真昼間と言うには時は過ぎ、もうおやつを食べても良い頃合いの時間。秦景楓が庭に出ると、なんと一驚。どうしてかって、そこに簫司羽と、知らない男がいたのだ。
「確かに。では、失礼します」
「あぁ、ご苦労。頼んだぞ」
一言を交わすと、男は異様な脚力で跳ね上がり、壁の上に飛んで去って行った。
「え、忍者……?」
「秦景楓か。ま、護衛みたいなモノだ。李公公への言付けを頼んだだけだ、気にするな」
秦景楓の疑問を察した簫司羽は、サラリと皇帝様ムーブを見せて、手に持った籠を秦景楓の胸に押し付ける。
「桃を貰った。何か作れ」
「ぅえ? あ、すっごい。桃だぁ……どうしたのさ?」
「郊外から、弟が俺の体調を案じて皇都に戻ってきたようでな。その見舞いだ」
「へー! 司雲って弟いたんだぁ、ちょっと意外」
口にした小並感に、簫司羽がほんの少し心外そうに顔を顰めたが、秦景楓は気付かなかった。何故なら彼は、籠の中に入ったなんとも色艶の良い見た目だけでもジューシーで美味しそうな桃に釘付けになっていたから。
「流石、皇帝様の弟君はお見舞いの品の質と量が違うねぇ。なにつくろっかなぁ。折角だし、一つはそのまま剥いて食べようか! あ、そうだ。素連にも分けてあげようか。五つもあるんだから、お裾分けしないとねっ」
嬉しそうに笑いながら、一つを優しい力で掴み取る。
「そう言えば、弟くんって司雲のお見舞いに来たんだよね? 会ってあげなくていいの?」
「いい。話がややこしくなる」
この言いぶりだと、恐らく自分には分からない王家の事情だろう。そうは察したが、お節介を承知で一つ助言をした。
「あ、そうなんだ。それって、王族の事情? それなら僕も良く分からないけど……折角遠くからお見舞いに来てくれたんだから、少しは顔見せてあげたらいいんじゃないかな」
とは言え、秦景楓も家族の事すらよく分からないし、わざわざ遠くから心配して来てくれた弟に対する兄の正しい対応など一ミリも分からないが。道理と言うのはどこかで身に着けたのだ。
「ま、お前の知った事ではないだろう」
今回の事に関しては、簫司羽のこの言葉が答えだろう。
「そっか」
だから深入りはせず、ここで話を打ち止めた。
秦景楓は知っている、他人の家族事情については頼まれてもいないのに深入りしてはいけないという事を。自分は両親に付いてずかずかと尋ねられても、まぁ普通じゃないしなと割り切れるが、それでも詮索されるのは心地のいい事ではないのだ。まぁ、かと言って訊かれたから素直に答えた時に見せられる、「あ、ごめん……」と申し訳なさげに気を使われる空気感は、それはそれで嫌なのだが。じゃあどうしてほしいのかと言うと、それは難しい話だろう、だったら最初から触れないでほしいというのが本音になる。
自分がそう思うのなら、他人にもそうしてやるのが道理というモノだ。
「司雲、桃はどういうので食べたい? 桃のシロップ煮とか、あと桃パイとか!」
「お前のおすすめで」
「もー、それだと『何でもいい』と変わりないじゃんか! んー、どうしようかな」
考えながらも、まぁ無難にシロップに着けておくのがいいだろうと思う。結局それが一番美味しい、というのは秦景楓の好みなのだが。各地を転々と放浪していた子ども時代、いつだかに泊った家で振る舞われたこれが忘れられない程美味しかったのをよく覚えている。
「司雲は食べたことある? 桃のシロップ煮。僕、結構好きなんだよねぇ」
「あぁ、桃子糖水(とうしとうすい)か。あるにはあるぞ」
「へー! やっぱ良い桃使ったヤツなんだろうなぁ。ふふ、ちょっとそれ作ってみるよ。楽しみにしてて!」
足りない材料は、簫司羽の隙を見てスペースで交換しに行く事にしよう。折角見るからに質の良い桃を貰ったのだ、美味しく仕上げてやろうではないかと。
その時、密かにポイント履歴に十ポイントが加算されていたのだが、当然秦景楓がそれを知る由はない。無理も無いだろう。簫司羽の表情は相も変わらず無に近しく、あるとすれば少し人の悪いような一笑がたまに見れるくらいなのだから。実際、本人ですら、己の心に湧き立つ小さな余韻が何か分からず、自然と見て見ぬふりをしたくらいなのだから。
