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第78話 そして願いは叶うのか

 その日の帰り道。

 馬車の迎えは頼んでいたものの、私はある場所で下してもらいそこからは歩いて帰ることにした。

 その場所はあの、シュヴァルクさんのお屋敷だ。

 気になって気になって仕方なくて、結局今日も立ち寄ってしまった。 

 私は離れた通りからそっと、そのお屋敷を見つめた。

 夕暮れに佇むシュヴァルクさんのお屋敷には、相変わらずカラスが何羽もとまっている。

 日が暮れ始めているせいか、いっそう不気味さを醸し出していて私の身体に鳥肌がたち、思わずぶるり、と震えた。

 見た目はどこにでもある茶色の屋根の普通の家なのに、なんでこんなに不気味に見えるんだろうか。

 見たところで何も変わらないんだけど、昨日は事件はなかったはずだから、まだ何も起きていないわけよね。

 事件って基本夕暮れ時だったっけ。

 じゃあそろそろなのかな。


「こんばんは、レディ」


 突然、背後からそんな男の声が聞こえてきて、私は驚きばっと、背後を振り返った。

 そこにいたのは、金髪に黒い帽子を被った若い男性だった。

 といっても私やアルよりも年上だろう。二十代半ばくらいだろうか。

 それよりも彼が着ているマントが気になった。このマントはリューフェのマント。ということは……

 私の背中に冷たい汗が流れていく。

 嘘でしょ? だって建物は多分見張っているはずよね。

 目を見開く私を、とても優しい笑みを浮かべて見つめる彼は静かに言った。


「以前もお会いしましたよねぇ。ここから遠く離れた路地で」


 そして彼は、私の腕をばっと掴む。

 まずい、あの時私、顔を見られていた?


「昨日も貴方はここにいらっしゃいましたよね。見ましたよ、近所のご婦人と話している所を。なので昨日は外に出るのをやめたんですよ。あぁ、まさか特定されるとは思っていませんでした。あんな一瞬、見られただけだったし。警備隊の姿はないから安心していましたけど……ねぇ、どうしましょうか。あとひとりなんですよ」


 ぐっと私の手首を掴む手に力を込めて、彼は言う。

 私は恐怖で動けなくて、ただぶるぶると震えながらその男――シュヴァルクさんを見つめていた。

 彼はずっと笑顔だ。まるで子を見守る親のような優しい笑みをずっと浮かべている。


「な……んで……」


 なんでこの人はここにいるの?

 そう言いたいのに言葉にならない。

 すると彼は小さく首を傾げて言った。


「なんで。あぁ、魔法ですよ。転移魔法というのをご存じありませんか? 近距離でしたら魔法で移動ができるんですよ。そう、家の中と外くらいでしたら」


 嘘でしょ、そんなのずるい。

 たしかにそういう魔法、小説なんかでは見かけるけれども。本当にあるのね、転移魔法。

 っていうかこれ、かなりまずい状況ではないだろうか。

 だって私、連続殺人の犯人に捕まっているんだもの。


「あとひとりなんですけど、ここではだめなんですよ。それでは魔法陣は完成しない。だから困りましたね。ここで貴方を殺すわけにはいかないし」


 ですよね。

 次の現場となる場所はここからかなり離れている。 

 だからここで私をどうこうするわけにはいかないですよね?

 どうしよう、どうやってこの場を脱しよう。

 色々と考える。だけど私の腕を掴む力は強く逃げられる自信がない。

 大通りから一本入った、建物の隙間にある路地だからだろうか。誰もこちらを気にする様子もなく、皆通り過ぎていく。

 きっと私も、通り掛かってもこんなところ見はしないだろう。

 私の心の中は絶望感でいっぱいだった。

 逃げられないのかな。でも、このままこの人に捕まって殺されるわけにはいかないのよ。

 こんな時、どうやって逃げる? 今まで読んだ小説にヒント、ないかな。ぐるぐると考えるけれど何にも出てこない。

 たくさんの推理物の小説を読んできたはずなのになんで何にも出てこないのよ……!


