目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

【第十章】僕等の「設定」

 しかし、設定資料集を貰えたのは中々にデカい。どうして原案の状態の物なのかは知らないが。どうせなら完成版のしっかりした奴が欲しかった、なんて。別にそこはあまり関係はないのだが。

 試しに軽くめくってみると、星月国の暮らしや文化のあれやこれや等が割と詳しく設定が書かれており、こぼれ話集みたいなのもミニコーナーで掲載されている。残念ながらカラーではないのだが、どうやら完成版ではしっかりとカラー表示になるようで、所々にカラーコードの指定がされている。

「あ、登場人物紹介! これは、簫司羽の情報もあるんじゃないか!」

 目に飛び込んで来た文字に、秦景楓は嬉々として目を光らせる。と、その前に見えたのは、秦景楓の紹介ページだ。

「あ、僕だ。いや、正確に言えば僕じゃないんだけど……」

 別にここは見る必要はないのだが、なんとなく気になって目を通す。


 秦景楓 二十三歳 身長百六十九センチ

 素直で心優しい青年。平和を望み、争いを嫌う。多種多様な才能を持っており、武芸共に星月国内でも上位を荒そうレベルである。

・出生 星月国の特に温かい地域である「白夜地域」の出身。地元ではごく一般的な農家の息子として産まれた。姉の付き合いで幼少期から舞と音を学び、兄の指導で剣を学ぶ。十代になってからは、父母の手伝いをする傍ら古琴を始めとした楽器と己の声で音を奏でていた。ある時、父の商売の為、帝都に訪れた際、大道芸に混じって武芸の披露をした所、王宮の役人に目を付けられ男妃として推薦される。


「白夜地域……初めて聞いた。そんなのあるんだ。あ、そう言えば、最初の方のページに国の概要書いてあったな。それも確認しておいて……って、違う違う! 先に杏仁豆腐作らないと。まだ柵作りも途中だし。それじゃあ、スペース。また今夜も売りに来るから、よろしくねっ!」

 相変わらずよくいるかどうかも分からないスペースに挨拶をして、入手品を手にスペースを去る。繋げた先は台所だ、まずは杏仁豆腐を冷やす過程までここで終わらせてしまおう。

 杏仁豆腐を作るのは案外簡単だ。とてつもなく簡単に言ってしまえば、材料を混ぜて冷やせばいいのだから。まぁ、間で一回温めるターン等工程は様々に挟まるが、そんなのは電子レンジに突っ込めば済む話だったり、難しい話ではない。

 秦景楓は、記憶の中にあるレシピを頭の中で手繰り寄せながら、杏仁豆腐を作り始める。温め待ちの時間はどうしても数分を食ってしまうが、それ以外は手際よくちゃちゃっと済ませ、温めたり冷やしたりしたそれを冷蔵庫にぶち込む。これで夕飯の頃には丁度いい具合になっているだろう。

「よっし、杏仁豆腐はこれで良しっと。柵の続きやろっかなぁ、あっちも丁度よく乾いた所だろうし」

 手を拭い、扉から回廊へと出る。そうして彼は作業の続きへと戻ったのだ。

 作業をしていると、鶏舎から鶏共が覗いてきているような視線を感じる。あれは餌の催促だが、答えてはいけない。なぜなら餌は十分にやっているからだ。

「お前等朝にたっぷりあげたでしょー! そんなに餌ばっか食べるとね、鶏肉にして食べちゃうんだからねー」

 なんて、冗談半分にそう言い聞かせて見ると、鶏は「コケッ」と驚いたような声を上げて鶏舎の奥に引っ込んでいく。

 もしかすたら、秦景楓の言った事の意味が分かったのかもしれない。いや、恐らく偶然だろうが。どちらにせよ、まるで食べられることを恐れたかのように引っ込んだ鶏に笑いを吹き出しながらも、秦景楓は作業の手を進めていく。

 着々と出来上がっていく庭、きっとほとんどの人間がここを冷宮だとは思わないのだろう。秦景楓が来てから、この冷宮は大きく変わった。

「秦景楓」

 支柱をぶっ刺している途中、いつの間にか外に来ていたのか、直ぐ横で司雲が彼の名を呼ぶ。

「ん? どうしたの、司雲」

「お前は、何になりたいんだ」

 首を傾げた秦景楓に、司雲は表情一つ変えずに訪ねて来た。

「何になりたいか、ねぇ……その質問は、難しいね」

 その問いに対して、秦景楓は不思議に思う事は無かった。

(まぁ、庭造りは妃のする事じゃないしねぇ。僕、腐っても「男妃」な訳だし、妃なのにどうしてこんな事をしているのか訊きたいんだろう。流石に、らしくなさすぎたかな)

 秦景楓の生きていた現代では、「○○だから○○らしく」と言った類の言葉はもうほとんどタブー視されていた、これは所謂多様性の尊重というモノだろう。しかし人間、どうしたって括りによって一定の「お決まり」はあるにはあるようになっていて、凡そはそれに沿うような人間が大多数だ。故に、そう言った言葉が産まれるのだから。そして例のごとく、妃には「妃」という括りの、実例によって構築されたイメージが存在する。

 きっとそういう事だろうと、秦景楓はそう解釈をしていた。そうして彼は手の砂を払い、司雲に顔を向ける。

「僕は、僕でありたいかな。土仕事も庭造りも、妃のする事じゃないんだろうけどね。これは、僕が死体からしている事だよ。まぁ、どうせ一度冷宮に入れられたら、後宮に戻ってまともな『お妃様』出来るとは思えないしね。妃らしくなくたって問題はないよ、多分ね」

 これは、逃げの回答でもあった。しかし司雲が訝し気に思っているのであろう事に対しては、自分の意見を告げられただろうと思っている。

「そうか」

 司雲が口にした返答は、特段なにか思っているようなモノではなかった。

「ではお前には、皇帝のモノになる気はない、と?」

 表情を変えないまま、告げられたもう一つの問い。何かを見据えるような目に映され、ほんの一瞬秦景楓は本能的に身を竦めそうになってしまう。しかし、牽制されるような空気も次の瞬間には散って来て、気のせいであったのだろうと思えた。

 ここで否と答えるのも違うだろう。だって、任務内容的には皇帝、簫司羽を攻略しなければならないのだから。これは所謂、恋仲になれという事だろう? それなら、この問いへの返答は必然とノーになる。

 しかし、本当にそれでいいのか? 安直に「僕はまだ皇帝を諦めてはいない」と答えていいのだろうか。どうしてか、そんな不安を抱える。

「そう、だな……可能性がまだあるなら、とは思うけどね。まずは、簫司羽の顔を知らないと。僕、一応妃ではあるけど皇帝がどんな人かもあんまり知らないから」

 ほんのりと苦みを含んだ微笑を浮かべ、答えを出す。

 その答えに、司雲は――簫司羽が何を思ったのか、それを知る者は愚か、彼本人ですら分かっていなかっただろう。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?