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第13話

意識の海に揺蕩うような感覚。

頭の中はぼんやりとして、霧の中を歩いているかのようだ。

はて、私は一体誰だっただろうか。とある島国に生まれた一般人。とある国に生まれたお姫様。

どっちか片方だったような気もするし、両方だったような気もする。

チャンネルを行ったり来たりしているテレビのように、記憶が混濁している。

ジグソーパズルの欠けたピースのように、何かが足りない。頭の中は1000ピースのパズルが床に散らばったような状態だ。

しかし今はそれはどうでもいい事だ。重要な事ではない。

私は誰だったか?そんな事を考える必要もないのだ。

なぜなら私は──




♢   ♢   ♢




「はっ!」


私は天蓋付きのベッドの上で目を覚ました。

窓から差し込む朝日が心地良い。それは私を照らし、自然が「おはよう、姫様」と挨拶しているかのようだ。

私は起き上がり、両手を上げて大きく伸びをした。


「ふぁああああ、よく寝たなぁ」


なんだか奇妙な夢を見たような気がするが、全然思い出せない。

まぁいいか、夢っていうのはそういうものだ。妖精さんとの会話くらい意味のないものだし。

というか、妖精さんとの会話の方がまだマシかもしれない。

……それはないか。


私はベッドから降りて立ち上がる。姿見に映るのは見慣れた自分の姿だ。

長い金髪に、大きな青い瞳。陶磁器のように白い肌に端正な顔立ち。完璧なエルフの姫様、そう、これが私。


「おはよう、完璧な私。今日も世界を平和にしましょうね」と鏡の中の自分に語りかける。

ふと窓の外を見ると王城の中庭では小鳥が囀っていた。

今日もいい天気だなぁ……なんて思っていると、ふとベッドの隅に何かが落ちている事に気付いた。


「ん?なにこれ。新作のエルフグミかしら」


私はそれを手に取ってみる。それは小さな石の欠片のようなものだった。

白く、そして淡く煌めくその石はとても綺麗で……なんだかとても心を惹かれた。


「う~ん……これはダイエットに失敗したダイヤモンド?」


私はその石を窓にかざしてみる。

すると石は太陽の光を飲み込むかのように、煌めきが一段と強くなったような気がした。

そして、小さな声が石から聞こえた。



『タス……ケテ……』

「わああああああああああああああ!!!!!!」


私は叫び声をあげると共に、窓から勢いよくその石を放り投げた。

石は宙を舞い、窓の外へと落ちていく。私は慌てて窓を閉め、カギを掛ける。


あれは……あの石は……兄アイガイオンが私にくれた石ではないか……!?


「な、なんでここに……!?まさか、石の呪いで自分で這い出してきたとか!?」


まさか兄が持ってきた?

いや、彼には埋めた事を知られていないはず。それに、兄なら直接私に押し付けてくるはず。

では妖精さん達か?いやいや、彼女達がわざわざそんな事をする訳がない。というかもう覚えていないだろ。

妖精の記憶力は金魚以下だし。


「ふっー……ふっー……!」


ドラゴン退治から帰ってきた騎士のように荒れ狂う鼓動を落ち着かせながら私は考える。

きっと気のせいだろう、うん。疲れてるんだなきっと……。石が喋るなんてありえない。

そうだ、私の想像力が暴走しただけ。想像力だけは凄いからな?私の脳味噌は……。


私はそう結論付けると、大きく深呼吸をして、着替えようとクローゼットに向かう。

今日の服装は「正気を保つためのドレス」にしよう。


「姫様、失礼致します。お着替えのお手伝いを致しますね」


トントン、と扉がノックされた後使用人の女性のエルフメイドが部屋に入ってくる。

どうやらいつもの私の着替えの手伝いのようだ。やれやれ、少なくともこれは日常の一コマだ。


「ありがとうございます。では、お願いしますね。今日は普通に過ごせるようなドレスでお願いします」


鏡の前に座り、彼女は私の着替えを手伝い始めた。

私は寝間着を脱ぐと、白い下着姿の自分を見つめる。細いウエストに滑らかな白い肌。我ながら惚れ惚れする身体だ。

まぁこのエルミアちゃんの身体は絶世の美少女なので当然ではあるのだけど。

今一自分の身体という感じがしないというか、他人の姿を借りているような気がしてどうにも居心地が悪い。


「はぁ、今日は縁談の話が来なければいいのだけれど」

「姫様はまことにお美しゅうございます。縁談のお話が殺到するのも当然ですね。まるで蜂蜜に群がる蜂を見ているようです」


縁談の話はもうしたくない……。

したくないが、彼女の話に合わせて私は笑顔で言った。


「ありがとうございます。でも、私などに縁談を申し込むなんて物好きな方もいらっしゃるのですね。きっと視力が悪いのでしょう」

「姫様はご自身の美しさに疎いのですね。もっと自覚を持った方がよろしいかと。鏡を見てください。そこには女神様がおわしますから」

「そうかなぁ。女神様って言われても、私、神格化される趣味はないのよ。それに、外見だけ美しいって言われても、高級な花瓶を褒められているみたい」


少なくとも私は外見を気にしないし、外見だけを見て私に寄ってくる男は嫌いだ。

中身もきちんと見てほしい。いや、まだ結婚するつもりはないけれども。


「噂ではかのドワーフの王子も姫様に申し込んできたとか。ドワーフすら虜にするとは流石姫様でございますね」

「はい?ドワーフ?」


なんだその話?

