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2 蛍飛ぶ道の神

 鳥羽が対応してくれて老人を奥の応接間へと通すと、老人はニコニコと悠を見て、その隣にある小さな鏡の中を見てとしている。機嫌は良くて、本当にこの人が神様であるのかと疑ってしまう感じがあった。

「巫女姫様、ご無沙汰しております」

『貴方、確か道祖神よね? 蛍ノ原の』

「おぉ、覚えていて下さいましたか! そうです、その道祖神でございます」

 そう言うと老人の体が仄かに光り、次には白い着流しを着た、老人の面をつけた姿に変わった。それは悠が夢の中で見た人物そのものだった。

「あ!」

『ふぉっふぉっ、若いということは良いですな。驚きが沢山ございます』

『こっちが本来の姿よ』

 巫女の反応に、悠の方はどう反応していいか分からない。が、とりあえず悪い感じはないので安心できる。

「あの、道祖神……様なんですか?」

『おぉ、そのように畏まらずに。儂は大昔、旅の安全を祈願する道の神でありました。名は土地から取られ、蛍ノ《ほたるの》と申します』

「蛍ノ様」

『様などと、くすぐったいものですな。いやはや、有り難い事ですじゃ』

 気のいいお爺ちゃん。そういう印象のある蛍ノは楽しそうにしている。そこに鳥羽が羊羹とお茶を4つ持ってきて、それぞれの前に置いた。

『鳥羽殿も、お久しぶりですな』

「はい、蛍ノ様。何度もご足労頂き、申し訳ありません」

 鳥羽が丁寧に頭を下げてそのように言う。「何度も」というのに、悠は首を傾げた。

「あの、何度もこちらに来ているのですか?」

 悠の問いに、蛍ノは確かに目を細めた。面の中でそのように動いたように思えたのだ。

『左様ですな』

「あの、どうして」

『預けた物を受け取りたいと思っていたのですが、なかなか良き時に恵まれませんでな。此度が最後と思い、諦め半分夢を渡ってきたのです』

 良き時に恵まれなかった? 今回が最後?

 疑問が浮かび蛍ノを見ると、彼は昔話をする老人の朗らかな顔になり、悠を真っ直ぐに見て口を開いた。

『はて、どこから話そうか。じゃが、最初からが良いのでしょうな』

「あの」

『お若い幽玄殿、儂の昔話を聞いてくださらんか? このような話もこれが最後。儂を覚えていてくれる最後の人間に、なっていただけませんかな?』

 そう言われて、悠は頷いた。蛍ノは嬉しそうに笑ってくれた。


§


『儂は元々は人間でしてね、村と村の間を走る連絡係というか、今で言う郵便みたいな仕事をしていたんですよ』

 懐かしむような雰囲気で蛍ノは話し始める。本当に心から懐かしいのだろう。穏やかな空気が伝わって、静かに聞き入ってしまう。

『天寿を全うするまで無事に仕事をやり遂げましてね。時代は争いの多い頃だったので、まさに奇跡でした。そのおかげか、家内と娘が村の出入り口に儂の墓を建てましてね。墓と言ってもただの塚でしたが。そこに旅の安全を祈願する者が増えまして、地霊とも混じり合い、道祖神となることが出来ました』

「地霊?」

『土の中に住んでる精霊みたいなものよ。豊かな土地に多いんだけど、最近じゃ見られなくなってきたわね』

『左様。儂の墓の裏手は蛍の住まう小さな小川と林がありましてな。土地の者は蛍ノ原と呼んでおり、儂の名もそこから取られたのです。地霊も多く、祈りの集まる儂の墓に集まり、幽霊の儂と混じり合ったのです』

 ふぉっふぉっと笑う蛍ノだったが、そこからは少し寂しげになっていった。

『あの時代が一番よかった。じゃが、徐々に平和な時代になっていって、人が増え、旅も昔ほど危険ではなくなっていった。儂の塚も徐々に忘れられ、蛍ノ原は人が住むために姿を消し、かつては出入り口にあったはずの塚は生活圏に飲み込まれて邪魔な石になってしまった』

「なんだか、悲しいですね」

『時代の移り変わりには勝てない、ということですじゃ』

 沈んだ声は、それでも受け入れているような感じがする。受け入れたのか、諦めたのか……分からないけれど、蛍ノの寂しさは伝わってくる。

『祀られなくなったら、儂のような小さな神は消えるのみ。静かにその時を待っておりましたが、丁度その頃儂の塚の側を四季の神が通りましてな。事情をお話しますと、本気で修行するつもりがあるならば付いてこいと、言って下さいました』

