「秦景楓さん、私にっ、お料理を教えてほしいのです!」
と、素連がそんな事を言い出したのは、彼女に自身の料理を食べさせた直ぐ次の日の事だ。太陽はすっかりと上に昇ってきている昼下がり、温かい日差しの下で花を植える秦景楓に、素連は意を決したようにそう告げたのだ。
「え、料理を? 僕が?」
秦景楓は、手に付いた砂を軽く払いながら立ち上がり、問い返す。
「はい! あの、私、いつか素敵な殿方のお嫁さんになるのが夢で……ですけど、料理というのがてんでダメでして。大人になる前に学んでおきたいのです! その、花嫁修業じゃないですけど……」
少々照れくさそうに話す彼女に、秦景楓は「あぁ」と納得し、ポンと手を叩く。
話を聞く限り、素連は十四歳ほどの少女で、秦景楓が生きていた現実世界でいえば中学生程だろう。その年頃の女の子だと、花嫁に憧れているのも珍しい話ではないだろう。とは言え、学校に通っていない彼のこれは完全なる女子と言う名のイメージなのだが。
花嫁修業、なんとも可愛らしい物ではないか。秦景楓の生きていた時代では、女子が花嫁に憧れる時代は終わった! 女も自立だ! みたいな風潮で世間全般的に結婚という事自体が遠のいている感じがあった。それはそれで個人の自由で良いのだが、やはりこういった「正統派ヒロイン」のような女の子は、肩書通り正統派の可愛らしさを感じる。
まぁ、それはそれとしてだ。どうやら彼女は料理を教えてほしいそうだ。しかし、秦景楓の出来る料理はどちらかと言えば「男飯」に近いモノなのだし、彼女の理想の花嫁の料理ではないような気がする。
しかしまぁ、基礎を教えるという点ではそれでもいいだろう。それに、出来ない訳ではないのだから断るのも感じが悪いし。
秦景楓はそう考え、答えを決めた。
「言うて、僕もそんなに料理が得意な訳じゃないけど……とりあえず、やってみようか。丁度もう直ぐお昼時だしね」
謙遜交じりに答えると、素連はぱぁっと笑顔を弾かせ「ありがとうございます!」と礼を言う。
丁度作業もひと段落ついた所だ。お料理教室がてらお昼ご飯としよう。素連には台所で待ってもらって、秦景楓は汚れた服を着替え直しに自室に入った。
「土仕事は、やってる途中はすっごいハイだけど、終わった後に汚れてるの見て一気にテンション下がるんだよなぁ……」
なんて、そんな事をぼやきながら髪を融かして毛に付いた土も掃う。万が一にでも料理に砂が混入したら、自分が食べる者とは言え嫌だから。長い髪はしっかりと結い、服は料理をする為シンプルな物を着て、これでヨシだ。後は台所でしっかりと手を洗えば、料理をしても問題ない状態となる。
「ごめんねー、お待たせ」
「あ、いえいえ。大丈夫です」
待ってくれていた素連は、秦景楓に健気な微笑みを見せて答える。
「ごめんね素連、一回後ろ向いてくれる? 髪結び直すから」
秦景楓は先に一度軽く手を洗ってから、素連にそう呼びかける。
素連は「分かりました」と頷き、秦景楓に背を向けた。
目立って汚い訳ではないが、彼女の結び方は多少右に傾いていて、自分で結ぶのはあまり得意ではないのだろうと伺える。
「素連、結構手先不器用だったりする?」
尋ねると、彼女はビクリと肩を揺らし気恥ずかしそうに口元を隠した。
「ぅえ? そ、そんなに結び方おかしかったですか……?」
「あぁいや、そこまでじゃないけどね。若干傾いてたから、そうかなーって」
ほんのりと赤くなった彼女に小さく笑い、結び直した秦景楓は「終わったよ」とその肩を叩く。
「それじゃあ、まずは料理の前の手洗いだ。素連も分かってると思うけど、料理をする時は手をしっかりと洗って清潔な状態でやるんだ。あと、髪もしっかりと後ろで結ってね。今は結い直したけど、直さなくてもさっきの素連の髪型なら全然問題ないよ!」
