日が暮れるのがすっかり早くなったから、この時間には空がオレンジ色に変わり始める。
夕食にはまだ早いからか、どの店もまだ混んだ様子はなかった。
寄り道しようと思ったけれどアルフォンソ様が一緒では寄り道していられないわよね。まあいいか。寄り道は別の日にもできるから。
「もう少しするとどの店も混み始めて賑やかになりますよ。お酒を飲んで帰る人も多いですから。パトリシアさんは外でお酒を飲んだりしますか?」
「し、しませんよ」
というか、あの日以来私、お酒飲んでいないもの。
外でお酒を飲むなんてもってのほかだ。
「あぁ、そうなんですか。ぜひまた一緒に飲みたいと思いますけど、女性をそのような所に誘うのはさすがに躊躇しますね」
「そうですよね、ははは」
もう、渇いた笑いしかでないんですけど?
お酒の話もずっとついて回るんだなぁ……
そう思うと心の中で思わずため息をついてしまう。
「今日、仕事一日目でしたよね、いかがでしたか?」
「あ、はい、あの、面白かったですよ。知らない本がたくさんありましたし、知らない言語の言葉の本もたくさん見ました。本を運ぶのは少し大変でしたけど」
「でしょうね。数が増えると重くもなりますし」
そうなのよね。あれを全部届けて周るのは大変だろうなって思った。今日はそこまでは私、やらなかったけど。
「お昼は外で食べたんですけど、風が心地よかったです」
そう言って私はアルフォンソさんの様子をうかがう。
昼間、あの公園にいたのかどうか気になるから、私はそれを確認したいんだけどな。
するとアルフォンソさんはこちらを見て立ち止まり、微笑んで言った。
「あぁ、そうでしたか。ところで、ロベルトとはどのような話をされたんですか?」
そのとき、びゅうっと、風が吹いた。
冷たくて凍てつく風が。
あ、やっぱりいたんだ。ロベルト様が去った公園の出入り口に立っていたあの人影、そうだったのね。
「やはりあの人影はアルフォンソさんだったんですね。一瞬だったから気のせいかと思っていました」
本人ですっきりした。だけど私を見つめるアルフォンソさんの笑顔が正直怖い。
「あぁ、気が付かれていたんですか。ロベルトと一緒だったので驚きましたよ」
「セレナさん……図書館で私に仕事を教えてくださっている方なんですけど、そのセレナさんと一緒にお外でお昼を食べましょう、って話をしていたら声をかけられたんです。セレナさんとは顔見知りだったようで、それで」
そう答えると、アルフォンソさんはあぁ、と呟き頷いた。
「そうでしたか。なら良いですが、気を付けてくださいね、ふたりきりになったとき何が起きるかわかりませんから」
そ、それは反論できない。
だってそんなの心当たりしかないからだ。
「お酒を飲みに行くようなことはしないでくださいね?」
満面の笑顔で言ってますけど、すごく怖いんですが?
アルフォンソさんの言葉に私はぶんぶん、と首を横に振る。
「そんなことしませんから、大丈夫ですよ」
さすがにお酒を飲みに行くようなことにはならないだろう。
あぁ、お酒の話は本当に忘れたいのに……無理よねぇ。
クリスティの誕生日パーティーで飲みすぎるんじゃなかった、ほんとにもう、私ってば……
ひとり落ち込んでいると、アルフォンソさんが私の名を呼んだ。
「ねえパトリシアさん」
すると、アルフォンソさんは私と向かい合って顔をじっと見つめてきた。
月のない夜空のような黒い瞳が私を顔を映している。
「貴方は、俺の恋人ですから。少し心配してしまいます」
そしてあいている手で私の頬に触れた。
外気に比べずっと温かい手だった。私を見つめる瞳は、心配げに目を細め眉を下げる。
そんな顔で見つめられるとすごくドキドキしてしまう。
「だ、大丈夫ですよ、本当に」
出た声は少し裏返っていて、大丈夫そうには聞こえないかもしれないけれど。
「そうですね。ロベルトは少々軽い男なので心配ですが。そういうことはしないとは思います」
……そういうことって何かな……?
えーと……きっとアレよね。考えるとちょっと恥ずかしくなってしまう。
私は無理やり笑顔をつくり、
「さすがにそれはないですよー」
と答える。
そんな事になるような場面て、そうそうないわよね?
その手の事が起こるのはたいていパーティーの時だし、私はもうパーティーにはよほどのことがない限り行かないんだから。
すると、私の頬に触れていた手が滑り落ちていき、私の顎に触れた。
夕暮れの街。人通りの少ない街角でいったい何をしようとしているの、アルフォンソさん。
やだ、心臓が破裂しそうだし、顔中が真っ赤になっていそう。
アルフォンソさんの目が、切なげに私を見つめている。
何これ、私、キスされる?
いや、ここ外ですよ? 誰かに見られたらいやなんだけど? あぁ、もうどうしたらいいの?
ひとり混乱していると、アルフォンソさんはにこっと笑い、
「行きましょうか、パトリシア。あちらにうちの馬車が迎えに参りました」
と言い、私の顎から手を離した。