さてはて、これはほんの少し時を遡らせ、秦景楓の知らぬドラマの裏話。とある企画会議の光景だ。
「ですから、何度も言っていますがこれはBL作品です。分かりますか? 『ボーイズラブ』です! ヒロインの存在は、余計も良い所なんですよ」
秦景楓からは「シナリオ担当さん」と呼ばれる彼女、沈雪(シェンシュエ)は、腕を組みわざとらしく「んー」と唸り声を上げる禿げ頭に訴えた。
「しかし、やはり男しかいないというのはいかがなものかね? 絵に華がないだろう」
「女を出すなと言っている訳ではありません。ですが、貴方のおっしゃった素連というキャラは、大体少女漫画のヒロインじゃないですか。そう言う子を出すのであれば既に決定した相手も添えてでないと、主人公の恋愛対象となり得るでしょう」
そのツッコミに、禿げ頭はピンと来ていないご様子。
「妹キャラのつもりなんだけどなぁ……そんなにダメかい? ほら、やっぱり女性に気が揺れそうになるけど、恋人の愛情を再認識してーみたいな! 僕、こういう展開結構好きだけどね」
「ですからぁ……っ、いいですか? この作品は、秦景楓と顧軒、簫司羽の三角関係が主題です。そこにその素連というヒロインを突っ込んだら四各関係ですよ! ただでさえややこしいのにさらにこんがらがるでしょう!? 貴方のおっしゃるその展開はそれはそれでアリですが、今回は場合が違うんです」
沈雪はホワイトボードに書き示した簡易的な相関図を軽く叩き示す。その手には多少のイラつきが混じっているが、彼女はよく取り繕っている方だろう。
「だけどなぁ……やっぱ、ほしいじゃん? 女の子」
それでも懲りぬ禿げ頭は、ヘラっと笑い沈雪の逆鱗に触れるギリギリの事を口走る。しかし、仕方ない事なのだ。彼は女の子が好きなごく普通な一般男性なのだから。
彼は考えた末、あっと手を叩く。
「それじゃあさ、顧軒の妹ってのはどう? それならアリじゃない」
「で・す・か・らっ! 私の言いたい事分かっていますか? やるのでしたら秦景楓の実の妹です。しかしどちらにせよ、こうすると兄妹共に王宮にいるという状況に正当な設定が必要になります。これは、本題には必要がないノイズとなり得る要素です」
「んー、だけどねぇ。やっぱさ、男性視聴者も欲しいじゃん? となると、女の子は必要だよ」
「BLという前提条件があるのですから、招くのでしたら腐女子を重点的にでしょう。男性同士の恋愛作品というだけで、大多数の男性は視聴してみようとも思わないはずです。下手に広い層に手を出そうとするとコケますよ!?」
「それもそっかぁ。うーん……」
そんなシナリオ担当とプロデューサーの会話を、他の制作人はどっちに味方をした者かと吟味しながら静観している。そんな、ある日の企画会議だ。
そんなこんなで話し合いを重ねた上で、皆納得できる形で構成されたドラマ、「廃妃秦景楓」。俳優も顔の良さと演技の上質さを兼ね備えた一級品をチョイスし、ドがつく程腐女子な沈雪も思わずニッコリ笑顔なシナリオと仕上がった――そういう、「設定」だ。
それはとんでもないメタ発言ではないか? そうではない、そういう設定にしたのだ。この、天帝が。そういう事にしたのだ。
意味が分からない? それならそれでいい。これは、ちょっとした研究のようなモノなのだから。
その日は、秦景楓がシステムからお𠮟りを受けた次の日だ。彼は珍しく庭造り作業に手を付けずにいたまま、台本を睨み付けながら昼間まで考え込んでいた。
(攻略……簫司羽との恋……マァジで、どうしろってんだ……そもそも、台本見る限り、この男面倒な奴だぞ! 人間不信って、友達になるだけでも大変だろうに……)
(「秦景楓」は、本当に偶然簫司羽の気が引けたんだろう。皇帝相手に物怖じせず、丁寧に接しながらも敬い過ぎない親身な態度に魅了されたって感じだよな、きっと。まぁ純粋に顔が好みだった線もあるか。なんにせよ、僕も同じような感じでアプローチすれば……)
