苦しむ悠の手をずっと握っている黒田を、鳥羽はただ見ているしかないもどかしさがあった。こんなにも何もできないと情けなくて死にたくなる。既に死んでいるが。
だが、徐々に悠の表情が穏やかに落ち着いていくような気がして、鳥羽は銅鏡へと目を向けた。
『悠、その調子よ! 癒着が解けてきた。自分で跳ね返し始めたわ!』
腹の中の蟲は苦しがってのたうっているが、悠は落ち着いている。あまり引きずられていない。ポォと、蛍の光が辺りを照らした。
「なんか、静かになってきたぞ。大丈夫なのか?」
「はい。蟲との繋がりが解けてきたようです。黒田さんとの絆、思い出したのだと思います」
少し、悔しくもある。お仕えしている主の心は黒田のものなのかと思うと、多少面白くない。頼って貰えないのかと。
だが、仕方がないとも思う。悠にとって黒田は特別だ。辛い時代、悠を一番側で支えていたのはこの人なんだから。
『これなら、私の光が届くかも』
巫女が優しく静かに鈴を鳴らす。すると、木漏れ日のような優しい光が悠を包んだ。
「なんだ? その鏡、光ってんのか?」
「雅楽代家に伝わる守り神です。悠様を、助けようとしてくれているのです」
流石に黒田に巫女の声は聞こえていないようだ。まぁ、時間の問題なのかもしれない。霊的な力というのはそれに触れる機会が多ければ強くなる傾向にある。黒田は元々才能があるのだから、これが強まればそのうち巫女の姿や声も聞こえるかもしれない。
「随分、温かい光だ」
黒田の腕の中で、悠はほっとした穏やかな表情になる。辛そうな息も落ち着いてきた。
『剥がれてきたけど、出すには足りない』
巫女が悔しそうに呟く。その声を遮るように、ドタバタと廊下を走る音がした。
「悪い、待たせた!」
「九郎丸!」
「誰だ?」
「おわ! 黒田の旦那もいたのか」
駆け込んできた九郎丸の手には小さな袋がある。それが、今唯一の希望だ。
「虫下し、できたんですか!」
「ん? あぁ、そうそう! 悪い、材料がちと足りなくて調達してて時間くったんだ」
黒田の横に移動した九郎丸が、それを黒田に差し出す。だが、突然差し出されたって黒田は受け取れない。彼の手は悠でいっぱいだ。
「いや、無理だろ!」
「おっ、悪い」
「お前、誰だ? ここの家の奴か?」
「その人は九郎丸。家の用心棒のようなものです。何せ蔵が3つもあって目立ちますから」
「あぁ、まぁ、確かに目立つが……九郎丸?」
ふと首を傾げた黒田はマジマジと九郎丸を見る。が、しばらくして首を横に振った。その様子に九郎丸の方がニヤリと笑った。
「どうしなすった、黒田の旦那?」
「いや、ミケの名前が確かそんなだったような気がしたんだが……流石に気のせいか」
「ふふ~ん♪」
ニヤニヤと笑う九郎丸は状況を忘れて楽しそうだ。鳥羽は溜息をつき井戸から水を汲んで、悠を挟んで黒田の正面にきた。
「僕が飲ませます。黒田さんはこのまま抱きかかえていてくれますか?」
「あぁ」
九郎丸から袋を貰って中を開くと、小さな丸薬が出てくる。飲み込みやすいようにと小さくしてくれたのだろう。
「そんなんで本当に効くのか?」
「これが実際の寄生虫相手なら効果はなしですが、霊的な蟲には
悠の口に丸薬を含ませ、水を少しずつ流し込む。前のように暴れる事もなく飲み込んだ悠はしばらくは静かだった。が、しばらくして再び体をくの字に折って苦しげに咳き込み始めた。
「おい!」
「大丈夫です! 大丈夫」
とは言ったが、鳥羽も不安だった。腹の中で蟲は苦しげに暴れて逃げ道を探している。悠も辛そうだが、蟲の苦しみに比べれば軽い。完全に寄生されていた部分が切れたに違いない。
『えぇい、もどかしい! 妾の悠から出て行け!!』
明るい光が悠を包んでいく。その神気に当てられた蟲は慌てて上へと逃げ出した。
「出ます!」
苦しげな嗚咽を漏らす悠をうつ伏せにした黒田が背中を撫でる。そうして何度か嗚咽した悠の口から、それは僅かに頭を出した。
半透明なそれは透けてはいるものの色まで毒々しく視認できるレベルまで育っていた。それが逃げ道を探して這い出してくる。
これを引きずり出さなければ。だが蟲も宿主を失っては困るとばかりに再び悠の中に引っ込もうとする。
だが、それを許さない者がいた。
僅かに見えたムカデの頭をむんずと掴んだ黒田が、それを一気に引っ張り出していく。優に30cmはあろうお化けムカデを素手でつかみ取り、引きずり出して後方へとぶん投げたのだ。
『ひぃぃぃぃぃぃぃっ!!』
巫女はあまりのおぞましさに悲鳴を上げている。
後方へとぶん投げられたムカデは柱にぶつかって床へと落ち、逃げようとしたところを九郎丸に捕まった。
30cmクラスのオオムカデの尻尾を捕まえてぶら下げる九郎丸を見て、鳥羽も冷や汗が出る。正直、近づいてほしくない。
『いやぁぁ! 気持ち悪い! クロ、さっさと処分しちゃって!!』
「はいはい、了解。んじゃこれ、処分してくるわ」
「あぁ、うん。よろしく頼んだ」
凄くいい顔をして出て行ったのを見るに、おそらく食うんだろうなと察して、しばらくアレに近づきたくなくなってしまった鳥羽だった。
「げほっ、ごほっ」
「悠!」
「悠様!」
すぐに用意しておいた水を少量飲ませると、悠の咳も治まって体から力が抜けたのがわかった。それでも消耗したことに変わりはなくて、頬が赤らんでいる。
「もう大丈夫なんだな?」
「はい。ただ、体力的にも精神的にも消耗は激しいでしょう。2~3日は寝込むかもしれません。でも、回復しますよ」
「そうか……」
黒田もドッと疲れたのだろう。体から力が抜けた感じだ。
その時、僅かな揺れに目を覚ました悠が黒田を見上げ、黒田もそれに気づいて片手で汗ばんだ前髪を撫でた。
「意識戻ったな。大丈夫か、悠」
「黒田、さん」
仰向けに抱き直されていた悠はぼんやりと黒田を見上げていたが、次第にその目に沢山の涙が溢れて落ちていく。驚いたのは鳥羽だけじゃなく、黒田もだったのだろう。明らかにオロオロし始めた。
「どうした悠! どこか痛むか? 気持ち悪いとか、腹が痛いとか」
「黒田さん」
泣きながら黒田の首に抱きついた悠は、子供のように大きな声を上げて泣いた。今までため込んでいた分を吐き出すように泣く姿は、驚いたけれどどこかほっとした。
本来彼のような生い立ちで、しかもこの年齢で、あんなに前向きに冷静に強く生きてはこられないんだ。本当はもっと訴えたい事もあるだろうし、苦しいと言いたくなる時もある。それでなくても多感な時期なのだ、理由も無く不安になったり、小さな事で嫌になることもあるんだ。
黒田は悠をしっかりと抱きしめて、甘やかすように頭や背を撫でている。その彼の横顔もまた、ほっとしているように見えた。
悠は泣き疲れて眠ってしまうまでずっと、ずっと泣いていた。数年分の苦しさを一気に吐き出した後の彼の寝顔は、とても穏やかだった。