「まぁ、カフォン。どうしたの?そんなに大声を出したりして」
私ことエルミア・アズルウッドの弟、カフォン。
ハイエルフ特有の美貌と幼いながらに可愛らしく、そして可憐な見た目をしている。
金色の髪は陽光を受けて輝き、紅い瞳は宝石のように光っている。
彼は慌てた様子で私の部屋に入るなり、ドアを勢いよく開けた。その音で、窓辺で昼寝していた小鳥が驚いて飛び立つ。
「エル姉さま!」
そして座っている私に飛付くように抱きついてくる。
彼の体温と心臓の鼓動が伝わってくる。私はそれを優しく抱き留めると、微笑みながら弟の柔らかな金髪を撫でた。
「どうしたの?何かあったの?まさか、お兄様が鏡の前でニヤニヤしているのを見てしまったとか?」
「エル姉さま!結婚しちゃうって本当……!?」
私は思わず、「は?」と聞き返してしまう。頭の中で「?」が踊る。
確かに縁談の話は腐る程来てるけど、結婚するなんて誰も一言も言っていない。
私はカフォンのさらさらとした金髪を撫でながら、あやすように語りかける。その感触は、高級な絹のようだ。
「カフォン、私はまだ結婚しないわ。だから安心して。まだまだ"若すぎる"もの」
「本当ですか?」
私の言葉に安心したのか、カフォンは嬉しそうな笑顔を見せる。
その笑顔は、曇り空に差し込む一筋の光のように、部屋全体を明るくする。
そんな彼の笑顔を見て私も思わず頬を緩めてしまった。
──ああ、可愛すぎかこの子……!
これは反則級の破壊力だわ。
私の胸に顔を擦り寄せるカフォン。彼の柔らかな髪が私の首筋をくすぐる。
彼は私にとっての希望の光で、心の安らぎでもあった。
まだ世の中の複雑さを知らぬ純粋な存在。私はこの純真さを守らねばならぬと心に誓っていた。
「姉さま、何処にもいっちゃ嫌です……」
「大丈夫よ、カフォン。私はどこにも行かないわ。寿命が尽きるまでここにいるから。何千年あるか知らないけど」
カフォンを抱き締めると、彼は安心したように微笑む。
ああ、本当に可愛い。このまま私だけの天使にしておきたいくらい。
そうだ、いっそ私の婿にでもして一生手元に置いて……。
……ハッ!
私は自分の考えに驚いて、思わず口に手を当てる。頭の中で警報が鳴り響いていた。
「あ……あれ?今の考え、どこかで聞いたことがあるような……まさか、お兄様の『妹愛』が伝染して『弟愛』に変異した?」
どうなっているんだこの身体は。この一族は。
家族に抱いてはいけない感情を抱いてしまっている。
私は自分の思考に戸惑いながらも、何とか心を落ち着けようとする。深呼吸を繰り返す。
私は冷静を装いながら言う。しかし、内心では「この家系の遺伝子、絶対に何かがおかしい」と思っていた。
カフォンは頬を赤らめつつも、嬉しそうな様子だ。その表情は、甘いお菓子をもらった子供のように可愛らしい。
「ん?」
ふと、視界の端に何か震えているものが映る。
振り向くと、そこにはプルプルと震えるセルシルの姿があった。
彼の顔は真っ青で、地震に遭ったかのように揺れている。
「どうしたのですか?セルシル。そんなに震えて」
「はっ!?い、いえ……なんでもありませんぞ!なんでも!私はただ、そう、その……ただ揺れたい気分になっただけで!」
大げさなリアクションをとるセルシルに私は首を傾げる。
一体どうしたのだろうか?
「セルシルもお爺ちゃんだからね。身体を労わらないと駄目だよ?あと1000年は現役でいて貰わないとね!」
そんなセルシルを見て、カフォンが優しい言葉を彼に投げ掛ける。その声は天使の歌声のようだ。
そしてセルシルはと言うと、カフォンに優しい言葉を掛けられて感極まったのか……。
「カ、カフォン様は本当にお優しい御方であらせられる!これ程までに優しい御方は見た事がありませんなぁ!まことに!いやほんとに!」
セルシルはよよよと泣き崩れ、顔を覆ってその場に蹲る。
なんだこの反応は?なんだか演技臭く見えるが……。
役者が舞台上で大仰に涙をみせるような……。
「……あれ、これなんですか?」
不意に。
カフォンが机の上の書類の束を指差した。
──縁談の書類だ。私の顔から血の気が引く。しまった、隠し忘れた。
彼にこんなものを見せたくはないというのに。
「えっと、それはね。私と縁談したいっていう男性から送られて来たもので……言わば、お姉ちゃんへの迷惑手紙集ね。読むと目が腐る類のやつよ」
「……ふぅん」
カフォンは私から離れ、無言で書類をペラペラと捲り始める。
その表情が、刻一刻と暗くなっていく。眉間にしわが寄り、目が細くなった。
子供が決して浮かべてはいけないような、冷たい表情を浮かべたカフォンは、紅の瞳を煌めかせて口を開く。
「これはゴミですね」
「え?」
思わず間抜けな声を出してしまう私。しかしカフォンはそんな私の反応など気にもせず、書類の束をビリビリと破り捨てる。
紙切れが床に舞い散り、窓から差し込む光を受けてキラキラと輝く。
「カフォン!なにをして……!?まあ、確かにゴミみたいなものだけど」