「いやだからっ、そもそもエンカウントすら出来そうにないんだってぇっ! なんで顧軒がいないんだよぉ、必須キャラじゃないかよっ」
「こけぇん……! 僕の何がダメだと言うんだぁ同じ『秦景楓』だろうがよぉ、名前同じなだけだけどさぁ! 顔はほぼ同じじゃぁーん!」
机をドコドコ叩きながら、さながらママがいいと駄々をこねる駄々っ子のように文句を連ねる。
「大体『男妃』ってなんだよ、王宮のなんの異議があるんだよ男に子宮はねぇぞ! 何のための身分なんだよソレっ!」
こうなったら最後、彼は気が済むまで独り言を言うだろう。しかし、実際皆が疑問に思うだろ? 後宮は、王の子を為す為の女の園とも言えるのに、どうしたって男を交える? 男は妊娠できない、当たり前の話だ。
「いや、だけど、案外行けるのか……異世界だし、異世界パワーで男体妊娠も可能になったり……?」
不意に冷静になって――いや、冷静ではない。本当に冷静になったのならこんな思考には辿り着かない。急に落ち着いたテンションで思考し、忙しく動いていた足も制止する。
しかし、今度こそ冷静になったようだ。
「どーでもいいよぉそれ! どうやって簫司羽ルートのフラグ立てればいいんだよこれぇ、デバッグ作業の方がまだマシだよぉ……!」
机に伏せて嘆く彼の百面相は、最早一人芝居だ。しかし、こんなにも何も思いつかない事態は本当に初めてだったのだ。いつもなんやかんやで打開策を見つけていたのだが、そもそも入り口に立つ事すら困難と言う事はなかった。これはどう考えたって運営側の調整ミスだ、システムを小一時間問い詰めたい所だが、機械特有ノド・正論パンチで交わしてくる未来は見え見えだ。これだからAIは! 人間の嫌がるところを徹底的に突いて来やがる! と言いたい所は山々だが、そもそもアレがAIかは不明だ。中身に人がいる可能性は十分にある。
いやだから、そんな事はどうだっていいんだ。システムの中身に血が通っていようといなかそうと、イラッと来るのには変わりない。問題はどうやって簫司羽とエンカウントするかだろう。
「ちょっと、試してみるか……」
秦景楓はほんのりと重い腰を上げ、庭に出る。用があるのはコイツ、隠したい訳ではないが普通に邪魔だから、回廊の下の空間に差し込んでいたなっがい梯子だ。女院と男院の間に立ちはだかる壁より、冷宮全体を囲う壁の方が高いが、まぁ誤差の範囲内だ。梯子はしっかりと壁の上側までかかり、問題なく登れそうだ。
「っし、脱出計画ってね! 顧軒と比べりゃ劣るけど、秦景楓だって身体能力はいいんじゃい! 頑張るぞー!」
一人でエイエイオーと拳を掲げ、意気揚々の梯子に手を掛ける。その瞬間、
「あれ、秦景楓さん」
見計らったかのようなタイミングで、素連が女院から遊びに来たのだ。
「あっ、素連じゃん。どうしたの?」
「あぁいえ、宜しければ、編み物を教えていただきたかったんですが……お忙しい感じ、ですよね?」
素連は、遠慮がちな視線で壁に立てかけられた梯子に目をやる。
彼女も、秦景楓が何を目的としているかは知らずとも、彼が冷宮から出ようとしている事は察したのだろう。今日はダメだと言われたら大人しく引き下がりますと言った風に、一歩引いて尋ねてきた。
システムに言われた事思いだす。女に現を抜かすな (要約)、 だったか。だがしかし、やっぱりご近所付き合いは大事だろう? 何も秦景楓は、素連を攻略対象として恋に落とそうと思っている訳ではないのだから。そもそも、しようとしてたら犯罪だ。お巡りさんを呼ばれてしまう。折角ここまで盗みもなにもせず、前科無し清く正しい身で生きているのだから、そんな事でムショ行は勘弁御免だ。
「あー、まぁ今日じゃなくてもいいかな。うん」
