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2-3 蟲(3)

§


「げほっ! うっ、がは! いっ……あぁ……」

「悠様!」

 苦痛が深くなっていく様子に鳥羽は焦って悠の手を握る。沢山の祈りを込めても、守ろうと力を送っても届いている感じがない。

 悠の口元が、また僅かに赤くなった。ムカデは腹から徐々に胸へと上がろうとしている。これが心臓にまで達してしまったら、どうなるのだろうか。

「水……」

 何でもいいから助けになれば。

 鳥羽は立ち上がり、井戸から水を汲んだ。これは儀式の禊ぎにも使う神聖な水。巫女の力で清められた水だ。

 戻って、上体を起こして少しずつ入れていく。けれど直ぐに吐き戻してしまって飲み込んでくれない。

 頑張って、少しずつ。飲ませると悠は悲鳴を上げて苦しんだ。けれどそれは同時に、体の中のムカデが苦しんでいるようにも見える。暴れるから悠も苦しむのだろう。

 もしかしたらこれで払えるかもしれない。けれどこんな苦しみ、耐えられるのか?

 無力さに痛いくらい奥歯を噛んでいる鳥羽の耳に、不意にゴンゴンと表のドアを叩く音がした。

 九郎丸……ならば、勝手に入ってくるだろう。ならば、誰だ?

 表に出る余裕なんてない。悠の側を離れたくない。そう思う鳥羽の目の前を、不意に優しい光が流れていった。

「……蛍?」

 部屋を横切り、表の玄関へ。それを見ていた鳥羽はハッとして、表へと転げるように出ていった。

 古い引き戸を開ける。するとそこにはスーツ姿に髪を乱した黒田が、少々困惑した顔で立っていた。

「黒田、さん……」

「あー、悪い、こんな時間に。どうにも悠の様子がきになっちまってな」

 ばつが悪そうに頭をかく黒田も、どうしてここに来たのか理解出来ていない様子だった。

「なんか、おやじの家に向かう途中で妙な光が飛んできて、悠の家の方向に流れていくんだ。それが、二回もあると気のせいとも思えなくて。見間違いじゃなければ、ありゃ蛍だ。もう11月も末だってのに」

 蛍。やっぱりだ!

 鳥羽は黒田の腕を掴んで家へと引っ張り上げた。戸惑う黒田などお構いなしに引きずり、祭壇の間へと戻る。悠は少し静かになっていたが、それが逆に怖かった。

「悠!」

 黒田が焦って駆け寄り、悠の体を抱き上げる。その衝撃からかまたムカデは暴れ、悠を苦しめる。激しい咳に血痰が混じるのを見て、黒田は顔を青くした。

「お前、何ぼけっとしてやがる! 病院!」

「医者じゃ直せないんですよ」

「何言って! ……っ!」

 怒鳴り散らす黒田は、何か思い当たったのか突如口を閉ざす。

 この人に見えるかは分からない。才能はあるし、見ようと思えば見えるだろう。何より導きの神である蛍ノが彼をここに導いた。ならば、悠を救う何かを黒田は持っているはずだ。

 側に行き、服の裾を僅かにめくって黒田に見せる。瞬間、悠を腕に抱いたままドン引きしたのを見て、彼にも見えているのだと確信した。

「な……だ? おい、あれはなんだ!!」

「蟲です。おそらく悠様の中に長く巣くっていたんです」

「蟲って……」

 黒田が悠をマジマジと見る。こんなおぞましいものを見ても、黒田は悠を落とさなかった。

「……あれが、悠を苦しめているのか」

「はい。悠様の悲しみや苦しみ、辛い記憶や想いに取り憑いて、命を食い荒らそうとしています。今はまだ持ちこたえていますが……」

「どうすんだよ!」

「悠様自身がこれを振り払う気力を取り戻していただければ、はじき出すだけの力はあるのです」

 悠の霊力は強い。弾こうと思えば弾けるはずだ。

 鳥羽は黒田の前に膝を折り、深々と頭をさげる。やけに綺麗な土下座に黒田の方が戸惑った顔をした。

「お願いです、黒田さん。悠様を助けてください」

「助けろと言われても、俺にどうする事ができんだ。お前こそ、何かできないのか? 小野田についてたあいつをどうにかしたみたいに」

「精神に癒着していて、離れないのです。無理をすれば悠様の命が危ない。今は、悠様が気力を取り戻してくれるのを願うしかないのです」

「お前でダメなら俺に何ができる! 具体的に言え!」

 焦りから声を荒げる黒田に、鳥羽は静かに言った。

「手を握って、願ってください」

「願う?」

 思わぬ事なのか、黒田の声が落ち着く。そして悠の手をギュッと握ったのが分かった。

「帰ってこいと、願ってください。負けるなと、励ましてください。今悠様は辛い時の記憶に苦しめられていると思います。けれど幸せな事もあったのだと、思い出せればきっと持ち直します」

「それならお前でもできるだろう」

「僕はその頃、悠様の側におりませんでした。現実の過去に僕は存在していない。けれど黒田さんは側にいましたよね? 悠様を、支えてくれていましたよね?」

 問いかける鳥羽に、黒田は僅かに視線を落としながら頷いた。

「その頃を思い出すよう、気を送って欲しいのです。貴方の祈りならきっと届くと思います」

「……それで、悠が持ち直したらこの気持ち悪いムカデ、始末できるのか」

「はい」

「……分かった」

 黒田は悠の体を布団に寝かせ、手を取って握って自らの額に当てた。そうして願う彼の側を蛍が瞬き、悠の中へと吸い込まれていった。

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