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第40話

 新藤が入院した病院は福原の警察パワーで調べがついた。本来機密情報にあたるのだろうが、お目こぼしいただいている。

 桜子は怖がる清隆を引き摺って来ていた。奇跡的に命を繋ぎとめた、全治三か月の超重傷でしかも退院したら即逮捕になる人間の何が怖いのかと問うと、本能、と返された。人間なら理性で打ち勝てよ、と思う。

 面会謝絶の病室に堂々と入っていく。ベッドに寝ていた新藤と目が合う。まだ体は起こせないようで、首だけで向かれた。

「誰かと思ったら、福原サンと一緒にいた警官かよ」

「残念。私たちは本当に警察とは無関係の一般人。あの場所にも、偶然辿り着いてしまっただけ」

「偶然?」

 新藤は顔をしかめた。折れた肋骨が痛むのかもしれない。

「偶然あんな場所に来る奴がいるかよ」

「確かに、偶然は正確じゃなかった。フィアットに導かれてね」

「訳わかんねえ。何の用だよ。冷やかしならお断りだ。こっちは全身痛くてろくに眠れもしないんだ」

「痛み止め飲めばいいじゃん」

「飲んでも痛いんだよ」

「変な薬使っているからでしょ」

「俺は使っていない。売っただけだ。仲間にも使わせていない」

「売っていたことは隠さないんだ」

「福原サンを取り逃がした。今頃、ガサ入れの真っ最中じゃねえのか」

 当たりだった。福原の証言で捜査二課が動き、新藤が手術後の麻酔で朦朧としている間に家宅捜索の令状を取得した。新藤のことは以前からマークしていたらしく、非常に迅速に手続きは進んだそうだ。福原は他課の案件ながら、重要な証人として駆り出されているらしい。

 一方で、人が駆り出されているせいで新藤自身にはマークがない。今を逃せば警察病院に移送されるか、警備がついて自由に新藤と話ができなくなるだろうと予想された。

「あのフィアット、ナンバーを照合したら谷原季里さんのものだとわかったよ」

「そうか。事故現場から消えていた車だな」

「それ、知っていたんだ」

「俺だってニュースや面白おかしく書いている週刊誌くらい見る。あんたらを助けに来たときのドライバーは誰だったんだ。ボコボコ仲間をはねやがって」

 桜子は病室内にあるスツールを引っ張って、新藤の近くに腰掛けた。一応、手が届かないくらいの距離は保っておく。

「ドライバーは、強いて言うなら谷原季里さん。もしくは無人の自動運転」

「どっちにしろ笑えないな」

「冗談でもないからね」

 新藤と視線が交錯する。新藤は不機嫌そうに鼻を鳴らした。今できる精一杯の仕草なのだろう。

「季里さんがいたチームを、でかくしたかったんだけどな」

「慕っていたんだね」

「昔のことだ」

「最近まで、じゃない?」

 新藤は天井を見た姿勢のまま、目を窓の外に向けた。

「昔のことだ」

「嘘でしょ。だからあの倉庫に季里さんを招いた。違う?」

 新藤の目はこちらを向かない。

「何か話したいことがあるなら言えよ。どのみち俺には遮ることもできないからよ」

 ナースコールを押されたら、私たちは摘まみ出されてしまうのだが、気づいていないのか、それとも許可を取って入ってきたと思っているのか。

 いずれにせよ、話すことは変わらない。

「あのフィアットのフロントガラス、に穴が空いていたの」

 清隆が風を受けて「あばばばばば」とまともに喋れなくなっていた。ふざけている場合かと怒ったが、それは別の事実を浮かび上がらせた。

「季里さんの事故を目撃していた男性によれば、ガードレールにぶつかって、フロントガラスを突き破って飛び出ていったらしいのね。でも、だったらおかしい。普通は運転席側に穴が空いていないといけない。これはどういうことか」

 一呼吸置く。新藤の表情は変わらない。

「季里さんは運転席に座っていなかった。誰かが代わりに運転していたの。例えば、運転席に座ってフィアットを加速させ、途中で車から飛び降りる。もしくは、何かの細工をしてアクセルがかかった状態に固定するでもいい。助手席に季里さんを乗せて、その状態で走らせると、事故に見せかけられる。シートベルト無しで崖から転落すれば、どっちに座っていたかなんてわからなくなるよね」

「ちょっと待った。季里さんは大人しく助手席に座っていたっていうのか? 殺されようとしているのに。あり得ないだろう」

「そんなのどうとでもなるでしょう。意識を失わせる方法なんていくらでもある。殴ってもいい。あの倉庫に大量にある薬物を使ってもいい。スタンガンで気絶させてもいい。よほど怪しくなければ、警察は交通事故で検死なんてしないでしょうからね」