今日である必要はない、そう、今日である必要は全くないのだ。秦景楓は梯子から手を降ろし、素連に向き直る。
「編み物ね、分かった。それじゃあ、教えてあげよう! 雑草用意してくるから、適当に回廊の所座って待っててね」
「い、いいんですか? それじゃあ、ありがとうございます」
素連は少し申し訳なさそうにしながら頭を下げ、示された先辺りに腰を下ろす。
そうして、秦景楓は彼女に編み物を教えた。とは言え、材料は雑草なのだが。お嫁さんが雑草で編み物をする事はまぁないだろうが、しかし毛糸でも応用しようと思えば出来るだろう、結局は同じ編み物なのだから。それに、世界は広いのだから、雑草でハンドメイドをする女性にキュンとくる男だっているはずだ。いや、知らないが。
一先ずお手本を見せてやり、教えてもらった通りに雑草を編む素連。その間に秦景楓は、情報収集がてら簫司羽の事を尋ね続けていた。そうする事大体十分、素連作の雑草ハンドメイドが完成した。
料理の時も思った事だが、素連は手先が器用だ。この三つ編みなんて、話しながら編んでいたというのに、編み目が均等で綺麗に出来ている、初めてだとは思えない素晴らしい出来栄えだった。
「うん、とっても良い感じ! 素連、上手に出来ているよ」
軽く拍手を送って褒めてやると、素連は小さな子供のようにはにかんだ。そうして、彼女は何かを思いついたようにハッと顔を上げ、笑顔を秦景楓に向けた。
「そうだ、これ秦景楓さんにあげます!」
「ぅえ、いいの? 初めて作ったやつだし、記念とかに持っておいたり……しないな。材料雑草だもんな、これ」
いくら綺麗に出来ているとはいえ、雑草は雑草だ。記念に取っておくようなモノではないだろう。そう思い直したが、彼女は「自分が意らないからプレゼントというテイで人に押し付ける」とか地味に非道な事をするような人ではないだろう。その意を伺うように視線を上げると、素連は彼の疑問に答えるかのようにこう言った。
「いや、そういうのではなくて……秦景楓さん、皇帝様の事がお好きなんですよね? だから、恋が叶うよう、おまじないをしてみました」
その時、秦景楓の頭の中でナウローディングという単語が横切った。
今、彼女はなんと言ったか。「ちんけいふうさんはこうていさまのことがおすき」と言ったか。それはどう変換するのが正解だろうか、まさかじゃないが、「秦景楓さんは皇帝様の事がお好き」だろうか。そんなラノベのタイトルありそうだね! 青春ラブコメ的なので――ではなくて。
「……ぅえ!?」
数拍遅れて、秦景楓はやっと反応を見せた。
「な、なな、なんでそうなったの? 僕、そんな素振り見せたかな?」
同様と困惑を隠そうとせずに前のめりになると、素連は微笑みを漏らしながら己の編んだ三つ編みを秦景楓の手の甲に乗せる。
「だって、さっきからずっと皇帝様のお話をしているんですもん。それ程興味があるのでしたら、それはきっと、好きだと言う事です」
確かに、秦景楓は先程素連に鬱陶しい程簫司羽について尋ねた。しかしそれは、攻略の為の情報収集だ。例えるなら、ゲームの攻略法を既プレイの人に訊いているのと同じような感覚だし、それは好きな人について知りたい純情な乙女心のような意図ではなかったはず。それに、顔も知らぬ相手にどう恋しろというのだろうか。
「それは、跳躍し過ぎじゃないかなぁ……僕、妃ってのも名だけだし、簫司羽の顏すら知らないんだよ。好きになる訳がないじゃん?」
しかし、口から出た否定はどうしてか歯切れが悪かった。
「ふふっ。女の勘というやつです。私は、そういう事もあると思いますよ」
「足首に繋がれる運命の赤い糸、信じてみるのも、きっと素敵な事ですよ。秦景楓さん」
素連が魅せた笑みは、宛らいたずらっ子のようだ。秦景楓をとんでもなく動揺させた。これでは図星を突かれたみたいではないか、本人もそう思っているのだが、なぜだかこんな反応になってしまったのだ。
