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第50話

 涙目になった宮島が出口ドアから転がり出て、怯えた草食獣のようにエントランスの隅っこで膝を抱えて震えること十分。ようやくインタビューが始まった。受付に椅子を追加で持ち込んで、そのまま始める。

「実は私、怖いものが苦手でして」

 桜子は、そうだろうと思っていたが、驚いた表情を作って答える。

「それなのにお化け屋敷の記事を書くんですか」

「怖がりの方が、より真に迫った記事を書けるのではないかと。あと、その、依頼されたら断れない事情もありまして」

「ああ」

 容易に想像はできる。フリーランスなら仕事を選んでいられないだろう。

「改めまして、『アンダーストリート』編集部から来ました、宮島栞です。本日はよろしくお願いいたします」

 まだ力の入らない声で、宮島が強張った笑顔を浮かべる。相当怖かったらしい。

「あの、中ではいろいろと不思議なことが起こったのですが、どうやっているのですか」

「それは企業秘密です。お答えできません」

 清隆に任せるといつまでもモゴモゴとはっきりしない喋り方をしそうなので、桜子が受け答えすると事前に決めていた。清隆には、彼しか答えられない質問に限って口を開くように言ってある。

「あえて言うならば、弊社『後ろの真実』は幽霊に会えるお化け屋敷と名乗っています。不思議なことは幽霊だから、と思っていただけるとありがたいです」

「ゆ、幽霊……?」

 宮島がまた涙目になった。桜子は慌ててフォローを入れる。

「あくまで例えば。例えばの話です。本物の幽霊がいるわけないとは立場上言えませんが、こんなお化け屋敷のキャストが本物の幽霊であるわけがないじゃないですか」

「そ、そうですよね。そうですよね」

 カクカクと首を縦に振る宮島を見ていると、桜子の嗜虐心がそそられる。桜子は同性に恋愛感情を抱くタイプではないが、宮島を見ているとレズビアンの気持ちが僅かにわかるような気がした。

「では、アトラクションの仕掛けについては問いません。当然、記事にもネタバレはしません」

「そうしてください。怖かったですか?」

「とても。今も足が震えています」

「それは何より」

「鬼頭さんは演出という立場ですが、どこにこだわっていらっしゃるのでしょうか」

「意表を衝くことですね」

 桜子は即答する。

「私は、恐怖には主に二種類あると考えています。一つはびっくりする恐怖。もう一つは不可解に出くわした恐怖です。どちらも予想の外の出来事であるわけですね。まあ、ホラー映画などでは、予想されるが故の恐怖というものもあるでしょうが、お化け屋敷には不向きなので省略します。とにかく、お客様の予想をいい意味で裏切って意表を衝く。それがお化け屋敷的な怖さを持っているように演出するのです。どうでした? コンセプトは幽霊に会えるお化け屋敷なのですが、会えた気分になりませんでしたか?」

 宮島は少しずつ調子が戻ってきたのか、顔色が回復してきた。

「なりました。幽霊というか、お化けというか、とにかく、ずっと意表を衝かれ続けました。なるほど。びっくりする恐怖と、不可解な恐怖。その二本柱が『後ろの真実』の根幹にあるのですね。意表を衝くためなら何でもありというか、キャストさん達の服装はバラバラだったのも、その狙いがあったんですか」

「あ、いえ、それは狙ったわけではなく、ええと」

 まさか、死んだときの服装に固定されているから、とは言えない。

「彼らの得意な格好にしたら、ああなったというだけです」

「得意な格好?」

「彼らなりのホラー観を反映したのだと思っていただければ」

 ホラー観って何だ。と自分に突っ込みを入れながら桜子は喋るが、宮島は納得してくれたようだった。

「キャストの自主性に任せている面もあるということですね」

「そうです。やはり演じるのはキャスト自身ですから、彼らのやる気が最も高まる格好でするのが一番だと」

 だんだん口から出まかせが過ぎて意味がわからなくなってきた。服装自由のお化け屋敷なんてあるか。

「オーナーである安倍さんに伺いたいのですが」

 油断していた清隆が、椅子の上で弾かれたように姿勢を正した。

「はい、な、なななんでしょう」

「現職の陰陽師だそうですね」

「ど、どうしてそれを」

「お名前でwebページを検索したら、「後ろの真実」と「安倍霊障相談サービス」のホームページが出て来たので」

「あ、ああ、そうですか、そうですよね。俺は何を言っているんだろう、へへ」

 気持ち悪いなあ、と桜子は苦笑いを浮かべる。

「どうして陰陽師がお化け屋敷を開こうと思われたのですか」

 桜子はふと、そういえば聞いたことがないことに思い当たった。「後ろの真実」を開こうと思ったきっかけや考えとは、何なのだろう。今まで、運営と演出に必死でそこまで考えたことがなかった。清隆も社訓や開業した思いなどを声高に語るタイプではないため、なんとなくでやってきてしまった。よく考えればそれはよくない。社の運営方針を定めないまま経営すると、空中分解しかねない。