「さて、とりあえず今日の料理は……ハンバーグにしようか! 素連は、お嫁さんになりたいって言ったね? 男はとりあえずハンバーグが好きだからね、覚えといて損はない」
彼のその語りに、素連は手を洗いながらこくりと頷く。
実際、多くの男はハンバーグが好きだろう。いや、知らないが。男は大体肉を食わせときゃ納得するという、秦景楓の持論だ。
さて、素連もしっかり気合を入れている様子。そんな所で、ハンバーグ作りを開始した。
用意するのは、ひき肉とたまねぎ、ニンニク、パン粉、牛乳卵等々……調味料には、醤油やオイスターソースとごま油、あとは塩を用意した。ちなみにこれ等は普通にハンバーグが食べたくなったからスペースで仕入れた材料だ。
工程自体はそう複雑ではない、まずは玉ねぎとにんにくを細かく切り刻む所からだ。
「素連は、包丁は使った事ある?」
「昔、母のお手伝いで少しだけ……」
「そっか。じゃあ一応基礎から教えておこうか。刃物だから危ないから、使う時はこうして指を曲げて、猫の手にして野菜を押さえるんだ。そうすれば、指が切れる事は無い」
秦景楓は言葉通り手の指を曲げ、猫の手にする。そうして、まずは一個の玉ねぎを半分に切り、その一方をお手本として自分でみじん切りにしてみる。刻まれる度にたまねぎから食欲を刺激する香りが漂い、この時点で既に美味しくなりそうな気配があった。
彼はもう慣れた事だから一定のリズムで素早く刻んだが、これを初心者に求めるのは酷だろう。
「さ、今みたいな感じでやってみよう。焦らず、ゆっくりでいいからね」
「は、はい。やってみます」
包丁はそこそこの重さがあるが、このくらいであれば何ら問題ない。素連はそっと包丁を握り、猫の手を玉ねぎに添える。
心臓が分かりやすくもドキドキと鳴っていたが、指は曲げているから怪我の心配は少ない。トン、と軽く音が響き、それを合図に一定感覚でたまねぎが細く刻まれていく。
秦景楓の刻んだたまねぎと比べると、大きさにバラつきが見えかかった時間も長かったが、初心者でここまで出来るのは立派だろう。
「うん、いい感じ。みじん切りは何回もやっていれば勝手に体が覚えるから、数を重ねていこう。まぁ、これはみじん切りに限らず料理全般に、というか、世の中の全ての物事で言える事だけどね」
「ありがとうございます! 次は、何を切りますか?」
褒められたのが嬉しかったのだろう。明るい表情で礼を告げると、やる気満々に次を訪ねてくる。
「次はにんにくだけど……にんにくは小さくてやりづらいから、僕がやっちゃうねー」
「分かりました。お願いします」
小さければ小さい程危なさは上がって来る、素連にやらせない方が良いだろう。にんにくは素早く刻んでおき、さらっと次に移る。
「それじゃあ、次はいま刻んだこれを炒めるんだ。そうしたら、弱火に設定して、火にかける。ここに油を引くんだ。そんな多くなくてよくて、少しでいいからね」
油の入ったボトルを手渡す。
「少し、ですね……」
素連は、傾けた時にドバーっと勢いよく出て来てしまう事を危惧しながらも、慎重にほんの少しを注ぎこみ、全体に行き渡るように、秦景楓の誘導通りフライパンを傾ける。
「うん、そうそう、そこにさっき切ったこの二つを入れて炒めるんだ」
「は、はい! それで、これはどのくらいになるまで炒めるんですか?」
「そうだな、低温でじっくりと炒めるといいよ。強火で一気にいくと、焦げちゃうから」
秦景楓の知り合いに、「弱火で十分……それじゃあ強火で一分だな!」とか頭悪い発想で
「キツネ色になるくらいまでじっくりと炒めるんだけど、あとは、たまねぎがしんなりとしてきたら丁度良い感じかなぁ。あとは、にんにく入れたからその香りも結構判断材料になるよ。まぁ、時間で言えば大体十分くらいかな。僕も一緒に見てるから、丁度いいタイミングになったら言うね」