「どうして、こんな……」


 時間を稼ごうと、私は彼に疑問をぶつける。

 何でこんなことをするのかと。

 するとシュヴァルクさんは首を傾げ、怪訝な顔をした。


「なぜも何もないでしょう。年間何人が死んでいるか知っていますか? その中でどれほどの数が出産時に亡くなっているか。出産は命の誕生で、とても喜ばしいもののはずなのに、私はいちどにふたつの命を失った。私は絶望した……なぜ、私の妻と子供だけがそんな目にあう?」


 哀しみと、怒りの表情で彼は嗚咽交じりにいい、私の腕を掴む手に力を込める。


「い……」


 痛い。なのに声がぜんぜん出てこない。

 早く逃げ出したいのに、もうどうしたらいいのよ。

 焦燥感でいっぱいになった私をよそに、彼は話を続けた。


「あの、図書館に寄贈された本の調査をしたときのことを思いだし、私はどれだけ喜んだか。よみがえりの呪術に私は希望の光を見出した。大切なものを取り戻すためなら、なんだってする、そうでしょう? レディ」


 そんな同意を求められても頷くわけないじゃないの。

 私は首を横に振るのが精いっぱいだった。

 だけどそれが気に入らないのか、彼はじっと、私を睨み付けてくる。


「貴方も否定するのですか。今まで捧げた女性たちも、誰も私に同意しませんでしたよ。なぜ、私の妻たちのために命を捧げるのを嫌がるのか」


 そんなの嫌に決まっているじゃないの。

 そもそも命をよみがえらせるために人の命を奪うなんておかしい。

 死は誰にでも等しく訪れるものだ。よみがえりなんて呪術は、自然の道理に反している。

 それにそんな呪術、実在するなんて思えないもの。もしそれが可能なら、とっくの昔に騒ぎになっているだろう。

 そんなことこの人にだってわかるだろうに。でもきっと、すがりたいんだろうな。

 私はまだ、大切な人を失ったことがない。死はまだ遠い存在だ。


「誰……」


 誰かが気が付いてくれるかもと思い悲鳴を上げようとしたとき、シュヴァルクさんが私から手を離しそして、その手を私の顔にかざした。

 あ、あれ、声が出ない。やだ、声を奪う魔法、ってこと?

 でも手が離れた!

 そう思って私はくるり、と振り返り、その場から走り出そうとした。なのに、左の手首を掴まれてしまう。

 なんで私、逃げられないのよ、せっかくのチャンスだったのに……!


「逃がしはしませんよ。通報されても信じはしないかもしれませんけど、真に受けて私の元に警備隊が来ても困りますからね。あの家にはまだ、ふたりがいますから」


 あぁ、本当にいるんだ。よみがえりの呪術を行おうとしているのは本当なのね。

 でもどうする?

 ぐっと私の手首を掴む手は力が強くて振り払えそうにない。そこ、アルが買ってくれたブレスレットをしているから食い込んでいたいんだけど?

 その時だった。


「あつ!」


 そうシュヴァルクさんが声を上げたかと思うと、私の手首から手が離れていく。

 私はその隙をついて振り返らずそこから走り出した。いったい何があったのか、なんて考える余裕、なんにもなかった。

 通りはまばらではあるものの、人通りがある。だからきっと、目立つ行動はしてこないだろう。

 なのに。

 後ろから足音が近づいてくる。

 ちらっと振り返ればシュヴァルクさんが自分の右手を抑えながら走ってくるのが見えた。

 いったい何があったのかなんて考える余裕、なかった。

 早く逃げないと。

 こんな追いかけっこをしているというのに、周りの人は気にする様子もない。

 まるで私たちのことなんて見えていないかのように通り過ぎていく。

 あぁ、声が出せたらいいのに。これじゃあ誰かに助けを求められない。

 これって私が何もしゃべれないから、周りの人たちは私たちを気にも留めないのだろう。

 シュヴァルクさんの家の前を通り過ぎ、私はひたすらに走った。でもブーツだし、スカートだしすごく走りにくくてきっと、すぐに追いつかれてしまうだろう。

 どうする私。何も考えられない。でも私は一縷の望みに託す。

 たぶんきっと、あの人が見ていてくれているはずだから。私はそれを信じる。

 その時だった。


「パティ!」


 耳慣れた、低く響く声に私の心臓が高鳴る。

 そうだよね、そう思ったんだ。彼らは屋敷の出入り口を見張っているはず。なら、屋敷の前を通ればきっと気が付くって。

 思った通り、私の目の前に黒髪の彼、アルフォンスが現れて、私は思い切りその胸に飛び込んだ。


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