清隆はウォッカを三分の一ほど一気に飲んだ。手に持ったウォッカごとリュックを桜子に押し付け、巨大な手に向かって踏み出す。
「海人君は桜子さんを守っていてくれ。他にもいないとは限らない」
「了解」
桜子が周りを見渡す。今のところ、他の個体はいなさそうだ。
「これが失踪事件の犯人なんじゃないの」
近くで突っ立っている海人に尋ねてみる。
「まさか。こんな雑魚にそんな大それたことはできないって」
「あれ、雑魚なの? どうみても凶悪そのものなんだけど」
「見た目が気持ち悪いだけだ。あの陰陽師なら勝てるよ」
その言葉通り、清隆は圧倒した。
飛び掛かってきた手を避けることもなく、カウンターで蹴りを入れた。傷を負った蜘蛛を思わせる丸まる動作を取り、手が鈍くなる。その隙に近づき、指の間からまた踏み抜くように蹴りを入れる。
手が樹にぶつかり、葉が数枚落ちる。清隆は跳び上がり、手に上から乗った。
「サカグラシ!」
合図を待っていたように、サカグラシが火猫に変わり、手に食いつく。すぐに燃え上がり、消えていった。
「海人君もあれくらいできるの?」
「普通に戦えば俺の方が強いんだよ。あの陰陽師と戦ったときは殺さないように手加減していたんだ」
「ふうん」
「信じていないだろ」
「そんなことないよ」
「俺ならあれくらい瞬殺できる」
清隆が戻ってくる。土汚れ一つ付いていない。
「海人君なら、本当に瞬殺できるよ。まあ、リスクを考えると秒殺くらいがいいと思うけれど」
「まあな。あの火、何だよ。どうして俺のときは使わなかったんだ」
「ウォッカの火は実体を持たないタイプの怪異を燃やす火なんだ。ろくろ首みたいな実体がある妖には通じない。人間や無機物も燃やせない」
「なるほど」
「それよりも、急いで下山しよう」
清隆が鋭い目で辺りを気にする。
「あんな化け物が湧いているとなると、あと何体相手にすることになるのかわからない。こっちの酒が足りなくなったら戦力半減だ。そうなる前に一旦退いて、装備を整える必要がある」
海人が渋い顔になる。
「俺一人ならなんとでもなるけど? 家族を捜索したいんだけどな」
「どうしてもというなら止められないけど、できれば一緒に行動してほしい。君の知見と能力が必要だ。俺たちはこの村について何も知らない。君にとっても、一人で探すより俺たちと組んで探す方が効率いいと思う」
海人は腕を組んで睨むように考えていたが、息を吐いて腕を解いた。
「仕方ないな。一旦下りよう」
「ありがとう」
本当に、除霊モードになった清隆は頼りになるな、と桜子は二人を見ていた。
下山した三人は村の酒屋で酒を買い込み、足神社に戻ってきた。古びているがベンチがあり、そこに座って一休みする。
「考えていたんだけど、三年前に神主が死んで、それから変わったことがあったんじゃない?」
清隆の問いに、海人は頷く。
「あった。祭礼が一つ無くなったんだ」
「祭礼って、どんな」
「神輿を担いで、麓から足神社、腹神社、そして最上部の首神社まで山を登るんだ」
「へえ、きつそう」
「実際きつい。交代で担ぎながらだけど、足元が悪い年もあったりして、怪我人が出ることもある。それを指揮していたのが先代の神主だった」
桜子は今日の道のりを思い返す。広くはない山道を、神輿を担いで進むのは相当に神経を使う行程だろう。
「この村は、少子高齢化の波に抗っている方だと思う。でも、辛いものは辛い。村の連中も、祭礼が無くなることを黙認してしまった」
「良くないな。形式だけの祭りならいくら無くなっても寂しいだけだけど、本当に必要な祭りがなくなると、神と人のバランスが崩れかねない」
「俺はそれが原因だったんじゃないかと思っている」
「あり得るな。この神社の成り立ちは知っている?」
「いや、知らない。知っている人がいるのかもわからないくらい、昔からある」
清隆が足神社の社務所を指さした。
「ここに、この神社のことが書かれた書物はあるだろうか」
「さあ、あるんじゃないのか。鍵が掛かっていると思うけど」
「そこはほら、君の念動力で開けられるだろ」
清隆が指をくるくると回す。海人が溜息を吐いた。
「それは……どうせ滅多に人も来ない場所だからバレやしないだろうけどよ。開けて調べものでもするっていうのか」
「今の状態で闇雲に探し回ったって仕方ないよ」
海人は不服そうに唸ったが、立ち上がり、社務所に向かった。引き戸に手をかざす。
海人の周囲の空気がざわめき、すぐにカタリと音がした。
「ほれ」
「見事。空き巣として食っていけるな」
「これでも大学生なんだけど」
社務所に入る。すぐに古い書物が収められた書棚を見つけて開いてみるが、崩し字ばかりだった。
桜子は両手を挙げてお手上げのポーズを取る。
「これは読めませんね」
一方で清隆は、
「いや、俺は読めるよ。修行の一環で、古い書物を読まされた」
清隆は流し読みを始める。桜子は手持無沙汰になって、海人に声を掛けた。
「ねえ、昔のことを知っていそうな人、いないの?」
「年寄りはいるけど。神社の成り立ちなんて知っているかはわからない」
「聞きに行ってみようよ。どうせ私たちがここに居たって、できることは無いんだから」
そうして、桜子と海人は村へ、清隆は社務所で調査することになった。