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3 質屋幽玄堂

 翌日は一日お休みで、悠はのんびりとホテルで過ごした。

 もの凄く贅沢な時間だと思う。いつもならバイトに行っている時間なのだが、鳥羽が手を回したらしく辞める事になっていた。

 いつもは仕事をしている時間にテレビをぼんやり見て、昼には何も言わなくても昼食が出て、昼寝をして、おやつもあって、ホテル内のジムや劇場に足を向けて、夕食はホテルのレストランとか。

 なんだか、一気に世界が変わってしまった感じがある。これがいいことなのか、悪い事なのか。今の悠にはよく分からなかった。

 黒田は「いいことだ」と言う。彼曰く、今までの悠は働き過ぎなんだそうだ。生きるのに必死だったから働いても働いても足りない気がしていた。

 けれどそれは年相応の労働環境ではないという。

 でもそれが今までの悠の日常だったのだ。こんなに大きく変化すると自分が贅沢しすぎている感じがあり、同時にこれは自分が頑張ったおかげではなく、棚からぼた餅的なもので得た環境なのだと思うと甘えていいか分からなかった。


 更に翌日、鳥羽が「準備できました」と言ってホテルを引き払う事になった。これから悠が今後生活する家に引っ越すのだと。

 昨日は悠のアパートから必要な物を運び出したり、手続きをしたりしていたそうだ。まぁ、必要な物を運び出すのも2時間かからなかっただろう。何せ持ち出す物が少ないのだから。

 黒田から預けられていたスマホはそのまま預かる事になった。落ち着いたら住所等、連絡して欲しいとの事だ。

 勿論そのつもりだ。これまでお世話になりっぱなしの彼と切れたくはない。環境が変わったのでお終いになんて、薄情過ぎる。

 何より悠も、黒田と会いたいと思っているのだ。

 鳥羽が向かったのはごく普通の民家が並ぶ住宅街。駅前には商店街もあり、人の賑わいがある。そんな商店街から一本路地裏の、とても静かな場所にソレはあった。

 今の時代には珍しい石垣と漆喰の高い塀がかなりの距離続いていて、中には蔵が複数見える。その塀沿いに歩いていくと、時代劇に出てきそうな木造の店舗が見えてきた。

 年季の入った木の看板には墨の文字で『質屋幽玄堂』と書いてある。扉は引き戸で、古いが決して暗くはなく、むしろ堂々とした佇まいの店だ。

 その店の前に、数日前に見たばかりの人達が複数集まっているのが見えて、悠は思わず足を止めた。

 だが、あっちが素早く悠と鳥羽を見つけ押しかけるように近づいてくる。思わず一歩後ずさった悠を守るように、鳥羽が前に出た。

「おや、皆様そろい踏みでどのようなご用件でしょうか?」

「しらばっくれるな! どうにも納得がいかん!」

 近寄ってきた男は鳥羽の胸倉を掴みそうな勢いでがなり立てる。その後ろにいる人達も揃って同じ事を主張している。「こんな子供に務まるか」「は雅楽代家の為に尽くしてきたのだ」「そもそも、あんなふざけた選定方法があるものか」と。

 口にすればするほどに、黒いもやのようなものがこの人達を覆っていく。それがとても怖い感じがする。

「今回もこのようになりましたか」

 溜息をついた鳥羽は心底うんざりし、冷めた顔をする。そして、わめき立てる人達を前に冷たい声で伝えた。

「分かりました」

 鳥羽のその一言で、周囲は一時的に静かになった。

「何故悠様が選ばれ、他の方が選ばれなかったのか。その明確な証明をいたしましょう」

 そう言った鳥羽は悠の手をしっかりと握り、店を開けた。

 店内は質屋というよりは古道具屋という感じだった。平台の上には様々な大きさの皿や小鉢が並び、6枚500円とかで売っている。

 古い柱時計や箒などの掃除道具、釜や鉄瓶などもあって雑然とした感じだ。こういう中から掘り出し物を見つけるのが楽しいのかもしれない。

 奥には畳敷きの高くなった部分があり、奥へと続いている。時代劇で番頭がいそうな場所だ。

「相変わらず埃っぽい店だな」

「古くさい」

 悠の後ろを歩く大人はそんな事を言うが、けっして埃っぽくなんてない。確かに古いけれど、ちゃんと大切にされている感じがしている。

 鳥羽は更に奥にある住居部分へと悠達を招く。リビングのような場所はフローリングにリフォームされているっぽいが、内装は全体的に和風。大きな飴色の梁がどっしりとあり、堂々としている。

