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【第一章】「冷宮」

 鏡はあるようで、壁に備わったそれを目に映す。するとどうだ、その中には可愛らしさと美しさを兼ね備えた男がいるではないか。これが、「秦景楓」の容姿だ。こういっては自慢に聞こえてしまうかもしれないが、何気に彼の元の秦景楓としての容姿とちょっと似ている。

 しかし、このような可愛らしい素材には見合わず、よく見れば頬が少しこけているように見えた。その原因は。直ぐに「秦景楓」としての記憶が脳裏に過り、同時に確認したドラマの脚本として思いだせた。

 それは、どれ程前の事だろうか。そう昔の事ではない、一・二年前の話だ。

 表面上は穏やかに見えても、やはりこう言った王宮には後ろめたくほの暗い策略や陰謀がはびこっているモノ。皇帝の座を狙う物は詮索をすれば五万とおり、何より王族の血でありながら皇帝になれぬ者は、妬みも混じった強欲で王座を狙う。まるで蛇のように草陰に潜み、狡猾に、いくつもの罠を仕掛けながら今か今かと時を持ち忍んでいる。

 先帝に五割程似た顔の男は、呼び出した秦景楓を前に一笑し、そのつま先で秦景楓の顎を持ち上げた。

「はっ、愚兄の好きそうな顔だ。きっと犬甥も好みであろう」

 秦景楓はそんな彼に跪かざるを得ない状況を屈辱的に感じていたが、無下にすることは許されず、奥歯を噛みながら耐えるしかなかった。

 嫌でも視界に映る、黒い心を隠せず整った顔立ちに歪んだ笑みを浮かべるその彼は、先帝簫允の血の繋がった弟なのだ。貴き血のお方は、皇后でもない有象無象といる一介の妃の、更に肩身の狭い男妃風情が楯突けるモノではない。

「聞いたぞ。演舞、武芸、奏楽、全て滞りなく熟せる技能。男のくせに妃になるだけある。その才、私に活かすが良い」

 秦景楓は皇帝を誘惑し懐に入った所でぐさりと一発、毒の秘めた刃で殺すよう指示された。それはまるでお誘いのような口ぶりだが、その中には否と言わせぬ圧がある。

 秦景楓は、本当は断りたかった。道理に反しているという事は勿論だが、理由はそれだけではない。

 表に出る事を嫌い、正式な場ではいつも顔をベールで隠して、不機嫌そうに頬杖をついている現皇帝。しかし、彼は真面目で堅実な政治を行っている。愛想があるとは言えないが、統治をする君主としてはそれなりに良い君主であろうと、そう思っている。良い国は良い王の元に成り立つモノ、視界に映るこの男に王座を明け渡した時、たちまち国は悪い軌道に乗る事になるだろう。

 しかし、彼に許された返答は一つのみ。仮にでも王族の血であるこの男に、逆らう事は赦されない。

「ぎょ、御意に」

 恭しく頭を下げ、唯一口に出来る返事をした。その時点で、彼の命運は決まったようなものなのかもしれない。

 端的に言えば、彼は任務を失敗したのだ。元より警戒心の強いと言われる皇帝に近づく事すら出来ずに、ただ時だけが過ぎていった。そもそもの問題として、妃が後宮から抜け出すというのも至難の業で、王宮まで行く事すら成功できたのは数回だ。それでも、彼は、本気を出せば乗り越えられた事だろう。しかし、成してはいけない任務に全力を出す事は出来ず、いつまでも失敗を続けた。

 そうして待てど暮らせど成果を出さない秦景楓に、ついに簫凌は痺れを切らした。

「役に立たない駒はいらぬ」

 結果、秦景楓はその一言で切り捨てられた。そうして簫凌の息がかかった小宦官により、この冷宮に入れ込まれてしまったのだ。

 しかし、秦景楓はそれでいいと思えた。これで、少しでも国の平和を守れたのなら、それでいいと。それが、冷宮に入れ込まれる前の秦景楓の物語だ。

「それで、こうなったと……」

 経緯を思い返した彼は、痛む頭を抱えぼやく。

 いつの間にか用意されていたのか、その横目には袖机に置かれた皿が写っていた。どう見たって残飯の詰め合わせおかずは、お世辞にもちゃんとしたご飯とは言えず、量は少なくしかも冷めている。粗飯という言葉はこのの為にあるのだろう。そう思えてしまう程、お粗末な見た目の飯だった。そして饅頭だが、冷めて硬くなっている。どうしたって美味しいご飯とは言えないだろう。

