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第37話

 フィアットはのろのろと進み、アクアがそれについていく。桜子は後部座席を伺った。

「清隆さん、あっちの車に谷原季里さんがいるんですか」

「いる。今は運転している」

 私たちはどこかへ案内されている。おそらく、福原が呼ばれた理由の元へと。

「でも、フィアットが並走していたときは、季里さんはこっちにいたんですよね」

「ああ」

「じゃあ誰がフィアットを運転していたんですか」

 清隆の返事は聞こえてこない。清隆にもわからない、ということだろう。

「もしかしたら」

 清隆が慎重に口を開く。

「念動力の類で遠隔運転できるとか。いや、このレベルの霊にそんな力は……」

「フィアットが曲がります」

 福原の言葉に、前方に注意を向ける。フィアットは細い横道に逸れていった。そこに道があったことにすら気づけないような、舗装もされていない道だった。

 アクアもついていくが、曲がってすぐにフィアットのテールライトを見失った。

「どこへ行ったのでしょう。すれ違っていない以上、この先にいるはずですよね」

 福原が独り言のように言った。桜子は分かれ道がないか注意しながら前を睨む。

 道は山の中に通じており、樹々が左右にそびえている。切り開かれた道のようで、車がぎりぎり二台通れるようなスペースが確保されていた。

 桜子は、体に伝わる振動から推測する。

「獣道ってわけではなさそうですね。道が平坦です」

「あれは、ライトか?」

 清隆が手を伸ばして指さした。左前方、樹々の向こうにたしかに灯りが見える。

「何かの施設があるっていうのか。福原さん、知っていますか」

「いえ。こんな場所に何かあるなんて、聞いたことがありません」

 そろりそろりと車を進めていくと、その正体がわかった。

 倉庫だった。眩しいほどのLED照明が点き、その一角だけ夜が晴れている。倉庫の周囲には、様々な車種の自動車が停められていた。

「スクラップ工場? いや、この車は廃車じゃありませんね。綺麗すぎる」

 運転しながら福原が呟く。すると、ジャージを着た一人の男がふらりと前に現れた。金髪に照明が反射して眩しい。身振りで止まれ、と指示された。

「桜子さん、清隆さん、ここからは私に話を合わせてください」

 意味はわからなかったが、福原がサイドウィンドウを開けたので、桜子は口を噤むしかなかった。

 男は、近づいて見ると少年と呼ぶべき年齢に見えた。まだ十代のようで、ニキビが額にある。仏頂面でサイドウィンドウの横に立つ。

「あんたら、何の用だ」

「いくらで買える?」

 福原の返答に、少年は唇の片方を釣り上げた。

「物によりだ」

「何があるの」

「スパイス、トレラン、ハンバーガー。この中に欲しいものはあるか」

「その中ならトレランかな」

「ならグラム三万だ」

 桜子は何気ない顔を装っていたが、内心では戦々恐々としていた。

 これ、覚醒剤の取引じゃないの。

「車を降りて中に入れ。三人ともだ」

 福原が「行きましょう」と言い、桜子はシートベルトを外す。清隆を見ると、青白くなっていた。麻薬中毒者みたいに見えなくもないが、恐れているのが表情に出すぎだ。

 福原と少年が先導し、少し遅れて桜子と清隆が倉庫に向かう。

 清隆が桜子に小声で話しかけてきた。

「吸ってみろとか言われたらどうしよう」

「断ればいいでしょ。ここで吸ったら帰れなくなるとか、なんとか言って」

「……言ってね。お願い」

「こういうとき、男が体張るものじゃないんですか」

「強い者が弱い者を守るべきだと思うんだ」

「私より清隆さんの方が強いでしょ」

 サカグラシの身体能力を使える清隆は、喧嘩をすれば実際かなり強いはずだ。浅田との立ち回りを見ているからわかる。

「身体的な強さじゃないよ」

「精神的な強さですか」

「人間的な強さだ」

「言っていて悲しくなりませんか」

「そんなことで悩む時期はもう過ぎた。自分を一番大事にしないと」

「従業員も大事にしてください」

「桜子さんは、死んでも死ななそうだし」

「清隆さんも死ななそうですよね。確かめていいですか」

「やめて。俺はか弱いんだから。生類憐みの令を発令する」

「私を生類から外しました?」

 福原が睨んできたので黙る。煩かったらしい。

 倉庫内に入ると、二十人ほどの若者がたむろしていた。スマートフォンを構えている者もいる。写真でも撮って顧客名簿でもつくっているのだろうか。

「いらっしゃいませ」

 両耳に十個ほどのピアスを着けた若者が立ち上がった。

「何をお求めで?」

「トレラン。今日のところはテンゴ」

「一万五千円です。用意するので少々お待ちください」

 ピアス男は奥へ行く。シャッター音が聞こえた。なるほど、こうして撮影されて証拠にされれば、警察に密告することはできなくなる。

 心臓の音がうるさい。清隆とバカな話でもして気を紛らわせたい。横目で清隆を見ると、へらへらとひきつった笑いを浮かべていた。こっちもいっぱいいっぱいらしい。

 時計を見ると二分ほどしか待たされていないのに、永劫の時を待たされている気分になってきた。

 ピアス男が奥から出てきた。ビニール袋をいくつか持っている。

「テンイチが五個です」

「どうも」

 福原が受け取ろうとしたとき、パン、という音が倉庫に響いた。同時に福原がのけ反り、二、三歩下がる。

 殴られたのだ、と気づいたときには、倉庫内の男たちが全員立ち上がっていた。

「福原サン。久しぶりですね」

 奥から一人の男が出てきた。ライダースジャケットを着て、金のメッシュが入った長めの髪を後ろで纏めた、中肉中背の若者。

「新藤君」

 福原が絞り出すように言ったその言葉で、いろいろなものが繋がった気がした。

「福原サンには何回も世話になったなあ。皆、こいつら警察だよ。俺らをパクりに来たんだ」

 違いますぅ、と泣きそうな声で訴えた清隆の声は無視された。


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