前回のあらすじ、司雲は簫司羽だった!
「マジ、かよ……!」
秦景楓は髪を撫でていた手を止め、部屋にはドライヤーの送風音がやけに大きく響く。お陰で彼の口から漏れたその驚愕する一言は、送風音に紛れてかき消された。しかし、目を丸くしている秦景楓のその表情は、しっかりと机の前面の壁にある鏡に映っている。
(てことは待って。え? 僕、本人を前に堂々と皇帝を呼び捨てにした? 何回も……? と言うかそれ以前に、僕の態度は皇帝相手にはあまりにも馴れ馴れし過ぎる!)
「す、すみません皇帝様! い、いやホント、呼び捨てにしたのとか、馴れ馴れしくしたのは悪意があった訳じゃなくてぇ……ほんと、知らなくて!」
一先ず、不敬罪で首を跳ねられる事だけは避けねばならなかった。慌てて言い訳を口にする秦景楓は、傍から見ても慌てていると伝わる程だ。
「はっ、そうだろうな。皇帝その者を前に、皇帝を盾にするような嘘を付ける者はそうそういない」
司雲は組んでいた腕を上げ、秦景楓の手首を掴む。以前の出来事から反射で身構えたが、そこに強い力は籠らなかった。寧ろ、その握り方は優しいと言えるだろう。それでこそ、配偶者に対するような。
「それで。どうだ? 旦那と対面して、どう思った」
表情はほとんどいつもの真顔に近しい。しかし、その言葉に威嚇のような意味合いは感じない為、純粋な疑問なのだろう。まぁ秦景楓は、そんな事よりも彼の口から発せられた「旦那」という言葉に驚愕してしまったのだが。
「だ、旦那!? あ、あぁー、そっかそっか。僕、妃か……そ、そうですね、噂通りの見目麗しゅうお方でございまして……一先ず、お目にかかれて光栄です」
これは、彼なりの対皇帝に相応しい態度だ。少なくとも敬語は必須になるだろう、相手は旦那とかそれ以前に皇帝様、用に目上だ。
そんな秦景楓のなけなしの敬意に、簫司羽は意地悪な笑みを浮かべて頬杖を突く。
「いいんだぞ、いつも通りの態度でも」
あまり見ないその表情に、秦景楓は彼がこの状況楽しんでいる事を察する。
(コイツ……っ、今の今まで気付かない僕を楽しんでたな……! 言ってくれたら直ぐに態度改めたのに、コイツぅ……!)
愉快犯を恨めしく思いながらも、脳を高速回転させてなんと言うべきかを考える。
「さ、流石に、不敬罪で首持っていかれたくないですかねぇー。アハハ……」
明らかに誤魔化す為の笑みを見せ、ドライヤーを置く。髪も良い感じに乾いたのだから、ここで止めても問題ないだろう。
「ま、好きにしろ」
「もうしばらく休暇を楽しませてもらうつもりだ。そのつもりでいろ、秦景楓」
どうやら、気まずく思っているのは秦景楓だけのようだ。そんな事を告げた簫司羽は、内なる愉快さを薄らと表に漏れださせ、明らかにどうしようかと思案している秦景楓を横目に映した。
同じ日の夜、秦景楓は新たな自室の寝台に横になり、天上を眺めていた。
(同居人は皇帝様! って、そういうラノベありそうだよなぁ)
そんな現実逃避染みた事を考え、寝返りをうつ。
まさか、落ちて来たイケメンが攻略対象その者とは、夢にも思っていなかった。いや、そりゃ顔が良いキャラがいれば大体メインキャラだろうし、そもそも、今思ってみれば「司雲」と言う名前が「簫司羽」と言う人が使う偽名だと少し考えたら分かっただろうとは思うが。同じ司るの文字を使い、羽から雲という空繋がりの単語に差し替えただけだ、そう思うと気付かなかった自分が馬鹿に思えてくる。
(なるほど。じゃあ、さっきの「進捗報酬」ってのはそう言う事か! 僕が司雲だと思って世話していたのが簫司羽だったから、それで好感度変動が入っていたんだ……! それで、任務外の男と仲良くしているのに、システムは何も突っ込んでこなかったのか)
考えてみれば、事は全て司雲が簫司羽であるというのを示していたのだ。思えば分かりやすい偽名も、素連の時は「女に現を抜かすな(要約)」とウザいクライアントのような事を言ってきたシステムが今回は何も言って来なかったのも、皇帝様は杏仁豆腐がお好きという噂がある中で司雲が杏仁豆腐を美味しそうに食べていたのも、全部そう言う事ではないか!
