川造りを終えた今、次は何をするか。決まっているだろう、川の周りをそれらしくデザインする、所謂ビオトープを造るのだ。具体的に言えば、川の設計に合わせ用意した植物や岩などを配置する作業をこれからするのだが、要するにここからが本番という事だ。秦景楓は、川がある側の回廊の柱に張り付けた設計図を確認する。
さて、どこから手掛けようか。今の段階は、この設計図と同じように水を引いただけだ。この後行う工程は、川の淵に用意した岩を並べるのと、計二つ小島の所に柵を立て、そのうちの木が佇んでいる方は橋で陸と陸を繋げるのだ。
もう一つの橋をかけない完全に独立した小島は、木がある方とは違い秦景楓が立って二人分程の本当に小さいスペースしかない。なぜこれを作ったかというと、これは完全に何となくだ。ちなみに、ここには景観として小さな緑の植物を植える予定だ。
今の段階で進んでいるのは、庭に流れる川の設計が済んだ所までだ。となると今日まずすべきは、ディティールを大まかに詰めて行く事だろう。では、その川の外側に石を並べる所からはじめよう。
南側の角、壁の近くに作られた丘からは、秦景楓の肩程の高さから滝のように道が流れ落ちている。その滝壺の横辺りから、大小様々な大きさの石で縁取るように並べていく。石は紛れもない本物の石だからそれ相応に重いが、秦景楓にとっては大したものではない。
「あ、橋作る部分は開けておかないとねー……」
散歩分程間を開け、また石を並べる。時間も忘れてそんな事を続けていると、外廊下に素連の姿が見える。貸した服はやはり丈も袖も余ってしまっているが、ゆっくりする分には問題ないだろう。
秦景楓は手にしていた岩を置き、彼女の所に小走りで駆け寄る。
「素連。どう、良い湯だった?」
声をかけると、彼女はほんの少しビックリしたようで肩を震わせ、秦景楓に顔を向けた。
「あ、はい。とっても良かったです……! お湯にゆっくり浸かるのって、ひさしぶりで。あの、ありがとうございます」
素連は深く頭を下げ、礼を言う。
そんな彼女に、秦景楓は小さく微笑みを見せた。
「いいのいいの。何か飲み物飲む? と言っても、水が冷たいお茶しかないけど」
「ありがとうございます。じゃあ、お水をいただきます」
「分かったよ。とりあえず、客間に案内しよっか。ちょっと待っててねー」
とたとたと玄関まで向かい、中に入って素連と合流する。
妃を捨てる為の宮に客間があるというのも不思議な事だが、腐っても後宮の一種という訳だ。その場所に案内し、座ってもらってから水を取りに台所へ向かう。
本当なら風呂上りには冷えた牛乳をグビっと行ってほしかったが、そんなモノはこの家にはない。注いだ水をお盆に乗せて持っていく。客間では、素連がソワソワと落ち着きのない様子で辺りを見渡したり足を揺らしたりとしている様子が見え、秦景楓は思わず笑みを零した。
彼に妹と言う存在はいないが、いたらこのような感じだったかもしれない。そんな事を思いながら、水の入った杯を素連の前に差し出す。
「ありがとうございます。それじゃあ、いただきます」
さっぱりとした冷水を飲み、どこかスッキリしたような笑みを浮かべる。
「ほんとうに、何から何までありがとうございます。秦景楓さん。私、なんだか冷宮での生活もやっていけるような気がしました」
「それならよかった。今日から隣人だし、困った時はお互い様って事で。これからよろしくね、素連」
「は、はい!」
彼女のこの明るい返答が、元気を取り戻した証拠だろう。その場はなんだかとても穏やかで、温かい空気感が漂っていた。
こうして喋っている内に印象が変わる事はなく、やはり彼女は、もし妹がいたらこのような感じだったのだろうと思えるような子だった。守ってあげたくなるような愛らしさは、妹として百点満点だろう。
しかし、そんな彼女に和む秦景楓の中、その脳の片隅にはずっと一つの疑問が浮かんでいた。
その後、先程まで絶対にそこになかった壁の通り道に首を傾げる彼女を何とか誤魔化し、女院に戻っていくその背に小さく手を振った。
(やっぱ、シナリオに「素連」なんて登場人物いなかったよな……というか、女院に冷宮仲間がやってくる展開なんて、BLドラマにあるまじき展開では……? いや、違う世界線だってのは分かってるんだけどさ)
感覚としては、その小さな違和感が疑問として脳に根付いているようだ。
そもそもここは、ドラマとは少し違った世界線と言えるだろう。顧軒が登場していない時点でそれはお察しだ。しかし、物語の中で「キャラ」として登場しない人物が、今ここで明らかなメイン枠のような形で登場した。違う世界線だからと言ってしまえばそれで終わりのはずなのだが、その事実が、ちょっとした違和感を演出しているような気がして止まない。
(いや、僕が知らないだけで登場しているのか……? ちょっと台本読んでみるか)
石並べの作業はまだ残っているが、何も今日中に急いでやる事でもないだろう。部屋に引き返し、机の引き出しからしまっていた台本を取り出す。
だが、読まなくても分かる。素連という名前持ちの登場人物は、恐らくいないだろう。
というのも、これまたシナリオ担当の人についてなのだが。彼女は、意気揚々とこう語っていたのだ。
「そもそもっ、ボーイズラブ作品に正統派女ヒロインはいらないのよ! 分かる?!」
「そうねぇ、男にも分かりやすく表現するなら……『百合に挟まる男』、よっ!」
きっと、所謂姫男子には分かりやすい例えだった事だろう。しかし残念な事に、秦景楓は百合厨ではないからよく分からなかった。が、想像はなんとなく出来る。
「そういうもんなんですねぇ」
「そうっ、そういうモノなのよ! だってのにあの頑固頭、企画会議でなんて言ってきたと思う? 『やっぱ正統に可愛い系の女の子はほしくない?』って、いらねぇよ! BLだって言ってるでしょうが!」
その時の彼女の眼は異様にギラギラとしていて、ガンギマリしている。物凄く熱くなっている様子は、まるで獲物を見つけた狩人のようでもある。何をそんなに熱くなる必要があるんだ、なんて事は絶対に言ってはいけない事だろうが。
ひとまず否定するのはいらぬ争いを招くだけだろうと、「そうですか」と当たり障りのない返事だけをしておいた。
「ん。待てよ……企画会議で、頑固頭が、正統派ヒロインがほしいって言いだした、って……もしかして」
「だけど、因果がよく分からないよなそれ。企画段階でボツになったキャラが出て来たって事……いやいや、まだ頑固頭の言う正統派の女の子が素連とは限らないしなぁ……だけど、この世界線、何が起こっても可笑しくないし」
ぶつぶつと思考を呟く。だが、こんな摩訶不思議な話は考えた所で分かるモンではない。
「ま、いっかぁ……」
またもやその思考で全て片づけ、とりあえず台本に集中する。これは、三話目の台本だ。勿論、素連という名前は登場せず、比較的ほのぼのとした秦景楓と簫司羽のお話のターンだ。秦景楓が冷宮の廃妃だと知った簫司羽は、再び冷宮に訪れ、ごく自然に回廊に腰を下ろした。