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【第十章】それは、「疑念」

 司雲が落ちて来てからあっという間に一週間が経ち、すっかり司雲がいる事の馴染んだ冷宮の朝だ。司雲自身もここで寝泊まりするのに慣れてくれたのか、寝台の上で寝息を立てる彼の様子は、初日と比べて大分穏やかになっていた。

(まぁ、あの時は怪我が酷かったってのもあるけどね……だけど、凄い回復が早いよなぁ。昼間とか、僕の見ていない間に庭歩き回ったりしているみたいだし)

(やっぱり、綺麗な顔……)

 朝のやる事を一通り終えた秦景楓は、休憩がてら思わず惚れ惚れしてしまう顔立ちを眺めていた。どれ程見ていたって飽きない芸術品さながらの美しさ、恐らく天帝とやらは彼の顏の造形に余程力を入れたのだろう。

(肌、きめ細やかですべすべそう……触ってみたい……)

 美術館の展示品に触れる事は出来ないが、彼は展示品ではない。ちょっとくらい触れたって大丈夫だろう。

 魔が差した秦景楓は、彼の頬にそっと手を伸ばす。その瞬間、

「っ――!」

 目にも止まらぬ勢いで手首を掴まれ、瞬時に力が籠められる。秦景楓は、一瞬にして走ったその痛みに声にならない唸り声を漏らし、顔を顰める。

 その後、司雲はハッキリと目を開け、上半身を起こす。しかし、それでも尚彼の力が弱まることは無い。寧ろ、相手が秦景楓だと認識して猶更に力を籠めだした。

「俺の質問に、素直に答えろ。さもなくば、命はないと思え」

 急な脅迫染みた言葉に、秦景楓は久方ぶりに心臓がヒュッとなる感覚を覚えた。

「一つ。冷宮に、何故ここまでの資源がある」

 冷たい声の問いかけに、鼓動が更なるリズムを刻み始める。それはもう、ダンスパーティーでもしているのかと錯覚するほどに。

(まぁそうだよなぁ! 素連は何も言わずにいてくれてたけど、フッツーにおかしいよなぁこれ! 冷宮マジで何もないもん!)

(だけど、え? まさか「皇帝様を攻略するって任務があって、スペースっていう便利機能でもう色々出来ちゃうんだよ!」って。言えるかーっ! 頭狂ったんかって思われるよ!)

 顔にこそ出ていないが、心の中では大層な冷や汗をかく秦景楓。さて、この難題どう答えたモノかと。しかし、一ついい言い訳があるのではないか! そう、こういう時の――原作のみで登場、顧軒だ。

「実はね、後宮に友達がいて。その人に秘密裏だけど、色々貰ってるんだ。食料とか、諸々用意して分けてくれるんだ!」

「ほう……後宮の妃にそのような余裕はないと思うがな」

 どうしよう。秦景楓の想いはその一心だった。

 素連は何も突っ込まなかったが、司雲の言う事は物凄くごもっともだ。一般的に妃は、自由かと言われるとそうではなく、基本は王宮側から支給されるモノで暮らす。衣服、食事、装飾品、それら全てをだ。とは言え、その支給品は庶民からすれば目が飛び出る程高級な物が揃い、多くの場合は好みにも配慮してくれるのだが。まぁ、場合は地位やその他諸々で様々であろう。しかし、それらを総じて妃の状況を最も分かりやすく例えるなら、妃は「籠の中の鳥」若しくは「飼われた家猫」となってしまう。これはシナリオでもなんとなく示唆されていた設定だ。

 何にせよだ、どの場合でも自由に物資を手に入れられる訳ではない。少なくとも、普通にしている限り易々と友人に分け与える事は出来ないだろう。川に釣りを行ったり、御付もなしに下町の商店街に赴き食べ歩きをしたり、それらの行為で手に入れた物資を冷宮の友人に分け与えたりなんて事は無理だ。