「ついて行ったんですか?」

『左様。じゃが、その時一つだけ、どうしても手放せない物がありましてな。それをどうすべきか悩んでいたおり、初代幽玄殿のお話を伺い、預ける事にいたしたのです』

 初代幽玄。その人が巫女を見つけ、鳥羽を見つけ、九郎丸を拾った。

「有名だったんですか、幽玄さんは?」

『それはもう! 妖達と人間の間に立ち、厄介を引き受けてくれると。そして、物体を長く持ち歩けない者の為に預かってくれるとも』

 よほど有能な人だったんだろうな。そう思っていると、蛍ノが楽しげに笑った。

『面影がおありですぞ、当代殿』

「え?」

『優男でね、初代も。あと、顔が良かった』

「え!」

『お人好しでな、頼まれると断れないお人だったんじゃよ。そのせいで厄介を抱え込む。巫女姫様と巡り会ってなければどうなっていたことやら』

『間違いなく、妖や怨霊に殺されてたわね』

「確かに、その通りです」

 鳥羽までもがこんな事を言うのだ。悠はどうしたものかと思うが、その割に皆が嬉しそうな顔をする。

「ですが、そのような方だったからこそ、僕のような厄介を引き受けてくれたのでしょう」

『普通、祀る者のなくなったよくわかんない銅鏡を買い取るなんてしないわよね。村人にもの凄く頼まれて金積んだのよ、あいつ』

『人の良さが滲み出ておりましたな』

 ……皆、好きだったんだろうな。そんな気がする。同じ思いを共有できないけれど、それは分かった。

「あの、物を預けたというのは……」

『おぉ、そうですな! 儂のように祠も社も持たない者は、大切な物を残してゆくしかない。基本的に物体を長時間持ち歩く事ができないのですじゃ』

「だから、預けたんですか?」

 蛍ノは頷く。

『持って行けるようにも出来ると言われましたが、何せ厳しい修行の身。どこかに落としてしまわないかと心配で、預けておりました』

「神様でも物落とすんですか!」

『落としますとも。しかも四季の神様は絶え間なく移動しておりますから、一度落としてしまえばどこにあるのか皆目見当がつけられない。ならばと』

「大変なんですね」

 案外人間みたいにそそっかしいのかもしれない。そして、どこに落としたのか分からなくなるのはしんどい。悠も何度、人混みで落とした小銭に涙をのんだか分からない。

「あれ? でも今回受け取りたいって」

 ふと蛍ノの要件を思い出して視線を向けると、彼はゆっくりと頷いた。

『この度、長い修行が明けましてな。天上に上がる事を許されたのです』

『あら、よかったじゃない! おめでとう!』

『有難うございます、姫様。ですがそうなると、なかなか下界に降りられなくなってしまいます。故に、これが最後の機会と思ってお訪ねいたしました』

 ……つまり、偉い神様に一歩近づいたということなんだろうか。

 それにしても、もっと早く取りに来てもよさそうなのに。実際蛍ノは何度かここに足を運んでいるみたいだ。それならその時に取り戻す事もできたのではないか? それともその時はまだ修行中だったのだろうか?

「あの、何度か来られているのですよね? その時に返してもらおうとはしなかったんですか?」

 どうしても疑問で問うと、これには鳥羽が申し訳なさそうな顔をした。

「蛍ノ様は100年単位くらいの周期でこちらにいらしてくださっていました」

「その時は?」

「その時のご当主様に、預かった品をお返しするほどの力がなかったのです」

「え?」

 思わず声が漏れる。鏡の中の巫女を見ると、彼女も申し訳なさそうな顔をした。

『預かるのは簡単。でも、それを返すのは当主の力が相当いるの。物を蔵から出す事はできても、その物体を神やなんかに返せるかは霊力の高さと才能次第。残念な事に、初代を入れてそれが出来たのは10人いるかどうか』

「直之様も若い頃はできましたが、それもかなりご苦労されておりました」

『預かったけれど返せない。だから少し待って欲しいって言って保留にしてあるものはけっこうあるわね。こういう時、寿命があってないような奴らは気が長くて助かるわ』

 そんな事を言われると、心配になってくる。果たして自分にそんな力があるのか。

 でも、蛍ノはこれが最後のチャンスなんだろう。これを逃せばもう簡単には受け取りに来られない。

 こんなに時間が経っても返して欲しい物なんだ。それなら、ちゃんと返したい。

 悠の中で、妙な使命感が生まれた気がした。

「あの、頑張ります。初めてですけれど、でもやってみます。少しだけ、お時間いいですか?」

 真っ直ぐに蛍ノを見ると、彼はとても優しく穏やかに微笑んで、懐から半透明の何かを取り出す。形は七夕の短冊を半分に切ったような感じで、光って見えた。

『よろしくお願いします、当代殿。これが、預かりの割り符です』

 蛍ノから悠の手に、半透明なそれが渡される。悠の手に触れた途端、それはしっかりと可視できるお札の半切れになった。よく分からない模様の中に漢数字で「壱」と書かれている。

『壱番蔵ね。鳥羽、案内してあげて』

「かしこまりました。悠様、参りましょう」

 そう促す鳥羽に従い立ち上がった悠の後ろで、蛍ノは深々と頭を下げていた。

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