 まぁ、最悪これでもいい。これをニ・三食もらえるならまだ良かった。しかし、一日一食なのだ。この粗飯を、毎日朝一回。腹が満たされる訳がない。そりゃ腹の虫だって大ブーイングを起こす訳だ。

 何でもいいから食わせろ。とりあえず食え。こっちはお腹が空いたんだと騒ぐ虫達。黙らせるには、これを食べるしか選択肢はないだろう。

「いただきます」

 手を合わせ、箸を手になる。決して美味しいとは言えぬが、まぁ腐っても後宮の飯だ、吐き出すほど不味いことは無い。この料理を簡単にで表すのであれば、「食える」の一言だろう。

 こんな飯でもとりあえず腹の一部は埋まるのだから、不思議なものだ。ここ最近こんなものしか食べていないから、胃袋が小さくなったのかもしれない。

 食べながら、秦景楓は解決策を見出そうと考える。

(あのシステムが言うには、あの主人公を攻略する訳か……とりあえず、ドラマの脚本でも思いだそう)

 それにはまず、この物語について分析しないとだろう。秦景楓が担った役は、物語の初版で登場し、直ぐにリタイアするキャラだ。故に、最初の方の台本は持っているし、かなり読み込んだのだ。故に、導入部分や設定はそれなりに把握している。

 物語の舞台は「星月国」という国で、星月の加護の下に存在する黒を神聖視する国だ。王族である簫池は、国で最も高貴な血を引く神の子孫とも言われ、国内でこの苗字を名乗っていいのは神の血を引く王族のみと言われている程だ。そのような高貴な血筋に産まれた現在の皇帝は、二十一歳という若い男で、名は簫司羽。ドラマでは秦景楓に継ぐメインキャラだ。

 早くに父が逝去し、十七歳という年で皇帝の座に就く事になった簫司羽。そうでなくとも皇帝の長男という立場で、命を狙われる事もザラにあった彼の気苦労は、正直考えたくない。

 残念な事に、把握している簫司羽の人物像はそれだけだ。何故ならドラマの初版での簫司羽の出番はそう多くなく、初版のパートはどちらかと言えばもう一人のメインキャラ、顧軒こけんと秦景楓の関りがメインなのだ。

 どうやらドラマは所謂三角関係を描いた作品のようで、傾国の美人とも言える男妃秦景楓と、数少ない男妃仲間である顧軒、そして若き皇帝簫司羽が繰り広げるボーイズラブ作品だ。二人の存在に矢印を向けられる秦景楓がどちらを選ぶのかというのが見どころだろう。

 ちなみにシナリオ担当紛う事無き腐女子が言うに、本命のカップリングはどちらかと言うと顧軒×秦景楓のようで、作品の収着地点もそのカップリングのようだ。

「珍しいよなぁ、皇帝の方が当て馬なんて……」

 硬い饅頭を飲み込み、初めてその話を聞いた時と同じ感想を呟く。

 珍しいというのは、彼の主観に過ぎないのだが。なんとなく、身分が高い方が勝ちそうなイメージがあるのだ。とは言え、ボーイズラブ作品に限らず恋愛物はなんだか気恥ずかしくてあまり読めない為、ちょっとした偏見なのだが。

 ちなみにそれを教えてくれたシナリオ担当は、「愛を勝ち取れなかった皇帝簫司羽は、愛に狂うのよっ!」と、そんな事を言っていた気がするが、あまりにも不穏だし普通のネタバレだった為記憶からシャットアウトしている。

 自分が役者として登場するのは最初だけだ。だから、それ以外の部分は視聴者として楽しもうかと思っていたのだ。後になってその選択を後悔する事になるとは思っていなかったが。

(あぁ、そんな事はいいんだ。攻略のヒントを……)