カフォンは清々しいまでの笑顔で言った。
天使のような笑みの裏に、凄まじく黒いオーラが見える。
「僕の姉さまをこんな紙切れ一枚で縛るなんて馬鹿な人達ですね。分不相応な夢を見る雑魚どもは、全員殺しちゃおうかな」
「カ、カフォン?カフォンくん?今のセリフ、お兄様の台本から拝借した?」
私が呆けた顔で豹変した彼を見つめていると、カフォンはセルシルの足元のカバンに目を付けた。
その目は、獲物を見つけた猛獣のように輝いている。
「おや、まだそんなにゴミがありましたか。セルシル、それを渡してください」
「え?し、しかし……これは……その……」
「渡せ」
「はい」
カフォンのその一言で、セルシルはカバンを素直に彼に渡す。飢えた肉食獣に肉を手渡すかのような慎重さだ。
そして受け取った彼はゴミを見るような、見下す視線をそのカバンの中身に向け……。
「はぁっ!」
カフォンが突然カバンを宙に放り投げる。そのカバンが空中でゆっくりと、スローモーションで回転する。
そして人差し指を宙に浮くカバンに向けると、小さく何かを呟く。その言葉は私には聞き取れないが、不穏な雰囲気が漂った。
「!?」
すると彼の指の先から閃光のようなものが迸り、カバンを貫くとそれは炎に包まれ、一瞬にして灰塵と化した。
一瞬の間に行われた惨劇。私とセルシルは口をポカンと開けながらその様子を眺めていた。
魔法ショーを見ているような、しかし恐ろしさが背筋を走る光景だ。
「きたねぇ紙束だ……」
カフォンは小さく呟くとにこりと微笑み、私をチラリと見る。
その笑顔は、子猫が悪戯を成功させた時のようだ。
「姉さま、これで貴女を縛るものは全て無くなりましたよ。さあ、僕と共に永遠の時を楽しむ準備は整いました」
天使のような……いや、悪魔のような笑みを浮かべるカフォン。その表情に、私は背筋が凍る。
「あ、ありがとう……カフォン。その、縛られるの好きな人もいるかもしれないけどね」
「おや、姉さま。貴女はもしかして縛られたいのですか?」
カフォンの目が再び細くなる。紅の瞳が妖しく光っている。
部屋の温度が一気に下がったかのような錯覚を覚える。
「な、何を言っているの?私ほど自由なエルフはいないわよ?雲みたいにゆるゆるふわふわした性格の私よ?縛られたら、四散して消えて無くなっちゃうかもね?あはは……」
私は必死に笑顔を作ろうとするが、顔の筋肉が言うことを聞かない。
「そうですか。ならば安心しました。一瞬、姉さまを縛り上げて塔にでも閉じ込めようかと思いましたよ」
カフォンは冗談めかして言うが、その目は真剣そのものだ。
私は喉の奥で小さな悲鳴を上げる。
「では、僕はこれで失礼します。次に縁談の話が舞い込んできたら、僕にご一報ください。今度は縁談を持ち込んだ使者ごとこの世から抹消してあげますから」
カフォンは去り際に不吉な言葉を残し、部屋を出て行く。
その足音は軽やかで、まるで楽しい冗談を言い残したかのようだ。
しかし、その言葉の重みは鉛のように部屋に沈殿していく。
残された私とセルシルは、顔を見合わせた後、彼が出て行った扉を見つめていた。
「姫様。カフォン王子は、その、魔法使いですので……」
沈黙が部屋を支配し、時計の音だけが異常に大きく響く中、セルシルはそう言った。
──魔法使い。
そうだ、そうだった。
カフォンは可愛らしい姿をした少年だが、その身体には魔の英知と邪悪な力が満ち溢れているのだ。
この世界の魔法というのは、私が前世でゲームや漫画で知るものと根底から違う存在である。
もっと邪悪で、もっと悍ましいもの……らしい。
そして、人々は魔法使いを恐れている。それはもう、悪魔か魔王かのように。
どうやら昔の全世界を巻き込んだ大戦争で魔法使いが散々暴れ回ったらしいのだが……詳しくは知らない。
歴史の授業をサボっていたツケがここで回ってくるとは。
私が知っているのは、魔法使いという存在が如何に狂った存在で、恐ろしいかという事だけだ。
世界にとって幸運なのはその魔法使いとやらは絶対数が少なく、普通に生きていればまず出会う事はないという事。
でも私にとっての不幸は、可愛い弟がそんな恐ろしい存在だという事カナ……。
「……」
私は灰燼と化した(元)縁談の書類を見て、頬を引きつらせる事しか出来なかった。
床に散らばる灰は、結婚という夢想と共に舞っている。
私はティーカップの紅茶を啜ると、窓の外を見て言った。
今日は雲ひとつない快晴だ。日差しが眩しい。
薄いレースカーテン越しに柔らかな光が差し込む部屋の中は暖かい空気で満ちている。穏やかな風がそよぎ、小鳥たちの美しいさえずりも聞こえてくる。
「今日はいい天気ねぇ、セルシル。縁談書類を焼き尽くした恐ろしい魔法なんて見なかったかのような、最高の天気だわ」
「そうでございますな。こんなにも素晴らしい天気を見ると、邪悪な魔法使いなどこの世に存在しないのではと思えてしまいますな」
私たちは窓から差し込む日差しを見て、現実逃避という名のティータイムを過ごすのであった。