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第36話

 清隆を見送ってから、五分ほどで彼は戻ってきた。

「アビエーションの効果はだいたい五分くらいなんだ。それを過ぎて飛んでいたら墜落してしまう」

「五分も飛べたら充分でしょう」

「まあ、普通はね。今回はもうちょっと追いたかった」

「追ってみた結果は、どうでしたか」

 清隆は福原をちらりと見る。

「あのフィアットは幽霊じゃありませんでした。実体のある、自動車です」

 福原は少し考える素振りを見せた。

「じゃあ……、見つからなかった事故車がああして走っているわけですね。消滅したわけじゃなかったんだ。ドライバーは誰でしたか」

「上空から見ていたので、運転席ははっきりと見えませんでした。仮に霊がドライバーなら、近くでよく見ればわかると思いますが」

 一行は車に乗り込み、峠を下ることにした。フィアットに追いつくことはできなくても、その痕跡を探すことはできるかもしれないからだ。

「清隆さん、次はどうしますか」

「どうしようかな。できればあのフィアットと接触したいところだけど」

「接触して、どうするんです?」

「季里さんの霊がフィアットに乗っているなら、話をしたい。なぜ福原さんをここに呼んだのか、その意味がまだわかっていないから」

「幽霊が運転しているって考えているわけですね」

「他に可能性がある?」

「生きている人間が、性質たちの悪い悪戯をしているって可能性があります」

「人がこんなことするか? 福原さんの話じゃ、運転席には誰も乗っていなかったじゃないか」

「だから、悪戯ですよ。何かしらの方法で姿を見えなくして、峠を通りかがった車を煽り、驚かせる。そういうことをしている人がいるかもしれないじゃないですか」

 清隆は後部座席で腕を組んだが、やがて渋々、といった様子で頷いた。

「桜子さんの言うことを、否定しきれない」

「そうでしょう。ミステリーなんかだと、絶対トリックで車を動かしていますよ」

「職業病だな、霊に原因を求めてしまうのは。もっと現実的な解は沢山あるはずなのに」

 桜子は福原とトリックの可能性についてああでもない、こうでもないと話しながら運転し、下っていく。カーナビが峠道の終わりを表示したとき、前方に停まっている車が見えた。

「あれ、さっきのオーラじゃないですか」

「桜子さん、停まってください」

 福原が鋭く言い、桜子はオーラの手前で車を停めた。福原が助手席から飛び出して行く。

「ぶつかっているな」

 清隆が後部座席から言い、リュックを引き摺りながら降りようとする。桜子も外に出てみると、コンクリートの法面に車体が突っ込み、オーラの助手席側が潰れていた。

「大丈夫ですか! 意識はありますか!」

 福原の声が夜道に響く。運転席に向かって声を掛けているようだ。

「さっきのフィアットと公道レースをして、事故ったか」

「煽られて運転をミスしたのかもしれませんよ」

「いずれにしても」

 突如、桜子と清隆の姿が照らされた。車のヘッドライトが現れ、そして対向車線を駆け抜けていく。

 フィアットだった。

「いずれにしても、あれは危険だ」

 清隆はフィアットの行く先を見つめ、呟いた。


 福原が救急と警察に通報し、風鳴峠は一時騒然となった。駆けつけた警察官とは知り合いのようで、事故発見時の状況を福原がスムーズに語っていた。

「また、この峠か」

「また、ですね」

 そんな会話が桜子の耳に漏れ聞こえてきた。

 事故頻発エリアと言えば、地縛霊が事故を誘発している、という話が有名だ。そこで事故にあって亡くなった幽霊が、生きている人間に何か訴えたり、引きずり込もうとしたりして運転操作を誤らせるという。実際に事例があるのかどうか、清隆に確認したことはないが、少なくとも今回はそういった事情ではない。フィアットが挑発したのか煽ったのかわからないが、もっと直接的に、間違いなく事故に関わっている。