「荒っぽいな」

「あんたが言うか。でも話が早くなった。荒っぽい手段を使って季里さんは意識を奪われ、助手席に座らされた。なぜそんな手段を取られ、殺されたのか」

「なぜなんだ」

 新藤は怠そうに先を促す。

「あんたが殺したんでしょ。口封じに。あの日、私たちにしようとしたように。季里さんはあんたたちが違法薬物の売買に手を染めていることを知った。それを非難されたんじゃない? もしかしたら、褒めてもらえるとでも思っていたのかもね。あんたは幻滅した。チームを大きくしようとしてやったことなのに、手を引けと言われ、おそらく警察に通報すると脅された。だから、口を封じた。なんらかの方法で意識を奪い、事故に見せかけて崖から落とした。目撃者も、どうせあんたが用意したサクラでしょ。車が見つからなかったのは驚いたでしょうが、でも結果的には隠蔽に都合が良かった」

 桜子はベッドのレールを掴んで新藤の顔を覗き込む。

「あんたの罪は薬物の売買だけじゃない。殺人罪もだ。知っているよね。風鳴峠ではここ数か月、事故が多発している」

 新藤の口元が緩んだ気がした。

「あんたが命じて、秘密を知った人間を殺させたんだろ」

 新藤が笑い出した。肋骨が痛むのか、実に苦しそうに。

「私はこの仮説を警察に話す。フィアットは今警察で調べられているから、いずれ同じ結論に至るかもしれないけどね」

「好きにしろよ」

「あんたから、言いたいことはないの?」

 新藤はギブスが装着された右手で億劫そうに鼻を掻いた。見れば、両手が折れているようだった。

「言いたいことは特にないが、聞きたいことはあるな。どうしてそれを俺に言った。警察だけに話せばよかっただろう」

「興味本位ね。あんたと話したかった。私の考えが正しければ、あんたは何人も殺した連続殺人者ってことになる。そんな人間に真実を突きつけたらどんな反応をするのか、そして本人はどんな人間なのか、興味があったの」

「舐められたもんだな。付き合わされるお兄さんも、いい迷惑だろ」

「ええ、まったくです」

 清隆をひと睨みして、新藤に向き直る。

「感想は? 俺と話して、どう思ったよ」

「あんたは、後悔していない。何人も殺して、それを悔いていない。季里さんを手にかけたことも、どこか誇っているところがある。結果的に全て失っているにも拘わらず、堂々としている」

「それで?」

「あんたがいい人間じゃなくて良かったよ」

 新藤は鼻で笑い、目を閉じた。

「そうか。もう疲れた。帰れよ」

「クズが」

 いつの間にか近くに来ていた清隆が桜子の肩に手を添えた。

「新藤君。君には季里さんが憑りついている。わかっているはずだ。その怪我を負ったとき、ハンドル操作ができなくなったのは偶然でもミスでもない」

 桜子は見ていた。新藤のハンドルを妨害するように握る、血まみれの女の手を。

「眠れないと言ったね。普通は痛み止めを飲めば眠れるし、そうでなくても睡眠薬を飲めばいい。ここは病院だ。薬には困らない。それでも眠れないのは、ただの痛みや不眠以上の原因があるからだ。君はこれから、まともに眠ることはできないだろう。だんだんと衰弱し、心も体も病んでいく。許されたいのならどうすればいいか、しっかり考えるんだ」

 帰ろう、と清隆は桜子に言った。

 新藤は何も言わなかった。ドアを閉めるとき、小声で何かを呟いたように聞こえたが、何を言っているのかわからなかった。笑い声のように聞こえたが、確信はない。


 茶髪の女性が照れ臭そうに笑っていた。谷原季里その人である。

「いやあ、ごめんね。福原さんしか呼べる相手を思いつかなくて。まさか陰陽師を巻き込むことになるとは。てか陰陽師って本当にいるんだね。いてもインチキだと思っていた。というか、幽霊だって本当はいないと思っていたんだけど」

 顔の半分は血で真っ赤に染まっているものの、朗らかな雰囲気が不穏さを打ち消していた。

 警察の調べが終わり、新藤に正式に逮捕状が下りたことでボロボロのフィアットは遺族に返還されることになった。とはいえ、季里は両親と不仲だったらしく、修理費もかかる車の受け取りを拒否した。そこで福原が引き取り、持って来たのが、「後ろの真実」だった。