 シナリオ上、顧軒は持ち前の運動神経と外面の愛想の良さ、自頭の良さ等々を駆使してそれ等をしていたようだが、これは特例だ。

 不味いと必死に思考を回す、その間約一秒。秦景楓は頭に浮かんだ嘘を平然とした笑顔で答える。

「実はそいつ、表で情報は回ってないけど、結構皇帝様に気に入られているみたいでさ! 融通きくみたいなんだよね。凄いよねぇ。まぁ本人談だから嘘かもしれないけど、実際物持ってこれるのは事実だし、何かしらあるんだとは思うよ」

 素人目で見た時、それは嘘をついている者の様子には全く見えなかっただろう。しかし、勿論嘘だ。顧軒は己の力だけでどうにかしていた。しかし、噓も方便と言うだろう。この世界にそんな言葉があるかは知らないが、あるという事にして。

 司雲はしばし口を紡ぎ、審議の時間が流れる。彼が何を考えているのか、それは秦景楓には分からない。苦しめの言い訳であった事は自負しているが、行けそうな気もしていた。だって、本人談という事にしておけば、真偽は秦景楓の知ったこっちゃないのだ!

 相手が皇帝その者である事を知らず、絶対にバレる嘘をついてしまった秦景楓。しかし――

「分かった」

 それを赦され、手を解放される。

(あ、行けた!)

 秦景楓は思わずパッと表情を明るくして喜んだ。

 そんな彼に、司雲はハッと一笑を浮かべたが、それも一瞬の事。

「そういう事にしておいてやる」

 そう、ほんのりと不穏な言い草で答えて、寝台から起き上がった。ヒヤッとしてしまったが、まぁそういう事にしてくれるなら良いだろう。

「秦景楓。食事を用意しろ、俺は腹が減った」

「あ、うん! 分かったよ。じゃあ、用意するから待っていてね」

 そろそろ朝食にするには良い時間だろう。秦景楓は台所に向かい、スペースとかいう摩訶不思議な所から仕入れた疑惑の食材達で料理を手掛けた。

 ご飯を食べ終わると、秦景楓は庭造りの作業に向かう。ここ最近は司雲の看病であまり手を付けられていなかったが、作業的には順調な進捗だ。植物は一通り植え終わり、庭の雰囲気も最初と比べたら見違える程に大分良くなった。植えてからは大体四週間が経っている畑の三兄弟も、中々に立派な成長を見せている。今朝の手入れで大根の間引きも行ったから、その分は少しスッキリとした印象になっているが、茂る緑の集団が庭に良い印象を与えている。

 まだ収穫はしていないが、これだけでもそれなりに満足感のある光景だ。収穫が楽しみになりつつ、今度は鶏の世話だ。相変わらず元気な彼等の為にえさの補充や小屋の点検の後、秦景楓は今日の作業の為の準備を始める。

 今日は何をするかって? 橋と柵を作るのだ。

(若干順序間違えたような気もするけどねぇ……多分、こっちが先だったよな)

 例の如くスペースで仕入れた木材を担ぎ、庭のブルーシートを敷いた作業場に置く。のこぎりとかやすり等の道具もバッチシ、作業中に飲むための水分も傍らに置き、作業の為の準備も完璧だ。

「レッツ日曜大工~、ってね」

 秦景楓は昨晩書いた設計図を手に早速作業に取り掛かった。と言えど、彼は大工では無い為、この設計図は素人がなんか適当にそれっぽく書いたモノなのだが。

 早速ギコギコやっている秦景楓。その音に釣られたのか、回廊に司雲が姿を見せ、近くでその様子を観察しだす。

 何がそんなに興味深いのかは分からないが、見ていて楽しいのかもしれない。

「司雲、見てるのは良いけど、危ないから少し気を付けてねー」

「分かってる」

 子ども相手のような口ぶりで注意されたせいか、司雲は若干不服そうに顔を顰め、回廊に腰を下ろした。立てた膝に頬杖を突き、何をする訳でもなく秦景楓の作業光景を眺めていた。