初耳……いや、ちょっと待て……なんか父が言っていたような……?


『実はドワーフの国とヴァンパイアの国から縁談の話がきてるんだけどサァ!』


なんかイラっときた。

そうだ、あれは先日家族団らん(?)で食事を摂っていた時の事だったな。

兄と弟の壮絶な兄弟喧嘩殺し合いの最中に父がなんかそんな事を言っていたような気がする。


「ドワーフ……」


私は知らずそう呟いた。このファンタジーな世界では、様々な種族が存在する。

前世では人間しかいなかったが、この世界には様々な種族がいる。

人間はもちろん、エルフやドワーフ、獣人に吸血鬼、そして不死者などなど……。

多種多様でまさにファンタジーの世界だ。言うならば種族のごった煮スープのような世界。

だからドワーフが私に求婚してくるのもあり得ない話ではないと思う。


「えぇ、我らがアズルウッド王国のエルフと、グランツ地国のドワーフは不倶戴天の天敵同士でございます。それはもう、数百年前まで互いに互いを皆殺しにすると宣言し合っていたくらいには。猫と犬、チョコレートとダイエットのような関係ですね」


うふふ……♡と朗らかに笑いながら彼女は言う。その笑顔は、春の陽光のように明るく、そして不適切だ。

いやそれ笑って言う事じゃなくね?なにサラッと怖い事言ってるのこのメイドさん。

エルフの笑顔の裏に潜む闇を垣間見た気がする。可愛らしいケーキの中に毒が仕込まれてるみたいな……?


「え……えぇと、それなのに縁談の話が?外交政策というより、自殺行為じゃないですか?」

「はい、素晴らしいことですね。姫様の美しさは種族間の憎しみすら溶かしてしまうのです」


私は絶望的な気分で天井を見上げた。この狂った外交政策は、一体誰が考えたのだろうか。

きっと、政策立案者の脳みそはドワーフの酒で溶けてしまったに違いない。

まぁ父なんだろうけど。


「ドワーフは森を伐採し、薄汚い建築物でこの世界を汚します。世界樹の女神が創造したこの美しい世界を……ドワーフのゴミ共が!!」


彼女の声は、蜂蜜をたっぷりかけたナイフのように甘く鋭い。私の身体を拭く彼女の手に徐々に力が籠っていく。

彼女の憎悪の籠った言葉に私は思わずびくりと身体を震わせる。なんかめちゃくちゃ熱籠ってない?大丈夫?


「姫さま!姫様もそう思うでしょう!?穢らわしいドワーフは我々の支配下におくべきだと!!」

「え?そ、そうですかね……?」


いきなりの同意を求められ、私は狼狽えながらも誤魔化した。

彼女の瞳の奥には憎しみの炎が宿っていた。目から炎を噴き出しそうな勢いだ。正直めちゃくちゃ怖いです。

エルフの怒りは予想以上に激しいようだ。

ドン引きしている私の様子に気付いたのか、彼女ははっと我に返ると慌てたように謝った。


「も、申し訳ございません!私ったらつい熱くなってしまって……!姫様を怖がらせてしまって……」


いや熱いというか怖いっていうか……随分とドワーフに恨みを持っているようだ。

どうやらドワーフへの嫌悪感を種族単位で持っているらしい。彼女の反応を見るに、恐らくドワーフ側も似たようなものなのだろう。お互いに憎しみの鏡を見ているようなものだ。


「あの……ドワーフの方々とお会いしたことはあるの?」

「いいえ、ございません。でも、彼らが森を傷つけるのは許せません!」

「でも、会ったこともないのに。それって、読んだことのない本の感想文を書くようなものじゃない?」

「姫様、ドワーフの悪行は伝説となって語り継がれているのです。彼らは私たちの美しい森を……」


私はため息を吐いた。

この世界はこんなにも根拠のない憎しみに満ちている……。

誰か、正直に「ドワーフさんたちと一度会ってみたら?」と言ってくれる人はいないのだろうか。

私は別にどうとも思わないが。ていうか会った事も見た事もない種族なのだから好きも嫌いもないというか。

私の心は白紙のキャンバスのように真っ新なのだ。そこにドワーフへの偏見を描き込むつもりは毛頭ない。


「そんなに憎しみ合っているドワーフが、何故私に縁談を申し込んできたのでしょう?」


それは私の心からの疑問だった。

だってそうだろう、何百年前には殺し合ってた種族だというのに、今もなおその憎しみの連鎖は続いているというのに。

ドワーフが突然私に求婚してくるなんて普通に考えてもありえない話だろう。火と水がデートする様なものだ。


「恐らく姫様の美しさに魅了されたのでしょう。穢らわしいドワーフの分際ですが姫様の美しさには敵わなかったようですね。きっと姫様の髪の噂を聞いて、最高級の金の鉱脈を見つけたような気分になったのでしょうね」