 案の定、フィアットには季里がついてきた。今、福原と桜子の前に姿を現し、死んだことを恥じるように笑っている。

「季里」

 福原が口を押え、涙を浮かべた。手を伸ばすが、その手はすり抜けていく。

 その様子を悲しそうな笑顔で季里は見つめていた。諦めて引っ込められた手を見送り、真剣な表情になる。

「福原さん、最後まで迷惑かけてごめんなさい。私が死ぬ直前、新藤から薬物の売買に手を出したことを伝えられて、一人で乗り込んだの」

 甘かったなあ、と季里は苦い顔で頭を掻く。

「後輩だし、私の言葉なら耳を傾けると自惚れていた。結果は見ての通り、口封じに殺されちゃった」

「じゃあ、薬物売買については新藤から漏らしたんですか」

「そう。あっちから自慢げに電話してきたよ。数年振りにする話がそれって、新藤にとっては、あの頃から時間が止まったままだったんだろうね」

 嗚咽が聞こえた。福原が泣き出していた。二度と会えないと思っていた友人に再会できた。だが死んでいる。感情が揺さぶられるのは仕方ないことだった。

「季里さんは、これからどうするんですか」

「新藤を呪い殺す。有罪になろうとも、私を殺した罪を死ぬまで味わわせて殺す。そしたら、成仏するよ」

「そうですか」

 清隆が横目で見てくる。いいのか、と言いたいのだろう。私は小さく頷いて返した。

 本当なら、「後ろの真実」で働きませんか、と誘いたかったのだが、やりたいことがはっきり決まっているのなら仕方ない。復讐を上回るモチベーションを提供できるとも思えなかった。

「桜子さんだっけ。お礼と言っちゃなんだけど、私の車をあげるよ」

「え?」

「あなたの車、走れなくなっちゃったでしょ。私の車は走れるし、あげるよ」

「え、それは、いいんですか」

 福原に問うと、涙を拭いながら何度も頷いていた。

「調査は終わったし、今は私名義になっていますから、私が譲渡したら桜子さんのものになります」

「あ、ありがとうございます。実は車が無くて不便で仕方なかったんです」

「貰ってくれてありがとう。大切にしてね」

「はい」

 季里はふっと笑った。目が濁る。

「それじゃあ、私は新藤の所に戻るね。一時たりとも安らかにならせないようにさ」

「送っていくよ。清隆さんと桜子さん、本当にお世話になりました。車の譲渡については後程話させてください」

 福原が言い、車のキーを取り出した。清隆が水を渡す。いつもの、幽霊が見えるようになる水だ。これがあれば、時間が切れるまで車内で会話できる。

「道中、気を付けて」

「ありがとうございます」

 真っ赤な目をして、福原と季里は頭を下げた。手を振って送り出す。福原の車が去っていった後で、どこに行っていたのか、サカグラシが現れた。

「それにしても、とんでもない物を貰ったな」

「ですね。フィアットなんてスポーツタイプの車、私には勿体ないです」

「いや、そうじゃなくて、あれはただの車じゃないぞ」

「どういうことです?」

 清隆がパチン、と指を鳴らした。

「そうか。あれはひとりでに動いていたんだ」

「季里さんが運転していたんでしょう?」

「いや、俺が飛び移ったときも、新藤のハンドルを奪ったときも季里さんは別の車に乗っていた。運転できるはずがない。ということは、必然的にあれは本当に自動運転状態だったんだ」

 清隆がエントランスを出て駐車場に停められたフィアットに歩み寄る。今は最低限の修理をなされ、それほどボロボロではない。

「自動運転なんて、まだ完成されていませんよ。搭載されているわけもないですし」

「そう、だからこれは、別の意味で自動運転なんだよ。端的に言って、付喪神だ」

「え、これが?」

 付喪神。長年使い込まれた物に魂が宿り、妖怪となった怪異。日本古来の妖怪で、様々な文献にその姿が描かれている比較的メジャーな存在だ。傘、刀、琴など日常使いするものに宿る怪異だと記憶している。

「普通の車に見えますけど」

「でも、普通じゃないところを俺たちは目撃しただろ」

 たしかに、無人で走っていたということは怪異だ。そして、付喪神だとすれば説明がつく。だけど、

「あの、私、これからこれに乗るんですけど」

 桜子の不安は黙殺される。

「どうりで崖から落ちても走り続けられるわけだ。ガソリンだって異常に長持ちしていたし。あれは既に怪異化していたからガソリンでない動力で走っていたんだな。よかったじゃない、桜子さん。高燃費通り越して超燃費かもしれないよ」

「ガソリンでない動力って何」

「おまけに運転テクニックはレーサー並みだ。いい補助運転装置になる、かもしれない」

「最後、不安にさせないでくださいよ」

「俺も車の付喪神なんて、見るのも聞くのも初めてだからさ。でも、貰っちゃったし、仕方ないよ。今さら捨てられないだろ」

 たしかに、妖怪とはいえ何かが宿っているものを処分することは気がひける。スクラップ場に送られたら、自力で脱出しそうだけど。

「突然暴走とかしませんよね」

「さあ。多分、悪い物じゃないから、大丈夫じゃないかな。ね、フィアット君」

 パチパチと瞬きするようにパッシングが起きた。

 任せろ、と言うように。

「嘘でしょ」

 桜子の声は、雲の間に吸い込まれて、消えた。



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