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第7話

私ことエルミアの兄にして、この国の第一王子アイガイオン。

彼は金髪を靡かせ、紅い瞳で私を見下ろしている。ファンタジー小説の表紙を飛び出してきたかのような完璧な美貌だ。

その顔は天使のように美しいが、その視線はどことなく、「可愛い妹」を見るというより「おいしそうな獲物」を見る目つきだ。

ライオンがガゼルを見るような、あるいは税務署の職員が脱税者を見るような鋭い眼差し。


その姿を見て、私は思わず「うわキモ」と言いかけたが、なんとか唇を噛んで飲み込むことに成功した。舌を噛みそうなほどの必死の努力の末に。

そんなことを口にすれば、兄妹関係が破綻してしまう。いやもう破綻しかけてるけど。壊れかけの花瓶をテープで必死に繕っているような状態だけど。


仮にも本当の兄なのだから……そう、仮にも。

DNAは共有しているはずだ。たぶん。


「うわキモ。なにコイツ」


代わりに肩に乗っていた妖精さんが、私の心の声を代弁してくれた。どうやら彼女は心の声同時通訳機能が付いている妖精さんのようだ。

さすが妖精さん、diplomatic immunity(外交特権)を存分に活用している。

彼女たちの辞書には「忖度」という言葉がそもそも載っていないのだろう。


──私はすぐさま妖精さんを背中に隠し、兄から見えないようにした。

妖精さんが八つ裂きにされる姿は見たくないからだ。それに、妖精の死体の処理方法なんて、王族の教育には含まれていない。


「あん?今なにか聞こえたか?クソムシの羽音のような……」

「いえいえ、気のせいですよお兄様。きっと王城の裏で飼っているニワトリの鳴き声でしょう。最近、ニワトリたちも貴族の真似をして高慢ちきになっているんです。それにしても、こんな所にいらして何かご用でも?花の蜜を集めに来たとか?」


私は不自然なほどに完璧な笑顔を作って問いかける。背中に隠された妖精さんは首を傾げていたが、幸い大人しくしていてくれた。

おそらく、「クソムシ」という新しい単語の意味を一生懸命考えているのだろう。


「いや、たまたまお前を見掛けて、可愛い我が妹と話がしたいなと思ってな」


嘘クセェ。ストーカーが「偶然ですね」と言いながら現れるような感じだ。

私が花畑で妖精さんと戯れる姿を、双眼鏡で覗いていたに違いない。いや、もしかしたら望遠鏡かもしれない。

「妹観察日記」とか書いてそう。


だがまぁ、別に拒否する理由もないか。正直少しキモいが、私だって彼のことを完全に嫌っているわけではない。

まあ80%くらいは嫌ってるけど。

残りの20%は「血は水よりも濃い」という諺を信じる気持ちと、「王位継承者を怒らせたら面倒くさい」という打算である。


「それは嬉しゅうございます。私もお兄様とお話したいと思っておりました」


私が女優顔負けの演技で返すと、兄はまたにっこりと微笑む。


「そうかそうか!お前も俺と話したいか!」


そう言い、兄は私の横に腰を降ろす。

……近い。めちゃくちゃ近い。

私パーソナルスペース広めなんで、そんなに寄り添わないでいただけますかね?

あぁ、消毒スプレーが欲しくなってきた。いや、むしろ防護服が必要かもしれない。


「エルミア、実はお前に渡したい物がある」


そう言って兄は懐から何かを取り出す。それは小さな箱のようなものだった。


「お兄様、これは?」


私は箱を受け取ると兄にそう尋ねる。

すると兄は、また不自然なほどにっこりと笑って答えた。


「開けてみろ」

「……」


え、これまさか。まさかまさかの指輪パターン?

え、やばいでしょこれ。

え、普通に犯罪でしょこれ。兄妹同士はアウトでしょ。


私は箱を持ったまま冷や汗をかく。これ開けた瞬間いきなり襲われるとかないよな?

