腐っても後宮なのだから、後宮の妃の下に皇帝がやってくるのは普通の事だ。そりゃ皇帝の身分であれば冷宮に訪れる事も容易いだろう。だが、冷宮の性質上皇帝が訪れる可能性は皆無だろう。二度あると思っていなかった秦景楓は勿論ビックリ仰天、だが、ここは妃としてしっかりと応対すべきだと、深く敬礼をする。
「ようこそいらっしゃいました、簫皇帝」
「とりあえず、茶を出してくれ」
「御意に」
秦景楓は旦那の要望通りにお茶を淹れて差し出した。そんな時だった。
「秦景楓。魚をとって来たんだ、焼いてたべない、か……」
顧軒が、冷宮を囲う壁を身軽にひょいと乗り越えやってきたのだ。
「って、簫皇帝!? どうして貴方が冷宮に」
驚きのあまり、魚の入った籠を片手に身を引いた顧軒。そんな彼に、簫司羽は小さく一笑を飛ばした。
「皇帝が妃の宮に訪れるのは当然の事だろう。お前こそ、冷宮の壁を乗り越えて侵入するとは、随分と身軽なのだな」
「まぁ、一応運動神経を買われて後宮に入りましたので……」
皇帝と妃という間柄だが、顧軒からすれば、この状況は「友人の友人」と言った方が近しいだろう。そんな遠巻きな距離感を保ちながらも、それ以上引く事はせずに前に歩み、皇帝に対する敬礼をする。
「簫皇帝にご挨拶を。顧軒、友人の秦景楓に差し入れに参った次第でございます」
「好きにしろ。だが、魚を焼くと言ったな。俺にも食べさせろ」
「御意に。いっぱいあるので、どうぞお食べください」
そうして三人は、起こした火で魚を焼いて食す。その間、どこからか現れた猫に魚を奪われ顧軒が追いかけ、その身体能力に簫司羽も関心を見せるといった展開がある中で、秦景楓は楽しくて微笑みを見せる。そんなお話だ。
「あんの猫、本当にどこから入って来たんだ……簫皇帝、まさか冷宮の壁に穴あいてます?」
「知るか、俺が後宮の隅から隅まで管理してる訳じゃない」
取られたのが自分の魚じゃないからか、簫司羽はあまり興味なさそうに答えながら、焼き魚を頬張る。
このように、物語的には恋敵であるはずの顧軒と簫司羽の間も、三話の時点では和やかであった。ヒーロー枠がこの二人である事は明確となっているが、台本を見る限りでは争いの気配を感じられない、穏やか日常系ドラマといった雰囲気だ。まだボーイズラブのラブの部分が前面に押し出されていなくて、そういうのが多少苦手な人でも見れると思えるようなシナリオだと感じた。
それもそのはずだろう、見る限り、顧軒が秦景楓に向ける愛情は友情の延長線にありとても純粋なモノのようだ。そして簫司羽は、己の心に気が付く前。争いに発展仕様が無いのだ。
しかし、どんなちびっ子向けの恋愛漫画でも当て馬がいるのであれば、波風も経たず一切平穏と恋が進むモノではないだろう。何かしらは起こってしかるべきのはずだ。
しかし、三話目の台本は、凡そこんな感じだ。
(ずっと、こんな感じで進んでいくのかな。だけどそれだと面白味がないしな……まだ起承転結の起の途中って感じだし、何かしら起こるんだろうな)
考えながら、四話目の台本を手に取る。どうやら、ここで存在だけは仄めかされていた淳貴妃の本格的なご登場のようだ。
彼女からして、自分という皇后がいるというのに皇帝が他の妃に絡むと言う状況は面白くないようだ。今まで簫司羽は後宮に微塵の興味も示さず、逆に言えば勝手に取り決められた婚約者相手にも無関心を極めていた。だと言うのにこの状況、面白い訳がないだろう。
「わっ、一気に不穏になった……それにしても、塩対応も良い所だよ……」
読んでる途中、秦景楓は思わずそう呟いた。
何がって、簫司羽の態度があまりにも冷た過ぎたのだ。淳貴妃の、「私よりその廃妃の方が良いの」という問いかけに対して、彼が放った一言はこれだ。
「勘違いするな。お前が皇后なのは、そう『決められていた』からだ」
こりゃあまりにも酷いような気がする。が、政略結婚なのだから仕方がないのかもしれない。
多くの女性視聴者からのヘイトを買いそうだが、大丈夫だろうか。なんて、ほんの少し不安に思う。
