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3-1 一人ではない(1)

 ふと、小さな光が前を漂う。儚いのに力強く感じる光に手を伸ばした俺は、その手を取ってくれる大きな手を感じた。


 目が覚めた時、そこは真っ白い部屋だった。消毒の匂いがするそこに、知らない人が座っている。明るい茶髪のチャラそうなその人は俺が目を覚ますとパッと表情を明るくした。

「よかった、目が覚めたっすね!」

「え?」

「あっ、そのままで! 黒田さーん!」

「あの……」

 ここはどこだろう。なんて、辺りを見回せば分かった。腕には点滴が刺さったままで、俺は入院着を着ていた。

 少しして、さっきの茶髪の人が人を二人連れて戻ってきた。一人は白衣を着ていたから医者なんだと分かる。けれどもう一人は、どうもそうではなさそうだ。

 ジーンズに黒いシャツという姿だが、雰囲気はどこか怖い。目つきが鋭くて、見られただけなのに睨まれている感じがする。

 その人が俺を見て手を伸ばしてきて、俺は怖くて萎縮した。ギュッと目をつむり体を強ばらせた俺の頭を、その人は少し不器用に撫でてくれた。

 おっかなびっくりというか、恐る恐るというか。そんなぎこちない手つきに目を開けると、その人は目を細めて穏やかな顔をしている。

 この人は、怖くない。そんな気がした。

「大丈夫か、坊主」

「あ……あの……」

「ん? どうした?」

 「貴方は誰ですか?」「俺はどうして病院にいるんですか?」

 聞きたい事は沢山あるはずなのに言葉が出てこない。その間に医者が色々みてくれた。

 診断は栄養失調。もっと言えば、飢餓状態というものだった。

「まさか、他を脅しつけて真っ先に入ったら倒れてるとは思わなかった」

「すみません」

 医者が去って、茶髪の人も買い物に出て、今は病室に二人きり。椅子に腰を下ろしたその人は黒田と名乗った。

 あの日、最後に聞いたノック音はこの人のものだった。複数いた怖い人達に話をつけて最初に入ったらしく、そこで倒れている俺を見つけたらしい。

「お前、名前は?」

「御堂悠、です」

「歳は?」

「13です」

「13か……ったく、こんなガキ一人ほっぽりやがって」

 いらついた声の黒田さんに怯えると、彼は気づいて「悪い」と謝ってくる。それに俺は「いえ」と言うばかりだ。

「あの……父がどこにいるか俺、知らなくて」

 何か言わなければと、俺は口を開く。でも、こんなのこの人達にしたら知った事ではないのだろう。俺は金を借りている父の息子で、血縁者なら当然借りたものを返す義務があると、この人達は言うのだろう。

 何をしなければいけないのだろう。怖かったり、痛かったりするのだろうか。不安でたまらなくて、顔を上げられない。

 その頭を、黒田さんはポンと撫でてくれた。

「んな顔をするな。流石に未成年に金返せなんて鬼みたいな事しねーよ」

「え?」

「あ? なんだ?」

「あの……俺、どこかに売られたり」

「するわけないだろ!」

「強制労働」

「おい!」

「……内臓とか」

「するか!」

 ギョッとした顔をする黒田さんが参ったように頭をかく。

 この人は、怖くない? そんな希望を持って、でも持ちきれなくて困る。どう接していいのか分からない俺は、頼りなく彼を見るばかりだった。

「……お前から取り立てるつもりはないから、安心しろ」

「あの……」

「それよりお前、いつからまともに食ってない」

「……4日前くらいに、パンのみみ」

「な! まさかずっとそんな食事じゃないだろうな?」

「パンのみみはご馳走です。水や雑草よりも美味しいです」

「マジか……よく生きてたよお前」

 頭を抱える黒田さんが大きく溜息をつく。そしてまた、俺の頭を撫でるのだ。

「お前、相当まずかったんだぞ。死にそうだったんだ。自覚あるか?」

「え? えっと……」

「保護施設にでも駆け込めばよかったんだよ。お前が入院してから少し調べたが、相当じゃねーか」

「あ……」

 言葉もない。でも、頼る相手も分からない。父は天涯孤独で、母もかけおち状態なのを知っていた。誰に頼っていいかなんて、思いつきもしなかった。毎日必死だった。

「あ、入院? あれ? 俺、保険とかない」

 日々の暮らしすら困窮している。勿論、保険料なんて払っていないはず。

 思ったら、青くなって黒田さんを見た。無保険で病院なんて、いったいいくら掛かるんだ。払えるはずがない。これ以上借金とかが増えたらどうしようもなくなる。

 だが黒田さんは頭をぐりぐりと撫でる。真剣な顔でだ。

「心配するな」

「でも! あの、俺直ぐに退院します!」

「あほ! 体はまだちゃんと直ってないんだぞ。また倒れたいのか!」

「払えないのに居られません! それに俺、もう大丈夫ですから!」

 訴えて、立ち上がろうとして……出来ない事に驚いた。足に力が入らなくて、立とうとしたら足が震えてダメだった。

 黒田さんが溜息をついて、俺をベッドに戻す。

「言ったろ、限界だったんだ。お前、ギリギリだったんだって自覚を持て。数日遅ければ餓死だぞ」

 大丈夫じゃなかった。それを実感して、愕然とした。

 こんな時、誰にこの言いようのない感情を訴えたらいいんだろう。途端に怖くなったんだ。死んでもいいと思った事はあったけれど、それが近かったと実感するとこんなにも怖い。

 言葉もなく震えていると、黒田さんがそっと肩を抱いてくれる。怖いと感じたはずの人は実はとても優しくて、俺は他に訴えられる相手も思いつかなくて、その人の腕の中で声を上げて泣いてしまった。


 それから数日、入院が続いた。

 点滴から少しずつ食べるようになって、栄養も足りるようになって退院になった。

 粛々と退院の準備をしていると、小野田さんが当然のように病室に来てくれた。

「悠くん、退院おめでとう!」

「あっ、有難うございます」

 彼は黒田さんの運転手をしているらしく、年齢は18歳で高校を卒業したてだと言っていた。なんでも、グレていたところを黒田さんに更生させられて無事に卒業できたのだとか。

 この道に入ってしまったら、更生と言えないのではないか? とは、流石に口にしなかった。

「お迎えにきたっす。さっ、行くっすよ」

「はい」

 荷物なんて殆ど無くて、薬を受け取って駐車場へと案内された。何故かお会計はこの時しなかったけれど、聞くのが怖くて聞けなかった。

 駐車場に停まっている黒塗りの車の中には黒田さんがいて、俺を見てふっと表情を和らげてくれる。隣に乗り込むのが当たり前みたいで、少しドキドキしながら座った。

「無事退院だな」

「はい。お世話になりました」

「なに、大した世話じゃねぇ。それより悠、昼は何が食いたい?」

「え?」

 確かに時間を見るとお昼時だけれど、そんな事を突然言われても困る。あたふたしていると、不意に思い出した事があった。それは、風邪を引いた時に必ず母が作ってくれたものだった。

「うどんが」

「ん?」

「母が、風邪を引くと必ずうどんを作ってくれて。卵の入った」

「よし、それにするか。消化にいい物食わせろって言われてるしな」

「え!」

「今日のお昼はうどんっすね!」

 そのまま車は走り出して、俺は黒田さんや小野田さんと3人でうどんを食べた。

 母が作ってくれたクタクタのうどんとは少し違ったけれど、なんだか温かくて、とても美味しくて、お腹じゃない部分も満たされていった。


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