いや、普通に怖いんだけど。兄が妹に指輪渡すって、どう考えてもヤバいでしょ。

遠くで森のクマさんがゴシップを書き留めているような気がした。

ああ、明日の木の葉新聞の一面は賑やかになりそうだ。

「エルフの王子、妹に求婚!?世界樹も驚きの近親婚!」なんてヘッドラインが目に浮かぶ。


私が石像のように固まっていると、兄が私に向かって言った。


「どうしたエルミア?さっさと開けてみろ」

「え……あ……は、はい……開けます。お兄様の愛情の証ですものね。はは、は……」


ああ…この箱、開けたら人生が終わるんじゃないかってくらい開けたくないなぁ。パンドラの箱の方がまだマシだ。

でも開けないのも不自然だし……。

私はちらりと妖精たちの様子を伺った。もしかして、この窮地を救ってくれるんじゃないかと期待して。

しかし、彼女たちは猫が缶切りの音を聞いたかのように、小さな箱に興味津々の様子だった。


「うわぁ、なにこれ~。宝箱?お菓子入ってる?」

「え?指輪じゃないの?姫様、プロポーズされちゃうの?兄妹同士ってロマンチック!」

「きゃはは~なんか面白そう!開けて開けて!」


いや、君たちが面白がるのは本当に困るんだ。お願いだから静かにして。この状況を楽しむなんて妖精の感覚は本当に理解できない。

この状況、処刑台に向かう囚人を見物する群衆みたいじゃないか。いや、むしろサーカスの見世物を楽しむ観客か。


「……」


──しょうがない。

私は意を決して箱を開けることにした。

こうなったらもう、中身を確かめて即座に兄に返すしか道はない。

ギロチンの刃を自ら落とすような気分だ。


そして、箱を開けた瞬間──。


「!?」

「ええっ?何これっ?」


妖精たちが驚愕の声を上げた。その声に釣られて私も箱の中身を覗き込んだ。


「はい?これは一体……」


思わず目が点になった。何故って?

箱の中にあったのは、煌びやかな指輪などではなく、ただの白銀の小さな石だったからだ。

道端で拾ってきたかのような、何の変哲もない石ころ。


「これは……?」


私がそう言って兄の方を見上げると、彼は得意げな笑みを浮かべていた。

世界一のダイヤモンドでも見せびらかしているかのように。


「どうだ、凄いだろう?」

「凄い……のでしょうか?」


正直パッと見はただの石にしか見えない。これが凄い物なのだろうか?

いや、そんな事よりこれ何なんだ……!普通指輪とかじゃないの?

妹に指輪渡されても困るけどいきなり石とか渡されてどう反応すればいいんだ!本当に意味不明!

誕生日プレゼントにティッシュ箱をもらったような気分だ。


私は兄をチラリと見る。

すると彼は昔を思い出すような目をして私に言った。

その表情は、大切な思い出の品を語る老人のようだった。


「これはな、俺が大昔の戦争の時に天使どもを皆殺しにした時に手に入れた天使石の欠片だ」

「……」


なぜいきなりそんな物騒な話を始める!?

つーか天使と戦争ってなんだよ!?お前は悪魔軍にでも所属してたのか!?

私が何も言えずにいると兄は自分の過去の武勇伝でも語るかのように勝手に話し始めた。

酔っ払いのおっさんが行ってもいない戦争体験を語り始めたかのように。


「楽しかったぜぇ……あの時はよぉ。人間共も死に物狂いで天使を護ろうと俺に向かってきやがった。俺様に勝てる訳ねぇってのによ、健気にも立ち向かってくるのを見て、流石の俺もウルっときちまったぜ」


やべぇ、何言ってるか全然わかんねぇよこの人。

誰か通訳してくれ。悪魔が無理矢理人語を喋ろうとしているような歪さを感じる。

それとも、これって新しい即興芝居?「狂った王子の独白」みたいな……。


私が助けを求めるように妖精さん達を見ると、彼女達はいつの間にか私達から少し距離を置いていた。

そして私と目が合うと、全員で口パクで『早く話を終わらせてくれ』と言い始めたのだ。


君達それはちょっと冷たすぎないか?仲間だと思ってたのに。裏切り者!クローバー数え仲間の絆は、こんなにも脆かったのか?……あぁ、アリさん観察仲間か?