 秦景楓は、まずは橋の基礎となる支柱の為、木材を加工していた。丁度いい長さに切り、腐らないように防腐剤や防水の塗料を塗る。乾かして出来た支柱に、ちょっとしたデザインも入れてみたりもした。しかしこれは控えめに、庭の落ち着いた雰囲気に合わさるようにする。そうして出来たそれらを目的の川岸まで運び、地面に深くぶっさす。ここはしっかりとしていないとお話にならない、グリグリと深い所まで沈ませ、ちょとやそっとの衝撃では横にならないようになったのを確認する。

 その後、その周りに川の淵に並べた物の余り岩を使ってしっかりと固定する。それを四本分行い、支柱の完成だ。これに合わせて、川を挟んだ対称の位置にある支柱の間に、太い角材を行き渡らせる。勿論左右どちらにもそれを作り、支柱に固定しこれを足場を作る為の基盤とする。そこに板を並べ、ここもまたしっかりと固定をして、同時進行で手すりになる部分も作っていき、大体完成だ。これらの説明は大分簡略したが、凡そこのような工程で橋が出来上がった。時間にしては大体二時間ほどだろう、まだ朝と呼べる時間だ。

「どう司雲? 結構良い感じじゃないかな! しっかり渡れるよ」

 遠巻きで眺めていた司雲に、実演してみせるように橋を渡る。カンカンと軽やかな足音がなり、小島に佇む木の下で、振り向きながら微笑んだ。その瞬間、吹いたそよ風が彼の結ばれた髪を揺らし、木の葉の揺らめく音が場を澄ます。

「あぁ。良いんじゃないか」

 司雲の返答は適当に思えたが、その表情は比較的穏やかだった。少なくとも、そこに今朝のような警戒心しかないような気迫はないだろう。

(やっぱり、そこまで機嫌悪そうには見えないんだよなぁ。朝のあれは、寝惚けてたとかなのかな。触られそうだったら怒ったって訳じゃなさそうだし……)

 密かに首を傾げた秦景楓。司雲は同じ橋を渡り、木の下まで歩んでくる。

「物資の出どころは、これ以上聞かないでおいてやる。今は素直に、お前の実力を認めてやろう」

 目の前に立った司雲が、よく見ないと気付けない程にほのかな笑みを口元に浮かべて、手を差し伸べる。それがどういう意味だったか、秦景楓は知らないし、分からなかった。しかし、そうされたらやる事は一つ、答えるのが礼儀だろう。

 秦景楓は、彼の手を取り握手を交わす。

 そんな光景を、女院かと男院を繋ぐ門から顔を出した素連が目撃し、驚愕から開いた口を手で覆い隠している。

「あの皇帝様が……手を……! 李公公様以外に……!」

(なんという事! まさか、皇帝様が他人に気を許すなんて)

 驚きの余り、声をかけるのも忘れて立ち尽くす。そんな素連が視界に入り、秦景楓はあっと声を上げて手を振る。

「素連ー! そんな所立ってないで、こっちおいでー」

「あっ、はい!」

 呼ばれて、ほとんど反射で返事をして、秦景楓の下へ駆け寄る。

「こんにちは、秦景楓さん。それに、司雲さんも」

「こんにちは、素連」

「あぁ」

 愛想よく笑顔で返した秦景楓とは対照的に、司雲は不愛想な無表情のまま腕を組んで頷く。

「もう、司雲。女の子相手なんだから、笑顔見せないと。怖がられちゃうよー」

「問題ない」

 優しく注意され、不服そうにふいっと顔を逸らす。

「随分と仲良くなられたのですね。なによりです」

 素連はそんな彼に思わず微笑みを零し、彼等を見遣る。

「やっぱり? 僕的にも、少し距離縮められたかなって思ってるんだぁ」

(まぁ、今朝あんな不審がられたんだけど……)

 なんて、心の中でぼそりと呟きながらも、秦景楓は嬉しそうに笑う。


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