「逆になんで気付かなかったんだよぉ、僕……!」
分かりやすくそこにあったはずの伏線に気付いていなかったと分かった彼は、結構悔しそうな声を漏らして顔を覆った。
(これからどうしよ。なんか、気まずいよぉ……! 今まで通りのテンションで接していいのか? 相手は皇帝様ぞ!? 簫司羽にエンカウントしたらドラマの「秦景楓」の模写をすればいいと思ってたけど、初手すっごいフレンドリーに行っちゃったせいで、急にあれに切り替えたら違和感あるよ!)
(マジでこれからどうしよ。だけど、好感度上げるなら今やらないと。簫司羽が王宮に戻ったら滅多に会えない、それでこそ遠距離恋愛紛いの状況になるんだから。出来る限り攻略を進めないと……)
むくりと起き上がり、資料集を引っ張り出す。先程あまりにも司雲と同じ顔の簫司羽に気を取られて、詳細設定を見れていないのだ。
ぱらぱらとページをめくり、お目当ての項目を開く。原案状態の簫司羽のキャラクター紹介だ。
簫司羽 二十一歳 身長百七十八センチ
星月国の若き皇帝。無口で滅多に口を開く事は無い、見目麗しい青年。公の場に出る時は顔を隠している為、彼の素顔を知る者は王宮内でも多くはない。
・出生 産まれながらの皇子であり、将来の皇帝の地位を約束されていた。先帝である父は早くに暗殺され、大人になる時を待たず皇帝の座に就く事になる。当初は若いが故に役人に下に見られる事も少なくなかったが、父により培われた皇帝たる威厳と実力で、今も尚その地位に立つ。
と、これが大まかなキャラクター像だ。なんだか、考えるだけでも痛ましいおい立ちだ。
(相変わらず不憫な設定だよなぁ……普通の子どものように過ごせた事はないんだろうな。これで当て馬役なんだから、更に可哀想なもんだ)
紹介ページには、制作人のインタビューも乗っているようだ。このキャラはどういう意図で作ったとか、そういう裏話がコメントとして書かれているようだ。コメントを出しているのは「シナリオ担当 沈さん」という人のようだ。
「沈さんって、シナリオ担当さんだよな。沈雪さんだっけ……」
あの熱弁を懐かしくも感じながら、彼女の顔を思い浮かべコメントに目を通す。
ドラマ内では具体的な病名を出していませんが、彼は躁鬱病を患わっています。それ故に秦景楓に過度な執着を見せ、暴走したというシナリオになっています。もしかしたら、立ち回り次第では違った終わりもあったかもしれませんね。
(ん、なんかすっごい不穏な事言ってない? 過度な執着で暴走した、って、それがこのドラマの終わり方なの!?)
「ちょ、ちょっと待って。台本、台本……」
秦景楓は勢いづけて起き上がり、引き出しから台本達を出す。順番通りに半分は小説を読むような感覚で読んでいた台本達。そこにはワンクール分の台本しかなく、試しに手に取った一期の最終話の台本では、続きを匂わせるようなそんな終わり方をしていた。
台本の最後にほぼ最低限の情報量で示されたラストシーンは、顧軒と秦景楓が更に親睦を深め、仲良く戯れている様子だ。しかしそこでカットが変わり、執務室で一人筆を動かす簫司羽が、窓の外を見て意味深に目を細める描写でエンディングが入ると記されている。これをみれば分かるだろう、ドラマは、ここで完結しないのだ。
(このドラマ、何期まであるんだ! ちょ、くれるなら完結までの台本をくれよ! どうしてワンクール分しかないんだよっ!)
新たに与えられた聞き捨てならない情報に、秦景楓は半場慌てだす。
だって、簫司羽暴走エンドが本当なら、加えてもしその暴走の果てに怒った事が死だとしたら、もうそれはバッドエンドではないか? ハッキリ言おう、それはバッドエンドだ! 物語に生死の分岐点があるのなら、安易な恋愛ゲームと同じ感覚で攻略を進められない。
そもそも彼は、この任務を割とお気軽に捉えていた。現実世界の自分は植物人間状態であるという事を忘れた訳ではないが、なんやかんやここでの生活も楽しめているし、攻略こそ進んでいないモノの現状は順調だと思っていた。しかし、本軸のシナリオがバッドエンドだとしたら、話は百八十度変わってくる。
その時、秦景楓はほとんど反射で動いていた。己の胸に下がった首飾りを掴み、勢いのままスペースに入る。
「システム! おいシステム、今すぐ出てこい!」
荒々しい呼びかけに答えが返って来たのは、それから直ぐの事だ。