「宮島さんへの鬱屈した思いはともかく、福井さんへの気持ちは、別に捨てる必要もないですよ」
桜子は、あっけらかんとした調子を装って言った。
「友人の元彼と付き合った、なんて話は巷に溢れていますからね。田野端さんだって諦める必要はありません」
「いいでしょうか?」
「大丈夫ですよ。人を好きでいることに資格なんていりませんから。でも、宮島さんの元彼、という目で見ないであげてください。一人の男性として、人間として、正面から見て、接してあげてください。良い部分も悪い部分も、そのまま受け止めて、その上でアプローチするんです」
「そうしたら、何か変わりますか」
「わかりません。もしかしたら、気持ちが冷めるかも。冷めたら冷めたで、次にいきましょう。宮島さんと関係ない、独自のルートで男を探すんです」
田野端は宮島に拘り過ぎているのだと思う。もっと自由に、一人旅に出かけるような勇気と気楽さで、男なんていくらでも漁ればいいのだ。
「こう考えてもいいですよ。福井なんて、大した男じゃなかった、てね。どこにでもいる、凡庸な、宮島さんの元彼という価値しかない男だって」
言い方がおかしかったのか、田野端は吹き出した。初めて見る、田野端の無邪気な笑顔だった。
「それは貰っておきましょうか」
話がひと段落し、桜子と田野端の間に和やかな空気が漂ったタイミングで、清隆が田野端の鞄を指さしながら言った。
「多分、呪いの道具でしょう」
「よくわかりましたね、持ってきているって」
「なんとなく視えました」
田野端が鞄のクリアファイルから取り出したのは、一枚の札だった。文字のようなものと、鬼の絵柄が墨で書かれている。桜子にはただの紙のように見えるが、清隆には特別なものを感じられたらしい。
「こちらで処分しておきます。もうほとんど力はありませんが、放っておくと悪霊が寄ってくる可能性がありますから」
「はい。私も持て余していましたから、よろしくお願いします」
「それで、これをどこで?」
清隆は札をひらひらと揺らす。
「貰いました。街を一人で歩いているときに、声を掛けられて」
「それで呪いの札を貰った?」
にわかには信じられない話に、つい桜子の声が上ずった。
田野端も、唸りながら言う。
「何て言うんでしょう。全部見透かされているような、信頼できてしまうような感覚。凄腕の占い師だったんじゃないかと思っているのですが」
「詳しく聞かせてください」
清隆が座り直した。田野端は、目線を上に向け、思い返しながら喋る。
「買い物する用があって、ショッピングモールを一人で歩いていたんですね。そしたら、男の人に声を掛けられたんです。お姉さん、辛そうですね、って」
「体調が悪かったんですか?」
「いえ、普通に良かったです。私も何のことだろうと思って訊いたら、ご友人のことが憎くて辛そうですね、って言い当ててきたんですよ。驚いちゃって、思わず、どうしてわかったんですかって言っちゃいました。その時点で、もう口車に乗っていたようなものですね」
「その男は、何と言いましたか」
「視えたんだって」
清隆も先ほど同じことを言った。呪いの札が鞄の中にあることを、視えたと言った。
ペテンではない?
「私、気づいたら喫茶店にいて、洗いざらい喋っていました。というか、向こうが適切に質問するから、答えているうちに全部喋っていたんですね。多分、本当に私の事情がわかっていたんだと思います。それくらい、上手く話を聞いてくれました」
桜子は清隆の妹、志穂を連想した。こちらの行動を予期し、なぜか桜子の顔も知っていて、掌の上で転がされるような感覚を得た、巾木の一件。清隆にも、レベルは低いが同様の占いができると聞いている。
彼らと同じ、陰陽師だったり?
「その男の人は、言ったんです。そんなに憎いなら、呪ってやればいい、と。そのための道具ならあるから。そう言ってこの札を売りつけてきました。私はもう、そのときには妄信してしまっているような気持ちで、言われるがまま札を買いました。その人は、願えばいいと言いました。札を握って、呪いたい相手を強くイメージするだけで呪いは成就する、と」
「イメージするだけで? 体の一部や写真も必要なく?」
「はい。イメージするだけでした」
清隆が顎に手を当て考える。
「清隆さん?」
「強すぎる」
「え?」
「呪いの条件が弱い。通常、髪の毛などの体の一部を介して呪いを対象に向けるんだ。藁人形に髪を入れて、釘を打つようにね。そうした媒介なく、ただ念じるだけで呪いが正しく宮島さんに向いたなんて、出来が良すぎる。強く縁があること、それに、田野端さんに素質があったからできたことのように思える」
「私の素質?」
「田野端さんは福井の部屋に生霊を飛ばしています。誰にでもできることじゃない。それには素質が必要なんです。怪異現象を引き起こす才能、とでも言いましょうか」
先ほど聞こえた、カチンという音を思い出した。あれは、田野端が起こした音なのか。
「そうだとしても、それだけの素質を持っていることを、その男は見抜いたのか? 初見で、通りすがりで? それほどに視ることが可能なのか?」
ブツブツと呟く清隆に、答えられる者はいなかった。