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3 緊急事態!

 店を出た悠達は、足止め状態のまま戸惑っていた。時計に目を移すと4時を回った。

「祐馬の奴、1時間も何してるんだ」

 苛立ったような黒田の声は心配からだと悠は知っている。イライラも焦りの裏返しだ。

 悠は鳥羽を見たが、彼も難しい顔をするばかりだ。

「悪い、鳥羽、悠。ちょっと電話してくる」

 そう言って黒田が離れるのを見て、悠は鳥羽を見た。

「鳥羽さん」

「なんでしょうか?」

「小野田さんの事なんですが、少し妙なものを感じませんか?」

「確かに、彼のキャラで1時間連絡なしは考えられませんね。性質が犬ですから、ご主人様には忠実そうなのに」

「いえ、そういうことではなくて……」

 そんな風に見ていたのか……。

 案外辛辣というか、毒舌な鳥羽に苦笑しながらも悠は気になっていた事を口にした。

「そうではなくて。車とか、別れ際とかに俺、何か変な感じがして」

「変な感じ?」

「何かが見えたわけじゃないんですが、ゾクッとした感じがして。なんか、小野田さんにくっついている感じもして」

「……え」

 悠が訴える事に、鳥羽の方が驚いてしまう。そして明らかに動揺した。

「鳥羽さんは、何か感じませんでしたか?」

 鳥羽は幽霊なのだから、悠よりもよほど分かるだろう。そう思って問うたのだが、鳥羽は申し訳なさそうに頭を下げた。

「申し訳ありません、悠様。実は僕、目が利かなくて」

「え? ……えぇ!!」

 幽霊なのに、幽霊が分からないということなんだろうか!

 予想通りっぽい悠の反応に、鳥羽はとても申し訳無い顔をして眼鏡に手をかけた。

「明らかに異様なのは分かりますが、人と変わらない姿の者は生者と見分けがつきませんし。人に取り憑いているモノは余計に分からないんです」

「でも、あの……」

「同族なんですけれどね」

「それは! その……まったく分からないんですか?」

 意外な事に驚いていると、鳥羽は少しだけ表情を引き締めた。

「僕や悠様に敵意を向けてくるモノは分かります。それが物の怪か生者かではなく、敵意に反応しているのです。こういうことは鼻の利く九郎丸が得意なのですがね」

 鳥羽は困ったように顎に手を当てるが、そこからの手際はとてもよかった。戻ってきた黒田に視線を向け、悠と共に近づいていった。

「どうでした?」

「ダメだ、繋がんねぇ。本当に何かあったのかもしれない」

 意外と黒田は焦っている様子で、悠も心配になって黒田を見た。

「思い当たる節は?」

「あるっちゃあるし、ないっちゃない。こういう仕事だからな、妙な事に巻き込まれる事も多い。それでもあいつが俺に一切連絡しないのは異常だ。あいつは臆病だから、無理せず何かあれば俺に連絡してくるはずなのに」

 連絡出来ない状態にあるんだろうか。特にこれが人ならざるもののせいなら、圧倒的にあり得る話だ。

「何か、小野田さんの居場所を知れる方法はないんですか?」

 悠が問うと、黒田は腕を組んで考えた後で「あっ」と声を漏らし、携帯のアプリを開いた。

「それは……GPSですね」

「あぁ。あいつ、時々他の兄貴達にも使われてて居なくなる時があるんだ。それでもいつもは一言連絡があるんだが、念のためにGPSつけてるんだよ」

 アプリを起動するとマップが出て、検索中のGPS反応が点になって表示される。それは意外と近い場所で、現在地からワンブロック離れていなかった。

「あ? ここって……」

「ご存じですか?」

「確か、今は廃ビルだ。1ヶ月前に店舗は撤収して、今は解体の為のフェンスができたくらいで工事はまだのはずだ」

「お詳しいのですね」

「知り合いの飲み屋がここの半地下にあったんだよ。もう歳だって、店仕舞しちまったがな」

 黒田はGPSと睨みあって、やがて悠と鳥羽に背中を向けた。

「悪い、ちょっと迎えに行ってくる。お前らは適当に時間潰しててくれ」

「そんな! 俺も行きます、黒田さん!」

「あぁ? 悠は絶対にダメだ。変なモノを見せるかもしれないからな。大人しく……」

「行きます! 俺も小野田さんが心配です」

 もしもこれが人外の仕業なら、黒田ではどうする事もできないかもしれない。鳥羽に目配せすると、彼も頷いてくれた。

「僕が側にいますので、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「はぁ? お前、正気か? 悠が危ないから来るなって……」

