宮島だけでなく田野端も呪われた。それは、福井が犯人であると考えるとしっくり来ない。新たな犯人像が必要になる、と桜子は二人に説明した。おそらく仕事関係で何かのトラブルがあって、二人まとめて恨みを買ったのだろうということ。そして、一度呪えばそれでだいたいはストレス発散されるものなので、次の呪いは当面心配しなくてよい、という旨も伝えた。
ひとまず、二人で犯人候補を考えて、これぞ、と思う人がいたら、次に呪われたときに対処すればよいということで話はまとまった。
ただの詭弁と方便だ。
だが、きっと次の呪いは無い。
「安倍霊障相談サービス」に、田野端が一人で来ていた。事後になったが契約書を作るため、そして、電話では話しにくいことを話すため。
契約書を作り終え、清隆が書類をしまったところで桜子は切り出した。
「あの蛙の呪いを宮島さんに放ったのは、あなたですね」
田野端は力の無い目で桜子を見返した。肯定も否定もしないが、その時点で雄弁な肯定だった。
桜子は一度息を吐いて続ける。
「人を呪わば穴二つ、という言葉があります。あなたの身に起こったことは、
「呪詛返し?」
「呪いは、破られれば行使した人間に返っていくという意味です。あなたは宮島さんを呪い、それは蛙の形になって宮島さんを襲いました。トマのおかげであの程度の被害で済みましたが、それがなければどうなったか。あなたは身をもって知っているはずですね」
トマがいたから夜だけの騒音で済んだ。守りが無かった田野端は、一日中騒音に悩むことになった。
それこそ、一睡もできないくらいに。
「宮島さんの呪いを祓った直後に、同じ蛙があなたの元に現れた。それだけで充分な傍証になります」
「私が栞を呪ったっていうんですか。何のために」
「あまり物事を単純化して語りたくはありませんが、痴情のもつれというやつでしょうね。気づいていましたか? あなたは自分の生霊、つまりは魂の一部を、福井の家に送っていますよ。それだけ執着しているということを、我々は知っています。ただの友人の元彼というだけで、生霊を飛ばすなんてことはありません」
桜子はややうんざりした気分になってきた。これは一体なんだろう。私は何を問い詰めているのだろう。
「あなたは福井が好きだった。いえ、今も好きなのでしょうね。しかし、当の福井は宮島さんを好きになり、二人は付き合い始めた。私は経験豊富な方ではありませんが、それを傍で見続ける苦しみは、理解できるつもりです。きっと、気持ちを押し殺し、応援し、内心の嫉妬を飼い慣らして笑顔を貼り付けていたのでしょうね」
「でも、二人は別れました」
田野端が引き取った。
「複雑な気持ちでした。チャンスが巡ってきた、慰めたら私になびいてくれるかも、そう思いながら、福井は酷い奴だね、なんて話を合わせていました。栞は気づいていないと思います。そういうところ、鈍いので」
「女が本気を出せば、バレないように演じることくらいできますよね」
嫌味な笑顔を浮かべると、田野端も唇の端だけで笑った。清隆が引いている。
「栞と別れた後、福井に告白したんですよ。私と付き合わないかって。でも、振られました。まだ栞のことが好きだから付き合えないんだそうです」
「福井さんにも、心の整理をする時間は必要でしょうからね」
「憎かったんですよ」
カチン、とどこからともなく音が鳴った。
「あの子は、私が欲しい人をいつも持って行ってしまうんです。皆、私より栞の方を好きになる。今回だけじゃない、いつも、いつも……」
カチン、カチン、と音が続く。清隆を横目で見ると、無表情に部屋の隅を見ていた。
「宮島さんとは長い付き合いなんですか」
「腐れ縁、というやつです。大学から、何だかんだと付き合いが続いています」
「憎むくらいなら、縁を切ればいいのでは」
一際大きく、カチン、と音が響く。
「憎んでも離れられない関係って、あるじゃないですか」
