数日後。
平日のお昼、悠は黒田の車で都内に出かけていた。それというのも黒田が誘ってくれたのだ。VRをしにいかないかと。
「それにしても、なんだか酔っちゃいそうです」
いくつかのVRを体験させてもらったが、あまりにリアルに感じてちょっと疲れた。休憩用の椅子に座っていると、飲み物を持った黒田が来て悠の前にレモネードを置いた。
「慣れないと確かに酔うな」
「黒田さん、慣れてますよね。戦うやつ、凄く上手かったです」
敵を倒すタイプのものもやったのだが、悠はまったく動けなかった。
それに比べて黒田は敵をバタバタと倒していく。その背中の逞しさったらない。きっと女性なら、この背中に惚れるのだろうな。
……どろ……ピシッ
「?」
また、小さな痛みが走った。細く尖ったものが刺さったような、そんな痛み。けれどやっぱり一瞬で、特に何があるわけでもない。
「どうした、悠?」
「え? あぁ、いえ」
「大丈夫か?」
心配するように黒田の大きな手が伸びてきて、前髪をクシャリとなで上げてくる。クリアになった視界の先で、オフモードの黒田が目元を緩めて悠を見ていた。
「……黒田さんって、かっこいいなって」
「なっ! おい、大人をからかうな」
「いえ、からかったわけじゃないですよ!」
ほんの少し恥ずかしそうにそっぽを向く。そんな黒田の照れた様子が可愛いと、思ってしまえる悠だった。
その後、折角ならと周囲の店舗も見て回った。相変わらず何かを買おうとする黒田を華麗にかわし、それでも今日の思い出にと、二人で同じストラップを買った。人気のパワーストーンのお店らしく、黒田は悠の石を選び、悠は黒田の石を選んだ。あまり無駄遣いをしてはいけないと思いながらも、こういう思い出になるものならいいのかもしれないと、悠も最近思えてきた。
買ったばかりのストラップをスマホにつけて行ったのは、少し早めの夕食。入ったのは、ちょっと大人な雰囲気の店だった。
「なんだか、緊張します」
「このくらいは慣れろよ。コースじゃないんだから」
とはいえ、店の雰囲気もがちゃがちゃした感じがなくて落ち着いていて、ちょっと困る。確かにコースではないが、しっかりしたセット料理だ。
メインとパンとサラダとスープ、そしてデザートだ。
「何にする?」
「あの、俺分からないんで選んでもらってもいいですか?」
メニューを見てもいまいちピンとこない。
黒田に頼むと、彼は少し考えてメニューを悠の前に広げた。
「上の3品が、魚料理。平目のムニエル。真鯛のポワレ。季節物に鮭のムニエルもあるな」
「はい」
「下の3品が肉料理。鴨肉のコンフィは骨付き肉だな。牛テールの赤ワイン煮込み。羊のローストか」
「どれも美味しそうですね。黒田さんは何にしますか?」
「鮭のムニエル」
「あ、それも美味しそう……でも、お肉も……」
悩んでいると、黒田は面白そうに笑った。
「ここの赤ワイン煮込みは美味いぞ」
「うっ! じゃ……じゃあ、それで!」
たっぷり時間をかけて注文する。その後は、なんだかとても静かな時間に思えた。
料理が来て、黒田のを見ながらぎこちなくナイフとフォークを使う。そういう悠を、黒田はとても穏やかに見ていた。
「そんなに見ないでくださいよ。無作法は分かっているんですから」
「そういうつもりではないが、必死な感じが可愛いと思って」
「やっぱ思ってるじゃないですか」
少しむくれて言えば、黒田は視線を緩めてくれる。それでもこうして向かい合って食べるのは、なんだか恥ずかしくなる。
「そういえばお前、色々進んでるのか?」
「え?」
「名前の事とか、学校の事とか」
「……はい」
どろ……ピシッ……どろ……
「?」
また、痛みがあったように思う。本当に体の調子が悪いのだろうか?
「大丈夫か? 今日はこれで終わりにしようか?」
「あ……」
それは、寂しいな。
「そう、ですね」
ピシッ、パリンッ
「!」
今までとは違う鋭い痛みに思わずお腹の辺りに手を置く。それに黒田は眉を寄せた。
「本当に何かあったか」
「あぁ、いえ! 多分、食べ過ぎです。最近安定して3食いただいてるので胃が驚いているんですよ」
本当にそう思っている。それにしても驚いた、胃痛なんて。これでも胃腸はかなり強いつもりだったのに。
「本当に大丈夫か?」
「はい。あっ、でもこれは頂きます。美味しそうだし、もったいないし」
「無理するなよ」
「はい」
黒田が困ったように溜息をついて、食事を再開する。そして話題は元に戻った。
「この間、鳥羽が菓子折持っておやじの家に来たぞ。お前の親父に書類書かせに、弁護士先生とな」
「知ってます」
ピシッ……ぐちゅ……どろ…………
「お前、会わなくていいのか?」
「会ってもきっと、お互いに何を言っていいのか分かりませんよ」
ぐちゅ……ぐちゅ…………ピシッ
「まぁ、俺も覚えがあるからなんとも言えないがな」
「黒田さんも?」
「あぁ。両親は俺が高校生の時に離婚して、俺は父親に引き取られたんだ。その頃に上手くいかなくなって、グレちまってな。粋がってた所をおやじにぶん殴られて、話聞いてもらって、世話になった」
「とても、いい人そうでしたよね」
「ばーか、いい人はないだろ。だがまぁ、お人好しだな」
人の耳もあるから気を遣っての会話。けれどこれは嫌じゃない。痛みもなくなって安心して美味しい料理を食べる。不思議と食べても胃痛は起らなかった。
「ったく、話がそれたな。こんな感じで本当の親父とは疎遠になった時期もあったし、今の仕事を選んだ時に勘当だとも言われたが、この年になって少し和らいだ」
「そう……なんですか?」
ピシッ、どろ……どろろ……
「親父も歳を取ってな。今では年に1回、親父の誕生日には会って食事をしている。特に話す事はないが、互いの生存確認みたいなものだな」
「そう、なんですね」
「……悠、今はお前にとって一番大きな人生の転換期だ。そして、名前を変えるってのは大事でもある。特に話す事がなくても一度、会っておかないか?」
ピシッ、ビシッ、ズブッ!
「!」
酷く傷む感じがして、ジンジンと熱い。どうしてこんなに痛むのだろう。
でも、悠は顔には出さなかった。黒田が心配するから。心配そうな顔なんて、見たくないから。
「痛むのか? 病院」
「いえ、そんな! あっ、確かカバンに胃薬ありますから」
ごそごそ出して、鳥羽が念のためにと持たせてくれたピルケースを出す。頭痛薬、胃薬、整腸薬に酔い止め。それに絆創膏が5枚くらい。本当に過保護なお母さんみたいだ。
それを取り出し、飲み込む。その後は少し急いで料理を食べた。