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第8話

エルフ達の住まう国・アズルウッド。

ここは今日も「平和」だった。

大森林の中央に鎮座する、この世界樹のお膝元は、結界に守られた「理想郷」。もしくは現実逃避中毒者の巣窟。

この国を訪れる者は皆、脳みそを洗われたかのように口を揃えて言う。ここはまさに夢の国だと。


──そう、悪夢のない、砂糖をまるごと食べたような甘ったるい夢の国だと。


美男美女のエルフが行き交い、可愛らしい妖精さんが宙を舞う。

そして世界樹は広大な領地を彩り、「私を崇めよ」とばかりに枝を広げ、エルフ達の生活を監視……ではなく、見守っている。


アズルウッドには争いがなく、皆が皆平和を謳歌している……それはとても素晴らしい事だと私は思うし、この平和が永遠に続けばと思っていた。

が、正直言って、たまには誰かの頭を叩きたくなるくらいの小さな諍いくらいあってもいいんじゃないかと思い始めていた。

王女にあるまじき思考回路は直すべきところだよね。うん。

でも、誰か私の頭を叩いてくれないかな。


「あ!エルミア様よ!今日もお美しい!」

「本当だわ!妖精の粉をまぶしたみたい……!」


王都の街を歩く私に、エルフの人々が声を掛けてくる。

アイドルにでも遭遇したかのような熱狂ぶりだ。私は笑顔でそれに手を振った。

内心では『恥ずかしいからやめてくれぇ!』と悲鳴を上げながら。

別に彼らが悪いわけではない。ただ、私はアイドルではないし、おだてられるのも慣れていないのだ。


「皆さん、おはようございます。今日もいい天気ですね」

「キャー!エルミア様が私達に挨拶してくれたわ!あぁ、今の声を永遠に聴き続けたい!」

「今日はなんて良い日なの!エルミア様の髪の毛が一本落ちていないか探してみよう!」


エルフ達は皆口々にそう言って私に笑顔を向けてくれた。私はそれが嬉しかったが、同時に少しむず痒い気持ちになった。

とにかく、何もしていないのに敬われるというのが苦手だった。

私はただの小娘なのである。そんな小娘に畏まる方がおかしいのだ。

こんな完璧な世界、本当に正しいのだろうか。誰か一人くらい、文句を言う人がいてもいいんじゃないだろうか。

あと、髪の毛を拾うのは怖いからやめて。


(ねぇ、誰か私の悪口を言ってみません?ほんの少しでいいから、私の欠点を指摘してください)


私は心の中でそう懇願した。だが、いくら待っても私の悪口を言うエルフは現れない。

まぁそうだろうね、と私は半ば諦めの気持ちで思った。


「エルミア様のお通りである!皆、道を開けよ!もし開けなければ、世界樹の怒りを買うぞ!……という建前で私が君たちを叩き切るぞ!」


私の側に侍る、頭の中身まで白銀な鎧を纏ったエルフの騎士達が、そう大げさな脅しを飛ばす。

するとエルフ達は一斉に端に寄り、赤じゅうたんでも敷かれたかのように、私が通る道を作った。


「おぉ……姫様!エルミア姫様……!靴の跡を拝ませてください!」

「なんと神々しいお姿だ……!」


いやなんだこの光景。私はどこかの聖人かなんかか?