「ありますね」
意外なことに、清隆が言った。
「憎くても、嫌いでも、心の底から望んでも、離れられない関係はあります。否応なく別れる関係があるように、途切れさせることができないものもあります」
「わかりますか」
音が止んだ。
清隆が訥々と語る。
「人生は自由だとか、生きていく道は無限にあるだとか、聞こえのいいフレーズは山ほどありますが、実際はそんなに簡単にはいきません。生きていく術は限られていて、今の自分のスキルプラスアルファで何とかお金を稼いでいくしかない。歳を取れば、職を続ければ、だんだんとそれが首を絞め始める。選択肢を狭め始める。そしていつか気付くんです。自分の生きる道がこれしかなくなっていることに」
そんなモチベーションだったのか、と桜子は驚いていた。普段、清隆はあまり職業としての陰陽師について思いを吐露しない。やる気満々でやっているとは思っていなかったが、中年サラリーマンみたいな気持ちで続けていたとは知らなかった。
生まれたときから陰陽師になる宿命を定められ、サカグラシという猫又を式神にし、非公認だの、落ちこぼれだのと卑下しながらそれでも陰陽師であり続ける。
清隆に、何があったのだろう。
「そうなんです。なぜか私たちはセットで語られます。友人関係も、学生時代のバイトも、ゼミも。会社はさすがに別々でしたけど、独立してからは、仕事も。栞から紹介してもらった仕事だったりすると、なおさらで。そんなに気に掛けてくれる友人なんて、他にいないのに。感謝しなきゃいけないのに」
感謝するべき相手なのに、協力すべき相手なのに、本当に欲しいものだけはいつも攫われてしまう、そんな相手。
一緒にいて苦しいのであれば、そして縁を切れないのであれば。
呪うしかなかった。
田野端の目に涙が浮かんだ。
「私は、あの子といると、苦しい」
おそらく、宮島は田野端のことを好きなのだろう。宮島が田野端を放しはしないだろう。仕事で協力できて、おそらく気も合って、フォローしてくれる存在。
何より、自分と何かを競り合う相手ではないと思っているから。
「呪ってみて、どう思いましたか」
桜子は訊いてみた。
「説教ですか」
「いえ、興味です。他人を呪ったことはないもので」
「楽しかったですよ」
田野端の顔に笑みが浮かぶ。
「ざまあみろって、私の苦しみを知れって、段々弱っていく栞を傍で見られて、とても満足でした。一晩中一緒にいて、眠れずに苦しむ栞の横で熟睡したときは爽快でしたね」
これからも彼女たちは一緒にいるだろう。最大の敵に自覚的な側と、無自覚な側であり続けるのだろう。
好きであって好きなもの。好きであって嫌いなもの。人間に対する感情は一言では収まらない。相反する感情が同居しながら一緒にいることなんて、よくあることだった。
私だって、清隆さんのことは、情けないと思う反面、頼りにしているわけだしね。
「それで、お二人は私をどうしますか」
何かを悟ったような表情で、田野端は深く座った。桜子は肩を竦めて答える。
「別に、何かを要求するわけではありませんよ。今回の件で、あなたは呪いの危険が身に染みてわかったはずです。私たちが何かを言わなくても、二度と他人を呪うことなんてないでしょう」
「たしかに、呪いはもうこりごりです。呪詛返しっていいましたっけ。破られたときのリスクを考えると、手を出す気にはなれませんね。でも、いいんですか。私は他人を呪った人間ですよ。罰する必要があるのでは?」
「私たちは警察ではないので。別に正義の味方というわけでも、あなたを苦しめたいわけでもありません。霊障に苦しむ人を助けるのが目的ですから。あなたが大勢呪っていたら別ですが、今回は被害も軽微で済みましたしね。それとも、呪いを振り撒いてくれた方が儲かっていい、くらいのことを言いましょうか?」
「露悪的ですね」
「あなたが納得するなら、それくらいの嘘は言いますよ」