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第55話

「宮島さんへの鬱屈した思いはともかく、福井さんへの気持ちは、別に捨てる必要もないですよ」

 桜子は、あっけらかんとした調子を装って言った。

「友人の元彼と付き合った、なんて話は巷に溢れていますからね。田野端さんだって諦める必要はありません」

「いいでしょうか?」

「大丈夫ですよ。人を好きでいることに資格なんていりませんから。でも、宮島さんの元彼、という目で見ないであげてください。一人の男性として、人間として、正面から見て、接してあげてください。良い部分も悪い部分も、そのまま受け止めて、その上でアプローチするんです」

「そうしたら、何か変わりますか」

「わかりません。もしかしたら、気持ちが冷めるかも。冷めたら冷めたで、次にいきましょう。宮島さんと関係ない、独自のルートで男を探すんです」

 田野端は宮島に拘り過ぎているのだと思う。もっと自由に、一人旅に出かけるような勇気と気楽さで、男なんていくらでも漁ればいいのだ。

「こう考えてもいいですよ。福井なんて、大した男じゃなかった、てね。どこにでもいる、凡庸な、宮島さんの元彼という価値しかない男だって」

 言い方がおかしかったのか、田野端は吹き出した。初めて見る、田野端の無邪気な笑顔だった。


「それは貰っておきましょうか」

 話がひと段落し、桜子と田野端の間に和やかな空気が漂ったタイミングで、清隆が田野端の鞄を指さしながら言った。

「多分、呪いの道具でしょう」

「よくわかりましたね、持ってきているって」

「なんとなく視えました」

 田野端が鞄のクリアファイルから取り出したのは、一枚の札だった。文字のようなものと、鬼の絵柄が墨で書かれている。桜子にはただの紙のように見えるが、清隆には特別なものを感じられたらしい。

「こちらで処分しておきます。もうほとんど力はありませんが、放っておくと悪霊が寄ってくる可能性がありますから」

「はい。私も持て余していましたから、よろしくお願いします」

「それで、これをどこで?」

 清隆は札をひらひらと揺らす。

「貰いました。街を一人で歩いているときに、声を掛けられて」

「それで呪いの札を貰った?」

 にわかには信じられない話に、つい桜子の声が上ずった。

 田野端も、唸りながら言う。

「何て言うんでしょう。全部見透かされているような、信頼できてしまうような感覚。凄腕の占い師だったんじゃないかと思っているのですが」

「詳しく聞かせてください」

 清隆が座り直した。田野端は、目線を上に向け、思い返しながら喋る。

「買い物する用があって、ショッピングモールを一人で歩いていたんですね。そしたら、男の人に声を掛けられたんです。お姉さん、辛そうですね、って」

「体調が悪かったんですか?」

「いえ、普通に良かったです。私も何のことだろうと思って訊いたら、ご友人のことが憎くて辛そうですね、って言い当ててきたんですよ。驚いちゃって、思わず、どうしてわかったんですかって言っちゃいました。その時点で、もう口車に乗っていたようなものですね」

「その男は、何と言いましたか」

「視えたんだって」

 清隆も先ほど同じことを言った。呪いの札が鞄の中にあることを、視えたと言った。

 ペテンではない?

「私、気づいたら喫茶店にいて、洗いざらい喋っていました。というか、向こうが適切に質問するから、答えているうちに全部喋っていたんですね。多分、本当に私の事情がわかっていたんだと思います。それくらい、上手く話を聞いてくれました」

 桜子は清隆の妹、志穂を連想した。こちらの行動を予期し、なぜか桜子の顔も知っていて、掌の上で転がされるような感覚を得た、巾木の一件。清隆にも、レベルは低いが同様の占いができると聞いている。

 彼らと同じ、陰陽師だったり?

「その男の人は、言ったんです。そんなに憎いなら、呪ってやればいい、と。そのための道具ならあるから。そう言ってこの札を売りつけてきました。私はもう、そのときには妄信してしまっているような気持ちで、言われるがまま札を買いました。その人は、願えばいいと言いました。札を握って、呪いたい相手を強くイメージするだけで呪いは成就する、と」

「イメージするだけで? 体の一部や写真も必要なく?」

「はい。イメージするだけでした」

 清隆が顎に手を当て考える。

「清隆さん?」

「強すぎる」

「え?」

「呪いの条件が弱い。通常、髪の毛などの体の一部を介して呪いを対象に向けるんだ。藁人形に髪を入れて、釘を打つようにね。そうした媒介なく、ただ念じるだけで呪いが正しく宮島さんに向いたなんて、出来が良すぎる。強く縁があること、それに、田野端さんに素質があったからできたことのように思える」

「私の素質?」

「田野端さんは福井の部屋に生霊を飛ばしています。誰にでもできることじゃない。それには素質が必要なんです。怪異現象を引き起こす才能、とでも言いましょうか」

 先ほど聞こえた、カチンという音を思い出した。あれは、田野端が起こした音なのか。

「そうだとしても、それだけの素質を持っていることを、その男は見抜いたのか? 初見で、通りすがりで? それほどに視ることが可能なのか?」

 ブツブツと呟く清隆に、答えられる者はいなかった。


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