しかし、淳貴妃も淳貴妃で悪女らしい振る舞いを見せる為、素直に可哀想にとは思える感じではない。このシーンをドラマで見たら、きっと複雑な気持ちになるだろう。
淳貴妃は、悔しさと屈辱感から拳を握る。
その時、回想シーンとして、先帝の弟こと簫凌の言葉が彼女の脳裡に過る。
「使えぬ駒はいらぬ。お前が良い思いが出来ているのが誰のお陰か……分かっておるな、義娘よ」
豪華絢爛な椅子に足を汲み、仮にも娘相手に冷たい目を向ける。なんとまぁ、偉そうな事だろうか。実際偉いのだが。そんな一瞬の回想シーンのあと、彼女は、秦景楓を更に深いどん底に陥れるように企てる。ここが四話の前半部分。後半部分では秦景楓が登場し、いつも通りの日常の中でちょっとした胸騒ぎを覚える所で終わる。
そう言えば、シナリオ担当はこう言っていた。
「悪女からの攻撃を交わす度、秦景楓はヒーロー達との絆を深めていく……そう、これは愛の試練なのよっ! 簫司羽との間を切り裂く為に仕掛けた事が、皮肉にも二人の仲を深めるきっかけになるの!」
その時、秦景楓はこう尋ねた。
「結局、淳貴妃は、簫司羽の事が好きなんですか? 嫌いなんですか? 簫凌の手先って事なら、簫司羽を陥れたいんですよね。どうして秦景楓に矛先向けるんですか?」
純粋な問いかけに、シナリオ担当は「ふっふっふ」と肩を揺らし、どこか格好つけたような表情を見せて答える。
「乙女心は複雑なものなのよ。秦景楓くんには、少し難しい話かしら?」
「ちょっと、僕がろくに女の子と関わった事ないみたいな……実際そうですけど」
「ま、なんにせよ淳貴妃には悪女としてヘイトを集めてもらうようにはなっちゃうけどねぇ」
秦景楓の不服はごく自然に無視された。ちょっと酷いと思いながら、秦景楓は「そうですねぇ」と気返事を返し、冷えたお茶を飲んだ。
そんな記憶を思い出しつつ、なんだか引っかかる部分があった気がしてもう一度頭から読んでみる。
「……! 素連、いた……」
そうして気付いた。シナリオには、こんな文があったのだ。
淳貴妃の宮。掃除をしていた下女Aは掃除をしてない所を見つける。
下女A
(少し焦ったように)
「素連、こっちの掃除まだ終わってないよー!」
下女B
(別の廊下から慌てて駆け付ける)
「あ、はい! ただいま!」
これは、簫司羽に冷たくあしらわれた淳貴妃が、イライラしながら己の宮に戻った時に聞いた下女達の会話として書かれている。そんな下女の会話を聞いて無性にイラつきが増した淳貴妃は、拳を横に薙ぎ近くにあった柱を殴った。いかに彼女が今の状況を疎ましく思っているのかが伝わる描写だが、そこに彼女の名前があったのだ。
「一応、モブとして登場してるんだ……名前が呼ばれる分、僕の役より全然目立つな……同じモブなのに」
なんて、役者の端くれとしてちょっとした悔しさを感じながらも、素連が列記とした登場人物だったと知って嬉しくも思った。
「メインの顧軒が未だ登場してなくて、モブの素連が明らかにメインになるような立ち位置で登場した……やっぱ、別の世界線なのかなぁ。だぁけどなんか、なんかなぁ……」
どうしてか感じてしまう「納得のいかなさ」に頭を抱え、台本を閉じる。今日はもう良い、考えると頭が痛くなる。
「今日は、ポイントになりそうなもん作ってから寝るかぁ。いっぱい買い物しちゃったから、稼がないとね……一気に百ポイントくらい稼げる超大作作ってやろ……そうだな、龍でも編むかぁ!」
秦景楓は一人呟き、保管している編み物用の雑草を取り出した。
一方その頃、素連は――
「全ては天帝様の計らいで、かの御仁が決めた運命。天帝は、乗り越えられない試練は与えない……そうですよね。お母様」
一番星が輝く夜空を見上げ、そう頷く。
皆の夜に、星月の加護があらん事を――そう囁き、今日からお世話になる新たな宮へと足を踏み入れる。
冷宮にいれられたからと、落ち込む暇はない。幸い、隣人は不思議なオーラを纏いながらも、優しい人であった。これなら何とかなるだろう。
それに、彼女に託されたシナリオはまだ始まったばかりなのだから。