そうかなぁ。

つーか私の髪の噂ってなにさ?噂になってるの?私の髪……。

まさか、私の髪が平和の鍵になるなんて。私の頭は外交の最前線かよ。


「あの野蛮なドワーフ共を跪かせるとは姫様は流石でございますね。その美貌と気高さはまさに世界樹の申し子と呼ぶに相応しく……」


なんか勝手に話が進んでるなぁ...。

でもまぁ、いいか。どうせ断るし。相手がドワーフだろうがエルフだろうがドラゴンだろうが関係ない。

私はまだ独身ライフを満喫していたいのだから。城を破壊したり髪を編むのが趣味の人とか怖いし。

そんな人と結婚したら、私の人生は破壊と編み物の狭間で揺れ動くことになりそうだ。

私はメイドさんに着替えを手伝ってもらいながら、ぽけーっと考え事をしていた。


「ねえ、もし私がドワーフの王子様との縁談を断ったら戦争にはならないよね?せいぜい、お互いに悪口を言い合う程度で済むんでしょ?」


メイドさんは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔に戻った。


「まあ、姫様。ご心配なく。せいぜい大規模な戦闘が数百年続いて、互いの下位種が何千万単位で死ぬ程度ですよ。ほら、陽気な祝日みたいなものです」


私は絶望的な気分で天井を見上げた。

エルフの王族って、こんなにも重責を背負わされるものなのか……。

私の決断一つで数百万の命が左右されるなんて。この国のエルフの人生は、運命の天秤に乗せられているようなものではないか。


「はぁ」


私はため息を吐きながら、鏡に映る自分の姿を見た。

長い金髪に白い肌、青い瞳。人形のように整った顔立ち。

毎日同じ絵画を眺めているかのようだ。


「姫様?どうなさいましたか?」


メイドが私の顔を覗き込むように見る。

私は「なんでもないです。ただ、自分の顔に飽きてきただけです」と言って笑顔を作った。

しかし、彼女は納得いかないようで、さらに顔を近づけてきた。彼女の吐息が私の顔にかかるくらい近い距離だ。


「はぁっ……はぁっ」


ちょっと近すぎませんかね……?個人スペースという概念はエルフにないのかな。


「姫様はお美しい。本当に。女同士でも惚れ惚れするくらい……♡はぁっ……♡」

「あの……?あなた、今朝の朝食に何か変なものでも食べた?」


私は困惑しながら、少し距離を取った。メイドさんの様子が明らかにおかしい。

顔を真っ赤にして、目がハートマークになっているような……まるで漫画のキャラクターみたいだ。

これは、エルフの発情期とかいうものなのだろうか。


「だ、大丈夫?熱でもあるの?それとも、私の髪から変な花粉でも出てる?」

「はぁ……♡姫様……♡姫様の美しさに私、我を忘れそうで……このまま姫様と永遠に……」


メイドは息を荒くしながら、さらに近づいてくる。

これはもはや礼儀を通り越して、完全にアウトな領域だ。

彼女の目は、私を食べてしまいそうな勢いだ。


「ちょっと?落ち着いて?深呼吸しよう?」


私は彼女を落ち着かせようと声をかけるが、聞こえていない。

彼女の目は完全に正気を失っていた。私が世界で唯一の水源であるかのように、渇いた目で見つめている。


──やばい!このままじゃ大変なことになる!


そう思った時だ。



『女同士ハ……趣味ジャナイ……』



不意に、ベッドの方から声がした。私とメイドさんは声のした方を見る。するとそこには先程窓から投げ捨てた筈の石が転がっていた。


「い、石が喋った……!?」


メイドさんは恐怖に顔を歪ませるが、私は無言で石を掴むと、窓から勢いよく投げ捨てた。


「お前の趣味なんて聞いてねえよッ!!」


私の投げた石は美しい放物線を描きながら、外に向かって飛んで行った。

キラリと一瞬、石が光って見えた気がした。

はぁはぁと肩で息をする私に、メイドさんは恐怖に身体を震わせながら言った。


「あ、あの姫様?今の石は……」

「その話をしてはいけません」


私は即答した。絶対にこの話は掘り下げてはダメだと私の直感が告げている。

メイドさんは不思議そうな表情を浮かべるが、ピタリと私の身体に抱き着いた。


「姫様、大丈夫です。この私めが、呪いから貴女様を守りますから。肌身離さずに……」


いやだから近いって。呪いよりあなたの行動が怖いよ。

私は彼女の肩を掴むと、ぐいっと引き剥がす。

彼女は名残惜しそうな表情を浮かべるがすぐに笑顔に戻った。


「では姫様、今日も一日頑張りましょう」

「……」


頼むからまともな奴を寄越してくれ。私は心の中でそう願うのだった。

この王宮に、常識人は一人もいないのだろうか。それとも、私が常識外れなのだろうか。


いや、絶対に私が正常だ。きっと。


そうであってくれ。

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