目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

【第十一章】油断大敵

 現在、秦景楓は相も変わらず冷宮で築いた己の生活を満喫していた。彼の朝ルーティーンは決まっているようで、まずもやしの水替えを行い、収穫出来る頃合いになったら収穫し新しく育て直す。よって週に一回は通称「もやしデー」があるのだ。そうして次は鶏共の世話、やる事は主に、鶏舎の掃除だったり餌と水の補充と交換、鶏共とヒヨコの健康状態の確認等々だ。

 現在秦景楓は、そんな鶏達の世話をしていた。そんな様子を、司雲は手伝う訳でもなんでもなく、鶏舎の外から腕を組んで眺めている。

「コケッ! コケー!」

「わーったって! 今ご飯あげるから、すこし大人しくしてろって! あっ、コラ脚突くな! ちょ、なにその気迫、もしかしてこの前卵とったのバレた……?」

「ケーッ!!」

 鶏舎が揺れるのではないかと思う程、中からドタバタが伝わってくるかのようだ。鶏のけたたましい声が早朝の冷宮に響き渡ると同時に、

「わっ! やっぱりぃ!? ちょ、司雲! 司雲ヘルプ! この鶏めちゃ襲ってくる!」

 鶏舎の中から助けを求める声が聞こえた。助けを求めてきている。断る理由もないはずだが、朝から汚れたくないからパスする事にした。

「お前は、怪我人に怪我をさせるつもりか?」

 中で鶏と戦っている秦景楓からも、そんな意地の悪い返答をした司雲がどのような表情をしていたかが伝わった事だろう。

「意地悪ーっ! どうせ怪我もうほとんど直ってんでしょ、おっそろしいよ司雲の回復能力! ちょ、まってそこ突かないでってばぁ! ちょ、いってぇマジで! そこはあっぶないだろおい! 僕のタマキン潰すつもりか!」

 どうやら、卵を奪われた恨みは大きいようだ。卵を奪われたとかけてタマキン……とかそういうオヤジギャグではなくてだ。

 しかし、その鶏は随分と人間の雄の急所を理解しているようだ。まるで秦景楓の話している事も理解しているかのような振る舞い、案外鶏も知能が高いのかもしれない。なんて、流石にそうなったら助けてやらなければいけないだろう。男しか分からないその痛み、ソコを打撃されるのは、同じ「男」として心底避けたい事態だから。

 司雲は鶏舎の扉を開ける。すると、そこには襲ってきた雄鶏に驚いて転げたのか、鶏舎の床で尻餅をついている秦景楓が、その足元で色々な所を突いて攻撃している雌鶏に正しく少しズレたら急所となる辺りを突かれそうになっている光景があった。

「鶏。今日の夕飯にされたいか?」

 たった一言、司雲がそう言い放った時、鶏達は今までの騒がしさが嘘かのように静まり返り、一羽に関してはまるで媚びでも売るかのように「コケェ」と猫なで声を出した。鶏の声帯からこんな声が出るモノか、ツッコミどころは色々あったが、一先ず秦景楓のタマは無事のようだ。

「わ、すっご。鶴の一声だ……相手鶏なのに……」

「おい、助けてもらって第一声それか?」

「ごめんなさいー! ありがとうございます司雲の兄貴っ!」

 訝し気な顔をされ、コロッと手を揉みだす。

「まぁ、良いとしよう」

 半分は良しと思ってなさそうだが、許容してくれたようだ。

 まぁ予期せぬトラブルは起こってしまったが、鶏の世話は無事終了だ。鳥頭というくらいだ、卵の恨みは明日には忘れているだろう。まぁ本当に鳥頭ならどうして昨日卵をとった事がバレたのかという話になるのだが、そこは生命の神秘という事にしておこうか。世の中には触れなくていいモノというのも存在する訳だし。

「ちぇー、いつもバレずに済んでたのになぁ。あんなに攻撃されたのは初めてだよ、今度からはもっと念入りに気配消さないとねぇ。まさか昨日のがバレていたとは思ってなかったよ、朝から疲れたぁ」

 ぐぐぐっと背伸びをする秦景楓に、司雲は一笑を浮かべる。

「はっ、ご苦労だな」

「あー、まぁたそんな上から目線するぅ。これは君のご飯の為でもあるんだぞ!」

 秦景楓は、プンスコと冗談半分に怒りの擬音を浮かべる。まぁ、実際怒ってる訳ではないが。

「あ、そうだ。今日は畑見た後に亭のデザイン考えるつもりなんだけど、司雲も一緒にやる?」

 いつも作業中は構ってやれず、心なしか暇そうにしている司雲。たまには良いだろうと思い誘ってみると、彼は一考してから小さく笑って答える。

「いいだろう。一緒に考えてやる」

「どうして上から目線なんだろ……ま、いいや。じゃあ後でよろしくね」

 川を挟んだ先にある畑まで行き、いつも通りの手入れを行う。

「お、なんか今日葉っぱの色艶よくない? 何か良い事あったのかなぁ」

 話しかけているのか微妙なラインの独り言を口にする彼に、司雲は意味もなく気配を消して近寄り、何を言う訳でもなく彼を眺めだす。

「葉物達はあと一週間もあれば収穫できるかなぁ。ふふっ、雑草の編み物であれだけ稼げるんだから、結構いいポイントになりそう」

 ほこほこと笑う秦景楓は、司雲からしてみれば考えられない程に油断して隙だらけだ。きっと、今真横に人が立っている事にすら気付いていないのだろう。

 一つ試して見たくなって、司雲は不意をつくように声をかける。

「自分で食べないのか?」

「まーねぇ。食材は比較的安く手に入るし、だったら換金した方がいいかなって。順調に行けば食べきれない量が出来るしね。まぁ折角育てたんだし、ちょっとくらい食べてもいいけどさ」