「わかりました。じゃあ、入れますね」
フライパンに刻んだモノ達を入れる。焦げないようにしっかりと炒め続けると、じっくりとたまねぎが色づいて行き、にんにくの香りが際立ってくる。これだけでも食欲へ与える刺激は倍増し、そろそろ何か食べたくなる頃合いのこの時間とおうのもあり、腹の虫はフェスのごとくおおいに盛り上がった。
段々と美味しそうになっていくたまねぎに、興味深そうに観察をしている素連。火を通され変化していく様は、見ていてほんのりと面白いようだ。
「さて、そろそろ良い感じかな。火を切って、このまま放置して粗熱を取っておくんだ。その間に、パン粉を牛乳に浸しておくよ」
「えっと、このくらいですか?」
「そうそう! そんな感じ。パン粉は確かぁー……あ、ハンバーグをふわっとさせるのに必要なんだったかな? これの役割は大体そんな感じ」
そんなうんちくを披露している間にも、粗熱は取れた頃合いだろう。
「うん、大丈夫かな。それじゃあ、混ぜて行こう。とりあえず、今まで作った奴全部この肉にぶっこんで!」
「はい! ぶっこみます!」
ここに来て勢いだった。素連は、秦景楓の言葉通りにたまねぎとニンニクを炒めたモノとパン粉のやつをいれる。
「あそ、そこに調味料も入れておこう。そうしたら、手の平全体で混ぜると言うか、こねるんだ。一先ず最初は僕がやってみるから、見ててねー」
秦景楓はボウルの中のひき肉にてを突っ込み、手全体でこねる。イメージとしては、グーとパーで交互に肉を混ぜる感じだ。そう難しい話でもない、簡単なお手本を見せてから素連の前にボウルを回す。
「さ、やってみて。難しく考える必要はないけど、大体こんな感じだと思ってやれば問題ないよ」
「はいっ、大体そんな感じですね。やってみます」
素連は一度中で手をグーパーさせてから、タネに手を突っ込む。秦景楓が見せてくれたのと同じように肉をこねる。
秦景楓は横でそれを見守り、何となく思う。
(昔の僕も、こんな感じだったのかなぁ)
これまた孤児として転々と生きていた頃の事だ。幾度かお邪魔した家では様々な事を手伝った、掃除やその家の稼業やら色々としていた訳だが、その主なのが料理だった。ハンバーグもまた、どこだかのお婆さんの家で一緒に作った。
あの時、まだ小さな子どもの手でこねたハンバーグ。それを隣で見守っていたお婆さんも、こんな感じの暖かい気持ちになっていたのだろうか。小さな手では全体を平等にこねる事は出来ず、結局仕上げはお婆さんが行ったが、小さなこともがやったにしては上出来だったと思っている。あの時のハンバーグは、とても美味しかった。
(肉は結構冷たいけど、こねる時の感触は結構悪くないんだよなぁ。こう、ムニュっとしてて)
そんな思い出に浸りながらも、素連とタネの様子を見守る。
こねているうちに材料が均一になって来て、粘り気が出てくる。大体このくらいだろう。
「さて、そのくらいでいいかな。こっから丸く形を作って焼いて行くよ」
「はい、形は大体わかります! こんな感じですよね?」
素連は自分の手のひら分程の肉を手に取り、楕円形に形成する。
「そうそう、そんな感じ。強いて言うならね、そこからこうやって、両手で軽くキャッチボールするみたいにして空気を抜くんだ」
本当にキャッチボール同等の投げをしてしまうのはよくないが、両手でひょいひょいと投げ渡すのはちびっ子がボールを投げ合うようでもあるだろう。素連は手にある楕円を両手で行き交わせ、秦景楓の真似をする。
そうして出来上がったモノを、いよいよフライパンで焼く。
「焼けるまで少し待つけど、目は逸らさないように。焦げちゃうからね」
「焦げたら、苦くなっちゃいますもんね……」