まぁどうでもいいね。


私が冷や汗をダラダラ流していると、兄がハッとした表情を浮かべる。


「おっといけねぇ。つい思い出に浸っちまった」


ずっと思い出に浸ってそのまま思い出と一緒に消えて欲しい。

というかこの石なに?本当になんなのこれ?私の脳内は「?」だらけだ。

私の疑問に答えるかのように、兄は箱の中の石を取り出した後、太陽に向かって掲げる。

その姿は、新しいおもちゃを自慢する子供のようだ。


「天使どもを全員ぶっ殺したらよ、この石ころがポトッと落ちてたんだ。天からの落とし物みてぇにな」

「はぁ」


兄の話を聞くたびに、脳細胞が自殺していくのを感じる。

いや、これは集団離職か。私の脳細胞は休暇を欲しているらしい。


こいつは……やべぇ。完全に頭がおかしい。

王位継承者失格どころか、投獄ものだ。


「そん時に閃いたんだよ。これぞまさに神様からのプレゼントじゃねぇかってな!天使共を皆殺しにした褒美ってわけさ。神様も俺の腕前に惚れ惚れしたに違いねぇ!」

「???」


私の頭の中は、「?」マークの嵐だ。疑問符の雨が降り注いでいる感じ。

天使を殲滅した褒美に神様からギフト?彼は戦場に脳味噌を落としてきたのだろうか?

どこをどう解釈したらそんな頭のネジが外れた結論に辿り着くんだろう?

天罰が降ってくるならまだ分かる。でも天使を殺した褒美に神様がプレゼントだって?

それは殺人鬼に警察が賞金を出すようなものでは?


私は兄の狂った思考に人知れず震えた。背筋に冷たいものが走る。

これが王位継承第一候補だなんて、この国の未来は暗い。


「何言ってんのコイツ?頭おかしいんじゃない?ていうかキモイんだけど」


妖精に忌憚のない意見を言われる兄・アイガイオンを私はちょっとだけ哀れんだ。

いや、私も妖精さんと同じ意見だったが、それを口に出す勇気は無い。

流石妖精さんだ。彼女たちは恐らく長生き出来ないだろう。


「綺麗な石だったから、俺はアイツにやろうと……」


そこで兄の言葉がピタリと止まった。

私は何事かと思い兄を見ると、彼は私ではなくどこか明後日の方向を見ている。


「お兄様……?」


私が声を掛けると、兄は夢から覚めたようにピクリと肩を揺らした。


「あぁ、いや。なんでもねぇ」

「はぁ」

「それよりもその石を耳に当ててみろ。いい音がするぞ」


いい音……?

石から音がするだなんてそんな事あるの?貝殻じゃあるまいし。

次は石から海の音が聞こえるとでも言うのだろうか。

私は兄の言葉に首を傾げながらも、言われたとおりに石を受け取り、耳に当ててみる。

そして次の瞬間──。


『ユル……サナ……イ……』


冷たい指が背筋を這うような感覚。私の体が凍りつく。

これは...幻聴?それとも本当に石から声が?

どちらにしても、正気を保つのが難しくなってきた。兄の狂気が私にも感染し始めたのだろうか。


「お兄様、この嫌がらせに最適な素敵な呪いの石、返品していいですか?」

「どうだ、素晴らしい音色だろう?天使のオペラとでも言おうか」

「どちらかと言うと地獄の受付係の声でしょうね」


私は両耳を押さえて、兄に詰め寄る。

耳の中で「ユルサナイ」の声が反響している気がして、気が狂いそうだ。


「多分天使の魂が喋ってんだよ。すげーだろ?」

「すごいっていうか普通に怖いんですけど。嫌がらせですか?嫌がらせだよな?」


よくそんな嬉しそうに語れるなコイツ!

