私が私を認識したのは、いつだっただろうか。
記憶が津波のように押し寄せてきて、頭の中は年末大掃除後の押入れのようにごちゃごちゃだ。
自分が誰かわかったような、わかってないような、このモヤモヤ感は朝二日酔いで目覚めた時のそれに似ている。
「姫様、どうなされましたか」
突如、横から声がする。振り向くと、ペンギンのように背筋をピンと伸ばした執事くんが立っていた。
彼は私の従者らしい。
……らしい、というのは私の脳みそが今、綿あめマシーンの中身のようになっているからだ。
生まれた時から今までの人生が、B級映画の予告編のようにフラッシュバックしている。
ただし、これが本当に正しい記憶なのかは定かではない。
「なんでもありません」
震える足で立ち上がると、フラフラする。
どうやら私の体は、まだ記憶の重さに慣れていないようだ。
「今日はもう休みます」
「畏まりました。では何かあればお呼びください……」
執事は、軍人のような正確さで一礼すると、静かに部屋を出て行った。
誰もいなくなった部屋。私はベッドに倒れ込み、毛布を頭からすっぽりかぶる。
「(ここは一体どこ?まさか白ウサギを追いかけて迷い込んだ不思議の国か?)」
見慣れぬ天井を見つめながら、私は自問自答を始める。
記憶が混乱しているせいか、頭の中はミキサーにかけられたスムージーのようで吐き気が込み上げてくる。
でも、これは現実だ。逃げ出すわけにはいかない。
私はバッとベッドから跳ね起きると、部屋の中を見渡す。
部屋は広く、アンティークショップの陳列棚のように煌びやかな調度品が飾られている。
「(お姫様の部屋みたい……って、もしかして私がお姫様?あはは、冗談きついわ)」
頭の中は空っぽのガラガラ。自分が何者なのか、思い出せない。不安が襲ってくる。暗闇の中に取り残された恐怖感。
「ひっ!」
不意に、部屋の大きな鏡に映る自分の姿を発見する。
そこには金髪美人が映っていた。碧眼がキラキラ輝き、人形みたいな顔立ちに、真っ白な肌。
淡い青色のドレスを着ていて、まさにお姫様と形容するに相応しい。
「これが私?美人すぎてびっくり」
恐る恐る自分の顔に触れてみる。柔らかい肌の感触。指先から伝わる温かさにホッとする。
「私は……そう、私は」
私はエルミア。
エルミア・アズルウッド。
それが私の名前で、今世における自分のこと。
さっき思い出したのは前世の記憶らしい。日本人として生きた頃の記憶がある。
その記憶が蘇って、今世の記憶も一緒に戻ってきたみたい。
「そっか……私、死んじゃったんだ」
前世の最後の記憶か……なんだか二つの死に方が頭の中でごちゃ混ぜになってる。
駅のホームで背中を押されて線路に落ちたのか、帰り道に通り魔に刺されたのか。
「まあ、どっちにしろ散々な最期だったってことだけは確かだけどさ」
今更どうでもいいことだ。それより今の方が大事。エルミア・アズルウッド。前世の自分とは比べ物にならないほどの美人。
「この顔で鏡見るの恥ずかしい。ナルシストになりそうだし」
精巧な人形のような愛らしさと、気品ある立ち振る舞い。完璧すぎて逆に怖い。
「非の打ち所がないって、それって逆に欠点じゃない?完璧すぎて近寄りがたいってやつ」
しかし……しかしだ。この身体は人間ではない。
見た目はほぼ人間だけど、似て非なるもの。
「耳、長い……」
私は自分の耳に触れる。人間とは違う特徴がこの長い耳だ。
「エルフ、か。ファンタジーの定番だけど実際になるとは」
この世界では自然と調和し、魔法が得意な種族らしい。
しかも私は上位のハイエルフ。王族にあたる存在だった。
「へぇ……」
ぷにぷにと自分の耳を触る。柔らかくて気持ちいい。
髪もサラサラで、指の間をすり抜けていく。
「この髪、シャンプーのCMに出られそう。あはは」
私は暢気に自分の容姿に見惚れつつ、状況を整理する。
何故かはわからないが、エルミア・アズルウッドという女性に転生したらしい。いや、憑依か?まぁどっちでもいいか。
それもエルフの王族、ハイエルフとして。
「王族様か。前世じゃしがないOLだったのに、なんか申し訳ない」
しかし、問題は……。
「姫様。エルミア姫様。爺で御座います。入っても宜しいでしょうか」
突然、部屋の外から声がする。先程の執事とは別の声だ。
「ええと……どうぞ?」
返事をしながら、私は慌てて姿勢を正す。
王族らしい振る舞いって、どうすればいいんだろう。
今まで普通に暮らしていた筈なのに、前世の記憶が蘇った途端によく分からなくなってしまった。
背筋をピンと伸ばして、顎を上げてみる。
「……これで威厳ある感じかな?」
ドアが開き、老執事が入ってくる。私は内心ドキドキしながら、平静を装う。
執事服に身を包んだ初老の男性。白髪ではあるもののその身体は引き締まっており、年齢を感じさせない。
彼の名前はセルシル。自分ことエルミア姫に仕える執事であり、私のお世話係兼護衛役でもある人物だ。
因みに彼もエルフである。尖った長い耳がその証拠だ……。
「何か御用でしょうか?セルシル」
私が尋ねるとセルシルは少し困ったような顔を浮かべる。そして静かに口を開いた。
「姫様。貴女様は先日、目出度く成人になられましたが……」
彼はどこからかカバンを取り出し、それをそのままひっくり返す。
すると中から大量の手紙らしきものが床に雪崩のように、バサリバサリと舞い落ちていく。
それと共に麗しいエルフの男性が写った写真の数々がばら撒かれた。
「えっと……セルシル、これは?ファンレターかなんか?」
「姫様に縁談の申し出の書状と写真です」
その言葉に私は思わず目眩を覚えそうになる。
なんでまた急にこんな話が出てきたのだろうか?今までそんな話は一切なかった筈なのに。
「一体何が起こっているのですか?」
「……先日、国王陛下と謁見された時の事をお覚えですかな」
ああ……思い出した。
そういえばそうだったなと思い出すと同時に少し憂鬱になる私だった。