、今のうちから始めておくべきでしょう。それが姫様の新しい趣味になるかもしれません。『エルフ姫の髭編み物語』なんて、素敵な物語になりそうですね」


私はため息をついた。もしかして髭モジャのお爺さんと結婚させられるのだろうか?

ていうかドワーフってどんな外見よ?想像がつかない。


「カルタ、あなたの意見を聞かせて」

「姫様、私の意見など何の価値もありません。私はただの下僕なのですから。ですが、あえて申し上げるなら……」


カルタは一瞬、真剣な表情を浮かべる。その瞳には、年齢不相応な深い洞察が宿っている。


「髭の生えていない私には、髭の魅力が理解できかねます。おそらく姫様も同じでしょう。ですが、もしかしたら髭の中に宝石を隠し持つドワーフの習慣に姫様は魅力を感じるかもしれません。宝石箱代わりの夫を持つのも悪くないかもしれませんね。毎朝、夫の髭から今日の装飾品を選ぶ……なんとも贅沢な生活です」


カルタの言葉に私は思わず吹き出してしまった。

この小さな執事の毒舌が不思議と心を軽くしてくれる。私の重荷を笑い飛ばすかのように。


「カルタ、あなたって本当に...」

「はい、本当に失礼な執事でございますね。ですが姫様……大抵は耳障りな真実の方が、耳触りのいい嘘よりも価値があるものです。特に高貴な方々にはね」


私はカルタの言葉に、思わず頷いてしまった。

彼の毒舌の中に、確かな真実が隠されているように感じる。

何故だろう……彼はまだ幼いのに、何百年も生きてきたような達観した考えをしているのだ。


「カルタ、あなた本当は何歳なの?老人のような物言いね」


私は軽い調子で尋ねるが、その背後には真剣な興味がある。


「姫様、失礼ながら年齢を聞くのは淑女の嗜みに反します。ですが私の魂年齢は少なくとも千歳は超えているでしょうね。ハイエルフ様がおわす宮廷で働いていると、一日で百歳は歳を取りますから。この宮廷は、時の流れが独特なのです」

「まあ、そんなに辛いの?この宮廷での仕事は」

「姫様のような正気の方がいらっしゃるおかげで完全に狂気に陥ることは免れています。姫様は私の精神安定剤ですから。貴女様の存在が、この狂った宮廷で私を繋ぎ止める錨なのです」


精神安定剤やら錨やら失礼な……。

だけど、私はカルタを何となく気に入っていた。

この執事は口が悪いし毒舌だが、それでも私の味方であると確信できる。

彼の言葉の奥に、確かな思いやりを感じるのだ。


「そして、この卑賎の身で一言言わせていただきますと……色眼鏡をかけるのが趣味であらせられる高貴なエルフの方々には見えないでしょうが、ドワーフというのは存外、興味深い種族なのです」

「え?」


私の驚きの声に、カルタは微笑みを浮かべる。その表情には、今までにない真摯さが宿っている。


「彼らの鍛冶技術は我々エルフの工芸品職人にも匹敵する素晴らしさがあり、その勤勉さは見習うべきものがあります。髭の長さで知性を測るのは愚かというものです。エルフの耳の長さで優雅さを測るのと同じくらい滑稽です」


そう言い、彼は優雅にくるりと回る。その姿は、自身の言葉を体現するかのように。


「それに、ドワーフが髭もじゃのずんぐりむっくりした体型というのは偏見の極みです。若いドワーフはエルフと同じような体型で、スラリとした者も少なくありません。姫様、偏見は美しくありません。エルフの美しさを汚す唯一のものかもしれません」

「……」

「噂によるとドワーフの王国・グランツ地国のカイナブル王子は美男で有名だとか。その美しさは山々の峰々を思わせるそうです。まあ、地下帝国に潜るドワーフの審美眼がどれほどのものか、疑問ですが。」


私は一瞬言葉を失った。カルタの言葉は、私の中の固定観念を見事に打ち砕いていく。

花瓶が割れるような音が、頭の中で鳴り響いた気がした。


「カルタ、貴方はまだ小さいのに色々と詳しいのね」

「言ったでしょう、ここで働いていると一日で百歳は歳を取ると。特にアイガイオン様とカフォン様の暴走を見ていると、一瞬で老化してしまいます。あの方々の狂気は、時の流れさえも加速させるほどですからね」

「まぁ」


私は再び笑みを浮かべた。私だって、彼と同じ気持ちだからだ。

この王宮での日々は、ファンタジーと悪夢が入り混じったような体験だ。


「少し長くなりましたが、私が何を言いたいかと言うと……」


カルタの燕尾服がきりりと引き締まり、彼の表情が真剣になる。

その小さな体からは、不釣り合いな威厳が漂い始めた。年老いた賢者の魂が、少年の体に宿ったかのようだ。


「会ってみなくちゃ分からない、でございます。姫様、偏見という鎧を脱ぎ、好奇心という武器を手に取るべきです。鉱山に隠れた宝石を見つけるのも、また一興……」


彼はそう言うとウインクした。

その仕草は少年らしい愛らしさに満ちていたが、言葉の重みは決して軽くない。

当たり前のことかもしれないが、ここにはその当たり前を言える者が稀有だからだ。


「ありがとう、カルタ」


私は彼に微笑むと、カップのお茶を飲み干した。

そして椅子から降りると、ゆっくりと立ち上がる。


「さて、姫様の色眼鏡も取り払ったところで本日の予定をお知らせしましょう。午前中は『髭の美学』の講義、午後は『ドワーフ文化理解』の特別授業です。そして夕方には『山岳風景の描き方』のレッスンが……」

「冗談でしょ?」

「もちろん冗談です、姫様。実際の予定は午前中にアイガイオン様からの『妹愛の講義』、午後はカフォン様による『姉上保護計画』の説明会です。髭の講義の方がましだったでしょうか?」


私の溜め息が部屋の中に響き、そして消えていった。

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