「ええっと、それは、その……」

 清隆が言い淀んで考える。

「俺は陰陽師として、沢山の霊たちを見てきました。言葉が通じるモノもいれば、無差別に人に憑りついて困らせるようなモノもいました。そして、ある意味一番扱いに困ったのが、ただの浮遊霊だったんです」

「浮遊霊?」

 宮島がオウム返しした。

「清隆さん、浮遊霊を説明しないと」

「ああ、そっか。ええと、何にも憑りつかず、その辺を漂っているような霊のことです。霊が何かに憑く場合、人に憑く、物に憑く、土地に憑く、という三種類が大きく分けてあるのですが、何にも憑かない霊も一定数います。彼らは、成仏できない、もしくはしたくない事情がありながら、居場所もない。ただ同じような所を歩き回って疲弊して、何年も何十年も経って心が摩耗していく。なんというか、そういう彼らの居場所を作れれば、と思ったんです」

 宮島がまた頬を引きつらせる。

「つまり、ここには浮遊霊が沢山集まっている、ということですか」

「ま、まだ道半ばというか、その、理想を語っただけですけどね」

「陰陽師が言うと説得力がありますね。やはり、ここには本物が?」

「いやいや、いませんよ。ああ、あ、あくまでコンセプトですから」

 コンセプトがそれなら浮遊霊の何体かいないといけないだろ、と桜子は内心で突っ込む。宮島の涙目に動揺して、清隆の発言も浮遊している。

 とはいえ、そんな思いで始めたのか、と新鮮な気持ちにはなった。鈴木や般若を拾った時期と開業はほぼ同時期だと聞いている。お化け屋敷の構想が先にあったのか、鈴木達を拾ったことで思いついたのか。機会があれば聞いてみよう。

「宮島さん、清隆さんが現職の陰陽師である点は書いていただいて結構ですよ。この人、本物なので」

 桜子が持ち上げると、清隆はぶるぶると首を振った。

「いや、俺なんて師の未公認陰陽師なので。モグリなので」

 桜子は肘で清隆を突いた。卑屈になるな、とメッセージを送る。

 この人はこういうところがいけない。

「なんか見せてくださいよ。陰陽師だと示すようなことを」

「ええ? 桜子さん、何を……」

「いいから。宮島さんだって、本物の陰陽師だと分かった方が遠慮なく書けるでしょ」

「そうかな。ええと、じゃあ宮島さん、外で待っている犬は、ご家族ですか」

 宮島の表情が明らかに変わった。目を見開いて驚いている。

「あれは、ゴールデンレトリーバーかな。大きな犬です。躾が行き届いている。行儀よくあなたが出てくるのを待っていますよ」

「トマだ」

 宮島が呟く。

「四年前に亡くなった、飼い犬です。子供の頃から一緒でした。長生きで、最後は家族皆で看取ったんです」

 言いながら、宮島の目が涙ぐんでいく。

「はい。綺麗な霊です。恨みも憎しみも抱えていない。ただ、あなたが心配なようですね。だから離れられない」

「トマは、成仏できていないんですか」

「そういうことになりますかね。まあ、いいんじゃないですか。無害な霊は傍に置いていてもいいですし、それが彼の幸せかもしれませんよ。動物は人間よりもよっぽど引き際を知っています。あなたを守ってくれる誰かが現れれば、きっと自然に消えて行きます」

「トマ……」

 宮島は口を押さえ、一粒の涙を零してエントランスの外、トマがいるであろう方向を見る。

 再び視線を戻したとき、もう涙は消え、微笑みを浮かべていた。

 その後も何点か質問され、主に桜子が答え、何枚か写真を撮ってインタビューは終わりになった。

「原稿が出来上がりましたら一度確認いただくことになりますので、よろしくお願いします」

 最後に笑顔を見せて、宮島は帰っていった。田野端は無表情に頭を下げ、清隆と桜子のツーショットを撮った。

 取材を受けることがこれから先何度あるだろう。もしかしたら最初で最後かもしれない。そして、宮島と田野端と会うことはもう無いかもしれない。

 そう、思っていた。

 原稿が送られてきたと同時に、内容を確認してくれという旨の電話が宮島からかかってきた。そして、ついでのよう、というには余りにも深刻そうな口調で宮島は言った。

「安倍さんに相談したいことがあるのですが、お時間いただけませんか」

 電話を取っていた桜子は訊く。

「どうしました。何か、お困りごとでも?」

「原因不明の騒音と、トマの鳴き声が聞こえるんです」


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