人の波を割って歩くとか、中二病の妄想以外の何物でもない。

私は心の中で深いため息を吐くと、騎士達に言う。


「あのぅ、そこまでしなくてもいいので普通に歩かせてください。お願いだから」


しかし騎士達は聞く耳を持たなかった。

いや、むしろ私の言葉を聞いて、さらに狂ったように熱狂的になった。


「何を仰いますか姫様!我々は貴女を護り、支える為に存在しているのです!それが我々の生きがいなのです!」

「ですからどうかこの身をお使い下さい!靴磨きから髪の毛数え上げまで、何でも致します!」


騎士達はそう言って私をまるで女神のように扱うのだ。確かにお姫様だけど。

いや、気持ちは嬉しいんだよ?嬉しいんだけどさぁ……何かこうむず痒いというか、恥ずかしいというか。

こんな小娘の為に、こんな立派な騎士様が何人も付いて来るのはいかがなものか。


「あの、私、自分で歩けますから。それに、靴磨きは自分でやりますし、髪の毛を数える暇があったら、もっと有意義なことをしてください」


私の言葉に、騎士達は一瞬驚いた表情を見せた。

しかし、すぐにまた熱狂的な笑顔を浮かべる。


「なんと謙虚なお方……!姫様の慈悲深さに感動致しました!」

「これこそが真の王族の姿……!皆、姫様の偉大さを讃えよ!」


あ、こりゃ駄目だな。彼らはハイエルフ好き好き病に汚染されている。

多分私が罵倒しても恍惚の表情を浮かべて気持ち良さげに身体を震わせるだろう。

この完璧すぎる世界で、ほんの少しでいいから普通に扱ってもらえないものだろうか。

文句の一つでも言われたい。そう思いながら、私は騎士達に囲まれて歩き続けた。


そして私は、パレードの主役のように、私の為に作られた大きな道を進んでいく。

その道を作る人々は私を見ると、お札でも拝むかのように、皆頭を下げ、手を振る。それはかけがえのない国宝を見送るようだった。

釈然としない。

私にはそんな価値はないというのに。私はそんな人々の視線から逃げるように、早足で歩く。


そんな時であった。

ふと両脇の人混みの中から小さな女の子が飛び出して来た。

いや、飛び出してきたというよりは、ピンボールの玉のように押し出されてしまったという表現をすべきか。

とにかく、その女の子は私の前に勢いよく弾き飛ばされ、そして───


「あぁ!?」


私の身体にぶつかった。

その瞬間、周囲のエルフ達が、世界の終わりでも来たかのようにざわめき出す。

何で騒いでいるんだろう?私は全く訳が分からず首を傾げた。すると女の子は私の方を見て言った。


「いたた……あっ。ご、ごめんなさい……ごめんなさい……!」


女の子は顔を青褪めさせて、私にそう謝罪した。

いや、私もよく見てなかったから謝らなくてもいいんだよ?むしろ私の方こそごめんよ。ちゃんと前見てなくてごめんよ!

私は女の子に手を差しだそうと、腕を伸ばし──


「この不埒者め!姫様に向かってなんという無礼を!姫様の神聖なる肌に触れるとは何事か!世界樹の怒りを知れ!」


騎士の男はそう叫んで剣に手を掛け抜刀した。

安っぽい舞台劇の悪役のように、女の子に向かってその剣を突きつける。



──は?


なにを。なにをしているんだ。


ぶつかっただけで。


小さな女の子を。


斬り殺そうとしているのか、この騎士は。


私の頭の中で、怒りと呆れが爆発した。

これまでの「お上品な姫様」モードが一気に吹き飛んだ。

代わりに前世での「お下品庶民」モードに切り替わる。


「おい、そこの鎧野郎」


私は低い声で言った。周囲が一瞬静まり返る。


「その剣を下ろしなさい。今すぐに」

「姫様……?」

「貴方ね、頭の中身まで鎧で固まってるの?小さな女の子に剣を向けるって正気?」


私がそう言うと騎士は困惑した表情を見せた。まるでこの世の摂理に反したことを聞いたかのように、彼は唖然とする。


「し、しかし姫様!このような下賤の者を姫様の身体に触れさせるなど言語道断です!」

「触れただけで斬るの?じゃあ昨日、お兄様が私の肩にベタベタ触ってきたけど、お兄様のことも斬ってくれるの?それは最高ね。今から貴方達全員でお兄様を襲ってきてって命令しようかな」


騎士の顔が見る見るうちに青ざめていく。

他の騎士たちも困惑した表情を浮かべ、お互いを見つめ合っている。

アイガイオン王子を襲えという命令は彼らにとって死刑に等しい宣告なのだろう。

いや、もっと過酷な罰なのかもしれない。


「い、いえ、それは……ハイエルフの貴き御方同士は……」

「へぇ、そうなの。じゃあ私、昨日キッチンでバランスを崩して料理長に倒れかかっちゃったんだけど……ああ、もしかして料理長はもう斬られちゃった?あぁ世界樹よ、あの美味しいケーキはもう二度と食べられないみたい。私、悲しいわ」


騎士は完全に言葉を失い、ガチャガチャと鎧を鳴らしながら震え始めた。

周りのエルフたちからクスクスと笑い声が漏れ始める。


「私はね、特別な力なんてない、ただの女なの。だから、誰かが私に触れたからって大騒ぎしないで。それにこの子は謝ってるじゃない。もしかして貴方たち、謝罪の言葉を打ち消す特殊な鎧を着てるの?」


女の子を優しく抱き寄せながら、私は騎士たちを見回した。

そして、私は彼女にウインクしながら口を開く。


「安心して、もう大丈夫。このお兄さんたち、たまに脳みそが空の上の方まで飛んでっちゃうの。でも基本的にはいい人たちだから。私と一緒にいなければ」


女の子はクスッと笑った。周りのエルフたちも笑いを抑えきれなくなったようで、あちこちから笑い声が聞こえてくる。


「ねえ、みんな。私が触れられても世界が滅びたりしないし、私が誰かに触れても呪いはかからないわ。ねぇ貴方、試しに私にハグされてみる?」


騎士の一人にそう言うと、彼は顔面を蒼白にしてブンブンと首を横に振った。


「そうよね。私に触ったら他の騎士に八つ裂きにされるんですものね。今度から貴方たちが何か失敗したら、抱き締めてあげることにするわ。そうすれば、お互いに八つ裂きにし合って、私の護衛の数が減ってくれるかもしれないわね」