「これが人の仕業であれば、貴方に全てお任せして退散いたします」

「…………そいつぁ、どういう意味だ?」

 黒田がギョッとする目を鳥羽に向ける。それに、鳥羽はとても真剣な目をして言った。

「人ではないものが、関与している可能性があります」

「……幽霊とか、言うつもりか?」

「信じませんか?」

「いや……だが……」

 黒田はとても戸惑った顔をしているが、何かしらの異様さは感じているようで落ち着かない。そこに悠も近づいて、心配そうにスマホを見る黒田の腕につかまった。

「小野田さんの側、寒かったんです」

「え?」

「一瞬ですが、確かに背筋にゾクッとしたものを感じました。気のせいだったらいいんですが、そうでなかったら……」

 これで、伝わってくれるだろうか。変な子だと思われてもいいから、今は小野田が心配だ。

 黒田はしばらくスマホを見て、悠を見ていたがやがて頷いた。

「後で色々話を聞かせてもらうからな、悠」

「はい!」

 大股で歩いていく黒田の後ろを走って追いながら、悠は募る不安を押し殺してとにかく小野田の無事を願うのだった。

 目的のビルは小さな4階建てで、既に入口の扉は撤去されている。人の気配が一切なくなったビルというのは妙な存在感があって、閑寂とした空気に満ちている。ある種拒絶的な佇まいに一瞬足を止めて侵入を躊躇うが、そんな暇はなかった。

 工事用のフェンスの隙間から黒田が中に入る。それに倣って悠と鳥羽も中に入り、入口からビルの中に。一階は飲食店があったのだろう。狭い間口の店が4つほど、扉を閉ざしている。

「悠様、嫌な気配がするのはどの方向ですか?」

 鳥羽に問われ、悠は立ち止まって辺りを見回す。黒田も今は何も言わずに悠が話し出すのを待っていた。

「上の方です。なんか、とても寒い」

「後ろついてこい」

 黒田が階段へと走り、戦闘をいく。その次に悠が進み、鳥羽が最後になった。

 二階はまた様子が違って、がらんとフロアが全部フラットで仕切りが無い。柱だけが虚しく立っているだけ。

「祐馬はいないな」

 フロアに仕切りが無いため、見回す事ができる。辺りを見回しても床には埃やゴミしかなくて、小野田らしい人影は見られない。

「悠様」

「まだ、上の感じがします。近づきたくない感じがさっきよりも強くなりました」

「よし、行くか」

 黒田が先に立ち、3階を見回すが同じ。そうして4階に辿り着いた時点で、悠は妙な空気に全身が包まれた感じがあって思わず自分を抱きしめた。

 空気が異様なのだ、間延びしたような、生ぬるいような、纏わり付くような不快感。その中に置かれて、黒田も何か感じたのかもしれない。足を止めて辺りを見回した。

「なんだ、ここ……気持ち悪い」

「鈍感そうなのに気づきますね、黒田さん」

「お前は平気なのか、鳥羽」

 足がすくんでなかなか進まない悠の側に立った黒田は鳥羽に問うが、鳥羽はまったく表情を変えなかった。

「まぁ、慣れているとでもいいますか。悠様、小野田さんはここにいらっしゃいますよ」

「うん、俺もそんな気がするけれど……ごめんなさい、足が動かない」

 震えていて、まったく言う事をきかない。本能がここから先には行けないんだと言っているようだ。

 鳥羽は苦笑して頷き、先へと進んでいく。そうして少し離れた場所にある柱と柱の間を睨むと、抜刀するように腰を落とした。

「なんだ、あいつ……」

「鳥羽さん!」

 悠の目には確かに、彼の腰に一瞬にして愛刀『蜥蜴丸』が現れるのが見えた。だが黒田にはそれが見えていないようで、鳥羽が刀で間の空間を切り裂いた瞬間も訳が分からないみたいだった。