 壁は漆喰で、戸は全て襖と障子。外廊下があり、雨戸があり、まさに日本家屋なのだ。

「皆様、雅楽代家の初代がどのようにして財を成したかは、ご存じでしょうか」

 廊下を静かに歩きながら、鳥羽はそんな事を問いかけてくる。悠は首を傾げたが、他は皆分かっているようだった。

「初代、雅楽代幽玄様は旅をしながら古物を扱う商人でした。古くなった物を買い取っては直し、それを売る。そのような暮らしをなさっておりました」

「そんなこと、そこの坊や以外は全員知っている」

 馬鹿にするような男性の声に、女性のくすくすと笑う声。多少恥ずかしい気持ちではあるが、無知であるのも確か。大人しく口を閉ざしていると、鳥羽は更に先を続けた。

「その幽玄様が商いの拠点としたのが、この幽玄堂。ここは、雅楽代家始まりの場所と言っても過言ではありません」

「だから……」

「ところで、幽玄様が突然財を成した理由を、皆様ご存じでしょうか?」

 これについては皆が口をつぐんだ。悠は数日前にここの守り神の事を聞いていたが、おそらく他の人は知らないのだろう。鳥羽も「当主と近しい人」と言っていた。

 静かになったのを確かめて、鳥羽はとある部屋の障子を開けた。そこは簡単な祭壇のような物があるだけの4畳半ほどの狭い部屋で、その祭壇の中央には一つの銅鏡が収められていた。

「とある地方を回っていた幽玄様は、そこで一つの銅鏡を買い取りました。古くなった神社に祀られていた銅鏡で、神主がいなくなって誰も祀らないからと言われたものです。それを不憫に思い持ち帰り、磨いてお祀りした所、家は見る間に繁盛していき一代で財を成した。そう、言われております」

 訝しく銅鏡を見ていた人達も、途端に目の色を変える。

 だが悠だけは、とても厳かな気持ちになっていた。この場所だけ、空気が違う感じがする。

「雅楽代の当主は代々、この鏡を守るお勤めがございます。そしてこの鏡は自らを祀る者を選ぶのです。先日の選定は、この鏡が自ら主を選んだのですよ」

「そんな事信じられるか! だいたい、どうして猫なんだ」

「あの猫は長年ここに暮らし、この鏡を守ってきたもう一つの存在。故に、選定者として適任だったのです」

「全部がオカルトだろ」

「そう仰ると思いましたので、明確な証明をいたしましょう」

 鳥羽は銅鏡に一礼すると、そこへの道を皆に譲った。

「どうぞ、鏡に触れてみてください。触れる事ができれば、鏡に選ばれたと認めましょう」

「それは、当主の座に着けるということか!」

「そのような事ですね」

 淡々とした声で言う鳥羽など無視し、大人達は誰が先に銅鏡に触れるかを言い争っている。この場でそんな事をしていいものか呆然と見ていた悠の隣に、鳥羽は戻ってくる。

「あの」

「醜いものです、巫女の前で」

「え?」

「悠様は最後に。大丈夫、誰も触れられやしません」

 確信を持っているように言う鳥羽を見て、悠は頷く。そして、ようやく誰が最初か決まったらしい大人達の様子を見守る事にした。

 一番年長らしい、50代中頃くらいの男性だ。ゆっくり、少し大股気味に歩いていく男性は順調に祭壇に近づいたように見えた。だが祭壇の前についた途端に突然大きく横に転倒して畳に無防備に体を打ち付けてしまった。

「何だ?!」

「どうしたんだ兄さん」

「分からない。何かが横から足を払ったんだ」

 訝しく首を傾げながらも再び立ち上がった男性は、銅鏡に手を伸ばす。だがその手が銅鏡に触れるよりも前に、男性は慌てて手を引っ込めた。見れば男性の右手の甲からダラダラと血が流れているのだ。

