新藤。福原の話に出てきた、谷原季里の弟分。現在は単にチームと呼ばれている暴走族の頭として活動中。
そんな、聞きかじっただけの人間がこんな所にいるなんて。
桜子は周囲を見渡す。若い男が約二十人。中には手に鉄パイプなどの武器を持っている者もいる。
偶然新藤が福原と知り合いだった。いや、違う。福原が言っていた。この峠道は新藤のチームのホームだと。そして、ここに来た理由は幽霊フィアットに案内されたから。それを運転していたのは新藤の姉貴分である谷原季里。
偶然じゃない。私たちは意図を持ってここに呼び寄せられた。そして、窮地に陥っている。
「待って。この人たちは本当に警察関係者じゃないの。無関係の知り合いなの」
「福原サン、信じられると思う? あんたの言う通り無関係である確率と、潜入捜査にやってきたお仲間の警察官である確率と、どっちが高いかな。それに、テンゴは三人で分けるには控えめな量だ。証拠を確保しようって魂胆が丸見えなんだよね」
悔しいが、新藤の言う内容に有効な反論をできない。ここで何を言っても信じてはもらえないだろう。
後ろを振り返る。出入口の外から二人入ってきて、出口を塞がれる。
「すいませんでしたあ!」
清隆が叫び、出口に向かって走り出した。
「福原さん、逃げましょう」
桜子も叫び、清隆の後をついていく。清隆の足は異常に速い。置いていかれそうになる。
当然、出口の周囲を男たちが固めた。金属バットや鉄パイプ、もしくはナイフで武装している。だが、清隆は構わず突っ込んでいった。
そこからは鮮やかだった。
振り下ろされる、もしくは横薙ぎに振り払われる武器を、上半身を反らして避け、突きと蹴りで吹き飛ばしていく。出口を固めていた四人の男たちは、ものの五秒で道を空けていた。その道を桜子と清隆が駆け抜け、遅れて福原が目を丸くしながら通り抜ける。
桜子のアクアまで、照明の下を駆け抜けた。怒声を上げながら追ってくる男たちから逃げていく。
男の足を相手に逃げ切れるか不安だったが、アクアに到着することはできた。鍵を持っているのは福原だったので、桜子は助手席に滑り込む。清隆もスムーズな動きで後部座席に入った。福原が乗り込み、エンジンをかけるまでの時間がやけに長く感じられた。
「早く。早く出して」
清隆の悲鳴のような声が車内に響き、福原はアクセルを踏み込む。急旋回しようとハンドルを切った瞬間、桜子は違和感を覚えた。
何か、気持ち悪い。
うわ、と福原が声を出し、アクアはふらついた。曲がり切れず、制御を失い、大木に衝突した。エアバッグが飛び出て、桜子の胸を打つ。ぐえ、という音が漏れた。
萎んでいくエアバッグに呆然としながら、状況を考えた。何が起こった。福原がパニックになって運転を失敗したのか。いや、何かもっと根本的におかしかった。
「パンクしている」
福原が小声で言った。こちらもエアバッグでダメージを受けたらしい。
「どうして。来るときは普通だったのに」
桜子の脳裏に、倉庫の出口を固めていた男たちが浮かんだ。そのうち何人かは、外から来た。つまり、外に用があった。
「新藤は、かなり早く、福原さんのことに気付いて、逃げられないように手を打っていたんだ」
道理で走って車まで逃げられたわけだ。男と女の脚力の差は非常に大きい。普通は車に乗り込む隙なんて作れない。でも、奴らは最初から車に乗せるつもりでいた。どうせまともに運転できないから。そして、動かない車に乗ってしまうと、自ら退路を断って閉じ籠ることになる。
やられた。嵌められた。
新藤が悠然と歩み出てきた。
「なかなか強いですね。さすがは警察官といったところでしょうか。でも、逃げ切れはしませんよ。足が無ければ麓まで逃げ帰ることもできない。ここを逃げても絶対に追いつきます」
誰かがアクアを蹴った。車体が揺れる。清隆の小さな悲鳴が聞こえた。気づけば取り囲まれていた。
シャカシャカという音が後ろからして、振り返る。
「清隆さん、アビエーション作っていませんか。一人で飛んで逃げるつもりですね。そうはさせませんよ」
手を伸ばして服を掴むと、乱暴に払われた。
「やめろ、邪魔するな。俺は一人でも生きて帰る」
負けじと手を伸ばして今度は両手で掴む。シェイカーを振っていた清隆は振り払えず身をよじった。
「ここは俺に任せてその隙に逃げろ、くらい言えないんですか」
「ここは任せた、俺は逃げる」
「最っ低! 私に任せたって一秒ももちませんよ」
「そこは桜子さんの色香で魅了してだな」
「私にそんな魅力は無い」
「いや、ある。卑下するな。やってやれ」
「え、私のこと可愛いって言っています?」
「可愛い。だから行け」
「どうしてこんな非常時にだけ殺し文句が言えるんですか」
「非常時だからだろ。心にもないことだって言ってやるさ」
「心にもないって言いました⁉」
「しまった。いや、可愛いよ。桜子さん、超素敵」
「しまったって聞こえているんですよ。そりゃあ、清隆さんが私をそういう目で見ていないのは知っていますけど、もう少し女性として扱ってくれてもよくありませんか」
