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【第九章】茶番の「宴」

 これは、つい先日の事だ。淳貴妃は、とある御仁に呼ばれ王宮の影に密かに鎮座する院に顔を出した。警備にあたる者達は、見知った顔に警戒する事無く中に通し、彼女を重い扉の向こうに招く。その先には、かつて皇帝であった簫允に五割程にた顔つきの、美形ながらもどこか悪役相応の雰囲気を纏った男が――紛れもない、淳貴妃と呼ばれる彼女の養父、簫凌がそこにはいた。

 無に近しい状態の彼の表情は、それだけだというのに圧を感じ、固唾を飲む。幼い頃より刷り込まれた上下関係は、大人になれど無くなるモノではなく、寧ろ大人になってから効力を発揮するモノと言えるだろう。

「義父様、ただいま参りましたわ」

「あぁ。一先ず、座るがいい」

 一声、勇気を出して発すると、簫凌はどこか不穏さを感じる笑みを浮かべ、己の座る席の向かい側の椅子を手で示す。

 彼が座れと言う事は、きっと軽い世間話とか「久しぶりに娘の顔が見たくて!」とかの、可愛らしい親心ではない。

 己の胸の鼓動が痛い。淳貴妃は、そっと示された椅子に腰を下ろす。

「それで、ご用とは一体何でしょうか……」

「何、そう緊張するでない。何も取って食おうという訳ではあるまい……淳よ。どうやら、我が犬甥と上手く行ってないようではないか。まぁ無理もない。アレは威嚇ばかしの無駄に警戒心の強い犬だ、余程上腕の調教師でも呼ばぬ限り忠犬にはならぬであろうな」

 簫凌の浮かべる表情は、表面こそ穏やかで、まるで気苦労の多い娘を冗談交じりに励ましているかのような雰囲気を持たせていた。しかし、これはそんな生易しいモノではない。彼をよく知らぬ者から見れば、それを好意と捉えるかもしれない。だが、それはとんだ間違いだ。

「はい。努力はしています。嫌われてしまっているのは、自覚していますわ」

 膝の上に乗せた手に力が籠る。

 悔しさ、端的に言えばそれだろう。しかし、これは一概の言葉でパっと表せるほど簡単な感情ではない。養父の野望の為、己の果たすべき任務がこれっぽっちも果たせていないのだから。それだけではない、彼女には――いや、これを言うのも野暮であろう。

 簫凌は、そんな彼女の心もお見通しだった。腐っても、彼は多くの大人の欲に曝される、王族の一人なのだから。一人の人間の考えを読む事など、容易かったのだ。

「であるから、私は考えた。我が養娘と犬甥の距離が縮まる戦略をな」

 そう口にした彼が、悪い男の顔をしていたのは、きっと言うまでもないだろう。

「今夜、お前と犬甥で宴をするとよい。庭に東屋があったな、そこで小さな宴会を開こう。何、そう大きい物ではない。ごく普通に、食事をするだけで良いのだ。夫婦が食卓を共にするのは、ごく普通の事であろう」

「さすれば、刺客に犬甥を狩らせる。お前の親衛隊から、身のこなしが良い者を選び、『刺客役』とするのだ。しかし、本気で狩らせる事はせず、役として彼奴に襲い掛かるフリをしてもらうのだ。そうした時、お前が犬甥を助けるのだ。手法は問わぬ、庇おうと変わりに刃を食らうフリでもなんでも良い。そうしてお前が、身を挺して守ろうとすれば、流石の奴も少しは警戒を緩める」

 作戦の内容を要約すれば、とっても単純な話だ。簫司羽を宴に誘い、二人だけの小さな宴として庭で食事をする。その時、予め用意していた刺客役が簫司羽を襲い、それを淳貴妃が助ける! そうする事で、簫司羽の警戒心も揺らぎ、二人の関係は深まる……そんな、今時小学生でも書けそうな単純なシナリオだ。

「常に威嚇をしている犬甥にどれ程効果があるかは分からんがな。結局、単純なのが最も効果があるモノであろう」

「なぁ、私の可愛い義娘よ。其方の任務、果たしてくれるであろう?」

 頬杖を突き、ゆったりと目を細める簫凌。その表情は優しく、そして、どこまでも深い闇を孕んでいた。それは、言うなれば「深淵」だ。

「勿論、拒否はいたしませんわ」

 淳貴妃は、彼に便乗しその美しい顔を悪く歪ませた。すっかり身になじんだその笑みは、どこまでも違和感もなく、彼女の役を仕立てていた。

 そうして、計画は同日に実行された。太后である苑香が、簫司羽を宴会に顔を出すよう言いつけ、最早茶番に等しい二人きりの宴会が開かれる。簫司羽は明らかに嫌々といった雰囲気を醸し出しながら、無表情に淳貴妃の隣に腰を下ろした。

