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第64話

 美術館での仕事の後、清隆と海人を送り届けた桜子は、コンビニへ寄った。

 小寺は極力来場者の目につかないようにすることを約束してくれたし、楢沢もそれで了承してくれた。そこに、同じ東陣を愛する者としての情があったことは間違いない。決着としては現状維持のようなものだったけれど、たしかに前に進んだ結果だった。

 会話ができ、絵を出入りすることができる幽霊なんて、「後ろの真実」のキャストとして非常に魅力的だったけれど、誘うことはできなかった。それだけはほんの少し、心残りではある。東陣のモナリザを購入できるだけの財力が「後ろの真実」にあればよかったのだけれど、そんな余裕はない。小寺にしても、思い入れのある東陣のモナリザだったからこそ、絵を出入りできたのだろうと清隆は帰り道で語っていた。他の絵では駄目なのだ。

 それにしても、今回はかなり刺激的なものを目撃できた。動く絵画なんて、魔法の世界にしか存在しないと思っていた。心霊現象が魔法とどう違うのか、と問われても困るが、とにかく興味深い。幽霊や妖という存在への興味が最近どんどん増している。

 清隆にキスしてしまったことは、まあ、憑りつかれていたから不可抗力ということにしよう。高校生じゃあるまいし、キスの一つや二つで取り乱すほど子どもじゃない。

 これを機に清隆のことを意識する、なんてことは、うん、無いな。あんな、いざとなれば自分だけ逃げだすような男に惚れる道理はない。海人も、ろくろ首形態の記憶が鮮明すぎて、恋愛対象だとは言いづらい。

「出会いが無いな」

 友達に頼んで合コンでも開いてもらおうか。

「すいません、お姉さん。ナンパしてもええ?」

 コンビニの駐車場で唐突に話しかけられ、桜子は眉間に皺を寄せて振り向いた。こんなところでナンパに遭遇するなんて、ツイていない。

「ってあんた」

 そこにいたのは右半分が金髪、左半分が黒髪の男、狐塚だった。

「どうしてここに」

 問いながら、その感覚に覚えがあった。安倍志穂。清隆の妹が式神を送ってきたときも、偶然入ったレンタルビデオ店にピンポイントで合わせてきた。

「そんなことどうでもええやろ。鬼頭さん、あんたと話がしたかったんや」

「どうして私の名前を」

「雑誌に書いてあったで」

「あ」

「下の名前は何て言うの」

「……桜子」

「鬼頭桜子か。豪勢な名前やな。鬼の頭ね」

「名字は嫌いだから、呼ぶなら下の名前にしてもらえます?」

「了解、了解。じゃあ、桜子さん。用件に移るわ」

「何ですか。早く帰りたいんですけど」

「安倍のとこ辞めて、ワイの手伝い、せえへん?」

「はあ?」

 高い声が出てしまった。何を言っているんだ、こいつは。

「ワイな、調べたし考えたんや。あのお化け屋敷におるのは、あんたのためにならんと思うんよ」

 調べた? 何を、どうやって。

 桜子は疑心を抱きながらも黙って聞く。今は情報を引き出すとき。

「烏丸修二」

 背中に鳥肌が立った。

 なぜその名前を知っている。いや、安倍志穂クラスの占術が使えるのであれば、そのくらいは見通せるのか?

 いや、それよりもここでその話を出したということは。

 強迫?

「殺したやろ」

 奥歯を噛みしめた。それを弱みにして強請る気か。

「そいつ、まだあんたに憑いとるで」

「え?」

 意外な言葉だった。展開がずれたこともだが、烏丸は清隆に剥がしてもらったはずだ。

「縁っちゅうもんがあってな。同じ場所におる限り、縁は消えん。あんたと烏丸はまだ繋がっとる。除霊したつもりやろうけど、何かのきっかけがあれば烏丸はまたあんたに憑くで」

 狐塚は嫌らしく笑う。

「その様子やと、安倍清隆からは聞いとらんかったみたいやな。適当な処置しよって。どうや、辞めてワイの助手になれば、縁は切れ、あんたと烏丸は完全に剥される。それに、ワイの助手になれば、同じくらい、いや、もっと刺激的なモン見られるで」

