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【第四章】「シナリオ」

 ドラマキャラでない方秦景楓の演じる暗殺者Aは、ほのぼのとした空気から一転し、不穏な空気が漂うシーンに登場し、秦景楓の数少ない台詞もシナリオにはしっかりと書き記されている。残念ながら、暗殺者Aは皇帝と相見える事はなく捕らえられてしまうのだが。

 そのシーンは、皇帝簫司羽がいかに命を狙われる立場かを暗示したモノであり、つい数分前までの男妃達の和やかなシーンと打って変わって思わず固唾を飲んでしまうような展開だ。そんな中で疲弊した簫司羽が王宮内の人気のない場所をお忍びで散歩していた時、秦景楓を連れ出す顧軒とバッタリ出くわしてしまう。

「簫皇帝、どうして貴方様が……」

 思わぬエンカウントを引き出してしまった顧軒は、無意識に秦景楓を庇うように背に回そうとした。

(此奴等は、確か後宮の男妃か。後宮から抜け出し散歩をしていたと言ったところか……)

 この心の中の言葉は実際の台詞ではなく、男妃二人組に向ける視線にこういったニュアンスが欲しいとう地の文で示された内容だ。

 簫司羽は、ここ最近冷宮に入れられた妃がいるというのは報告を受け知っていたが、男妃だとの情報は報告には含まれておらず、また本人にも興味が無かった為に、秦景楓が例の廃妃とは分からなかったようだ。故に、二人のやましい事を隠すような仕草をそう判断した。

 それに、疲れた彼に事を追求する元気はなかったのだ。小さく息を吐きながらも、そこに怒りの剣幕はない。

「今回は目を瞑ろう。無断外出をするなら、バレないようにする事だな」

 注意に留め、簫司羽はそのまま彼等の横を通る。その時、簫司羽の横目に映った秦景楓は、どこかしょぼくれる小犬のようだと感じたと、シナリオにはそのような事が書かれている。ここで、一話目は終了で秦景楓の知るシナリオもここまでだ。一冊目は復習がてら軽く目を通し、二話目の台本を手に取る。

 ここから簫司羽が冷宮を訪れる事により、ゲーム風に言うのであれば簫司羽ルートのフラグがしっかりと立てられるようだ。

 気晴らしの散歩の際に横目に映ったそこに、興味本位で入り込んだ事が発端で、簫司羽は冷宮の廃妃が秦景楓だと知る。昨日の顧軒が見せた動きはそういう事かと理解した簫司羽だったが、またもや追及はしなかった。最早、無断で出歩いていようがどうでもいいと思えたのだ。

 その見目麗しい廃妃が己の命を狙っていた者と知りつつも、彼は不思議と秦景楓に対して嫌悪を抱かなかった。寧ろ、一目見た際に密かに浮かび上がった感情は、その逆であったと言えるだろう。本人はまだ自覚する事が出来ていないようだが。シナリオは嘘をつかないのだ。

 秦景楓の優しさに触れた簫司羽は、産まれてはじめての恋心を覚える。しかし、彼は最初こそその心の正体が分からなかったようだ。二話目の内容は、要約すればこんな感じだ。

 その心に不信感を抱きつつ、簫司羽は家臣の目を盗みながら公務の合間を縫って秦景楓に会いに行くようになったのだ。

(なるほど、これでヒーローサイド両方から狙われるようになったって訳ね)

 三話目のシナリオに手を伸ばそうとしたところで、川の作業を思いだす。溝を振る所までは終わっているが、正直もう少し進めておきたかった。具体的に言えば、アンダーライナーは敷き詰めておきたい所だ。期限がないのだから何も急いで進める事はないだろうと思うだろう? 全くその通りだ。しかし、秦景楓はそういう男なのだ。

「もうちょっと進めてからにするかぁ! 明日晴れる保証ないしな」

 と、ほぼ一日中動き付告げても尚有り余る体力は彼の取り柄の一つだろう。体力は、孤児の必須スキルと言えるだろう。鼻歌交じりに庭に出て、日も暮れ始めようとしている空の下、作業に戻ったのだ。

(そう言えば。これって、僕が「秦景楓」の体に乗り移った感じだよな……元の秦景楓の意識って、どうなってるんだろ)

 手を動かす彼の思考に、不意にそんな疑問が沸き上がった。

(ま、なんでもいっか!)

 考えても分からない事は、考えるだけ無駄だろう。秦景楓はアンダーライナーの準備を終え、早速敷き詰めに取り掛かった。

 せっせこ敷き詰め作業を行う事、大体三時間。日はどっぷり暮れ、それを認識した途端に眠気が湧いて出てくる。

「ふわぁ……そろそろ寝よっかなぁ、今日もいっぱい動いたし、つかれちゃった……」

 と、今すぐベットに潜りたい所だが、流石に土だらけのこの体で布団に入る訳にはいかない。ほんのりふらついた足取りで井戸に向かい、水を浴びに行く。

 川で体を洗うのはどう考えたって寒いが、幸い今は真冬ではない。

「お風呂って、何ポイントで交換出来るんだろ……流石に、高そうだよなぁ……」

 明日、スペースで訊くだけ訊いてみる事にしよう。秦景楓は産まれたての姿で水を浴びた後、体を拭いてから寝巻を着る為に部屋に戻る。

 ちなみに、彼が来ている一通り服、例えばつい先ほどまで袖を通していた作業のしやすい服等も、スペースでポイント交換したモノだ。なんと一着高くとも十ポイントだ。生活必需品だからだろうか、とてもお安かったのだ。

 そもそも作業着以前の問題として、初期で用意されている服が一着だけだったのだが。流石「廃妃」と言うべきかなんだが、それしか用意してもらえなかったようだ。いくらファッションに興味のないズボラ男子でも二着以上は持ち合わせているだろうに、今までの秦景楓がどうやって着回ししていたのか気になるレベルだろう。加えて、この世界線には乾燥機もないというのに。の割に、そのたった一着の衣装はしっかり「妃」としての装いなのだから、よく分からない事だ。

 しかし、ここは元よりドラマの世界、細かい事は気にすべきではない。そもそも、物語の中の住民は毎日同じ服を着ているではないか。

 さて、それはさて置きだ。秦景楓は寝巻に着替え、ベッドに飛び込む。そうして目を瞑った瞬間、ゆったりとかぶさる眠気に誘われ、ぐっすりと眠りに付いたのだ。


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