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第15話 アルフォンソ様との距離

 食事会が終わり、帰りも馬車で送っていただくことになったわけだけど、なぜかアルフォンソ様も一緒だった。

 すっかり日が暮れて、闇が包む通り。

 街灯の淡い光がぼんやりと家々を照らしている。


「……なんで、アルフォンソ様もついていらしたんですか?」


 横目でアルフォンソ様の方を見つつそう尋ねると、彼は静かに言った。


「そのぶん長く一緒にいられますからね」


 その言葉を聞いて私は恥ずかしくなってきて、思わず下を俯いた。

 あー、もう、そんなこと言われたら私、アルフォンソ様の顔、まともに見られないじゃないの。

 こういう場面に私は慣れていないのよ。


「どうかされましたか?」


 声がやけに近くで聞こえてくる、と思って顔を上げると、すぐそこにアルフォンソ様の顔があった。

 いや、近すぎるんですけど?

 驚いて目を見開いて彼を見つめると、アルフォンソ様はさらに顔を近づけてきた。

 吐息がかかるほど近く。

 ちかいちかいちかい。


「パトリシア?」


 そんな近くで名前を呼ばないでください。

 今は夜だ。馬車の中は暗い。だから普通にしていたら互いの表情は見えないけれど、この距離だとさすがに見える。

 アルフォンソ様の表情が切なげに見えるの、気のせいですかね?

 まるでキスでもされそうな距離で私、すごくドキドキしているんですけど?

 あーもうどうしようこれ。馬車の中だし逃げ場もないし。何を言えばいいのかもわからない。


「え、あ、あ、あの……」


 しどろもどろになって声を出すと、


「パトリシア」


 低い声で名前を呼ばれ、頬に手が触れた。その行為に思わず震えてしまい、


「は、は、はい!」


 と、裏返った声で返事してしまう。

 やだどうしよう。心臓が耳の横にあるんじゃないかっていう位、大きな音を立てて鼓動を繰り返している。

 絶対これ、アルフォンソ様に聞こえているんじゃないだろうか。

 アルフォンソ様の匂いが強く香る。香水? 石けん? 何の匂いだろう。やだ、ぜったい顔中真っ赤になってる。

 アルフォンソ様の顔、近すぎるんだけど。あーもうどうしたらいいのよこれ。


「う、あ、あ……」


 緊張しすぎて呻き声しか出ない。

 どうしよう、この状況……

 混乱しているとアルフォンソ様は微笑み言った。


「まだ時間はたくさんありますから、また共に時間を過ごしましょう。今日はお付き合いくださりありがとうございました」


「え、あ、は、はい」


 私の返事を聞き、アルフォンソ様は離れていく。その時、ゆっくりと馬車が止まった。

 御者のおじさんが扉を開けてくれて、アルフォンソ様が先に下りて私に手を差し出してくる。

 私はドキドキしたままその手を取り馬車を下りた。

 ホテルの玄関前はとても静かだった。

 人通りは少なく、男女が寄り添い歩いて行く姿が目に入る。


「きょ、今日はありがとうございました」


 裏返った声で言い頭を下げると、アルフォンソ様はうやうやしく頭を下げて私の手にそっと、口づけた。

 手の甲に唇が触れ、すぐに離れていく。たったそれだけのことだけど、私を動揺させるには充分だった。

 アルフォンソ様は顔を上げて私の手をゆっくりと離すと、


「それではまた」


 と言い、背を向けて馬車の中に戻って行った。

 私も背を向け、ホテルの中にそそくさと入っていく。


「おかえりなさいませ」


 という、ホテルのスタッフさんに軽く会釈をし、鍵を受け取り部屋へと向かう。

 あぁもう、早く部屋に戻ってお風呂入ろう。そうしよう。なんだか身体も心も変な感じがするから。お風呂で全て洗い流すんだ。

 今私はとっても戸惑っている。

 アルフォンソ様にキスされた。手の甲だけだけど。

 部屋に戻ってドアに背を預け、口づけられたところを見つめる。

 もちろん痕なんてない。だけど感触はまだ残っている。

 嫌じゃなかった。でも……なんだろう、この感覚。あぁ、心臓が今にも破裂しそうだ。

 アルフォンソ様、何を考えているんだろう。このまま私、アルフォンソ様に囲い込まれてしまうのかな。

 わからない、こういう経験、私、ないからわからないのよ。

 あぁもう、どう対処したらいいのか全然分かんない。まさか私、このままアルフォンソ様と婚約するとかある?

 捨てられた者同士が? 嘘でしょそんなの。

 まだお付き合い、っていう段階なんだよね? お互いを知る時間、ってことだよね?

 どうしたいの私。このままお付き合いを続けてその先は……伯爵家と結婚?

 いや、ありえない話じゃないけれど。

 でもうちは商人の家だし、貴族と結婚なんて考えられない。

 でも、私、クリスティのお屋敷で気が付いたらアルフォンソ様と一緒に裸で寝ていたんだものね。あんなことしたんじゃなぁ……もしかしてアルフォンソ様、あの時のことを気にして私と付き合いたいとか言い出したのかな。

 だってアルフォンソ様の元婚約者はそれで妊娠までして……いや、私に妊娠の兆候はないけど……でもまだ先にならないとわかんないよね。

 そんなこと気にしなくていいのに。いや、妊娠していたら気にしてほしいけど。

 ……いやそうなったらもう、結婚するしかなくなるじゃないの。あぁ、もう、何が何だか分からなくなってきた。

 過去には戻れないし、起きたことはどうにもならない。

 だからとりあえず、


「お風呂入って来よう」


 そう決めて、私はお風呂に入る準備をしようと寝室へと向かった。



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