「大変だ!」

 慌てた悠が鳥羽を見るが、鳥羽は動く気配がない。当然だという様子に焦れた悠は廊下に出て、さっきのリビングらしい場所を家捜しする。薬箱の一つもないかと思ったのだ。

 だがなかなか見つからず、代わりに綺麗な手ぬぐいをいくつか見つけたのでとりあえずそれで縛ろうと急いで先ほどの部屋に戻ってくると、室内は更に悪い状態になっていた。

 押しかけてきた大人達が全員蹲ったりどこかを抑えていたりひっくり返っていたりしている。

「どうしたんですか! あの、大丈夫ですか!」

 とりあえず最初の人に近づいて、まだ血が出ている手の甲に手ぬぐいを当てて強めに縛る。

 倒れている人はうんうん唸っているからどうしようかと思ったけれど、鳥羽が「軽い脳しんとうですよ」というので、薄めの座布団を二つ折りにして頭の下に敷いた。

 最初の人と同じように手を切った人、転んで足を挫いた人、足を切った人、それぞれだが全員の顔に最初の勢いはなかった。

「悠様、鏡に触れてみてください」

「でも、今そんな状態じゃ……」

「構いませんので、触れてください」

 有無を言わせない様子の鳥羽に渋々と、悠は立ち上がり銅鏡と向き直る。静かに近づいて、なんだかしなければいけない気がして祭壇の前で一礼する。そして恐る恐る手を伸ばした。

 何でもない、普通の銅鏡だ。意外とずっしりと重たいし手にざらっとする。けれど鏡面はとても綺麗で、悠の顔をしっかりと映している。

「これが、鏡に選ばれた者とそうでない者の違いです」

 鳥羽が告げるのに、今度こそ大人達は何も言えなくなってしまった。

 幸い怪我は大した事がないようで、ひっくり返って目を回していた人の意識が戻ったら皆が何も言わずに帰っていった。

「本当に、妙な事が起るんですね。これ、鳥羽さんが仕組んだとかじゃありませんよね?」

「まさか、そんな事をする理由がありません」

 騒動が落ち着いて、悠はリビングに通されてお茶を出される。温かいお茶は気持ちをほっとさせてくれた。

 そこにミケもきて、足下にすり寄ってくる。ここについて直ぐに自由にしてもらったのだ。

「荷物は昨日のうちに部屋に運んであります。お部屋は先ほどの部屋の隣にございますので」

「有難う、鳥羽さん」

「滅相もありません。それで、今夜は悠様をここにお迎えした最初の夜。ささやかではありますが、お祝いを致したく思います。何か、お好きなものはございますか?」

「え! いや、大丈夫だよ! 俺、何でも美味しく食べられるから」

 既にここ数日、もの凄く贅沢だ。三食食べられている。

 だが鳥羽は何か考えているみたいで、顎に手を当てブツブツと呟き、ポンと膝を叩いた。

「すき焼きなど、どうでしょうか? よろしければ、僕も一緒に」

 一緒? 一人じゃない。

 それは、思ったよりも嬉しくて胸の奥がジンとする。誰かと鍋をつつくなんて、母が生きていた時以来だ。

「したい、すき焼き! 鳥羽さんも一緒に食べてくれるの!」

「はい、悠様がお嫌でなければ」

「嫌じゃない! 大歓迎だよ!!」

 伝えると、鳥羽も初めて優しそうな笑みを見せてくれる。それに少し驚きながら、悠は今夜がとても楽しみになった。


 鳥羽は堅苦しい格好からラフな格好に着替えて現在すき焼きの仕上げ中。細身のジーンズに白いシャツという簡素な格好に割烹着のギャップだ。

 だが料理も手慣れた感じで、手伝いの申し入れのタイミングを逃した。逆に邪魔になるのではないかという気がする。

 その代わり、今はミケと遊んでいる。猫じゃらしに面白いくらいじゃれるミケの、猫特有のトリッキーな動きにこっちが驚いたりしながら過ごす時間はとても平和で、とても贅沢だった。

