十二月十一日木曜日。
彼は無事に姫と交渉できたんだろうか。昨日、家に帰ってきたら伝言で、今日と明日は迎えに来られない、と聞いた。
ということは借りられたのかな。
何もわからないのはいら立ちを覚えてしまう。
今日、帰りにまたあのシュバルクさんのお屋敷を見に行ってみようかな。来週がアルの誕生日だって言うのに、私の心はざわめいてばかりだ。
出勤すると、ロラン様と顔を合わせた。
「あぁ、パトリシアさん、おはようございます」
優しく微笑むロラン様に私は無理やり笑顔を作って軽く頭を下げた。
「おはようございます、ロラン様」
「アルフォンスとはどう? 最近忙しそうなんだけど」
アルの名前が出てきて私はドキっとしてロラン様の顔を見た。
そんなに忙しそうなのね。あぁ、気になるなぁ。
私の脳裏に見てしまった死体の映像が浮かぶ。
もう不鮮明だけど、あの顔だけは忘れられなかった。苦悶の表情を浮かべて虚空を見つめていた女性の顔。
それを思い出すと早く捕まってほしいと思うし、アルフォンスが心配でならない。
彼は騎士であるし、たぶん魔法も使えるの、かな。だってドラゴン退治から帰って来たんだもの。大丈夫、よね?
そう自分に何度も言い聞かせる。
「パトリシアさん、大丈夫ですか?」
「……!」
気が付くと、目の前にロラン様の心配げな
顔があった。
大丈夫。だけど大丈夫じゃない。
「え、あ、あ、あ、あの……」
出た声は震えていて、言葉が全然出てこない。
「もしかして……アルフォンスと何かありましたか? まさかケンカとか」
「い、いいえ、そ、そんなことはないです大丈夫です!」
ケンカなんてしたことないな、そういえば。
私の答えを聞いたロラン様はほっとした様な表情になって言った。
「なら良いですけど。ねえ、パトリシアさん」
ロラン様は声を潜め、私の耳元に顔を近づけながら言った。
「どうもステファニア様と何か企んでいるようなのですが、ご存知ですか? あとあの……陛下の甥であるロベルト=ブラッツィ様も一緒のようなんですけど」
あ、ステファニア姫様だけではなくて儀仗騎士であるロベルト様にも声かけたってこと?
まあ、ステファニア様とロベルト様はいとこ同士だものね。それを考えたら別に不思議ではないんだけど。
姫と、国王陛下の甥という点さえ除けば、だけど。
すごい話になってるけどでも、警備隊を動かせないのではそうなってしまうか……
「あの、ロラン様。ひとつお伺いしたいことがあるんですけど」
「はい、なんでしょうか」
「犯罪で魔法が使われることってありますよね」
「えぇ、少ないですけどありますね」
「ではですよ? たとえば呪術が事件に関わっているとしたらやはり警備隊が捜査するというのは難しいのでしょうか」
「呪術……あぁ、呪いみたいなものですか?」
首を傾げ、顎に手を当てながらロラン様は言った。
「呪いというと、以前おばあ様が手に入れた宝石がありましたけど。それはルミルア地方にある教会に預けられています」
「はい、あちらに行った時に拝見しました」
「でもあれは、持ち主に呪いをかけているというよりも、あれの価値が人の心を狂わせた部分が大きいと思うんですよね。だから俺はあまり呪いを信じてはいないんですけど」
ですよね。
それが普通だと思う。
「それは警備隊も一緒でしょう。あの宝石をめぐる事件のすべては人が起こしていて説明ができますからね。呪術があろうとなかろうと、その為に事件が起きているのであれば関係なく警備隊は捜査すると思います。けれどその動機が呪術であるとしたら、説得をするのは難しいかもしれませんね」
たしかに事件を起こすのは人だ。呪術じゃない。そうか、そうよね。でも……理由が呪術だとしたら一気に信じられなくなってしまう。
それが私たちの常識だ。
「警備隊に呪いとか言ってもまともに受け取られはしないと思いますよ」
「そう、ですよね」
そうなるとアルフォンス、ステファニア様、ロベルト様で容疑者を見張るのかな。すぐ駆けつけないとだから、見張るとしたらあの周辺でどこかひそめる所を見つけるわよね。
アパートメントとかあるからそれを借りるのかな。その辺は貴族や王族の力でねじ伏せそう。
「なにか事件ですか?」
その言葉にどきり、として、私は冷や汗をかきつつ苦笑を浮かべた。
「あはははは……えぇ、まあ……そんなところでしょうか」
言っていいものかわからず笑ってはぐらかしてしまうけれど、ロラン様が私を見つめる目が怖い。
やだ、蛇に睨まれた蛙の気分だ。
あわあわしていると、ロラン様はちょっと首を傾げた後、にこっと不穏な笑いを浮かべ、くるりと振り返って言った。
「パトリシアさんにしてほしい仕事があるので、しばらくお借りしますね」
「あ、はい、わかりました」
そう笑顔で答える同僚に私が目を丸くしていると、ロラン様はこちらをくるり、と振り返り笑顔で言った。
「ちょっと部屋の方にいいですか?」
これはもう逃げられない。
そう思った私は覚悟を決めて頷いた。