 桜子と清隆も形式的に話を聞かれ、福原と一緒に解放された。峠の展望台に向かう道中、車内は重苦しい空気に包まれていた。

「これが、呼ばれた理由なのかもしれないな」

 清隆が言った。

「季里さんのフィアットが何者かに悪用されている。それを止めて欲しくて福原さんを呼んだ」

「それは、どうでしょう」

 意外にも、福原は異を唱えた。

「もちろん道路交通法を違反するのは悪いことですが、季里の中にとばし屋の願望があったことは否定できません。サーキットに通うくらい運転が好きでしたから、実際の峠道で愛車を飛ばしているとしても、違和感はありません。むしろ、生前はできなかったことを、死んだ後になって、法律なんか無視できる存在になったことで思う存分走っている、と言われても納得できます」

「対戦相手を探して夜な夜な峠を徘徊している、と?」

「そんな気がします」

「じゃあ」

 桜子は思いついたことがあった。

「福原さんをここに呼んだのは、福原さんと走りたかったから、ということですか?」


 日を改め、三人は風鳴峠に揃った。清隆もだいぶ福原に慣れてきたようだった。

「まだ季里さんの声だけの霊は出ますか」

 展望台の駐車場で、遥か先にある真っ黒な海を見つめながら清隆が口を開いた。

「はい。昨日も出ました」

「よっぽど来てほしいんですね」

「季里は、寂しがり屋でした。だからでしょうか、同じような子たちが季里の元に集まりました。中でも新藤という男の子がいて、きっと、季里のことが好きだったんだろうな」

「季里さんは、魅力的な人だったんですね」

「そうですね。面倒見が良くて、慕われていて、就職を機にグループを抜けるときは、随分引き留められたそうです」

「そういうの、抜けるのは大変な印象がありますけど」

「チームに依りますね。季里のチームはその点厳しくありませんでした。緩く繋がっているって感じで。それに、季里自身が幹部でしたから、止める人も罰する人もいませんでしたね」

 福原は、清隆の横に並び、海の方角を見る。

「季里のチームがよく走っていたのが、この風鳴峠なんです」

「じゃあ、思い入れのある場所なんですね。そのチームは、今もまだ活動しているんですか」

「していますよ。新藤君が一番上で、今もときどき警察と揉め事になりますが」

「新藤君は、さっきも話に出ましたね。もう大人では?」

「まともに働いていないようです。フリーターみたいな感じで、ときどきお金を稼いでいるみたいですけど」

 福原は溜息をつく。

「季里を見習ってまともに働いて、普通に暮らしてほしいんですけどね」

「それこそ季里さんが卒業を促せばよかったのでは?」

「季里は、チームとはもう縁を切っていましたから」

「そうですか」

「チームには良くない噂もあるんですよ。オレオレ詐欺の受け子を供給しているとか、裏取引の仲介をしているとか。どこまで真実か、警察も掴めていませんけどね」

「どうしてです?」

「管轄が違うからです。暴走族は交通課が主に相手をするわけですが、特殊犯罪は捜査二課の管轄です」

「縦割りですか」

「分業ですよ」

 ふふ、と福原が自嘲気味に笑う。

「今夜、警察はここに張っていません」

「とばしても取り締まられはしないってわけですね」

「元々、こんな山道で取り締まりすることは滅多にありませんけどね」

「念のためですよ。福原さんのキャリアに傷がついてもいけませんし」

「私の軽自動車じゃ、どのみち大したスピードは出ませんけど」

「桜子さんのアクアで行きましょう。季里さんから見て、車種が変わったら福原さんだとわからない、ということもないでしょうから」

 桜子は運転席から降りて、福原に場所を譲る。

 今日の作戦はシンプルだった。季里の未練が福原と走ることなら、それを餌におびき寄せられるのではないか。そう考えた。

峠の下までカーレースをして、福原に道路交通法を派手に違反させるつもりはない。接触できれば会話なり何なり、手を打てる。

 運転席に福原、助手席に桜子、後部座席に清隆が乗り、発進した。

 のんびり、過剰なまでの安全運転で峠道を下っていく。車内は静かだった。必要な打ち合わせは済んでいる。あとは待つだけだった。

 清隆曰く、福原は招かれている。前回も前々回も、風鳴峠を訪れればフィアットに出会えている。今回も何かが起こるという確信が桜子にはあった。

 だから、フィアットが後方から一台で現れたときも、桜子に驚きはなかった。

「来たね」

 清隆はシェイカーから直接酒を飲み干す。道中作ったアビエーションだ。すぐに後部座席の窓を開けて、するすると外に出るとルーフの上に登る。凹まないか心配だ。

 フィアットはアクアの右隣に並んだ。挑発か、何かを伝えたがっている。どちらなのか判然としない。ただ、桜子の目には運転手が見えなかった。運転席にも助手席にも、人の姿が見えない。