「俺を男扱いもしていないくせに」
「男らしいところがないので」
「ほら。なんで俺ばっかり女性扱いしなきゃいけないんだよ」
「巾木さんにはなんか優しいですよね」
「え、何。嫉妬している?」
「していません」
リアウィンドウが殴られ、ヒビが入った。清隆が汚い悲鳴を上げる。
「二人とも真面目に考えてくださいよ」
まだダメージが残っているのか、福原が苦しそうに言う。呆れているのかもしれない。
「よし、命乞いしよう」
清隆の言葉に桜子がストップをかける。
「駄目です。隙を見て飛んで逃げるつもりです。この男はそういう人間です」
「信じろ。俺は桜子さんと運命を共にするよ」
「欺瞞ですね。だからモテないんです」
「今、関係なくない?」
「これが最後の会話になるかもしれないので言いたいことを言っておこうかと」
「どうしてこんなときに信頼関係を壊すようなことを言うんだよ」
「私たちの信頼関係って、これくらいで壊れるような脆いものじゃありませんよね」
「それは、酷いことを言われた側の台詞なんだよ」
「二人とも、お願いだから真面目になってください」
福原が遂に喚いた。
とは言っても、真面目になったからといって状況は好転しない。取り囲まれて、車は使えず、清隆が言うように命乞いするくらいしかできることがない。
「清隆さん、私たちを抱えて飛べますか」
「無理」
「私を抱えて飛べますか」
「……ギリ」
福原と目が合った。
「行ってください。私が暴れますので、お二人は隙を見て飛んで逃げてください。そして、できるだけ早く通報してください」
リアウィンドウが破られた。
「時間切れ。出てきてください」
新藤が運転席の窓をノックした。
清隆がドアを開け、続いて桜子も出る。あとはタイミングだ。福原が暴れた瞬間に清隆に抱き着く。清隆がアビエーションを飲み、飛んで逃げる。
福原が桜子たちを一瞥し、ドアを開けた。
新藤と向き合う。
「季里が見たら、何て言うだろうね」
「どうしてここで季里さんの名前が出てくるんですか」
「あんたは季里を尊敬していたでしょ。あの子がいた頃は、違法薬物の売買なんて、機会があったとしても手を付けなかった。絶対に、全員がチームの外で暮らしていけるように帰り道を作っていた。それがどう? こんな犯罪に仲間を巻き込んで。売った相手だけじゃない。売る側の人生も壊していること、自覚している?」
新藤は鼻を鳴らした。
「俺はチームを季里さんがいた頃よりも大きく、強くしているだけですよ。金を稼いで、裏の世界でも生きていけるように」
「裏の世界はそんなに甘くない。下っ端の仕事をしているくらいで調子に乗るな」
「下っ端。そうですか」
新藤の空気が変わった。穏やかな雰囲気が一瞬で消え、冷淡な無表情になる。
笑顔の仮面を捨てた、と桜子は直感した。
「季里さんは変わってしまった。俺たちを捨てて、普通の生き方に染まった。俺たちは季里さんがいないと生きていけなかったのに。俺は違う。この場所を守り続ける。そのためには金がいる。サラリーマンなんてやっていたら稼げない額の金が」
「だから、薬物を売ることにしたのね」
「前から話はあったのさ。薬、物品、それらの売買ハブとして働かないかって提案は。季里さんがいた頃は全部撥ねつけていたけどな、魅力的な提案だとは思っていた。この場所も整備して、使えるようにした。今では毎日薬中が買いに来る。そして、俺たちの利益が生まれる」
「経営者気取り?」
「好きに言えよ」
新藤は身を翻した。
「半殺しにしろ。死んでもいい」
その一言で男たちが殺気立つ。清隆がシェイカーからアビエーションを飲むのが見えて、咄嗟に抱き着いた。打ち合わせよりも早い。
「ちょ、離して」
やっぱり一人で逃げるつもりだった。追い詰められると人は本性が出る。清隆の場合、本性と普段が全く同じだけど。
「嫌です」
「ああ、もう。サカグラシ!」
清隆の体が浮いた。桜子は強く抱きしめる。すると、清隆の体が地に戻った。
「「……」」
桜子が不格好に抱き着いたまま、気まずい沈黙が流れる。
「重くて飛べない」
ぼそりと呟くと同時に、清隆が桜子の肩を掴んだ。
「桜子さん、離して。二人は無理だった」
「嫌です、離しません。一生一緒にいてあげます」
「その一生が終わりそうなんだよ」
「だから言ったんですよ」
桜子を引き剥がそうとする清隆と、何としても離さない桜子の攻防が始まった。殺気立った男たちも毒気を抜かれたような顔で二人を見ている。
桜子は考える。この状況を打破できるのは、清隆しかいない。彼が全員叩きのめすしかない。清隆がそれだけ強いのかはわからないが、少なくとも逃げようとする今の状態では無理だ。覚悟を決めて戦ってもらう必要がある。
だから、ここは離せない。
そこに、エンジン音を響かせ、一台の車が乗り込んできた。全員の注目が集まる。
ボロボロのフィアットだった。
やっぱり、桜子の目にはドライバーが見えない。