頭がおかしくなったのか?いや、元々おかしいのか。

私が震え上がっていると、兄は石を掌の上で転がしながら、新しいおもちゃを自慢する子供のように言う。


「これがあればいつでも天使の断末魔を聞けるぞ。寝る前の子守唄代わりにもなるな」


いや、絶対寝れねーよそんなの!絶対悪夢の素だよ!

私が引いた表情をしていると、兄は何故か石に向かって話しかけた。

まるで親友とおしゃべりするかのように……。


「おぅ、元気か天使ちゃんよ。これからお前はエルミアの側にいろ。分かったな?」

『コロ……ス……』


いや、返事すんなよ石も。

つーか今コロスとか言ってなかった?その石、呪われてない?

地獄の通販番組で売ってるのを兄が買ったとかじゃないよな?

私が呆然としていると、兄は満足そうな顔をして立ち上がった。そう、例えるなら大仕事を成し遂げた悪党のような顔をして……。

いや、むしろ世界征服を完了させたスーパーヴィランのような得意げな表情かな。


「じゃあなエルミア、何かあったら俺に言うがいい。力になってやろう。」

「え、ええ。ありがとうございますお兄様。こんな素敵な悪夢の種、感激です。私の精神衛生上の最大の敵になりそうです」

「いいってことよ。夜な夜な楽しんでくれ」


兄は不気味な笑みを浮かべた後、犯行現場から立ち去る犯人のように花畑を後にしたのだった。

その背中には「悪役」の文字が踊っている。

そして花畑に残された私と妖精さんは、性質の悪い冗談の落ちを待っているかのように呆然とその場に立ち尽くしていた。


いや……怖すぎだろ。呪いの石とか渡されても困るんだけど?

お守りじゃなくて呪いじゃん……。

私が掌の上に乗った小箱を、核廃棄物でも扱うかのように慎重に睨んでいるとふと背後から声を掛けられる。


「姫さまー」


振り返ればそこには不安げにこちらを見る妖精さん達の姿があった。


「その箱なんか嫌な感じするから埋めちゃいなよ。ちょうどそこに穴があるし。呪いの墓場にぴったりだよ」


妖精さんの指差した先には、妖精さんが遊びで掘った穴があった。

確かに私としてはこんな見るからにヤバそうな物を埋めてしまいたいところだが、果たしてそれで良いのだろうか。

兄が私に渡したものだ。何か深遠な理由があっての事かもしれない。もしかしたら、王国の命運を左右する重要な遺物かもしれない。


「う〜ん」


まぁでも、あの狂人が持ってた呪いのアイテム的なアレだし、埋めても大丈夫か。私はそう結論付けた。

世界の命運より、自分の精神衛生の方が大事だし。


ポイっと穴に小箱を投げ捨てると、すかさず妖精さん達がその上から砂を被せる。

証拠隠滅をするマフィアのような手際の良さだった。これは日頃の訓練の賜物だろう。

小箱は完全に地面の地下深くに封印された。これでもう安心だ。私と妖精さん達はホッと胸を撫で下ろした。


「なんかキモいおっさん見たら気分悪くなってきちゃった。帰って寝よっと……じゃあね姫さま~」


妖精さん達はそう言って薄い翅を羽ばたかせると、何処かへ飛んで行ってしまった。

キラキラと光る妖精の粉を翅から舞わせながら飛んでいく妖精さん達の後ろ姿は、幻想世界の住人のように美しかった。


私はその後ろ姿をぼーっと眺めながら思った



妖精さんって結構口悪いんだね……―――と。

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