フィアットはのろのろと進み、アクアがそれについていく。桜子は後部座席を伺った。
「清隆さん、あっちの車に谷原季里さんがいるんですか」
「いる。今は運転している」
私たちはどこかへ案内されている。おそらく、福原が呼ばれた理由の元へと。
「でも、フィアットが並走していたときは、季里さんはこっちにいたんですよね」
「ああ」
「じゃあ誰がフィアットを運転していたんですか」
清隆の返事は聞こえてこない。清隆にもわからない、ということだろう。
「もしかしたら」
清隆が慎重に口を開く。
「念動力の類で遠隔運転できるとか。いや、このレベルの霊にそんな力は……」
「フィアットが曲がります」
福原の言葉に、前方に注意を向ける。フィアットは細い横道に逸れていった。そこに道があったことにすら気づけないような、舗装もされていない道だった。
アクアもついていくが、曲がってすぐにフィアットのテールライトを見失った。
「どこへ行ったのでしょう。すれ違っていない以上、この先にいるはずですよね」
福原が独り言のように言った。桜子は分かれ道がないか注意しながら前を睨む。
道は山の中に通じており、樹々が左右にそびえている。切り開かれた道のようで、車がぎりぎり二台通れるようなスペースが確保されていた。
桜子は、体に伝わる振動から推測する。
「獣道ってわけではなさそうですね。道が平坦です」
「あれは、ライトか?」
清隆が手を伸ばして指さした。左前方、樹々の向こうにたしかに灯りが見える。
「何かの施設があるっていうのか。福原さん、知っていますか」
「いえ。こんな場所に何かあるなんて、聞いたことがありません」
そろりそろりと車を進めていくと、その正体がわかった。
倉庫だった。眩しいほどのLED照明が点き、その一角だけ夜が晴れている。倉庫の周囲には、様々な車種の自動車が停められていた。
「スクラップ工場? いや、この車は廃車じゃありませんね。綺麗すぎる」
運転しながら福原が呟く。すると、ジャージを着た一人の男がふらりと前に現れた。金髪に照明が反射して眩しい。身振りで止まれ、と指示された。
「桜子さん、清隆さん、ここからは私に話を合わせてください」
意味はわからなかったが、福原がサイドウィンドウを開けたので、桜子は口を噤むしかなかった。
男は、近づいて見ると少年と呼ぶべき年齢に見えた。まだ十代のようで、ニキビが額にある。仏頂面でサイドウィンドウの横に立つ。
「あんたら、何の用だ」
「いくらで買える?」
福原の返答に、少年は唇の片方を釣り上げた。
「物によりだ」
「何があるの」
「スパイス、トレラン、ハンバーガー。この中に欲しいものはあるか」
「その中ならトレランかな」
「ならグラム三万だ」
桜子は何気ない顔を装っていたが、内心では戦々恐々としていた。
これ、覚醒剤の取引じゃないの。
「車を降りて中に入れ。三人ともだ」
福原が「行きましょう」と言い、桜子はシートベルトを外す。清隆を見ると、青白くなっていた。麻薬中毒者みたいに見えなくもないが、恐れているのが表情に出すぎだ。
福原と少年が先導し、少し遅れて桜子と清隆が倉庫に向かう。
清隆が桜子に小声で話しかけてきた。
「吸ってみろとか言われたらどうしよう」
「断ればいいでしょ。ここで吸ったら帰れなくなるとか、なんとか言って」
「……言ってね。お願い」
「こういうとき、男が体張るものじゃないんですか」
「強い者が弱い者を守るべきだと思うんだ」
「私より清隆さんの方が強いでしょ」
サカグラシの身体能力を使える清隆は、喧嘩をすれば実際かなり強いはずだ。浅田との立ち回りを見ているからわかる。
「身体的な強さじゃないよ」
「精神的な強さですか」
「人間的な強さだ」
「言っていて悲しくなりませんか」
「そんなことで悩む時期はもう過ぎた。自分を一番大事にしないと」
「従業員も大事にしてください」
「桜子さんは、死んでも死ななそうだし」
「清隆さんも死ななそうですよね。確かめていいですか」
「やめて。俺はか弱いんだから。生類憐みの令を発令する」
「私を生類から外しました?」
福原が睨んできたので黙る。煩かったらしい。
倉庫内に入ると、二十人ほどの若者がたむろしていた。スマートフォンを構えている者もいる。写真でも撮って顧客名簿でもつくっているのだろうか。
「いらっしゃいませ」
両耳に十個ほどのピアスを着けた若者が立ち上がった。
「何をお求めで?」
「トレラン。今日のところはテンゴ」
「一万五千円です。用意するので少々お待ちください」
ピアス男は奥へ行く。シャッター音が聞こえた。なるほど、こうして撮影されて証拠にされれば、警察に密告することはできなくなる。
心臓の音がうるさい。清隆とバカな話でもして気を紛らわせたい。横目で清隆を見ると、へらへらとひきつった笑いを浮かべていた。こっちもいっぱいいっぱいらしい。
時計を見ると二分ほどしか待たされていないのに、永劫の時を待たされている気分になってきた。
ピアス男が奥から出てきた。ビニール袋をいくつか持っている。
「テンイチが五個です」
「どうも」
福原が受け取ろうとしたとき、パン、という音が倉庫に響いた。同時に福原がのけ反り、二、三歩下がる。
殴られたのだ、と気づいたときには、倉庫内の男たちが全員立ち上がっていた。
「福原サン。久しぶりですね」
奥から一人の男が出てきた。ライダースジャケットを着て、金のメッシュが入った長めの髪を後ろで纏めた、中肉中背の若者。
「新藤君」
福原が絞り出すように言ったその言葉で、いろいろなものが繋がった気がした。
「福原サンには何回も世話になったなあ。皆、こいつら警察だよ。俺らをパクりに来たんだ」
違いますぅ、と泣きそうな声で訴えた清隆の声は無視された。