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1-2 孵化(2)

 数日後。

 平日のお昼、悠は黒田の車で都内に出かけていた。それというのも黒田が誘ってくれたのだ。VRをしにいかないかと。

「それにしても、なんだか酔っちゃいそうです」

 いくつかのVRを体験させてもらったが、あまりにリアルに感じてちょっと疲れた。休憩用の椅子に座っていると、飲み物を持った黒田が来て悠の前にレモネードを置いた。

「慣れないと確かに酔うな」

「黒田さん、慣れてますよね。戦うやつ、凄く上手かったです」

 敵を倒すタイプのものもやったのだが、悠はまったく動けなかった。

 それに比べて黒田は敵をバタバタと倒していく。その背中の逞しさったらない。きっと女性なら、この背中に惚れるのだろうな。


……どろ……ピシッ


「?」

 また、小さな痛みが走った。細く尖ったものが刺さったような、そんな痛み。けれどやっぱり一瞬で、特に何があるわけでもない。

「どうした、悠?」

「え? あぁ、いえ」

「大丈夫か?」

 心配するように黒田の大きな手が伸びてきて、前髪をクシャリとなで上げてくる。クリアになった視界の先で、オフモードの黒田が目元を緩めて悠を見ていた。

「……黒田さんって、かっこいいなって」

「なっ! おい、大人をからかうな」

「いえ、からかったわけじゃないですよ!」

 ほんの少し恥ずかしそうにそっぽを向く。そんな黒田の照れた様子が可愛いと、思ってしまえる悠だった。

 その後、折角ならと周囲の店舗も見て回った。相変わらず何かを買おうとする黒田を華麗にかわし、それでも今日の思い出にと、二人で同じストラップを買った。人気のパワーストーンのお店らしく、黒田は悠の石を選び、悠は黒田の石を選んだ。あまり無駄遣いをしてはいけないと思いながらも、こういう思い出になるものならいいのかもしれないと、悠も最近思えてきた。

 買ったばかりのストラップをスマホにつけて行ったのは、少し早めの夕食。入ったのは、ちょっと大人な雰囲気の店だった。

「なんだか、緊張します」

「このくらいは慣れろよ。コースじゃないんだから」

 とはいえ、店の雰囲気もがちゃがちゃした感じがなくて落ち着いていて、ちょっと困る。確かにコースではないが、しっかりしたセット料理だ。

 メインとパンとサラダとスープ、そしてデザートだ。

「何にする?」

「あの、俺分からないんで選んでもらってもいいですか?」

 メニューを見てもいまいちピンとこない。

 黒田に頼むと、彼は少し考えてメニューを悠の前に広げた。

「上の3品が、魚料理。平目のムニエル。真鯛のポワレ。季節物に鮭のムニエルもあるな」

「はい」

「下の3品が肉料理。鴨肉のコンフィは骨付き肉だな。牛テールの赤ワイン煮込み。羊のローストか」

「どれも美味しそうですね。黒田さんは何にしますか?」

「鮭のムニエル」

「あ、それも美味しそう……でも、お肉も……」

 悩んでいると、黒田は面白そうに笑った。

「ここの赤ワイン煮込みは美味いぞ」

「うっ! じゃ……じゃあ、それで!」

 たっぷり時間をかけて注文する。その後は、なんだかとても静かな時間に思えた。

 料理が来て、黒田のを見ながらぎこちなくナイフとフォークを使う。そういう悠を、黒田はとても穏やかに見ていた。

「そんなに見ないでくださいよ。無作法は分かっているんですから」

「そういうつもりではないが、必死な感じが可愛いと思って」

「やっぱ思ってるじゃないですか」

 少しむくれて言えば、黒田は視線を緩めてくれる。それでもこうして向かい合って食べるのは、なんだか恥ずかしくなる。

「そういえばお前、色々進んでるのか?」

「え?」

「名前の事とか、学校の事とか」

「……はい」


 どろ……ピシッ……どろ……


「?」

 また、痛みがあったように思う。本当に体の調子が悪いのだろうか?

「大丈夫か? 今日はこれで終わりにしようか?」

「あ……」

 それは、寂しいな。

「そう、ですね」


 ピシッ、パリンッ


「!」

 今までとは違う鋭い痛みに思わずお腹の辺りに手を置く。それに黒田は眉を寄せた。

「本当に何かあったか」

「あぁ、いえ! 多分、食べ過ぎです。最近安定して3食いただいてるので胃が驚いているんですよ」

 本当にそう思っている。それにしても驚いた、胃痛なんて。これでも胃腸はかなり強いつもりだったのに。

「本当に大丈夫か?」

「はい。あっ、でもこれは頂きます。美味しそうだし、もったいないし」

「無理するなよ」

「はい」

 黒田が困ったように溜息をついて、食事を再開する。そして話題は元に戻った。

「この間、鳥羽が菓子折持っておやじの家に来たぞ。お前の親父に書類書かせに、弁護士先生とな」

「知ってます」


 ピシッ……ぐちゅ……どろ…………


「お前、会わなくていいのか?」

「会ってもきっと、お互いに何を言っていいのか分かりませんよ」


 ぐちゅ……ぐちゅ…………ピシッ


「まぁ、俺も覚えがあるからなんとも言えないがな」

「黒田さんも?」

「あぁ。両親は俺が高校生の時に離婚して、俺は父親に引き取られたんだ。その頃に上手くいかなくなって、グレちまってな。粋がってた所をおやじにぶん殴られて、話聞いてもらって、世話になった」

「とても、いい人そうでしたよね」

「ばーか、いい人はないだろ。だがまぁ、お人好しだな」

 人の耳もあるから気を遣っての会話。けれどこれは嫌じゃない。痛みもなくなって安心して美味しい料理を食べる。不思議と食べても胃痛は起らなかった。

「ったく、話がそれたな。こんな感じで本当の親父とは疎遠になった時期もあったし、今の仕事を選んだ時に勘当だとも言われたが、この年になって少し和らいだ」

「そう……なんですか?」


 ピシッ、どろ……どろろ……


「親父も歳を取ってな。今では年に1回、親父の誕生日には会って食事をしている。特に話す事はないが、互いの生存確認みたいなものだな」

「そう、なんですね」

「……悠、今はお前にとって一番大きな人生の転換期だ。そして、名前を変えるってのは大事でもある。特に話す事がなくても一度、会っておかないか?」


 ピシッ、ビシッ、ズブッ!


「!」

 酷く傷む感じがして、ジンジンと熱い。どうしてこんなに痛むのだろう。

 でも、悠は顔には出さなかった。黒田が心配するから。心配そうな顔なんて、見たくないから。

「痛むのか? 病院」

「いえ、そんな! あっ、確かカバンに胃薬ありますから」

 ごそごそ出して、鳥羽が念のためにと持たせてくれたピルケースを出す。頭痛薬、胃薬、整腸薬に酔い止め。それに絆創膏が5枚くらい。本当に過保護なお母さんみたいだ。

 それを取り出し、飲み込む。その後は少し急いで料理を食べた。

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