 どうや、と狐塚は問う。桜子はふん、と鼻で息を吐いた。

「断ります」

「なんで?」

「理由はいくつもありますよ。私は「後ろの真実」に愛着があります。いる人たちにも、幽霊たちにも。烏丸がまた私に憑いたら、また清隆さんに祓ってもらえばいいだけです。あなたに対する信用もありませんしね。それに何より、今の仕事が面白いんですよ。あなたの所へ行ったらそれが失われます」

 睨みつけるように狐塚の目を見る。狐塚は無表情に聞いていたが、桜子が言い終わると、愉快そうに笑った。

「なるほど、なるほど。どんな女かと思ってたけど、なかなかに強気やな。普通、ほぼ初対面相手にそこまで言わんよ。もっとぼかすやろ」

「社交辞令でもまぶしましょうか」

 口元だけで笑って言うと、狐塚は笑みを深くした。

「ええやん。さすが核なだけある」

「核って何ですか」

「さあ、何やろな」

「誤魔化さないでください」

「これは誤魔化しとるんとちゃうよ。隠しとるんや」

 不快な言い方だったが、それを表情に出さないようにした。腹の探り合いが目的なら、こちらの感情一つすら情報になり得る。

「今日はお弟子さんは一緒じゃないんですね」

 話の方向を変えてみると、狐塚は桜子の背後を指さした。

「おるで。そこに」

 振り返ると、すぐ傍に小間がいた。にこにこと笑って立っている。

「気付きませんでした? 私、気配消すの得意なんですよ」

 全く気付かなかった。小間は踊るように狐塚の隣に並ぶ。

「まあ、安倍清隆や、あの場におった兄ちゃんなら気付くやろうけどな。感覚鋭そうやったし」

「私が鈍いって言いたいんですか」

「鈍いで。でも、それは悪いことやない。死者が見えるほど鋭くても、ええことなんてほとんど無いしな」

 狐塚は小間の頭に手を置く。小間はにこやかにされるままになっている。

「死者はな、霊感が無い人間には干渉できんねん」

「知っていますよ」

「さすがに知っとったか。逆に言うとな、霊感を与えてやれば干渉できるようになるんや」

 狐塚は人差し指を桜子に向けた。

「例えば、こんな風に」

 桜子の視界が薄暗くなった。この感覚には慣れている。

 幽霊を視認できる水を飲んだときの感覚。

 右半身の表面が痺れるように何かを感じた。反射的に右を見てしまう。

「見えるやろ」

 俯いた、セミロングの髪をした女が、手招きしていた。服はぼろぼろで、靴は片方無い。顔を上げられたくない気持ちと、覗き込みたい気持ちが混ざり合う。知らず、足が一歩を踏み出していた。

「あんたに憑いとったで」

 意識がぼんやりする。足元がふらつき、吸い寄せられるように女の幽霊に足が向く。

 そっちは、車道。

 遠い意識の中、常識的な部分がアラートを出す。行ってはいけない。危ない。止まって。やめて、呼ばないで。

「祓ったろか」

 耳元で狐塚が囁く。

「さっきの条件呑むなら、祓ったるで」

 嫌だ。駄目だ。首を横に振ろうと努力する。できたかわからなかったが、拒絶の意図は伝わったようだった。

「あ、そう。じゃあ、どうするん?」

 また一歩、足が進む。手招きの力が強くなる。車道を走る車の音は聞こえている。行ってはいけないことはわかっているのに、体の自由が効かない。気を抜けば手招きしている女に向かって走り出しそうだ。

 心の中に清隆の姿が浮かんだ。

 こんなとき、いてくれたら。

 視界が急に眩しくなった。ブレーキ音が鳴り、女と桜子の間に割り込むようにクリーム色の物体が停車した。

 桜子の、付喪神フィアットだった。

 運転席のドアがひとりでに開く。

「おお? 何やそれ」

 驚く狐塚を放っておいて、渾身の力で意思を取り戻した。手招きされる力を利用して車内に転がり込む。すぐにドアが閉まり、走り出す。

 急に意識がはっきりする。

「清隆さんの所へ!」

 フィアットは急加速で車道に出て行った。



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