清隆は憂鬱を通り越して憤然としていた。
世の悪役たちはいとも簡単に人を誘拐して監禁する。上手いこと隠し、閉じ込め、身代金を要求したり、何らかの企みを進めたりする。だが、実際問題、人間一人を閉じ込めておくのは簡単ではない。食べ物がいる、温度管理がいる、排せつの問題だってあるし、見張りはどうする、という話になる。見張りのローテーションでも組むのか。一人で見張らせておくと危険だし、バックアップも含めるとそれだけで何人日分の工数がかかることやら。
「ああ、どうしてこんなことに」
何度目かの愚痴が誰も聞いていない物置に零れる。誰もいないわけではない。小間と名乗った襲撃者が両手足を養生テープで拘束された状態で転がっている。意識はない。
元来、清隆は人と関わることが得意ではない。ストレスだと言ってもいい。桜子のように慣れた相手ならまだしも、初対面で話すと酷く消耗する。「後ろの真実」での受付業務くらいは捌けるようになったが、にこやかに楽しく会話しろと言われたら十分で疲労困憊すること間違いなしだ。
だから、拘束してあるといっても、襲撃者で、見知らぬ相手が同じ部屋にいて、かつそれを見張っておかなければならないという状況は、はっきり言って苦しい。一刻も早く手放したい。どうして自分がこんな目に遭っているのかと呪うと、苛々してきた。
「サカグラシ」
話し相手がいるのが救いだった。猫又の相棒は控えている。
「何だ」
「これ、起きたらどうするんだ」
「それを今のうちに考えておくのがお前の役目だろう」
「呪術を使ってきたよな」
「そうだな」
「まっとうな霊媒師は、対人の術なんて使わない。なら、こいつは何を考えて術を修めているんだ」
「起きたら訊いてみればいいだろう」
「俺が訊かないと駄目かな」
「駄目だろうな」
はあ、とまたも溜息を吐いて、清隆は小間に目を向ける。
三時間ほど前、小間は清隆に呪いをかけた。指さすだけで発動した、簡易的で安直な術。それゆえに解呪も簡単で、酒を飲んでサカグラシの力を通すだけで打ち消すことができた。そして、呪いは破られたとき、行使した術士に返っていく。俗に呪詛返しと呼ばれる現象が起こった。その結果、小間は意識を失い、拘束されて今に至る。
誰から教わった。どこでここを知った。誰の依頼で来た。訊きたいことは山ほどあるが、同時に、もうどうでもいいから帰れ、と言いたい気持ちもある。
もちろん、ただで帰すわけにはいかないので、あくまで願望だ。そんなことをしたら桜子に怒られる。彼女は中途半端に事態を放置することの危険性を知っている。
烏丸、ねえ。
我らが「後ろの真実」の階段に蹲って動かないキャストに思いが巡る。桜子から引き剥がした後、不貞腐れたように階段に座り込んでそのまま凝り固まってしまった。消滅させることは簡単だが、そうしていいものか、いまいち判断がつきかねる。なんとなく、桜子が決着をつけるべきことなのでは、という気もしないでもない。
無害なら放っておくのが清隆のスタンスなので、今のところそのままにしている。本当に無害なのか、今後もそうなのか、それは誰にもわからない。「後ろの真実」のキャスト達は皆、そういう一時的安定状態にいるだけだ。そういう意味では、小間が襲撃した理由も一理ある。今後ずっと、恒久的に危険が無いのかと問われたら、決してそうではないのだ。
だが、だからといって強引に全員消滅させようなんて荒事、まともな霊媒師がやるとは思えない。陰陽師と呪術戦をしてまでやるにはリスクが大きすぎる。
しばし物思いに耽っていると、待ち望んだノックの音が物置部屋に転がった。
「清隆さん、どうですか」
そっとドアが開き、桜子が顔を出した。後ろから出勤した海人も顔を覗かせる。
「そっちは大丈夫?」
「問題ありません。鈴木さんもいつも通りやってくれています」
「そう」
「こっちはどうですか」
「まだ目覚めない」