「行くぞ!」

 車外から清隆の声が聞こえた。


 清隆はアクアのルーフ上からフィアットを見つめていた。妙な気配はある。霊がいるような気はする。だが、漠然としていて捉えられない。浅田や巾木、江藤の双子と違って、存在感が希薄な霊だ。だからこそ、声だけという頼りない形で福原の前に現れたのかもしれない。

 清隆は唾液を飲み込む。アビエーションで飛ぶときは、ほんの少しだけ覚悟を決める必要がある。飛ぶことは、本来人間に許された動きではない。原理原則に反する動作を行う心の準備に、二秒だけ費やした。

 よし、と心を決めて叫ぶ。

「行くぞ!」

 そして、フィアットに飛び移った。

 アクアのルーフに、座り込むようにした姿勢から、体を浮かして軽く足でルーフを蹴る。体は抵抗なく浮き上がり、フィアットに向かって行く。飛行した時間は一秒程度。フィアットの丸いルーフに貼りつくように飛びつくのは、思いのほか簡単だった。

 あとは、運転している谷原季里に接触して、話を聞く。そして危険運転をやめてもらうように説得する。

 清隆は前に進み。大穴が空き、ひび割れたフロントガラスから運転席を覗き込んだ。

「え」

 思わず声が出た。

 そこには、霊も生者も、誰もいなかった。

「サカグラシ」

 呼べば、肩に掴まっていた式神が返事をする。

「何だ」

「何かいないか。この車を運転している存在が」

 風が耳元でうるさい。大声で訊く。

「いない。だが妙な気配はする」

「なんだよ、それ」

「わからん」

 とにかく、このままではどうしようもない。説得にせよ、消滅させるにせよ、はたまた生者の悪戯にせよ、相手がいないと対処もできない。

「遠隔操作か?」

 訝しんだ清隆にサカグラシが叫ぶ。

「清隆、桜子の方を見ろ」

 咄嗟に、割れたガラス越しにアクアの車内を見る。よく見えない。だが、さっきまで清隆が座っていた後部座席に、知らない姿があった。

 それは、血まみれの女だった。手を伸ばし、福原に絡みつこうとしていた。

 まずい。

「福原さん、停ま」

 停まれ、と言いかけたとき、フィアットが急激な蛇行を始めた。まるで背中に異物を乗せられた動物が振り払おうとするように、奇妙に生物みを感じる動きだった。

 左右に慣性力がかかり、振り落とされそうになる。転がり落ちて平衡感覚を失う前に、清隆は自ら手を離した。桜子の悲鳴が聞こえる。

 アビエーションの力で宙に浮き、猫の身体能力で柔らかく着地する。顔を上げると、アクアが急停止するところだった。それでいい。あの血まみれの女にハンドル操作を奪われる前に停まらないといけない。フィアットは先へ進んでいく。

「清隆さん!」

「大丈夫。無傷だ」

 走ってアクアに戻る。息が切れていた。後部座席を覗き込むが、女はいない。

 消えた? どこへ?

「清隆さん」

「追って」

 福原が車を出す。桜子は睨むような目で後部座席を覗き込み、清隆の体をチェックしていた。

「大丈夫だって」

「落ちたとき心臓止まるかと思いましたよ」

「こっちも心臓止まるかと思ったよ。誰かがこの車に乗っていた。多分、谷原季里」

「季里がいるんですか?」

 福原が反応する。

「フィアットから見たとき、たしかにいた。でも今はいない」

 ならば、今はどこへ。

 ガクン、と体が傾いた。福原が強めにブレーキをかけたのだ。

 どうした、と言うまでもなく、理由は明白だった。フィアットが停車していたのだ。

 まるで福原を待つように。


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