「レイチェル! ご迷惑をおかけしないようにね!」
そんな女性の声が背後から聞こえてくる。きっとレイチェルのお母さんだろう。
「わかってる!」
レイチェルは振り返らずそう叫び、私を引っ張って祭りをやっている大通りの方へと向かっていった。
「ちょ、ねえ、どこまで行くの?」
「わかんない。けどお母様とお父様に見られたらラリーに何されるかわかんないから」
必死な様子でレイチェルは言い、通りをどんどん歩いていく。
「どんなにあわてなくてもいいと思いますよ、お嬢さん」
いつの間にかついてきたアルフォンソ様が言うと、レイチェルは機嫌悪そうな声で答える。
「お嬢さんじゃないもん、レイチェルって名前、あるんだから」
「これは失礼、レイチェルさん。それでどちらに行くんですか?」
「わかんない、どうしよう。でもラリーを連れて帰ったら取り上げられちゃうから連れて帰れないの」
そしてレイチェルは立ち止まってこちらを見上げた。
私の腕の中にいるラリーは、まったく動かない。さっきまで饒舌に喋っていたのに。
レイチェルは眉をさげ悲しげな顔をして言った。
「お父様もね、お母様もラリーが気味悪いっていうの。普通、ぬいぐるみは喋らないって。でもラリーはおしゃべりしてくれるの。私といっしょに遊んでくれたし、全然気味が悪いなんてないのに」
「そう、ねえ……」
気味が悪い、という気持ちはわかる。だってぬいぐるみは喋らないものだしそれに、他の人形の間に飾られたいた人形たちは皆、鍵のかかるケースの中におさめられていたんだから。それを考えたら怯えるのは当たり前だと思う。
もしかしたらこのぬいぐるみだってそういう怖いものかもしれないから。
人はわからないものを恐れる。
アルフォンソ様が、見た目の珍しさから色んな噂を流されたように、異質なものは怖いんだ。
「そうだ、私ね、ホテルに泊まってるの。ホテルの部屋なら誰も来ないし、ラリーとおしゃべりできると思うの。一緒に来ない?」
そう声をかけると、レイチェルはぱっと明るい顔になり、目を輝かせて頷いた。
「それはいい案ですね。パトリシア、俺もご一緒していいですか?」
そうだ、アルフォンソ様がいらっしゃいましたっけ?
さすがに断るわけにもいかず、私はアルフォンソ様の方を振り返り言った。
「はい、大丈夫です。ホテルですしね」
そして私はレイチェルとアルフォンソ様と一緒に、ホテルへと戻った。
ホテルに戻るとすっかり日が暮れて、窓の下に見える街を魔法の灯りが照らしだしている。
いたるところでいろんな人が踊りを踊り、音楽がここまで聞こえてくる。
部屋にあるソファーにラリーをそっと置くと、彼はきょろきょろと辺りを見回したかと思うとレイチェルの方を向いた。
抱っこしていて思ったけど、動き始めるとなぜか大きくなるのね。どういう仕組みなんだろう。
レイチェルはラリーに走り寄ると、ぎゅっと抱き着いて言った。
「ラリー!」
「レイチェルー」
ラリーもレイチェルの背中に手を回し、ぎゅっと、抱き返しているようだ。
感動の再会……なのかな。ちょっと図は面白いけど。
「なぜ、彼がむき出しの状態で飾られていたのか気にはなっていましたけど。危険はない、というのは本当みたいですね」
背後に立つアルフォンソ様が言い、私はふたりから目を話さず頷く。
ふたり、というのもちょっとおかしいけど。でも他に表現のしようもないしな……
「そうですね。危ないぬいぐるみではないのは確かかと……でも怖い、っていう気持ちもわかります。ぬいぐるみはしゃべりませんし、動かないものだから」
「確かに、怖い、と思うのは当然でしょうね。なにか落としどころがあるといいですけど」
落としどころかぁ……
ふたりにとってどうするのがいいんだろうか。
レイチェルの両親は怖いからラリーを博物館に預けた。でもラリーは怖いぬいぐるみじゃない。だけどそれを納得させるのは厳しいだろうな。
うーん……
なら別の方法で、ラリーが動いても違和感ないような状況ってないだろうか。
「あ」
「どうしました、パトリシア」
「あの、ラリーが博物館でお仕事することはできないのかなって。あの博物館でしたらラリーが動いていても不思議ではないかと思ったのですが」
何と言っても呪いの遺物を集めた博物館だ。
喋って動くぬいぐるみが働いていてもおかしくないんじゃないかな。
そう思ったんだけど……アルフォンソ様は私の言葉に一瞬驚いた顔になった後、顎に手を当てて笑いながら言った。
「パトリシア、貴方は面白いことを考えますね。貴方といると本当に飽きない。王都に戻ってからどうなるか楽しみです」
なんて言いだす。ん、王都? まあいいか、今重要なのはレイチェルとラリーの今後だ。
「もう、からかわないでください。私は真剣なんですから」