海人は物置に入ってきて、小間をつま先で突いた。小間の革ジャンに小さく皺が寄る。
「この子が襲撃者ですか。中学生か、いや、高校生くらいですかね。今の高校ってピアスOKなのかな」
清隆が言われて小間の耳を見ると、小さく白いピアスが耳たぶに付いていた。
海人は観察を続ける。
「この七月の蒸し暑い時期に革ジャンって、どういう趣味してんだか」
小間は膝下丈のクロップドパンツを履いており、白い脛が見えている。
「女子高生だったのか」
「清隆さん、言い方が嫌らしいです」
「どう言えと……」
「普通に女の子と言えばいいじゃないですか」
小間のサラサラとしたショートカットに隠れた顔がぴくりと動いた。それを見咎めた三人の視線が小間に集まる。
小さく呻き、小間が目を開けた。
しばらく目を動かしたり手足をもぞもぞと動かしてみたりした後、状況が把握できたのか、清隆を睨みつけた。
「おはよう」
清隆はようやく状況が動くことに安堵して声を掛けた。
小間は何度か咳込み、下から見上げて叫ぶ。
「放しなさい」
「放すわけないでしょう」
桜子が仁王立ちして返す。用心してドアの近くに立ったままだ。
清隆はこれ幸いと、尋問役を譲る。
「どうしてここに幽霊がいるって知っていたの」
「白々しいですね。あれだけ堂々と雑誌に載っておいて」
「雑誌って」
「もちろん、『アンダーストリート』ですよ。昨日発売した雑誌に華々しく載っていたじゃないですか」
「だからって、ここに幽霊がいるとは書いていないでしょう」
「書いてありましたよ。幽霊に会えるお化け屋敷、と」
桜子は、あ、と間抜けな声を出した。
「え、それで来たの? ただの売り文句なのに」
「ただの売り文句ではないでしょう。実際にいましたし、あなたも嘘ではないことをわかって言ったはずです」
「いや、そうだけど、それが事実だとどうしてわかったっていうの」
小間は鼻を鳴らした。
「師匠の目にかかれば、それが本当だということくらいわかるんですよ」
「はあ? そんなこと……」
桜子が清隆を見る。
清隆は眉間に皺が寄るのを止められなかった。話に波長が合ったとき、聞いた瞬間に本物の心霊話だとわかることがある。だが、それはかなり特殊な場合だ。ほとんどの場合、現場に行って調査しないとわからない。
もしもコンスタントにそのような判断ができるのだとしたら、下手をすると妹の志穂に匹敵する占術使いである可能性がある。
清隆の表情を見て、桜子も察するものがあったらしく、言葉に窮した。仕方なく話題を変える。
「あんた、小間っていったね。本名?」
「そんなわけありませんよ。敵に素性を明かすほど馬鹿ではありません。そこの陰陽師が無防備すぎなんです」
「清隆さんって本名なんですか」
「まあね。登記簿登録するときに必要だったし」
本名を知られるべきでないという流派もあるが、安倍家にそうした文化は無い。元々朝廷に仕えていた家系であり、身分を偽ることを良しとされなかった。
だいたい、名前がわかっただけで何かできるのであれば、世の中の政治家は皆呪いの被害に遭っている。どんな呪術師であっても、名前だけでは大したことはできない。
小間が不敵に笑う。
「おばさん、雑誌の写真、微妙だったね」
「は、おばさん⁉」
「二十代後半ってところでしょ。おばさんじゃん」
「私は、まだ、アラサーにもなってないわ!」
清隆は哀れみの視線を向けた。急に話の主導権が小間に渡った。年齢のことを茶化されただけなのに。
「じゃあ何歳なの」
「う、うぐ……」
「あれ、言えないの?」
桜子が清隆と海人の耳を気にしているのはわかる。だが、だからといって席を外すわけにもいかない。小間が呪いを使える場合、すぐに解呪する必要がある。
「私は言えるよ。十七歳。おばさんは?」
若いなあ、と清隆は呟いた。まだ十代なのか。
桜子が小間の頭の傍に足を踏みつけた。
「歳はどうでもいい。あんた、どこから来たの」
「家から来ました」
「よし、ボコろう」