 空間が切れた。ピンと張った布を切り裂いたみたいに空間が裂け、ベロンと裂いた部分が更に裂け目を広げていく。そうして見えたその先に、尻餅をついて叫んでいる小野田が確かに見えた。

「小野田さん!!」

 思わず声を出した悠を支える手がなくなった。猛然と走る黒田がその裂け目に手をかけて中へと入っていく。

 悠の目には見えていた。長い髪を垂らした女が小野田へと迫り、今まさに乗っかろうとしているのが。

「黒田さん!!」

 危ないと叫ぼうとした。鳥羽も流石に焦って黒田を止めようとした。

 だが黒田はそんな二人の目の前で想像だにしない行動をぶちかましたのだ。

「うおぉぉぉぉぉぉ!!」

 気合いの雄叫びを上げた黒田は拳を握り、今まさに小野田に乗っかりそうな女の顔面をぶん殴って思い切り後方へとぶっ飛ばした。そして小野田の腕を引っ張り、入ってきた裂け目からこっちへと戻ってきたのだ。

「えぇぇぇぇ!」

「化け物がいたものですね」

 あまりに驚いて声を上げる悠と、溜息をついて呆れる鳥羽。その目の前で救われた小野田は黒田の足下に震えながら縋りつき、黒田はぶん殴った方の手を見て「気持ち悪!!」と振ったり服で拭ったりした。

「普通、アレって殴れるんですか?」

「普通はありませんよ。全ては彼の後ろについているモノが可能にしているのでしょうね」

 こそっと聞く悠に、鳥羽のほうは呆れ顔で首を横に振る。まぁ、そうだろうなと悠も思った。

「くろ、黒田、黒田さぁん!! 俺、おれぇ!!」

「ったく、なんだあれ!」

「俺が知りたいっすぅぅぅ!!!」

 ボロボロ泣きながら足下に纏わり付く小野田を邪魔そうにしながらも、黒田は裂け目の方へと視線を向ける。

 ぶっ飛ばされた女の幽霊が、今まさにこちらへと近づいてこようとしていたのだ。

「ヤバいのだろ」

「ですね」

「とっとと逃げるぞ!」

「追ってきますよ、多分」

 鳥羽が裂け目へと入り、女と対峙する。女は一瞬歩みを止めたが、やがて僅かに顔を上げた。

 前に掛かる長い黒髪の間から、血走った赤い目が見える。枝のような手が鳥羽へと伸ばされた瞬間、それが蜥蜴丸によって切られて飛んでいった。

「あいつ、なんなんだ?」

「あの、えっと…………実家が神社らしいですよ!!」

 咄嗟に嘘をついた。だって、実体化している幽霊だなんて言えない!

 黒田は腰が抜けた小野田を担ぎ上げる。鳥羽もそれを見て女に背を向けたが、女の方は逃がすつもりがないらしい。突然真っ黒な煙を出したかと思うと、一瞬で小野田を担いだ黒田の前に姿を現したのだ。

「!」

『ニガ……サ……ナイ……』

 冷たくて気持ち悪い、枯れ枝みたいな手が黒田に伸ばされる。それを見た悠は震えそうな足を根性で前に出した。

『悠、鏡をそいつに向けなさい!』

「!」

 突然頭の中に響いた巫女の声。それに従い、悠はポケットに入れていた手鏡を女に向けた。

 瞬間、まばゆい光りが辺りを照らし出し、一際強い光の帯が女を飲み込む。

 『ぎやぁあ゛ぁあ゛ぁぁぁぁぁぁ!』という、リアルにあに濁点がついたような断末魔を初めて聞いた。光りに霧散した黒い煙がかき消えて、同時に辺りの異様な空気が散っていく。光りが消えた後は、寂しい廃ビルの少しカビ臭い空気になっていた。

「なんだったんすか、あの光り……」

「さぁ、俺はわからんが」

 小野田を担いだままの黒田の視線が悠へと向く。初めて向けられる探るような目に、悠の方はとても怯えてしまった。

「事情を知ってそうだな、悠」

「あの……俺もよくは分からないんですけれど……」

 手に持った鏡は鏡面が割れて下へと落ちている。鳥羽がその隣にきて、悠を気遣わしげに見ていた。

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