「わかっていますよ、パトリシア。そうですね、俺の方から司祭様に話してみましょうか。あの方であればきっと、受け入れてくださると思います」
「本当ですか、アルフォンソ様」
正直私からお話ししてみようかと思っていたけど、アルフォンソ様の方が絶対話が通りやすいだろう、って思う。
「えぇ。ふたりにとっての最善が何かはわかりませんが、家に帰せる状況にないのならそれはひとつの選択肢としてありかと思います。まあ、本人の意思を確認しないとですが」
そう答えて、アルフォンソ様はラリーたちに歩み寄る。
そして、ふたりの側でしゃがむと言った。
「ラリー、レイチェル。ひとつ提案があるのですが」
「何? アルフォンソ様」
レイチェルが不思議そうにアルフォンソ様を見つめ、ラリーは不審そうな顔をする。
「ラリーが今のように動いておしゃべりできるよう、司祭様にお願いしようと思うんです。ラリー、博物館で働くつもりはありませんか?」
「……働くって、何?」
ラリーは不思議そうに首を傾げる。
まあそうよね、ラリーはぬいぐるみだもんね。
働く、と言われてもピン、とこないか。
「仕事……といってもわかりにくいでしょうか。そうですね、博物館を訪れる人たちの相手をしてお金を貰うんです」
「なんでラリーが働くの?」
レイチェルが不服そうな顔になる。
「そうしたら、貴方の両親は彼を認めざる得なくなるでしょう。喋り、動くラリーが話題になれば、ですが。それにレイチェル、いつ博物館に行っても動く彼と会い、話ができますよ?」
そうアルフォンソ様が言うと、レイチェルははっとした顔になり、ラリーを見つめた。
ラリーはよく意味が分かっていなさそうだ。
レイチェルはたしか、博物館でラリーに話しかけていたもんね。
なんでおしゃべりしてくれないのかって。
その夢は叶うし、ラリーは自由に動けるし、損な話ではないだろう。
それになんといってもラリーの見た目は可愛いから、きっと話題になると思う。そうしたらもっとお客さんが増えて、収蔵物も増えて司祭様は喜びそうだ。
……呪いの遺物が増えるのもどうかと思うけど。
話題になれば国外からも寄贈されそうよね。増えていく呪いの遺物……世の中に呪いがそんなに溢れているものなのかと思うと怖い話だけど。
「えーと、働けばレイチェルといつでもおしゃべりできるの? 我慢しなくていいの?」
ラリーは飛び跳ねながら嬉しそうに言う。
たぶんそうなる。きっとそうなる。
それはあくまで司祭様が了承したら、だけど。断るとは思えないのよね。土産物屋のことや博物館を改装したことを考えたら、あの司祭様、商魂たくましい方だし。
「えぇ。そういうことです。俺の方から司祭様にお願いしてみますから」
アルフォンソ様が力強く言うと、ラリーは大きく頷いた。
その時、ドーン、という大きな音が響き窓の外が明るくなった。
「あ、花火!」
レイチェルとラリーが連れだって窓に走り寄る。
私はふたりに歩み寄り、
「あっちにバルコニーあるから、そこからならよく見えるわよ」
と声をかけた。
するとふたりはこちらを見上げて、目を輝かせて頷いた。
私たちは四人でバルコニーに出て、空を見上げる。
大きな花火が夜空を彩り、人々の歓声が響き渡る。
「わぁ、綺麗だねー、ラリー」
「うん、音がちょっと怖いけど綺麗だねー」
レイチェルとラリーはバルコニーの柵に手をかけて声を上げた。
たしかに綺麗だ。よく見ると赤や青の花火もあるんだ。すごいなぁ。
この大きな音って花火が破裂する音、なのかな。
「パトリシア、ちょっといいですか?」
「え? はい、なんでしょうか」
そう答えつつアルフォンソ様の方を振り向くと、彼はそっと私の肩に手を回し、そして抱き寄せてきた。
ちょっと、近い近い近い。
いや、肩に手を回されて抱き寄せられただけだけど? 下を見ればそんな男女はたくさんいるわけだけど?
それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
「ア、ア、アルフォンソ様?」
顔が熱くなるのを感じながら私は彼の名を呼ぶ。
「貴方と出会えて本当によかったです。今日は楽しい一日を過ごせました」
耳元でそんな事を言われ、顔だけじゃなくって身体も熱くなってくる。
「え、あ……わ、私もあの、楽しかったです」
だって、聞き込みと尾行という、した事のない経験ができたわけだから。
王都だったらこんな経験、絶対にできないだろう。だって私、ただの本が好きな商人の娘だし。
あー、アルフォンソ様の匂いがするし、息遣いが聞こえてくるこの状況、恥ずかしすぎるんですけど?
恥ずかしいから話してほしい。あー、どうしたらいいのよ。
三十分ほどだろうか、花火を見ていたわけだけどその間ずっとアルフォンソ様に肩を抱かれていて、私は気が気ではなかった。