騎士たちは唖然としている。彼らの世界観が音を立てて崩れていくのが聞こえるようだ。


「さあ、これからは平和に歩きましょう。剣を振り回すのは、本当に必要な時だけにしてね。例えば……世界樹が倒れそうになった時とか。あ、でもその時は剣よりシャベルの方が役立つかもね」


私は女の子の手を取り、歩き始めた。周りのエルフたちは道を開け、中には私たちに笑顔で手を振る者もいる。


「姫様ー!高慢ちきな騎士どもをやっつけてくださってありがとうございます!」

「姫様の言葉の棘、最高だったぜ!」

「姫様、私の子供の名付け親になってください!その毒舌を受け継がせたいんです!」


群衆の中からそんな声が次々と上がる。私は苦笑いしながら手を振り返した。


「姫様、我々は……」


騎士の一人が言いかけた。


「大丈夫よ。あなたたちの仕事ぶりは評価してるわ。でも、次からは剣を抜く前に、ちょっと考えてみてね。『これって本当に姫様のためになるのかな?それとも、単に私の腕が鈍ってないか確認したいだけかな?』って。もし分からなかったら、私に聞いてくれればいいの。私、怖くないわよ。たぶん。多分。時と場合によるけど」


騎士たちは恥ずかしそうに、そして少し困惑しながら頷いた。

……私は、最低である。

彼らはハイエルフには絶対に逆らえない。私はそれを知っていて、彼らに偉そうなことを言っているのだ。

だけど、今の言葉は私がハイエルフじゃなかったとしても言いたかったことだ。


「……姫様、我々は貴女をお守りする為にいるのです。それをお忘れなきよう。必要とあらば、国民に対しても剣を振るう覚悟です」

「次同じ事言った瞬間、裸で抱き着いてあげる。嬉しい?」


その言葉を聞いた騎士たちは今日一番、顔を真っ青に染めた。

多分私が裸で誰かに抱き着いた瞬間にカフォンの遠距離魔法が天から降り注いで、その後間髪入れずにお兄様が悪魔みたいな形相で襲撃してくるに違いない。

彼らもそれを理解しているのだろう、全員が一斉に首を横に振った。


「ご、ご冗談を」

「私、冗談は好きだけど嘘は言わないの」

「……」


しかし、彼らを追い込んでも意味がない。

そもそも私の言う事に逆らえないエルフにそれを言った所でしょうがないのだから。

ハイエルフ好き好き病は思ったより深刻なようで、私は思わずため息を吐いた。


「ま、しょうがないわ。行きましょう。私の頼もしい騎士さまたち」


騎士たちは困惑しつつも、少し安堵した表情を浮かべた。

私はエルフの観衆たちに見守られながら、目的地へと歩き始める。女の子を抱いて、騎士たちを従えて。


ちなみに今日の目的地はパン屋さんである。

エルフの国で最高の警備体制で守られたパン購入。これって、もしかして世界初かな?


──そしてようやく目的地のパン屋さんに辿り着く事が出来た。

本当にようやくだよ、ちくしょう。なんでパン屋に来るまでにこんな苦労をしなくちゃならんのだ。


ここは王都でも有数の人気を誇るパン屋さん……ではなく、むしろ「エルフの国で最も普通のパン屋」賞を獲得しそうな店だ。

古びた、何の変哲もない普通のパン屋さん。でも私はここが好きなのだ。

まさに、完璧すぎる世界の中の小さな不完全さ。クールだね。


「パンは好き?ここには美味しいパンがあるのよ。一つ買ってあげるから好きなのを選んでね」

「本当!?わぁい、私パン大好き!」


女の子はさっきまで泣いていたのが嘘のように、パアッと笑顔を見せた。

うん、やっぱり子供は笑顔が一番だな。世界樹も顔負けの輝きだ。私はそんな事を思いながらパン屋さんの扉に手を掛ける。

チリンチリン、と扉に付けられたベルの音が鳴った。


「ごめんくださいな……というか、ごめんなさい、大量の鉄を持ち込んで」


そうして私は馴染みのパン屋さんへと入っていった。

護衛の騎士達も私に続いてぞろぞろとパン屋の中に入って来る。


「今日は何買う?姫様のお気に入りのパンを調査せねば。国家機密レベルの情報だ」

「俺はレーズンパンかなぁ、お前は?いや、姫様の好みに合わせるべきか。それとも姫様の好みのパンを先に買い占めるべきか」

「待て、このパン屋は姫様の安全を確保できる構造になっているのか?パンが武器に変わる可能性は?」


狭い店内は一瞬にして鎧だらけになった。

……いやお前らも入ってくるんかい!!小さいパン屋だからその人数は入りきらねぇよ!?

つーか護衛の途中にショッピング楽しんでんじゃねぇよ!あとパンは武器に変わらないから警戒しないでいい!

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