どうしてか? それはごく単純な話。秦景楓は、「色恋」というのを知らぬ男だからだ。
今まで彼が感じて来た好きという感情は、飽く迄も「ライク」の方の意味だった。「ラブ」の方の好きなんて、想像もつかない。しかし、素連が運命の赤い糸とかそういう事を言うせいで、彼は想像してしまったのだ。簫司羽という男と自分が、そういう意味での好き同士になる事を。
本人は気付いていないが、その頬は微かに赤く色づいていた。傍から見ていた素連は、勿論それに気が付き笑みを零す。
「私に出来る事なら、いくらでも付き合います! だから、頑張ってくださいね」
いい子全開の明るいオーラを放つ素連は、なんとも眩しかった。秦景楓は誤魔化すように咳払いをして、「そうだね」と笑って返す。そう、彼がいつもやる誤魔化し方。良い女のさしすせその「そ」の部分である「そうなんだぁ~」の類似品であり、大体の話題でとりあえず話を聞いている感も出る便利ワードだ。
そんな彼に、素連は無慈悲にも別れを告げ女院に戻っていく。どうしてか、少し達成感を漂わせる背中で己の住処に戻る彼女から、ほんのりと歴戦の戦士かのような風格もあるような気がしたのは、秦景楓の内情のせいだろう。
秦景楓の中に渦巻いているのは、未知の感覚だった。困惑に近しいが、それはこの感情に処理が追い付かず混乱している事により引き起っている事態だ。では、この感覚を表記するのに最もふさわしい単語は何だろうか。
「それを探る為、アマゾンの奥地に行くわけにはいかないしねぇ……」
一人になった回廊で、頭を抱える。
(まさか僕、マジで簫司羽が好きだったのか――? いやいやいやっ、ないないない! 顔も知らない相手を好きになる訳ないでしょ! 台本で把握できる範囲はかなり狭いし、攻略の為色々詮索したから、そう思われちゃっただけだろうし。そもそも、攻略はしたいんだから、その誤解も寧ろ都合がいい。素連にはそういうていにしておいて、いざという時サポートがもらえるようにしておくのはいい事じゃんね。そうだ、そうしよう!)
(もう、素連が急に変な事言うから、妙な意識しちゃったよ。素連もそういうお年頃だしね、なんでも色恋に繋がっちゃうのは仕方ないよね!)
半場自分に言い聞かせるように思考を着地させ、必死に頷いた。そうして、手に残された雑草の三つ編みを目に映す。
「おまじない、か。まぁ、可愛らしいもんだよね。うん、任務達成祈願って事で!」
どちらにせよ、任務達成には恋人やらそういう関係にならなければならないのだから、恋愛成就のお守りは持っておいて損にははらないだろう。
「はぁ、考えるの疲れたぁ……庭造りの続きしよ、もう今日分は頑張ったっしょ。システムも文句言わないでしょ、うん。続きやろ」
すっかりパニックになってしまった頭を落ち着かせ、立ち上がる。昨日は花と植物を埋めている途中だったのだ、その続きとしよう。
そうして秦景楓は日が暮れるまで庭の作業を続け、作業を終えた頃には丁度いい時間だったから、夕飯の準備の為屋敷に引き返した。
今日の夕飯は、じゃがいもと牛肉を使った煮込み料理をつくろうと思っている。これは、秦景楓の好物でもあるのだ。ちなみに、仕上げの味付けに辛味はたっぷりとかける予定だ。
手際よく作業を進め、じゃがいもを加えて煮る段階まで行った。
「ふんふーん、ふふーん。チャラランラー」
と、よく分からない鼻歌を歌いながら煮込み終わりを待っていた、そんな時だった。
外からどさりと何か大きくそこそこ重さのある物が落ちる音が鈍くなり、それに驚いた鶏共の騒ぎ声が響いた。
「なっ、え!? 何事!?」
驚きからほぼ反射で庭に飛び出る。するとどうだ、視界に映ったのは、溢れた血の上で倒れる男の姿だった。