 親睦を深めるための席とは思えない、沈黙の時間。一流の料理人が手掛けた食事も喉に通らないまま、作戦決行を待つ心臓に悪い時間が続いた。

 そうして、遂にやって来たその瞬間。闇に紛れる黒い服装の男が、鋭い刃を持って足音を立てずに現れる。それは、淳貴妃の親衛隊の者――である、はずだった。

 本気で殺すよう指示は出していない。ただ、下手な暗殺者のフリでもいいから、刺客として襲い掛かって来いと言ったのだ。そう、淳貴妃を英雄と仕立てる為の駒となれと。

 しかし、素晴らしい身のこなしで牙をむいて来たそれは、正しく刹那に牙をむき、目の前で己の旦那が刺された。そんな光景を目にした途端、淳貴妃の美しい顔が恐怖に染まる。

 暗殺者はそんな彼女を一瞥したが、彼女に刃を向けることはせず、酷い傷を負いながら足早に逃げる簫司羽を追って再び闇夜に溶けて行った。

「えっ……な、何……?」

 まるで何一つ頭が追い付いていない。東屋の板っぱに尻餅をついた彼女が見せていた表情は、恐怖に怯えるただの女のモノだった。

 そんな彼女の下に、再び闇から誰かが姿を現した。

「すみません淳貴妃様ぁ、準備に手間取っちゃって。黒装束って着るの結構大変なんですねぇ~……って、あれ? どうしたんですか?」

 突如として湧いて出て来た気配に驚き交じりに振り返れば、そこにはヘラヘラとした男がいて、怯える淳貴妃と姿の見えない簫司羽の存在に首を傾げた。

 突っ込みどころは、上げたらキリがないだろう。まず仮にも刺客役がそのご登場とはどういう事だ、茂みの陰からノコノコあるいてやって来るんじゃない! 仮に今簫司羽がここにいたとしたら、計画がバレるとかそういう話以前だろう。乾いた失笑をされる。

「アンッタねぇ……!」

「わっ、す、すみませんでしたぁーっ!」

 鋭い眼光を向けられ、お叱りの気配を察知した男が震えあがって逃げ出した。

 彼のせいと言うべきが、お陰というべきか、頭の中が多少落ち着いた。

 今の彼が、淳貴妃の親衛隊から簫凌が用意した刺客役だ。という事は、先程簫司羽を刺し、連れ去った男は本物の刺客だったのだ。

 簫司羽の地位を狙うのは、簫凌派だけではない。地位どころか、王宮だけではない、国を漁れば野良派閥など五万と出てくるであろう。流石に五万は言い過ぎだろうが、少なくとも、十は出てくると思われる。その中には、彼の命までをも奪ってしまおうと考える派閥だって多い。今回簫凌が手掛けたこの作戦は、そういう輩が便乗するのに最適なのだ。

(だけど、これは今朝義父様が仕掛けて、計画内容は秘密裏に行われてはずよ。もしかして、どこからか計画が露呈して……用心深い御父様が、そんなミスをするかしら。だって、警戒心に関しては司羽に引け取らないじゃないの。そうなると、そんな事出来るのは-――)

「淳よ」

 彼女の思考を遮るように、聞き馴染んだ重い声が耳に届く。顔を上げると、暗がりの中で、簫凌であろう男が立っているのが見える。彼は灯りを手にしておらず、その表情までは伺えない。しかし、その声色には計画が失敗した事に怒っているような圧はなく、寧ろ、彼女を哀れんでいるかのような含みがあった。

「義父様……申し訳ございません。また、お役に立てず」

「よい。本物の刺客が入り込んでくるとは、私も想定外の事だった」

「先の始末は私が責任を持とう。ご苦労、今日はもう良い」

 その一言が、「帰れ」という意味である事は直ぐに分かった。淳貴妃は弱々しい返答を呟き、立ち上がる。そうして、義父である簫凌の隣を横切った。

 暗がりの下、彼が悪い笑みを浮かべている事に気付かずに―― 


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