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【第三章】「簫司羽」

 ドラマ「廃棄秦景楓」に登場するメインキャラ、簫司羽。切れた顔立ちは、俗的に表現すればクール系のイケメンだろうか。どんな表現をしようとしても、必ず「イケメン」か「美男」の言葉は付属してしかるべきだろう。そりゃ恋愛ドラマのメインキャラなのだから、当たり前だが。

 そんな彼には正式な妻、所謂皇后がしっかりといる設定がされている。考えてみれば自然な事だろう、皇帝なのだから婚約者の一人や二人はいる。……いや、その表現は若干誤りだろうが。どちらにせよ、簫司羽には「妻」たる関係のキャラがいるのだ。

 彼はドラマ本編で当て馬担当だったのは、この理由もあるのかもしれない。だって、それは普通に不倫じゃないか。しかし不憫な事に、その皇后はあまり褒められた性格をしていないようだ。この事について、シナリオ担当はこう語った。

「王宮BLにっ、性格悪い美人女は必要でしょっ! これがシナリオにいいスパイスになるのよ、分かる!?」

 こちとらエキストラ派生のモブ役者だと言うのに、主人公と同じ名前と言う理由からつるまれるようになってしまった秦景楓は、熱い眼差しで問いかけてくる彼女の視線から逃げるようにしれーっと顔を逸らして当たり障りのない言葉を返した。

「そうなんですねー」

 自分が登場するより後の展開は視聴者として楽しもうと思っていた当時、シナリオ担当の熱い語りはしっかり聞きながらも右から左に流し、後にシャットアウトしていた。これ、何気に彼の特技なのだ。これを話すと普通は出来ないだろうと総ツッコみされるが、案外出来るモノなのだろう?

 それはさておきだ。当時の秦景楓はネタバレを食らっても後でシャットアウトすればいい話だからと、気になった事を熱の冷めぬ彼女と会話のラリーを続ける為に一つ問うた。

「だけど、簫司羽不憫すぎやしませんか? 結局、選ばれるのは顧軒なんでしょ。報われるんですか?」

 それはシナリオ的にいいのかと、疑問に思ったのだ。

 恋愛物に当て馬が出てくるのは当然の流れだが、それだとあまりにも報われなれなさすぎるではないか。当て馬にも救済処置は必要だろうと。そんな彼の問いに、シナリオ担当は腕を組んで意味ありげで加えてわざとらしい笑みを口元に浮かべる。

「ふっふー、それはねぇ……大きなネタバレをするとね! 最終的に――」

 その先の言葉からは、秦景楓の記憶からシャットアウトされているのだが。

 そこでシャットアウトするなと思うだろうが、怒らないでやってほしい。仕方ないだろう? 壮大なネタバレだったのだ。秦景楓は、ネタバレは食らいたくない方の人間なのだから。

 さて、そんなシナリオ担当曰く褒められた性格じゃない皇后、淳貴妃だが、ドラマでは様々な所で妨害を仕掛けてくる如何にもな悪女として描かれる予定だったそうな。簫凌の養子である彼女は、血こそ高貴ではないが養子であるが故に相応の身分を持つ。養父が皇帝の弟ともなれば、大人が揃って媚びて胡麻をするのは当然だろう。それだけではない、彼女の背後にいる養父の存在が圧となり、「逆らってはいけない」という緊張感を与えていたのだ。

 故に、彼女がこれを食べたいと言えば、料理人は喜んで彼女の機嫌を取った。家臣の所有する物を欲しがれば、それが当人にとってどれほど大事なモノであろうと捧げられた。そうして甘やかされて育った彼女は、傲慢さを隠そうともしない悪女へと成長した。まぁ、よくあるシナリオだろう。

 彼女の心に、簫司羽への好意があるかは不明だ。作中の数多くの妨害が、嫉妬から生じたモノなのか、将又別の何かか。それを知るのは、シナリオ担当陣のみだろう。秦景楓はそこらの情報も教えてもらった……正確に言えば「一方的に語られた」なのだが、得たシナリオの情報はネタバレと判断されシャットアウトしてしまった情報に含まれている。