(だが、和念が皇都に戻って来たとはな……少々、面倒な事になりそうだ)
簫司羽は顔を上げ、風に煽られ飛ばされる木の葉を目に映した。
そんな予感はありつつも、まだ自分が手を出す段階ではないと考えていた。仕留めるなら、一発で尻尾の根を掴む――それが、確実に獲物を捕らえられる手法であろうから。
一方、嫌な予感のイの文字すら思い当たっていない秦景楓は、鼻歌交じりに冷蔵庫に桃をしまっていた。一つは次に素連が遊びに来た時に渡せるように分けておいて、残りは後でデザートを作るために取っておく。今からシロップに着けてもいいのだが、材料が足りない。水は勿論ここにあるが、氷砂糖とレモン汁の為のレモンがないのだ。
入手の為にはスペースに入る必要があるが、簫司羽とひとつ屋根の下で暮らしている以上迂闊にスペースに入る事も出来ない。彼がお風呂に入っている間が最も安全な時間の為、そこでまとめて仕入れと換算を行っているのだ。だから、今日もそのタイミングで足りない材料を仕入れて、明日にでも出してやろうと考えている。
さて、では今から秦景楓は何をするかと言うと、それはポイント稼ぎの為の商品を作る。
亭の構造を考え、設計図を書いたのはつい二日前の事。ついでに言えば、司雲があの皇帝様、簫司羽である事を知ったのも二日前だ。昨日は知った事実に困惑して日曜大工なんて出来る状態ではなかったから、心を落ち着かせる為に黙々と熊の木彫りを量産していた。鮭を咥えたよく見るモノから、熊同士が戦っているモノ、何を血迷ったか交尾している熊の木彫りまで作り、その四つをスペースに全部売った。なんとそれで千ポイントだ、素晴らしい収入だろう。
では、五千ポイントなんてとっくに到達してるのでは? 進捗報酬も入っているんだし……そう思ったそこの君は読みが甘い。彼の稼ぎは素晴らしいが、その分出費がかさんでいるのだ。
ご飯を作る為の食材費、庭造りの為の材料費、自分の生活回りを整える為の工事費、主に後半二つの出費が多いのなんのと。お前帰るつもりないだろと思われても無理はない。しかし、秦景楓だっていい暮らしをしたいのだ、当たり前だろう。
本題に戻そう。昨日は無心に木彫りを続けていた秦景楓だが、今日はひたすらに筆を動かして絵を描いていた。精神集中の為だ。司雲が簫司羽であった衝撃は、珍しく湧いた彼の動揺を長引かせていたのだ。
(おかしいな。いつもなら、こういう「衝撃的な事実!」も直ぐに受けいれられるのに。司雲のこの事は、一向に消化できない……っ)
何事においても、特段意識しなくとも深く考えずに「そう言う事もある」で思考の着地が出来ていた秦景楓は、初めての感覚に困惑していたのだろう。
(うぅ、どうしたんだよ僕。理解出来ない事は考えない、事実は事実として受け入れる、それが僕だろう。何をそんなにモヤモヤする必要があるんだ、司雲が簫司羽なのも納得の事じゃんね? 思えば、伏線だらけだったよ)
自分に言い聞かせるが、どうしてか残ったこの何とも形容できない感情。本当に、一体なんなんだろうかこれは。
「僕、分からないよ……」
珍しく吐き出されたのは、彼の弱音だったかもしれない。いや、それとは少し違う。何が何だか、もう分からない。半場ぼーっとしながら無意識的に書き記した絵は、四神の図だった。別にこれを書こうと思った訳ではないのだが、なんとなく頭の片隅に浮かんでいたのだろう。
秦景楓の目線に完成したそれが映り込むと、なんとなく頭のモヤが晴れるように思考がいつも通りに回り出す。
「あれ、結構うまくないこれ? 割と良いポイント入りそう……次なに描こっかなぁ」
両手で頬を突き、次を考える。精神集中の為に筆を執ったのだから、今は全意識を描く事に専念しよう。そう決めると、素直な彼の脳みそは気を取り直して目の前のお金稼ぎに集中しだしたのだ。