「悠様、食事の準備が整いましたよ」

「はい。ミケには黒田さんから貰ったねこ缶用意するな」

「うなぁぁ!」

 よほど黒田のくれたねこ缶が気に入ったのか、ミケはピンと耳を立てて目を見開いて大きな声で返事をする。ついでに水飲みと餌箱も黒田が新調してくれた。猫が食べやすい高さと形の餌箱に、カルキなどの余分なものを除去するフィルター付きの循環型水飲み。

 これらの貢ぎ物のおかげか、ミケは短時間で黒田をとても気に入った。

 キッチンから早めに出されたこたつの上にガスコンロを置き、鍋が置かれる。炊きたての白いお米と、生卵を割り入れた鍋用の器。向かい側には割烹着を取った鳥羽が座った。

「それでは、悠様が無事ここに来られましたことを祝して」

「はい、俺の方こそよろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げる悠を笑って迎え、お茶で乾杯をした。

 すき焼きなんて何年食べてないんだろう。黒田と食事となるとやたらと高そうな店だったりした。流石に気が引けて、今では牛丼がマストになっているが。

「お肉どうぞ」

「有難うございます」

 美味しいお肉を生卵につけてご飯にワンバウンド。そこから口に運ぶとほっぺた落ちそうだ。

「美味しぃ」

「有難うございます。まだお肉ありますので」

「そんなお肉ばかり食べませんよ。豆腐としらたきと、椎茸と……」

 すき焼きの甘辛なタレと肉と野菜の旨味が染みこんだ豆腐がけっこう好きだ。少し厚めに切ってある焼き豆腐にしっかりと味が入っていて、これも生卵に。とろっと少し味がまろやかになって、それがまた美味しい。

「鳥羽さんはお料理が上手ですね」

「有難うございます。何かリクエストなどございますか?」

「あ……えっと……」

「何がお食べになりたいのですか?」

「……オムライスと、ハンバーグが食べたいです」

 ほんの少し甘えるように伝えると、鳥羽はお兄さんみたいな優しい笑みで目を細めてくれた。

「かりこまりました」

「あと、一緒に食べてくれますか?」

「そちらも勿論、僕でよろしければ」

 一人じゃないだけで、ご飯はとても美味しいんだと思い出す、そんな優しい夕飯だった。

 この家は案外ハイテクだったりする。お風呂は檜風呂なのに、給湯などは自動で、シャワーも当然完備。何より驚いたのはほぼ全室に無線と有線のLANが走っているし、Wi-Fiも通っている。テレビにはいくつかの有料チャンネルが登録済みだ。悠の部屋は代々の当主の寝室だったらしく、当然のようにエアコン完備だった。

 お風呂にも入ってほっこりとこたつでテレビを見ていると、早出しのみかんを乗せた籠を鳥羽が持ってきてくれる。

「有難うございます」

「いえ」

「そういえば、鳥羽さん。俺、道具の目利きとかまだ分からないんですけれど。教えてもらえますか?」

「道具の目利き、ですか?」

 鳥羽はもの凄く疑問そうな顔をするが、これには悠の方が疑問だ。何せここは質屋。当然そういう目利きが必要になるものだと思ったんだけれど。

「あの、ここ質屋ですよね? それなら、お客さんが持ち込んだものを目利きできないとダメなんじゃ……」

「あぁ、そういうことですか!」

 いや、他に何があるっていうんだ。

 鳥羽の方は苦笑した後で困った顔をする。二人きりになると鳥羽は色んな顔を見せてくれる。彼に理由を聞くと、「人見知りなんです」という嘘かと思うような理由を述べられた。

「実は……こちらに質入れされる品というのはおおよそ品物の価値とは違う部分で査定されまして」

「品物の価値とは違う部分?」

 というのは、何なのだろうか?

 これについても鳥羽はとても困った顔をする。そして「実戦でお教えいたします」と言われてしまった。

 結局、習うより慣れろということなんだろう。幸い悠には十分な時間がある。来年には高校に編入となるのでその前に復習はしなくてはならないが、それでもまだ時間はあるだろう。

「まずはこの環境に慣れる事が何よりです」

「そうですね」

「はい。それでは、そろそろ遅くなってきましたのでお休み下さい。お布団は敷いておきましたので」

「そこまで! あの、明日からは自分でやりますので」

「そうですか?」

「はい」

 流石にそこまでされたら何もできなくなりそうで、悠は丁重にお断りをしたのだった。

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