 だが、なんであれ彼女が「悪女」と呼ぶに相応しい存在である事には変わりないだろう。

 そんな悪女には、紅い衣がよく似合う事だ。

 それは、ドラマシナリオとは違う世界線、秦景楓が「秦景楓」として雑草の編み物をしていたのと同じ頃だった。淳貴妃は紅く華やかな衣を纏い、皇帝の寝宮の門前にいた。凛と美しい女人は、街で歩いていれば全ての男の視線をかっさらっていく事だろう。淳貴妃は、それ程までに美しかった。

「お引き取りください。簫皇帝は、ただいま休息中です」

 しかし、そんな彼女は、今まさに門前払いを食らいそうになっていた。

「私は皇后よ、妻が休憩中の旦那に会っちゃいけない理由なんてあると言うの?」

 彼女は紅を塗った艶やかな唇を歪ませ、目の前に立つ男、李公公りこうこうを睨む。しかし、彼は一切動じる事もせず、皇后に対してだろうが変わらない事務的な対応を行った。

「何人たりとも入れるなと、簫皇帝のご命令でございます。どうぞ、ご理解ください」

 先代の時から王宮に仕えている彼にとって、身分を盾に身勝手しようとしてくる相手は慣れたモンだった。例え相手が皇后であろうと、結局王宮内で優先されるのは皇帝の言葉。他多数の権力ある者の百言より、皇帝の一声が重要視される世界を守り通しているのは、偏にこの彼の確固たる態度のお陰だろう。

 しかし、産まれてから甘やかされてばかりだった淳貴妃にとってその態度は、不快そのものでしかなかったようだ。

「なによアンタっ、生意気ね! 私が誰だか分かってんの!?」

「えぇ勿論。ですが何度も申し上げているように、私の主は簫皇帝であって、貴女ではございません。お引き取りください」

 声を張り上げる淳貴妃の顏は真っ赤になっていた。それは勿論、思い通りに行かなかった事への怒りもあったが、どちらかと言えば、彼女の中で大きかったのは羞恥の方だろう。

 今の彼女を一目見れば、どんなに鈍感な男だって気付くだろう。彼女が、どれ程までに気合を入れて来たのか。隙の無い化粧に仕立ての良い服、どちらも彼女の美しさを引き立てるよう計算された代物だ。しかし、門前払いを食らった、それがどれ程屈辱的な事か。彼女には、心なしか遠巻きから見てくる人々の目が嗤っているように見えていた。

「この――っ」

 赤く震えながら、彼女は上げた手を李公公に振り下ろそうとした。しかし、平手が彼の頬を叩くその直前、

「貴様っ、何をしている!」

 一つの若い男の怒声が彼女を鋭く一喝した。瞬間、淳貴妃の体は強く叩かれ地に転げる。

 押し倒されたと表現するのが正しいだろうか。そうして地を這った彼女の美しい顔には、擦り傷が出来てしまっていた。

 彼女が顔を上げた先には、険しい顔に酷い剣幕を見せた美男――皇帝、簫司羽が、怒りをあらわにそこにいた。

 少し前、淳貴妃と李公公の騒ぎを見た家臣の一人が皇帝に事の顛末を伝えたのだ。聞きつけ、彼はこうして駆け付けた。たった一つ、怒りに突き動かされるように。

「ひっ、酷いわっ! 私は貴方の妻なのよ!? どうしてこんな仕打ちをするの!?」

 擦った頬を抑え、醜くも喚く美女。その様は、滑稽とも言える事だろう。そんな彼女に向けられたのは、怒りに満ちた彼の怒鳴り声だった。

「失せろっ――、貴様の顏なんぞ見たくもない!」

 叩きつけられた憤怒に、淳貴妃は怯えを見せる事しか出来なかった。体を震わせ、頬に手を添えたまま、脱兎の如く立ち去った。相手が視界から消えた、それでもまだ落ち着かず肩で呼吸を繰り返す簫司羽に、李公公は手の平と拳を合わせ、頭を下げる。