 と、ここで一つ気が付いた。あれ、簫司羽について何も知らなくね? と。

「あー、折角シナリオ担当さんと話したんだから、根掘り葉掘りきときゃ良かった」

 ネタバレを回避したのがまさかここで傷となるとは。想定できる訳がないだろう。そもそも、顔すら知らないのだから。

 うんうんと頭を抱えるが、思考は纏まらない。

「とりあえず、外出るか……」

 辿り着いた答えは、それだった。

 ワンチャンあるかもしれない。こう、パンを加えて走っていたら曲がり角でぶつかって出会う的な、そんな偶然の出会いがあるかもしれないだろう? この世界にパンがあるかは知らないし、冷宮内で偶然皇帝と! というのはまず有り得ないのだが。そもそも簫司羽は、後宮に顔を出さないで有名なのだ。

 その時、外に出て見えた光景は、彼の思っていた物とは大分違う物だっただろう。

 雑草達は青々と元気に生えているが、所詮は雑草だ。青々しいはずなのに、なんだろうか、全体的に灰色に見える。手入がされていない庭は、これ程までに廃墟感を漂わせるのだ。

(なんだろう、廃墟の庭かな? うーん、そういうゲームあったなぁ。庭をキレイにしていくやつ。開発援助したなぁ、懐かしー。バグが大量発生したなぁ、あれは地獄だった)

 瞼をひくつかせながら、現実逃避のようにそんな思い出を懐かしむ。四六時中パソコンと睨めっこをして、その後の目の渇きようと来たら……あれは、しばらくプログラムコードを見たくなくなった。

 さて、逃避はここまでにしておこう。草を踏みしめ、秦景楓は探索を始める。とは言えこのそこそこ広さのある庭には、基本的に草しかない。ぐるりと一周して回ってみたが、精々井戸があったくらいだ。そんな中で、この場に一際目立つのはこの高い壁くらいだろう。

 なんだか、少し前に少年誌で掲載されていた巨人漫画を思いだす。いや、流石にそこまでは高くないのだが。精々、五分の背丈五つ分だ。ドラマの台本でも分かる通り、壁を回って行けばどこかに門があったはずだが、南京錠がかけられ鍵がないと出られないようになっている。実際この目で見たから間違いない。これは、一種の監獄とも言えるだろう。先程、バッタリ皇帝に合うのは有り得ないと断言したのは、これがあるからだ。

 試し壁に触れてみると、ざらざらとした材質で触ると白っぽい粉が指先に付着した。

「塗装が劣化しているのか……結構、放置されてるんだろうな……」

 振り返ると、伸びきった雑草の中に佇む小ぶりな宮。他に人の気配も無く、手入れの行き届いていない庭もあり、とても寂しい光景だ。それもそうだろう。冷宮は妃として見捨てられた者、もしくは罪を犯した「廃妃」と呼ばれる者が追いやられる場所だ。華々しさの欠片も無い。

「マジで、どうしよ……」

 開始早々に関わらず、途方に暮れ始める。

(この状態で一体どうしろってんだよ、システム……そもそもシステムってなんだよ、正体を明かせ! いや、「移転システム」ってのが正体かぁ……いや納得できるかっ!)

(シナリオでは、顧軒にこっそり外に連れ出してもらって、顔を隠して出歩いている所を簫司羽に見つかってから全てが始まった……今の時系列はどこだ? 顧軒が来る時系列って、というかそもそも、同じシナリオで進むのこれ!?)

 全てが不明確で、ただ思考はぐるぐると回る。というより、シナリオ通りに進んだら顧軒エンドではないか。システムがそれを許すだろうか、いや、多分許さない。

 その日一日、秦景楓はひたすら考えていた。意味も無く部屋をぐるぐる回りながら、庭を歩き回りながら、時間が経って再び騒ぎ出した腹の虫を叱責して考えた。

 しかし、空腹に支配された脳はろくに回らない。そもそも、ポイントはどういう風に加算されていくのか。逆に減算はあるのか。だとしたらちょっと厄介だ。

「はぁ……難しいよ……」

 なぜだか大きいベッドに大の地になり、天井を見つめる。

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