 案の定、彼は口からスルッと言ってはいけないであろう事を口走った。今の発言を要約すれば、つまり物資の入手で金銭のやり取りをしているという事になるが、そもそも冷宮の妃は取引の出来るようなお金は持っていないはずだろう。

 そう、以前の物資についての問いかけの答えと相反する事になる。

「ほう……」

 意味ありげに目を細める司雲。秦景楓は少しの間を開けてから、独り言のつもりで発した言葉が一人出は無かったことに気が付いたようだ。

 秦景楓は、しゃがんだまま顔を司雲の方向にずらし、そして明らかにヤベっとでも思っていそうな表情になる。

「あっ……! し、司雲さん、今の忘れて欲しいなーって思ったり! ね?」

 手を顔の前で立て、こてんと首を傾げて見上げてくる。そんな彼の今の内心はこうだ。

(やっべ、完全にいつもの一人会話のつもりで喋ってた……! まずいまずい、昨日物資の出どころに付いて怪しまれたばっかなのに!)

 見ての通り、とてつもなく焦っている。

 それもそうだろう、冷宮ではあり得ない潤沢な物資について訝しげに問われたのはつい昨日の事。ここで物資の出どころについて言及するような内容を堂々と口にしたのだ。昨日も、上手い事誤魔化せたというよりかは、優しさでそう言う事にしてくれたという面が大きいだろうが。

 長年の一人暮らしはこういう所で良くない。大前提として一人であるというのが馴染み過ぎていて、聞こえる言葉も基本自分の独り言だと脳が勝手に処理してしまうようだ。

 固まっていると、司雲が訪ねてくる。

「忘れてほしいか?」

「うん、とっても!」

 食い気味に頷くと、いつもの悪い顔で一笑される。

「昨日の杏仁豆腐、また献上するといい。それで不問にしてやる」

 その言葉に、秦景楓は一瞬だけローディングが入る。しかし、直ぐに理解した。

 昨日、素連のアドバイスでもしかしたらと思い作った杏仁豆腐。反応は見るからに良かったが、どうやら本当にお気に召していたようだ。無表情の男があれだけ頬を緩めていればそれはそうだろう。

「うん! そんなんでいいなら勿論作るよ!」

 秦景楓は嬉々としてそれを受け入れ、また材料仕入れないなぁと、今度こそは声に出さないように呟く。

 しかし、昨日の司雲はどうしていきなり疑ってきたのだろうか。確かに秦景楓は怪しいだろう、ある訳もない物資を潤沢に持っており、用意していたかのような看病の為の道具が揃っていた。これではまるで、司雲が死ぬかけている状態で落ちてくる事を見通していたかのようではないか。そりゃ怪しさ満点五万点だ。疑いたくもなるだろう。しかし不思議なのが、一週間という疑うには多少眺めの間を開けてからのあの問いである事と、どう訊いたって疑わしい答えなのに「そう言う事」にしておいてくれた事だ。

 問うてきた司雲は、まるで警戒心の強い野良犬のようであった。自分に害を成すようであれば今すぐかみ殺すと言わんばかりの気迫だったのに、ギリギリの嘘を信じたとも思えないだろう。実際、そう言う事にしておいてやるというのは、実質的なお前の答えは信じていない宣言だ。

(ほんと、司雲の考えている事が分からない……この手のタイプの人間はあんまいなかったからなぁ)

 秦景楓は数多くの大人と関わって来た、様々な職を転々とするように食いついないで来たから必然だろう。その中で司雲のように無表情な人間もいたにはいたが、関わりはそんなになかった。何せ、仕事仲間は必要最低限の会話しかしない、正にビジネスの付き合いだ。加えて、ある一定の歳からはパソコンでメールやチャットでのやり取りが主なものだから、相手が無表情だろうと文字に起こせば関係ないだろう。

 それに、司雲は仕事仲間としてかかわっている訳ではない、どちらかと言えば友達だ。

(まぁ、司雲が僕の事をどう思ってくれているかは分からないけど。まさか「僕達って友達だよね?」とか訊きたくないし、メンヘラ予備軍だと思われちゃう)

 適度に水をやりながら、横目で彼を見遣る。相変わらず、繊細な作りをした顔立ちだ。あまり表情が動かないのもあり、本当に腕利きの職人に作られた人形かのようだ。

(このイケメンが杏仁豆腐好きって、すっごいギャップだよなぁ)

(そういえば、簫司羽も杏仁豆腐が好きって噂があるって、素連が言ってたよな……ハッ! これは、まさか……!)

「司雲って、簫司羽の親戚だったりしない!?」

 突如振り向き、意気揚々とそんな事を尋ねる。とんでもなくギリギリ的外れな、そこまで言ったらもう中心を射抜いて欲しかったレベルの推測に、司雲は微かに吹き出すように笑って首を傾げた。

「さぁな?」

「えー、いい推理だと思ったんだけどなぁ。なんか、っぽいじゃんね。そうそう、簫司羽って杏仁豆腐が好きって噂があるみたいなんだよ? 知ってる?」

 一通りの作業を終え、手の砂を払いながら立ち上がる。そうして視界に移した司雲は、なぜだか心底心外そうに眉をひそめている。

「なんだその噂は……」

「さぁ? 素連に簫司羽の事聞いたら、そういう話があるって教えてくれたの」

 確かに、噂の出どころはよく分からないだろう。それは秦景楓が知る訳も無いが。

「ほう……」

 考えるような仕草を見せる司雲に、秦景楓は首を傾げる。丁度その時、

「こんにちは、秦景楓さん。司雲さん」

 男院の庭先に、正しく杏仁豆腐の噂を教えてくれた素連が顔を出した。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?