「申し訳ございません。私が至らぬばかりに。お手を煩わせてしまいました」

 少しの間、簫司羽は何も答えなかった。しかし、数秒後に正常な呼吸を取り戻し、宙で制止していた手を体の横に項垂れさせた。

「お前は……大丈夫だったか?」

 李公公に目を向けたその目は、先程の鋭い目つきとは打って変わって弱々しくも感じる。彼の弱さを感じながら、李公公は「はい」と短い返事を返し、己の主に歩み寄った。

「お部屋に戻りましょう、簫皇帝。今日は、やや風が冷たい日でこざいます」

「……あぁ」

 促され、歩みを戻す。己の寝室に戻るや否や、椅子に雪崩れるように腰を下ろし、息を吐く。李公公はそんな主に手早く入れた手の茶を用意し、その机に差し出した。

 簫司羽は茶を手に取り、口を付ける。熱さをもった液体が喉を通り、食堂から通り胃を温める。そうなれば、心なしか少し落ち着くような気がした。

 人から差し出された茶をこうも警戒に無しに口を付けられるのは、相手が李公公だからだろう。あっという間に飲み干し、また一つ息を吐く。

 怒りは、少しは落ち着いただろう。頬杖を突いた彼に、李公公は静かに探るように口を開く。

「簫皇帝。淳貴妃についてなのですが。どうか、彼女には過不足なく接していただきたい。貴方様はまだお若く、王宮内には簫凌皇叔の指示する者が多いのも事実。現状、もうしばし我慢が必要です」

 深く頭を下げた彼の言葉は、慎重ながらしっかりと筋をぶらさず伝える。

 簫司羽の眉間に皺が刻まれる。

「まだ、我慢しろと言うのか……」

 顰めた顔でぼやくと共に、彼の男らしい手に力が籠った。強く握られた杯には、先ほどまで注がれていた茶の熱がまだ微かに宿っていて、熱さに弱い者は掴んでいられぬ状態だっただろう。しかし、器に遺った余熱など、今の彼には関係ない。

「俺にっ、いつまで我慢しろというのだ!」

 放たれた言葉と共に薙ぐように投げ飛ばされた杯は、虚しくも大きな音を立て床に破片を散らばす。幸い、その先に人はおらず破片はただ床に砕けただけであった。

「俺が気付いていないとでも思っているのかっ、全て大舅が仕込んだ者だろう!? 俺がガキだからと、上手いこと利用して政権を我が物にしようとしているのはお見通しだ! 古狸共にはもううんざりだっ、俺にバレないと思っているのか!? ただ不愉快だっ!」

 彼の心は、今の言葉に全てがあった。

 若くして就任した彼は、王宮に蔓延る古狸から好意の目で見られないのは確かだろう。上手い事利用し実権を握ろうとする者達、もしくは、その命を摘み取り己が都合のいい者を皇帝に仕立て上げたがる者が、王宮内には沢山いた――その筆頭が、簫皇帝が大舅と呼んだその男、簫凌だ。

 若さを理由に案に嗤う朝廷の者共。簫凌を支持する古狸共達と、彼等の陰謀により仕向けられる数多くの罠は、不愉快そのモノでしかないだろう。そして淳貴妃は、その内の一つであると、簫司羽は既に気付いていた。

「淳貴妃だってそうだ! アレは俺を愛してるなどのたまわくが、大舅の養娘という時点で分かりきった事! どうせ全て戯言なんだ! 不快だっ、いつまで我慢しろというのだ! いつまで、いつまで俺は……っ!」

 強く握られた両手の拳が音を立て机を叩く。叫んだ言葉の後に漏らされた微弱な余韻の如き言葉は、まるで子どもが泣く直前のように震えている。

「簫司羽様」

 落ち着いた李公公の声が、その名を呼び掛ける。皇帝をではなく、目の前で震える一人の青年を呼ぶその声色はどこか優しく、その目はどこか、我が子を見る親のような影もあった。

「すまない。取り乱した……李公公。湯浴みがしたい」

「御意に。ですがその前に、茶杯を片付けてからです」

 李公公は、横目で無残な状態になった杯を映す。幸い中身は全て飲み干した後だった為、そこにあるのは破片のみだ。片づけにはそう時間もかからないだろう。

「直ぐに終わらせますので、お座りになってお待ちください。簫司羽様」

「分かった」

 簫司羽は、痛む頭を押さえながら、カチャっと破片同士が軽くぶつかる音を聞き流していた。

(あぁ……お気に入りだったのに……)

 なんて、ぼんやりとそんな事を考えながら――


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