「そそっ。僕の体感的に、掛かるのは大体四分とかかなぁ。片面が焼けたらひっくり返して、その後は弱火に変えて蓋を閉じるんだ。蒸し焼きって事だね」
四分というのは待とうと思うと長いが、何かしている時は早く過ぎ去るモノだ。肉は早々に焼き目が月初め、ひっくり返すと見事美味しそうに色づいていた。
そうして素連は、秦景楓の教え通りに弱火に切り替えて蓋を閉じる。
「こっからは、大体十分くらいかな。それまでまた待機!」
「お腹空いてきましたね……早く食べたいです!」
「そうだねぇ、僕もそろそろお腹空いて来たな。ちょっと、野菜でもかじる? きゅうりあるけど」
秦景楓はすっと冷蔵庫からきゅうりを取り出し、答えられる前に手で半分にへし折る。
「いいですねぇ、きゅうり私も好きです」
ツッコミ不在のようだ。素連は半分になったきゅうりを受け取り、みずみずしい音を立てながらそれを食み、ハンバーグの出来上がりを待つ。
この時、ハンバーグはどんな気持ちだっただろうか。何せ、料理人が野菜を生で食べながら肉を待っているのだから。
「んー、このきゅうりいいきゅうりですねぇ。そういえば、食材はどこから手に入れたんですか?」
素連から向けられる純粋無垢な瞳に、その瞬間秦景楓は思わずあっと声を漏らしそうになってしまった。が、喉の寸の所で止めた彼を褒めてやってほしい。まさか馬鹿正直に「スペースとかいう不思議な空間から手に入れたんだ!」なんて、言える訳がないだろう。
脳をフル回転させるこの間一秒未満。秦景楓は何食わぬ顔で応える。
「実はね、顧軒っていう友達が後宮にいてね。同じ男妃なんだけど、僕の為にこっそり食材とかを持って来てくれるんだ。このきゅうりもそれ」
どうしてそうも平然と嘘がつけるんだとドン引かれた事のある秦景楓だ、この程度の捏造は容易かった。しかし、強ち間違いではないだろう? ドラマシナリオの方の「秦景楓」は、顧軒から差し入れを貰っていたのだから。逆にこの世界線の秦景楓にその救済がないのが不思議でたまらないくらいだ。
さて、そんなごく自然な作り話に、純粋な素連は疑う素振りを一切見せずに「そうなんですね!」と笑う。本当に、彼女が真っすぐな性格で良かった。
「あ、皆には内緒だよ?」
「勿論です。それに、私も冷宮から出られませんし、言う相手もいませんしね」
冗談半分な軽い自嘲を浮かべた素連。同じ追放された物同士だ、秘密は分かち合うべきだろう。とは言え、嘘なのだが。
しっかりと時間を把握しながら、素連とちょっとした雑談をして焼き上がりを待つ。そうして大体の目明日の時間が経った時、鍋の蓋をあけて見た。
「色は、大丈夫そうかな。ちょっと確認してみようか」
秦景楓は爪楊枝を取り出し、ハンバーグに指してみる。すると空いた穴から肉汁が溢れ、「自分十分焼けました!」と教えてくれた。
「よっし、良い感じ! 結構ふっくらしてるんじゃない? 美味しそうだよ!」
「ですね!」
喜びを分かち合いながら、用意した二人分のお皿に盛りつける。和気あいあいとそんな事をしていた時だった。
「ん……?」
秦景楓の胸の上で、翡翠色の首飾りが震えていた。音こそ出ていないが、スマホのバイブレーション機能が動いている時と同じように、ブーブーと何かを知らせていたのだ。
この感じ、ほんの少しだけ覚えがある。あれだ、ポイントの消費が不審だとシステムに判断されて、統一められ時のあれ。要するに、システムからのお呼び出しの合図だ。
「ちょ、ごめん素連。先リビング行って食べてていいから!」
「あっ、え?」
突然慌てた様子で離れて行った秦景楓に、素連は疑問の一音を漏らし手を伸ばしかける。しかし、彼には彼なりの事情があるのだろうと飲み込んだのだ。本当に、彼女は素晴らしい良い子だ。全国の諸君も見習った方が良い。